治崎が死への覚悟を決めたというのに、次の衝撃はいつまで経っても来なかった。それどころか、なにかに包まれているような感覚。
「だ、大丈夫、ですか?」
「離せ」
デクに抱えられていると気づいた治崎は、無理矢理離れた。よろめいて倒れそうになるも、瞬時に《オーバーホール》することで傷を修復。もしここで脳まで修復していれば、心臓に仕込まれた《シルバーバレット》が治崎の個性因子を破壊していたのだが、それを治崎が知るのはしばらく先の話だった。
「おい下まつげ。コイツがダークマイトか?」
「顔が破けて……痛くねぇのか、それ」
ダイナマイトとショートが、治崎とデクを守るようにバルドの前に立っている。
「間違いない。バルド・ゴリーニだ」
「いや、訂正してもらおう!」
顔の右側はオールマイトのように鋭い眼光が。
左側はどこか虚ろにも見える眼光が。
しかし、そのどちらも狂気に染め上げてバルドは笑っている。
「俺がダークマイト! 次は!! 俺だ!!」
「ちげぇよ!」
「次は──!」
「僕たちだ!」
ダイナマイトとショートが左右に展開する。バルドは左右に視線を振って、正面から飛びかかって来たデクと拳を交える。
拳のぶつかり合いから衝撃が生じ、周囲の地面が捲れていく。ダイナマイトたちは距離を取らざるを得なくなった。
「ふふふ! がんばれヒーロー、俺の壁は低くないぞ!」
「抜かせパチモン!」
ダイナマイトのストレイフパンツァーが展開する。その制圧力はデクの連撃とは比べ物にならないものだ。
「ちょ!? かっちゃ──!?」
「赫灼熱拳!」
バルドとデクが《爆破》と炎に巻き込まれる。
髪の毛を燃やしたデクが、昇った黒煙から大慌てで飛び退いた。文句を言いたい気持ちを堪え、二人に警戒を促す。
「《危機感知》! 反応あり!」
「そうとも! 俺は危険な男だ!」
煙から半透明の球体バリアとともに、バルドがデクに掴みかかる。それを防いだのは控えていた治崎だった。
バリアを《オーバーホール》で砕き、バルドの拳を蹴り上げて方向を逸らす。
その隙をついて、ダイナマイトがバルドへと組みつきストレイフパンツァーでの零距離射撃を敢行する。
炎を嫌うように、治崎はデクの首を掴んで後ろへ跳んだ。
「治崎!」
「真正面からやり合うな、負けるぞ」
半年前になるが、治崎はデクと対戦経験がある。
最近のデクは《ワン・フォー・オール》を使い慣れ、先代の個性を使用することで戦闘技術ということでは、当時のデクとは比べ物にならないほどに強くなった。
しかし、いまのデクには明確に劣る部分があり、それが壊理の個性を利用した自己犠牲を前提とした超パワーだ。
現在の、オールマイトの全盛期とも遜色がないその攻撃力は、あくまで《黒鞭》や《ギア》などの内なる個性で補助した、いわば合体技である。
一瞬、一撃はオールマイトに届こうとも、全盛期のオールマイトのような連続攻撃はいまのデクですら行えない。
壊理がいれば、その《巻き戻し》によって骨折を伴う全力で戦い続けることができたかもしれないが、ここに彼女がいていいわけがない。
「それでもやるっていうなら、付き合ってやる」
壊れたマスクを《オーバーホール》で直し、治崎はデクの隣に立つ。
治崎を横目で見上げ、デクはバルドへと視線を戻す。
思うところがないわけではない。もしこの光景を壊理が見れば、彼女はひどく傷ついてしまうかもしれない。
「壊理ちゃんに、謝られたって聞いた」
「ああ。謝っただけだ。許さなくて良いぞ」
「許すもんか」
「そうかい」
二人は同時に走り出す。いつの間にかバルドの周囲は氷の柱や壁で覆われ、足場に困ることはなかった。
「足!!」
軸足に踏み込んだ足が砕け、地面にも巨大なクレーターが出来る。
空中から、断続する爆発音と《危機感知》を頼りに、右足の《ワン・フォー・オール》を振り下ろした。
黒煙を【切り裂いて】デクの右足がバルドの鼻先を掠めた。同時にダイナマイトのつま先にも触れている。
あまりの威力に間近で見ていた二人は動きを止めた。不発を感じたデクは、砕けた両足の代わりに《黒鞭》を使ってバルドから距離を取る。
