体育祭の表彰式や反省会に飯田がこなかった理由が確定してしまった。
ニュースでも流されるヒーローインゲニウムの緊急入院。それだけ聞けば「凶悪なヴィランか、ひどい事故にでも遭ってしまったのだろうか、無事だと良いのだけれど」で済んだのだろうが、インゲニウムは飯田の兄でもあるのだ。肉親が大けがで緊急搬送されたのならば、そりゃ駆け付けるよな。ヒーローだ体育祭だと言っている場合じゃないほどの大怪我だったらしい。
東京都保須市で起こったヒーロー襲撃事件。犯人はステインと名乗り、過去四十名のヒーローを襲っている。そのうち十七名は死亡。生き延びたヒーローも無事では済まず、軒並み再起不能の大けがをさせられている。そして飯田の兄も大怪我で入院。心配しないほうがおかしい。
クラスメイトで作られたグループの連絡があって、そちらで大丈夫なのかと聞く声も上がっていたが、飯田曰く「兄なら大丈夫、すぐに復帰できるとも!!」とのことだった。さすがに容体を根掘り葉掘り聞くほどの阿呆はいなかったし、体育祭のコピーが欲しいかと聞けば、欲しいと返答があったので、大丈夫だと信じたい。
しかし、テレビでの報道は過激なものだった。再起不能とまでテロップで謳われていると、さすがに嫌な気分になる。
そして、オレの家族ですら「気を付けて」で済ませてしまう出来事なのだと、肌寒いものを感じてしまう。
これは、学校で様子を見るしかないよな。
月曜日、火曜日と振替休日が終わり、明日は体育祭以来の登校日だ。
◇ ◇ ◇ ◇
水曜日は、生憎の雨。生徒もまばらな早朝でも、正門前には記者の団体様だ。毎日毎日ご苦労さますぎる。それだけ雄英体育祭が注目されているということでもある。
車用門には記者はほとんどいない。追いかけることもできないし、止めては下手をすれば捕まる可能性がある。静かなものだった。
教室には一番乗りだった。机に入れっぱなしの読みかけの本を取り出して、暇つぶしにする。ガヤガヤと男女の笑い声が近づいて、教室の扉を開けると、オレの姿を見た芦戸と切島が笑って挨拶してきた。
一昨日の反省会も集合場所が一緒だったし、家も近所なのだろう。同じ中学だって話だし、付き合ったりしているのかな?
『良かった』
『良かったって……なんで?』
そんな、耳郎との会話を思い出して、顔を隠すことにする。やばい、オレ勘違いしてる。これで少しでも踏み込んだこと耳郎と話して、ダメだったときの絶望感やばいな。みんなどうやって恋愛してるの? いや、そもそもオレって耳郎のこと好きなの? やばい脳内ピンク色。
「どしたの? 顔真っ赤だよ? 風邪?」
「みたいなもんだな。あとで治るから気にしないでくれ」
「あ、そう? それよりアタシ、すっごい話しかけられちゃった!」
「記者に話しかけられたって、いつもどおりじゃん」
そういうと、芦戸はピンクの指を振りながら、おどけた表情を見せる。
「体育祭トーナメント、ベスト8のアタシの人気、舐めないでよね!」
「俺もめちゃくちゃ声かけられたぜ! すげぇなベスト8! これだったら爆豪とか轟とかもやべぇんだろうなー!」
みんなでカラオケ行ったときに見られていた視線はそれか。店員や一般客にだいぶ見られていて、ひどいヤツだと無断で写真を撮っていたから、さすがに消してもらったが。
ちなみに引きこもりの送迎車持ちは誰一人にも応援してもらっていない。おかしいな。これでも選手宣誓したし、最終競技にまで残っているんだけどな。
馬鹿話で時間を埋めていると、あっという間に予鈴がなった。間髪入れずに相澤先生が教室に入ってくる。ホームルームなどおかまいなしに、そのまま一時限目に繋げるらしい。
一時限目はヒーロー情報学。いつもなら過去の個性犯罪や、犯罪傾向の推移など、眠れるほどに楽しい授業が行われるのだが、今日は違うらしい。
コードネーム、ヒーロー名の考案。
なるほど、インターンではそれを名乗れっていうことか。などとオレが感心したのも束の間、一部の生徒が嬉しそうに飛び上がり、一瞬で相澤先生の眼光にビビッて静かになる。
先生の話は続く。一年ながらオレたちにはプロヒーローが将来性を見出してインターンの指名が入っているそうだ。
相澤先生によって名前と指名数が公表される。
轟がクラスでは断トツの四千。この指名はプロヒーローじゃなく、ヒーロー事務所からの指名なので、ほとんどの事務所から来たようなものじゃないのか?