「ぐぅぅぅうう!!」
治崎は弾丸のように飛んできたデクに触れ、その両足を《オーバーホール》する。
そう、ここに壊理はいない。
しかし、治崎がその役割を代役した。
「気が狂ってるな」
「うるさい!」
痛みのストレスを八つ当たりのように治崎に当てて、デクは走り出す。その一歩一歩が明らかに身体への反動を無視したもので、治崎は目ですら負えなくなった。周囲の砕けていく氷や天井で、かろうじてデクのやりたいことが理解できる。
「緑谷!」
ショートが炎のように輪郭のない氷で、バルドの視界を遮る。そしてバルド自身も、ダイナマイトを前にぐるりと視線を移す余裕などなかった。
「死ねぇぇぇえええええ!!」
「道具は! 限界を超えない! オールマイトの思想だぞ!」
超重量を思わせるストレイフパンツァーで攻撃を続けるダイナマイトだったが、その動きはバルドの反撃を掠らせもしなかった。
ただの一瞬も足の動きを止めることなく、バルドの攻撃を先読みするように連撃を避け続けている。
バルドの戦闘技術は、治崎をして本物と言わしめるものだ。
暴力に愛されている。
バルドとて、ダイナマイトの動きを見切ろうとする寸前だった。
何度目のチャンスだったか、ダイナマイトの動きを先読みし、拳を放つ。
しかし、ダイナマイトは頭を強く傾けた。
ストレイフパンツァーと頭部の重量の移動だけで、ダイナマイトはその拳の着弾地点まで半歩だけずらす。
「なっ!?」
もし、これが半年前なら、それこそひと月前なら、ダイナマイトはいまの一撃で戦闘不能になるほどのダメージを負っていただろう。
バルドが本物であると同時に、ダイナマイトも【本物】なのだ。
「あとすこし。すこしなんだよ」
その予感を口にし、ダイナマイトは側宙で《爆破》を放つ。
空中に浮いたダイナマイトは、反動で大きく後方へと飛ばされた。バルドは会心の一撃を避けられたことで余裕を無くし、追撃しようとしてしまう。
それは、失策だ。
「セントルイス! スマァァァアアッシュ!!」
空からの一撃が脳天に当たり、皮膚が──仮面が捲れ上がる。半分だけ支えていたダークマイトの仮面が剥がれ、バルド自身の顔が晒されることになった。
足は膝まで地面に突き刺さり、大腿部まで骨が砕けていた。痛みに涙目になっても、デクは叫び声一つ上げずにバルドを睨み続けている。
治崎はデクを引き摺りだしつつ、《オーバーホール》で戦線に無理矢理復帰させた。
立ち上がったデクは、ダイナマイトとショートからの追撃を受けるバルドを見る。攻撃に参加しようにも彼の周囲は炎が舞い上がり、吹き荒れる熱に目を細めた。
「あ! ジュリオさんとアンナさんは!?」
治崎はバルドから視線を切らず、あごだけで二人の方向を示す。そこには半球状の土が盛り上がった箇所があり、いつの間にか治崎が守っていてくれたらしい。
オールマイトという仮面が剥がれ、ダークマイトにも成り切れなかったバルドを、治崎は見続けていた。
とてもではないが、正気を取り戻したからイタリアに帰ろう──などという表情には見えなかったからだ。
──笑っていた。
印象では、バルドは陰気な男である。
参加した会合で中国マフィアの若頭を半殺しにしていたが、そのときすらバルドの焦りや興奮を読み取ることはできなかった。
ゴリーニのプライドを守るための、ただの暴力装置だとすら思った。
返り血を拭い、オールマイトの話を治崎に持ち掛けたときですら、バルドが表情を変えることはなかった。
それは当然だと治崎は考えている。組を守るための暴力に余韻や余興など必要なく、ただの装置であれば良い。
そのバルドがオールマイトの仮面を失ってすら、笑っている。
それが彼自身にとってどれほど異常なことか、どれほど意味があることか、治崎はあの笑顔を見て初めて気が付いた。
しかし、警戒するべきはバルドの力や精神だけではない。
バルドが生み出した超巨大要塞は、浮力を失い大きく傾いていた。崩れなかったのは、バルドが個性で自動修正していたにすぎない。
そこからおよそ五分、崩れた要塞が安定するまで耐え忍ぶことになる。
ストレイフパンツァーを収納したダイナマイトは、ショートに視線を送って援護につかせる。
残念なことに時間はない。
空の模様にヒビが入りいまだ瓦礫が降っている。彼らがいる場所がさらに崩れる可能性があるものの、バルドの逮捕は必須事項だ。
仰向けに倒れるバルドは、巨体はそのままに気を失っているように見えた。もしここで【なにも起こらなければ】、捕縛してから脱出も容易だったはずだ。
ヴィランの親玉を倒したことで、ヒーローたちは忘れてしまっていた。
──なぜジュリオが、アンナを殺害するために追い縋っていたのかを。
「うっ」
「なんだこりゃ!」
視覚に映らぬ、突風のような重苦しい空気がデクの向かった方角から流れてくる。その風を生み出しているアンナは、黒い茨に囲まれていた。
治崎は背後ではなく、足元を睨みつけている。
人工芝から本物の赤い花畑へと変化しており、その奥底からは振動と浮遊感が伝わってきていた。
さらなる崩壊か、でなければ──修復されている。
《錬金》と《オーバーホール》は、本当に良く似ていた。
この事態は、アンナを中心に起こっているらしい。
背後のアンナは巨大な黒い蔦に纏わりつかれていた。その蔦は要塞に広がる根っこのように成長し続けている。
「デク!!」
ダイナマイトが空へ叫ぶと、そこには吹き飛ばされ落ちていくデクの姿があった。そのデクが支えていたジュリオは、アンナの近くへ落下する。
「クソ!」
ショートが二人を助けに行こうとしたが、それは治崎が止めた。その視線は、うつ伏せに倒れ込むバルドへと向いている。
《浮遊》するデクを撃ち落としたのは、バルドが倒れた地点から放たれた不可解な光線。
その光は束になり、まるで意志や質量があるかのようにバルドを持ち上げた。次の瞬間、降りてきたバルドは包帯に全身を包まれミイラのような姿だった。
そして、包帯に成りきらなかった光は球体となり、バルドの胎内へと入り込む。
殻を割って孵化する雛のように。
あるいは気泡が弾けるように、内側からバルドが──ダークマイトが姿を現した。十メートルは優に超え、肥大した筋肉を持つ巨大な化け物として。
その姿は、人型でこそあるものの、人とは程遠い。異形個性から見ても、同じ人間だとは思えなかっただろう。
ダークマイトが産声にも似た叫び声を上げただけで、周囲を破壊する衝撃波が放たれた。
治崎とショートで防壁を創り衝撃に耐えた結果、治崎はすこしだけ笑った。
「夢に見そうだ」
しかし、悪夢のような現実がそこにある。
さきほどまでひび割れていたドームの空の模様が、鮮明に映っていた。
それもそのはず、ダークマイトの放った衝撃波は、彼らのいたドームのほとんどを吹き飛ばし、地上から数百メートルの地点で本物の空を見上げることになったのだから。
『象徴だ……! 俺が、俺が世界の全てだ……!』
声か、音か。
そんなことを判断する前に、ショートは走り出していた。
氷に体重を預け、ダークマイトの周囲を旋回する。反撃を受けるも、ショートは巨大な氷壁でダークマイトの足元を塗り固める。
一方のダイナマイトは、極大の《爆破》で火柱を上げて回転し続けていた。その《爆破》は氷や地形を削り続けている。
その回転数を落とすことなく、ダイナマイトは方向を定めた。
「──でぃぃぃえぇぇぇえぇえええええ!!」
絞り出すような雄叫びとともに、ハウザーインパクトがダークマイトの胸を貫いた。人間であれば心臓があるはずの位置だが、ダークマイトはよろめきつつも体勢を立て直す。
「ストレイフパンツァぁぁぁあああああ!!」
ダークマイトの背中に向けて持ちうる限りの火力を放ち、その場に押し留める。
再び上がった爆発の炎の、さらに上。
ショートが左の炎を叩き落した。その範囲は、巨大なダークマイトの全身を焼き尽くす火柱となっていた。
その炎が消え去ると、ダークマイトは適応するかのように姿を変える。
オールマイトを彷彿とさせたカラーリングから、血のように赤く身体を染めた。
ケルベロスのように頭が三つ。背中に至っては人体の構造から大きく外れ、大小さまざまな【腕たち】を生やしている。