爆豪も三千近い。常闇、飯田と続いていく。轟と爆豪だけ入れ替わっているが、ほとんどは順位通りって感じだな。
トーナメント出場者には漏れなく指名が付いている。無論オレにも指名が入っていて、なんと驚きの五十。一回戦敗退の麗日、尾白が二十そこそこだというのに、これは驚異的な数字かもしれない。と思いきや、同じ敗退組である上鳴が二百五十を越える指名をもらっているのは、本当に個性の差がでたなぁとしか思えない。八百万は百程度。意外と少ないが、トーナメントで彼女が創造したのは剣と盾だけ。しかもダークシャドウに手加減されて押し出されるという間抜けぶり。ぷぷぷ。
トーナメント出場者で唯一のゼロが緑谷。さすがにあの個性はピーキーすぎるから、気持ちはわかる。オレなら絶対獲得に乗り出すけどな。治療費のことを考えると、ほとんどの事務所が二の足を踏むのだろう。
さて問題は、オレの個性のことを、指名してくれたヒーローたちが知らないということだ。
いつぞか個性を隠すことはナンセンスだと言ったことがあるが、個性を公表するということは、ヴィランに情報を与えるということと同義である。
個性とは一つの魅力だ。
事務所を開くヒーローたちは、ホームページやヒーロー図鑑などで自身の個性を飽きるほど説明しているだろう。魅力があれば事務所に人が集まり、組織を大きくできる。組織が大きくなれば対応できる場面が多くなる。それだけ人助けやヴィラン退治に貢献できて、収益が上がっていく。人気が出ればヒーローランキングで上位を目指すことだって可能だ。
無論経営が成り立たっていなければ意味のない話にはなる。雄英高校にも経営課があるくらい、ヒーローと金勘定は切り離せない組み合わせなのだ。
では、その魅力がゼロのオレがどうすればいいのか、ということだ。
おそらく何も考えず事務所に行けば、「え、キミ無個性なの? なんでヒーロー目指しているの?」なんて聞かれるのがせいぜい。さすがに自分から指名しておいて、雄英高校生に向かって帰れとは言わないだろうが、インターンの何日か分はお荷物扱いだろうな。
とりあえず事務所のラインナップを見てから決めることになるだろうと頭抱えていると、隣で八百万が轟に「さすがですわ」と声を掛けていた。指名百そこそこが、三千を優に超えるクラスメイトを褒めるのだ。プライドだろうな。そう、まずは自分に下された評価を受け入れなければならない。
「親の評価ありきだろ」
と冷たく言い放つ轟には、あとでお説教だな。彼女の気高さを知れ。あとエンデヴァーごときと八百万財閥の御当主を比べるんじゃあねぇ。
その前にまずは授業だ。
相澤先生が、この指名も踏まえて職場体験、つまりはインターンに行くことになると説明した。そのために、仮ではあるが今日ヒーロー名を付けることにしたという。
教室に入ってきたのは十八禁ヒーローミッドナイト。
彼女は教壇に向かいながら、今日つけたヒーローネームが、そのまま正式に決まることも少なくないと説明する。
ネーミングセンスがないという相澤先生は、イレイザーヘッドをプレゼントマイクに付けられたという話だった。いや、プレゼントマイク趣味悪すぎるだろ……。それか嫌いだったとか? ありうるなー、相澤先生、轟みたいなところあるしー。その相澤先生が「名は体を表す」とか言い始めたけど、この人イレイザーヘッドの由来調べたことねぇな。
前からクリップと油性ペンが回されてきたが、これにヒーロー名を書けという。これ持って教壇に上がればもはや大喜利が始まるな。
うう、どうしよう、ネタしか思いつかない。
初手は青山。彼は『I can not stop twinking』なる名前を用意してきた。本人いわく「キラキラが止まらない」。ミッドナイトは『can't』と修正して許可を出した。もはやどこにツッコめばいいかわからないけど、せめて英語なのかフランス語なのかはっきりしてほしい。
二番手は芦戸が行った。『エイリアンクイーン』。2の口からドロドロした酸出すお母さんじゃねーか!