そして、その巨体はさらに大きくなった。
その巨体が吠えるたびに衝撃波が放たれ、ショートとダイナマイトは地面を掴んで耐えている。
「このままじゃキリがねぇっ」
「クソ!」
「暴れるなよガキども」
治崎は《オーバーホール》で防風壁と足場を作って二人を助け、ついでに肩に担いでいた、【修復】したばかりのデクを地面に転がした。
衝撃波で押し流されてしまうデクを足で抑えつけ、マスクの位置を調整する。
「さっさと起きろガキ。できなけりゃ壊理との約束破って、アイツを殺すだけになる」
「……壊理……ちゃん」
デクは朦朧とする意識のまま、握り締めた右手を見つめる。
その右手に宿る力は《ワン・フォー・オール》。
ただの個性に非ず。
暴力でもなく、きっと正義でもない。
ヒーローだ。
だれかのヒーローであろうとする、心そのもの。
──象徴。
そして同時に、自分自身のちっぽけな手の大きさに無力さを覚える。
特別に成りたかった。
オールマイトのような、特別な人に。
『特別な力はあっても! 特別な人なんていません!!』
【夢】から醒めることになった、大切なその言葉。
特別な力があるから、特別になったつもりになっていた。
オールマイトに特別を押し付けて、正義を夢見ていた愚かな自分。
デクは意識を集中させて立ち上がり、欲望のまま膨れ上がったバルドを見据える。
アンナと自身の個性の境界も曖昧になり、特別な力に憑りつかれている愚か者。
(A組になれて、良かった)
周囲にどれほど助けられていたのか。どれほど愛されていたのか。どれほど助けになっていたのか。
デクはそれを友人に教えてもらい、バルドは暴力をもって遠ざけた。
その差は、ヒーローを目指していたからとか、マフィアという出自であったから、などというものでは、決してない。
差し伸べられた手を取ったか、取らなかったのか。
その程度なのだ。
さきほどまで手をこまねいていたショートは、デクの表情を見て真っ先に飛び出した。炎のように柔らかな氷が、ダークマイトの右半身を縛り上げる。
拘束しきれなかった左手からショートを狙った巨大な石柱が飛ばされたが、それはダイナマイトがストレイフパンツァーで先端から削り尽くす。
防御に留まらず、二人の攻撃はガトリング砲もかくやとばかりの連撃でダークマイトを抑えつけた。
その二人の間を、デクが駆け抜ける。
《浮遊》で。《発勁》で。《黒鞭》で。継承された力で。
──いままでなら、きっとこんな速度は出せなかった。
なにかが引っ掛かっていたから。
実力じゃなかったから。
借り物の個性だったから。
ほかの無個性が可哀想だったから。
弱くて、泣き虫で、気持ちだけ空回りして、考えなしで、認められるたび重圧に潰されて足が重くなっていたから。
訓練すれば使いこなせるなどと理由をつけて、そんな贅沢を味わっていたことに、気付きもしなかったから。
一歩踏み出すごとに、心が研ぎ澄まされていく。
ウォルフラムがそうしたようにデクのあまりの速度で静電気が舞い、紫電がダークマイトにヒーローの到着を知らせた。
直後、ダークマイトは強い衝撃によって大きく仰け反った。
空中を蹴ったデクの一歩は、ダークマイトに直撃などしていない。
しかし、指で放つエアフォースのように、圧縮された空気が押し出されダークマイトの胸を打ち付けた。
空撃は続き、身体を捩じることで二撃目は初撃よりも威力が上がっていた。
反動で周囲の地表が捲れ上がり、ダークマイトの肉体は圧縮空気に耐えきれず身体の一部がはじけ飛んだ。
体勢を立て直したデクが地面を踏むと、それだけで一キロ近くの地面が破裂するように砕け散る。
それに構うことなく、デクの最後の一撃は整っていた。
大地を蹴り出したその威力は、反動は、そのまま蹴りの威力である。
だが、足りない。この程度が《ワン・フォー・オール》の全力であるはずがない。
さらに、向こうへ。
その心が燃え尽きぬ限り、ヒーローの成長は決して止まらない。
デクの靴底とダークマイトの間で電気による火花が散り、空気とともに、同時に、ダークマイトの巨大で強靭な肉体も、無駄なものを削ぎ落すかのごとく、空気とともに球体へと圧縮されていく。
バルドが建てた巨大なオールマイト像の額に、その球体を叩きつける。
ダークマイトだったものを置き去りにし、デクは勢いそのままに空へと突き抜けた。
衝撃に耐えきれずオールマイト像の頭部が爆発し、それは再生中だった要塞をも分断する力となって伝播する。
「考えなしかあのガキは!」
大きく砕けた足元を《オーバーホール》することで、周囲だけどうにか崩壊を防ぐ。
「お前ら! 執事を助けに行け!」
戦いは、まだ終わっていないのだから。
「進めねぇ──!」
ショートは徒歩を諦め、個性で近づこうとした。身体のどこかに激痛が走り、白目を向いて倒れ込む。
ダイナマイトは、ショートの周囲に散らばった花びらを踏みつけ、《爆破》を使わず引き摺って距離を置く。ある程度距離を空けて、空を見上げた。上空から落下して近づこうという魂胆だったが、それは失敗する。
すでに、ここはアンナの個性の範囲内だった。
変容した個性因子の適合に耐えきれず、ダイナマイトの周囲にも花びらが舞い、彼自身もその花びらへと突っ伏した。かろうじて意識だけは失わず、しかし、それ以上は痛みが行動を許さない。
バルドとは別ベクトルで脅威的な個性だ。
崩れゆく要塞を、巨大な茨の蔓で支えようとしている。その蔦がバルドまで伸びれば、きっとさきほどのダークマイトが復活してしまう。
まるで、いままで変貌させた個性因子を操るかのように。
生きる者を襲い掛かるように伸びる蔦を《オーバーホール》で分解しつつ、治崎も近づけないでいた。
その視線の先にいる男に、全てを託すことになると知りながら。
◇ ◇ ◇ ◇
ジュリオは凶器のような大きさの棘を足場にしてよじ登り、蔦に拘束されているアンナへ近づいていく。
彼がアンナの居場所を知ったのは病院だった。片目も、右手も、左足も、家族同然の雇い主も同僚も失い、失意の中でアンナの居場所を聞いた。
イタリアから日本まで、ほぼ地球を半周し、彼女を救うために、彼女の最後の願いを叶えるために、自分の命を燃やしてこの距離まで近づいた。
彼女の力なき手を掴もうと義手を伸ばし──躊躇した。
ジュリオの個性は、彼自身の個性因子をワクチンかウイルスのように相手に送り、相手の個性因子を消滅させる《因子相殺》。
アンナの父はジュリオの個性に目をつけ、娘の個性因子を、暴走する前に破壊し続ける選択をとる。
幼いアンナは自身の部屋で、自分の殻にすら籠れず、虚ろな目をしてただ怯えていた。彼女にとって、一番信用できないのは自分自身なのだから。
金持ちなのに、ずいぶんと不便だなとジュリオはそう思っただけで、あとは営業スマイルで彼女を安心させるように立ち振る舞うだけだった。
「これからは──」
優しい声色でそう語りかけ、言葉が一瞬だけ詰まった。
個性の影響か、ストレスか。
滝のように汗を流し、それでも周囲に心配をかけまいと、呻き声すら必死に我慢する少女の顔を見たからだ。
『──これからは私がずっとそばにおります』
笑えて、いただろうか。
『私がいればお嬢さまは、ちょっとお金持ちなだけの、ただの無個性の人間です』
笑わせることが、できただろうか。
──かくてその手は握られた。
冷たい、感覚もない、無個性の義手。
「ダメだ……やっぱり個性が使えねぇ!」
絞り出すような悲鳴だった。
そして、彼は懇願する。
「頼む、頼む、頼むから使わせてくれよぉ……俺に個性を使わせてくれよぉ!」
自分のために祈ったことなどない。
幸せだったから。
シェルビーノ家に拾われて、平穏な生活が送れるようになって。
なにより、アンナに出会えた。
不幸な個性を抱え、自分のことなど二の次で、それでも悪意に晒されるアンナに。
その幸せを、すこしでも彼女に返すことはできないのか。
ジュリオは、アンナを抱きしめた。
それで彼女の個性で殺されるのなら──そう考えて、アンナの本当の気持ちを知る。
彼女も、ジュリオと出会えて、本当に幸せだったのだと。