馬鹿やろう! 最初に変なの続いたせいで大喜利っぽい空気になったじゃねーか!
オーケー、任せてくれみんな……!
「大丈夫! オレがいる!」
クリップをもって立ち上がった。教壇につくと、咳払いを一度しておく。
「えー、やっぱりオレは無個性なので、正面切って戦闘をすることなどないし、どちらかと言えば誰かにお願いしてやってもらうことのほうが多いと思うんですね、なので、はい!!」
クリップを掲げた。
「『委託ヒーロー 他力本願』」
「まさに自分のすべきことをわかっているって名前ね!! いいじゃない!」
ごめん! オーケーもらっちゃった!!
クラスメイトに思いのほか睨まれる。
何人かが大喜利用にクリップを書き直す中、蛙吹が『梅雨入りヒーローフロッピー』と名乗りを上げることで、本来の流れに戻ったと確信したのか、教室にフロッピーコールが流れ始める。
その後は各々が温めていたヒーロー名を発表していく。
切島鋭児郎『剛健ヒーロー レッドライオット』
耳郎響香『ヒアヒーロー イヤホン=ジャック』
障子目蔵『触手ヒーロー テンタコル』
瀬呂範太『テーピンヒーロー セロファン』
尾白猿夫『武闘ヒーロー テイルマン』
芦戸三奈『ピンキー』
上鳴電気『スタンガンヒーロー チャージズマ』
葉隠透『ステルスヒーロー インビジブルガール』
八百万百『万物ヒーロー クリエティ』
常闇踏陰『漆黒ヒーロー ツクヨミ』
峰田実『モギタテヒーロー グレープジュース』
口田甲司『ふれあいヒーロー アニマ』
麗日お茶子『ウラビティ』
青山優雅『輝きヒーロー can't stop twinking』
蛙吹梅雨『梅雨入りヒーロー フロッピー』
策束業『委託ヒーロー 他力本願』
問題があるとすれば、
飯田天哉『テンヤ』
轟焦凍『ショート』
緑谷出久『デク』
爆豪勝己『爆殺王』
だろうか。爆豪だけは毛色が違うが、他のメンバーは拘りがあるのかないのか……。
ヒーロー名が決まったところで、ミッドナイトに任せきりにしていた相澤先生が職場体験の件を仕切り出す。
オファーがあった者はそこから、無かったものは雄英高校が事前にオファーしてあった全国四十件の受け入れ先から選んで参加させてもらうらしい。期間は一週間。土日や事務所の定休日などは、事務所任せになるのだろう。ブラックなところだったら報告してやるぜ。
行く場所は週末に提出。今が水曜日だから金曜日に提出になる。実質三日か。
昼休みになってもみんな相談しているので、オレや指定なかった組で学食に行くと、心操が声をかけてきた。
「よ、今日の日替わりってなんだった?」
「白身フライ。それより、話したい事がある」
心操は、本当は放課後行きたかったらしいが、オレたちを見つけたことでこれ幸いと声をかけてきたようだ。
どうせだからと、心操の連れの普通科の友だちとも食事にする。
「えー! じゃあ心操の六百って異常じゃん!! すげー!!」
A組の指名数では、あれだけ活躍した常闇と飯田が三百そこそこの指名だったのにも関わらず、ドンマイコールを受けた心操が六百の指名数だということに、オレたちは驚くことになる。口田が唯一、すごいね、頑張ったねと笑顔で拍手を送っていた。
「しっかり評価されたな、おめでとう」
「あ、ありがとう」
困惑しつつ、それでも嬉しそうにする心操。彼よりも周囲の普通科が幸せそうに祝っているのが印象的だったな。