蔦を切り裂く力も個性もなく、ジュリオはアンナを棘ごと抱きしめた。鋭い棘がナイフのようにジュリオに傷をつけたが、そんなことに構うことはなかった。
「お嬢さま……お嬢さま!」
アンナの個性がジュリオの身体を蝕み続けている。
ほかの者がそうであったように、《過剰変容》によって苦しみ続けることになるだろう。それでも、ジュリオは彼女を抱きしめ続ける。
彼女を、一人にしないために。
幸せで、包み込むために。
幸せを、還すために。
だから、じつは──。
彼女の個性にジュリオの個性因子が適合したのは、一か八かの賭けなどではなかった。
適合ではなく、適応。
激痛に耐えて、耐え抜いて。
それでも彼女のために差し出した手を、彼女が掴んだだけの、それだけの話だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ジュリオ! ジュリオ!!」
ジュリオは懐かしい匂いと、身体を揺すられるたびに訪れる激しい痛みによって目を覚ます。
夕日の強い日差しに目を細め、すすり泣くアンナに軽口を叩きながら身体を起す。
「勝手に、殺さないでいただけませんか……」
義眼もエラー表示だらけで、もはやまともに使い物にはならない。
それは、アンナの個性も同じだった。
「お嬢さまは限界を超え、個性因子を出し尽くしました」
「すべて相殺したというの」
「お嬢さまの因子を受けて変異した個性で、相殺しました。一か八かでしたが、どうやら私は、あなたの適合者だったようです」
見下ろせば、夕日に照らされても色褪せぬ、美しい金色の髪が良く見ることができた。
全てが、終わったのだと思った。
主だった者に、ジュリオは最後に頭を下げた。
胸に手を当て深々と。
そんな丁寧な礼など、国旗にすら行ったことはない。
だけど、最後くらい良いだろう?
「これでもう、個性で苦しむことはありません。あなたは正真正銘、ただのお嬢様です。つまり契約は──終了したってことだ」
それは、彼女の前では一度も発したことのないような、ぶっきらぼうな言葉遣いだった。
ボロボロの燕尾服を脱ぎ、契約破棄を突きつける。
「あんたはもう狙われねぇし、俺がそばにいる必要もねぇ。好きなものに触れ、どこにでも好きなところに行ける」
だから、もう、そんな顔をしないで欲しい。
あなたは、もう、
「自由だよ」
一人でも、飛べるのだから。
ジュリオは、足を引き摺りながら歩き出す。
さあ、ここからどうしようか、そんな考えをまとめる前に、背後からアンナに抱き着かれた。
「……俺の話を聞いてねぇのか」
「聞いてたわ」
「雇用契約は終わったんだよ」
「良かった。これで【対等】に成れるね」
その言い回しに、突き放そうとしたジュリオは振り返ってアンナを見る。
対等なんかじゃない。
自分の身体はこんなになってしまって、自分の個性だっていまの彼女には必要ない。
「お嬢さま」
「アンナよ、ふふ」
アンナは笑って、ジュリオを真正面から抱きしめた。
人生で初めての我がままな行動だ。
でも、彼は言ってくれた。
好きな人に、触れても大丈夫だよって。
「アンナ」
耳元で囁かれ、アンナは涙を零す。
幸せだったし、悲しかった。
もう亡くなってしまった父親に、この姿を見て欲しかったから。
彼の笑顔を、見て欲しかったから。
◇ ◇ ◇ ◇
今回の顛末になるのだが──。
まず、ゴリーニファミリーは一人を除き全員逮捕。
主犯のバルドは心神喪失状態で、口もほとんど聞けない状態になっている。うわ言のように自身がオールマイトであることを高らかに叫んでいるらしく、裁判が行われれば精神病院まっしぐらだな。
そのバルドを除けば、彼らに日本をどうこうしようという気持ちは一切なく、むしろバルドから離れて、どこかのタイミングでオール・フォー・ワンと提携を結ぼうとしていたらしい。契約条件はアンナさんの譲渡だという。
彼らはそれらを、減刑を求めて一から百まで話してくれた。おかげでゴリーニと言わず世界各国のマフィアの情報に詳しくなったが、減刑できるかどうかは、ジル・ゴリーニの活躍次第だ。
逮捕していない唯一のゴリーニファミリーの彼は、現在なんとルミリオン先輩とともに救助活動中だ。
山に不時着、崩壊した巨大要塞だが、その内部にはゴリーニに連れ去られて手駒にされた面々がおり、彼らの救助に二人が息を合わせて活動してくれている。ほかに巻き込まれている人がいないとも限らないしなぁ。
ちなみに、助けられた一人がボクでもある。地上に出て来てびっくりしたのだが、A組の面々はアンナさんとジュリオさんが生み出すメロドラマに夢中であり、早々に怒鳴りつけた。
「んで、これからどうするんです?」
肩を寄せ合って座る、アンナさんとジュリオさん。ジュリオさんは疲労で寝てしまっており、その横顔を幸せそうに眺めるアンナさんに語り掛けた。
「家は、燃やされちゃったんだって」
夢で見た、城のような家を思い出す。ジュリオさんの怪我を見れば、おそらくは徹底的に破壊されたのだろうと予想がつく。
しかし参ったことに、日本はこれから戦争だ。長くはないだろうが、今日か明日だぞ。匿っても安全とは限らない。
いますぐ出立可能な国をいくつか提示したが、金銭の授受は拒否された。
「父が残した資産があるから、きっと大丈夫だと思うわ。私だって働けるし」
「無理しないように。ああそれと、ジュリオさんの怪我ですが」
治崎の個性について説明をすると、アンナさんは涙目で喜んだ。しかし、それをジュリオが止める。
重たい瞼を必死に押し上げて、新しい義手が欲しいと言われてしまった。
「この義手も、この義眼も、これから彼女を守るために必要なんだ」
「なに言ってるのよ! 守ってもらう必要なんかないわ!」
「ただの資産家のお嬢さんが、どうやって自分を守るっつーんだよ」
「それは……人でも雇うわ」
「その金がどこから? 無限に湧くわけじゃないんだぞ」
「大切なことに投資は惜しまないつもりよ!」
「あのなぁ」
「まぁまぁ二人とも」
痴話喧嘩など犬も食わん。とりあえず義手は大丈夫だ、ミルコの義手を流用しよう。それよりも、目は治したほうがいい。
「だけどこの義眼は」
「日本製だとかなりお高いですよ。知り合いの発明好きが造ったのが余っていればいいですけど、そうじゃあないのならしばらくはその壊れた義眼でお過ごしください」
「治して!」
「身体の一部を機械にするということに忌避があるのはわかりますが、有用性があるならそれでもいいと私は思いますがね」
「ほら、賛成二、反対一だ」
賛成も反対も、本人が義肢にも義眼にも抵抗がないのなら、人間が本来持つ肉体よりよほど高性能なのだ。購入し、メンテナンスできる余裕があるのなら、本人のやりたいようにすれば良いさ。
そんなわけで、高級な義眼は諦め、ガラスのような見た目だけの義眼か、《オーバーホール》されるかで、ジュリオさんは義眼と義足の《オーバーホール》されることを受け入れた。
彼らは上位国民と呼ばれる金持ちたちが使う、国外退避用の空港へと送らせて、残されたボクは治崎と雑談しつつ雄英高校へと向かった。
ボクは教師陣と政府に説明する役回りだ、はぁ。
「結局オールマイトに成りたかったんですかね、バルド・ゴリーニという男は。」
「さぁな」
「すこしは協力してください。あの手のヴィランをどう言語化すれば良いんですか。承認欲求の塊? 模倣犯?」
「知るか。状況説明だけで良いだろ。それより、ガキどもは良いのか?」
「ええ、どのみち彼らは囮で動き回ってもらいますからね。ギリギリまでやらせましょう」
A組は、要塞の移動ルートの瓦礫の撤去作業中だ。イレイザーヘッドの判断で《トロイヤ》に戻ることになるだろう。
そういえばウォルフラムとかいたよなぁ。どこで合流したんだ? なにをどこまで説明すれば良いのか。あー……もー……。
「……褒められたかったんじゃないか」
「え、なにがです?」
「さあな」
なんのことやら、それだけ呟いて治崎は目を瞑った。
……オールマイトのコスプレ犯を逮捕。それで納得してもらおう。それ以上のことは知らん。
それにしても、アンナさんとジュリオさん、幸せそうだったなぁ。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。