あーだこーだ話しているとB組のやつらにも遭遇。すこし話をしたが、ヒーロー名は決めたが、まだ指名の話はされていないという。心操が六百という指名を受けたと聞いて、俄然やる気を出していたが、普通科の彼がすでに連絡を受け、A組では授業中に行った。で、B組はまだ……。それってつまりさ……そういうことなんじゃあ、ないのかなぁ。
まあ最低でも雄英が指定した職場には行けるし、知り合いからの紹介とかもあるだろうから、何人かは行きたいところに行けるかもしれん。オリエンテーションもあったし、ゼロってことはないと思うし。それでも心操よりは圧倒的に自由度が低くなるだろう。
一方でオレを指名してくれたのは、どこもエリート志向の強い事務所だった。おそらくは選手宣誓を行ったことで、オレが個性だけではなく、頭脳明晰であると判断されたのだろう。頭脳明晰で金持ちであることは否定しないが、残念ながら無個性だ。
素直に行けば、下手をすれば追い出される。そのため、メンバーや順位よりも活動内容を重視して選びたいが……。
「どこかいいところあると思うか?」
「えっ、ここビルボードチャート十四位じゃん! やべー! ここだろここ! 超ラッキーじゃん!」
ラッキーねぇ……。
出来ることならば、心操には順位じゃなく個性を生かせるところに職場体験してもらいたいとは思うが、順位で選んで後悔するのも勉強の一つじゃないかとは思う。悪い結果になるとは限らないけどな。
まだ一年だし、雄英のインターンは三年合わせると九回はある。だが、普通科からヒーロー科の指名をもぎ取るってのは大変なことだ。来年、あるいは今年に残る二つのインターンで、また注目されるとは限らない。
「策束、どこがいいと思う?」
リストを渡されたので、助言だけはしておこう。
ぶ厚いな。さすが六百の男。
最後のページを開いてから速読していく。どこも個性重視の事務所だ、悪くない。もう一度最後のページを開いてから、好みの事務所をペンで印をつけていく。最高ランクの十四位のヒーローにもつけておいた。
「オレだって全部の事務所を知っているわけじゃないし、ヒーローの人となりを知っているわけじゃない。あとは自分で調べてくれ。一つ言えるとすれば、A組B組に限らず、次も指名が入るとは限らない。適当に順位だけで選ぶと、後悔するのは自分だからな」
「……わかった、ありがとう」
さて、食事は済んだので教室に戻ると、リストを見ながらあーだこーだ言いまわるクラスメイトがいる。飯は食ったのかな? ヒーロー基礎学で死ぬぞ……。
「お、策束ー! どこ行くか決めたー?」
切島に聞かれて、大げさに腕を広げて苦笑い。
まあ切島はいいよな。午前中見せてもらったが、獲得する側もわかりやすい個性で、ヴィランに対して制圧実績を重視した事務所が多かった。オレとはまた違う意味で迷っているだろう。
迷いがなかったのは飯田だった。すでに記入して提出したとのこと。ノーマルヒーローマニュアルの事務所。いいよなぁ。オレも行きてぇよ。
「いや……アリか……?」
昼休みもそろそろ終わってしまうが、先に職員室に行く。
相澤先生にマニュアルの事務所に行きたいと告げ、理由も話しておく。
「調べましたが、無個性を受け入れて職場体験させてくれる事務所がありませんでした! ならば飯田とともにマニュアルさんのところで働かせていただければと思いまして! だってマニュアルさんも個性で苦労されてヒーローになったんですよね! 絶対勉強になると思うんですよ!」
自由を校風にする雄英高校ならではを利用して、マニュアルさんへ電話することになった。
マニュアルさんには指名をしたのは飯田ではあるが、一緒に職場体験させてほしいとお願いした。彼は朗らかに大歓迎だと言ってくれたので、相澤先生へと代わる。
これが他校なら「指名してくれた事務所に悪いとは思わないのか」などと一般的な指導が入りそうなところだが、雄英高校に入って初めて有難いと思った瞬間だったよ。
同じ事務所を受けることを飯田には伝えておいたが、なぜか視線を逸らされた。おまけに気を遣っているなら、と他の事務所に行くことを勧められたので、イラっとしてしまう。眼鏡に指紋を付けて怒られた。
◇ ◇ ◇ ◇
一週間後の月曜日。
ヒーロー科A組、B組、そして普通科の心操が、新幹線乗り場へと集合していた。
心操は、ヒーロー科の持つヒーローコスチュームが入ったアタッシュケースを羨ましそうに見ているが、B組からは心操が嫉妬の視線で見られている。なにせB組全体の指名より心操個人に入った指名のほうが多かったのだから……。こればかりは諦めてくれ。
教師陣からの小言もそこそこに生徒たちは各々の目的地へと向かうため、駅で切符を買うことになる。
目に付いたのは緑谷、麗日、飯田の三人組。仲良しトリオだが表情は少し硬い。やはり飯田の兄のインゲニウムのことだろうか。結局、事件から一週間以上経過したいまでも、ヒーローインゲニウムが退院したという話は聞かず、飯田も「俺は大丈夫だ!」としか言わない。それが兄は大丈夫だ、とかなら、まだ良かったんだけど、あまり状態はよろしくないのだろう。
ともあれ、家族の怪我とはナイーブな話である。憧れの兄となればなおのこと。触れぬが吉だ。
飯田を見送る緑谷と麗日に声をかける。
「やっぱり難しそうだった?」
「うん……思いつめちゃっている」
「はぁー、オレあんな不機嫌な飯田と一週間……やっていけるかなぁ」
「友だちなんやし、ちゃんと見てあげてよ!」
麗日に肩を優しく殴られれば、頷くしかない。
「まあ様子は見ておくけど、走られたら絶対追いつけないからな」
二人の苦笑いに手を振って、早走りで飯田に追いつく。
「なあ飯田、切符ってまだ日本で売ってるの? 買ってみたい」
恥ずかしながら、まずはオレの世間知らずっぷりを飯田に見てもらうことになった。
幸いマニュアルの事務所がある保須市は近所だ。新幹線で何時間も顔を合わせて無言ということもなく、おろそかになりつつある基礎教科の予習をすればすぐに着く。
駅からは遠いが、住宅密集地にその小さな事務所はあった。外見は四角いコンクリートハウスで、趣味は置いておいて民家と言ってもまかり通る自然さはある。玄関門には『ノーマルヒーローマニュアル事務所』と書かれていた。サイドキックもいない個人事務所らしい。
代わりに駐車場が広く、ワゴン車が二台。一台は改造されているようで、車の見た目がホームページに写っていたマニュアルのコスチュームに似ている。
飯田が率先してインターホンを鳴らすと、中から水色のコスチュームの男性が出てきた。非常に若く、二十代だろう。その若さで、個性に悩み、それでも個人事務所を開いたのだ。並大抵の覚悟ではないだろう。
たとえば十年後、オレが個人事務所を開いているとは思えない。そもそもヒーローになれるのだろうか。
「やあ、お疲れ様。二階を空けておいたから、まずはそこに荷物を置いてきてくれ」
第一印象は朗らかな人だった。こうしてみると、とても苦労人には見えない。とんとん拍子でここまで来られたとしても、個人の事業主で苦労していないとは思えないのだが……。
まだ午前中だが、午後からは巡回を行うらしく、もうコスチュームには着替えてほしいと言われた。
歩きながら話そう、と荷物だけおいて、マニュアルさん、飯田、オレで歩き出す。午後の巡回パトロールを共にするそうだ。
彼曰く普段は事務所で依頼の電話待ちをしているそうだ。だがいまは飯田の兄が襲われたことで保須市全体が慌ただしいらしく、午後からは巡回を強化しているとのこと。
「しかし、雄英高校からインゲニウムの弟さんと選手宣誓スタートダッシュくんが、よくウチに来てくれたな。俺よりも優秀なヒーローからも指名もあったろうに」
市民から手を振られ、応答しながらマニュアルさんはそう言った。飯田はともかく、オレは来てよかったと思っている。なおそのあだ名は認めていない。
急に立ち止まった飯田の手を引きながら、マニュアルさんに答える。
「オレ、無個性なんですよ。指名してくれたヒーロー事務所は強個性ばっかりで、行ったら最悪帰れって言われてたかもしれませんね」
「無個性!? えぇ! だってヒーロー科だよね!?」
気持ちはわかるが、個性があるとは限るまい。
「はぁー。雄英も大胆なことするなぁ。無個性だと大変でしょ」
「ヤバいですね。日々劣等感との闘いです」
「わかるわー。俺の個性も複雑でさ、周りに水ないと何もできないんだよね」
いつもペットボトルくらいは持ち歩いているけど、と言い腰につけた装備を見せてくれた。
「俺なんか、別に有名なヒーロー科じゃないからさ、周りに同じような個性がいっぱいいたけど、雄英だと、なんかもう想像つかないなぁ」
「この前なんて担任から個性テストやらされて、最下位は除籍処分って言われてましたよ」
「え、ええぇ!? すごいなぁ、雄英……。大丈夫だったのかい?」
なんて愚痴を言いながら、午後のパトロールが終了するころには夕方だった。今日は、ただ歩くだけ。
ヒーローとは、それに見合った功績に応じて報酬が出る。国家資格だし、事務所を構えることで税金も安くはできるだろう。それこそなにもしなくたって最低賃金だけは出る。人にもよるが、この事務所では残念ながら、高校生のバイトの月給と大差ないだろう。
じゃあ巡回でお金を稼いだんだ、ってわけじゃあない。
徒歩巡回は、基本的に給金は発生しない。保須が慌ただしいなんて言ったって、インゲニウムを襲ったヴィランのステインがいるとは限らない。ただ、ヒーローが巡回していれば犯罪抑制に繋がるし、市民の心も少しは安らぐ。
彼は【それだけ】で午後を巡回することを決めたのだ。
依頼が入れば、留守電に残っていればこなせるだろう。だが依頼者が短気だったり、緊急性があれば他の事務所に回るだろう。その分、月給が減る。
困っている人がいれば駆け寄るってのは、ヒーローじゃなくても当たり前のことだとオレは思っている。
だけど、困っている人がいなくても自身を削れるっていうのは、それが、ヒーローなんだなって、オレは彼から教わったんだ。
ストーリー上、マニュアルだけは独自の設定ゴリゴリいれているので、マニュアルファンの方には申し訳ございません。
彼の本来の事務所は保須市のオフィス街で、サイドキックも十名ほどいそう。名前から察するにサイドキックに助けてもらいながらヒーロー活動をしていると予想していたらビルボードでは222位とかいう高ランク。実はとても有能で、ただネーミングセンス壊滅していた人。