「俺が【視てる】!」
イレイザーヘッドの発言を受け、ファントムシーフは腰に下げた懐中時計を確認し、《消失》から《ワープ》へと個性を切り替えた。イレイザーヘッドからのアイコンタクトを受けたマニュアルは、無線機から聞こえてくる指示をファントムシーフに伝える。
「デクは奥渡島だ! 頼むぞフィクサー!」
「僕の名前は! ファントムシーフです!!」
目の前に黒い霧を生み出し、瞬く間に奥都島にまで《ワープ》を繋げた。
躊躇なくその中に頭を突っ込んで大声を上げる。
「デク!! 百七十秒!!」
ファントムシーフは顔にかかった海水を舐めて、周囲の状況を確認する。
奥渡島は一分も経たない短い期間で、脳無、ダツゴク、超常解放戦線のヴィランと対面するヒーローらが怒声を張り上げる暴力的な空間になってしまっていた。
黒霧の中に頭が浮いた不可思議な光景に気付いたのは、デクが最初ではないだろう。ヴィランが黒霧の靄を目掛けて襲い掛かってきた。
そのヴィランたちに《黒鞭》を纏わりつかせ、空高く放り投げた。自由落下しても海があり、首から落ちなければ死ぬことはないだろう。
この乱戦でも、《ワープ》の向こう側の存在が《危機感知》を一層刺激していた。
「ありがとう物間く──うわ!」
背後から迫ってきていたヴィランは、トガヒミコ。
彼女の一撃を防げたのは偶然ではなく、おそらくわざと防がせたからだ。左のガントレットを斬りつけられて、デクは飛び退いた。
「行かないでよ出久くん! 大好きだよ! ねぇ、だから行かないで!」
まるで幼い子どもが友だちに追い縋るように、両手のナイフを高らかに掲げたトガがデクと相対する。
(【また】《危機感知》が反応しなかった!)
四代目の《危機感知》は害意と敵意に強く反応するが、事故や災害にも反応がないわけではない。
ましてトガは、凶器を握って人を殺すヴィランだ。そんな相手に《危機感知》が反応しないなんてこと、有り得るはずがない。
デクは《ワン・フォー・オール》から伝わってくる四代目の驚きを、自身でも味わうことになる。
「僕に、どうして欲しいんだよ」
時間はないが、彼女のあまりの純真さに、デクは口を開いていた。
もしかしたらトガヒミコは、ヴィランになど成りたくはなかったのではないか。そのような淡い想いを言葉にしていた。
だが、彼女は純粋な好意で、人を傷つける。
「私の恋人になって!」
──緑谷出久。
ヒーロー名、デク。
彼は《ワン・フォー・オール》九代目継承者であり、この戦いにおける最重要戦力である。超常社会が始まって以来、日本で、あるいは世界で暗躍を続けてきた宿敵、オール・フォー・ワンが唯一執着する力の器である。
デクはこれまで林間合宿、神野区、多古場競技場、死穢八斎會のそれぞれでトガヒミコとは邂逅しているが直接的に好意を伝えられたことはなく、彼はトガに好かれていることに気付いていなかった。
「なにを言ってるんだ!!」
顔を真っ赤に染めて叫ぶデク。
こんな状況ですら初めての告白に興奮にも似たなにかを感じている。どこまで行っても、彼はクソナードだった。
「好き、初めて見たときから」
彼の反応に満足したのか、それとも彼女とて自身の気持ちを真っ直ぐ本人に伝えることが初めてだったのか。顔を赤く染めて熱くなっていく頬を両手で抑えた。
「血だらけで、初恋の人にそっくりで、かっこいいよ出久くん──」
顔を上げたトガの顔に張り付いていた笑顔は、きっとあまりにもおぞましい。
「私、キミになりたいの。チウチウさせて?」
その真っ直ぐな告白を、デクは受け入れることができなかった。
「こここ恋人っていうのは二人で遊園地に行って手を繋いでクレープを半分こすることだろ!!」
この二人に駆け寄っていたウラビティは、デクの恋人間の価値観に思わず足を止めた。
それは二つの躊躇だ。
一つは、デクとトガとの対話が、トガを救う可能性に繋がるのではないかというもの。
「私にとっては【同じになること】が【それ】なの」
もう一つは、トガヒミコの【普通】を垣間見たから。
躊躇したことによる踏み出しの遅さで、波に飲み込まれた二人を見送ることになった。
「それでしか、満たされないの」
脳無の攻撃の衝撃波で生み出された海水は三メートル以上の壁を作って、戦場を飲み込んでいく。
「僕も、オールマイトのように強く在りたいと思った。同じになろうとすることが心を満たすのはわかるよ、トガヒミコ。でも、じゃあなんで……心も同じになろうと思えないんだ。僕は、好きな人を傷つけたいとは思わないよ」
デクは波に耐えるわけではなく、ウラビティの遥か後方に流れていた。彼女は慌てて《ワープ》の位置を確認し、デクへと走り出す。
そして、自身とデクとの間にひらりと舞う、セーラー服を見た。
「デクくん!! 行け!!」
「お茶子ちゃん……」
トガの背中に飛びつき、二人で海水に転がる。砂交じりの海水が鼻や口に入ってきたが、そんなことに構うことなく、《ワープ》へと飛び込んだデクの背中を目で追った。
「出久くんも、お茶子ちゃんと一緒だね」
仰向けになって空を見つめたトガが呟いた。
構わずにコスチュームから伸ばしたロープで、彼女の手足を拘束しようと試みる。
「パパとママと一緒だね」
呼吸が乱れる。本来であれば、そんなことがだれも気付かぬ動揺だ。ただ、すこしだけ吸気量が多くなっただけ。
そして、トガヒミコは呼吸の隙を縫う。
ウラビティの視界の端に、鈍く光るナイフが見えた。首を傾けてその一撃を避けたが、トガにも逃げられてしまう。
「──っ! 待ってトガヒミコ!」
頬から伝う血に構うことなく、拘束から逃れたトガを追いかける。幸いなことにデクが潜った《ワープ》は閉じて、彼女はなにもない空間を見上げるだけだった。
「あなたと会ってから、あなたのことを考えてた」
トガはスカートを翻して、ヒーローへと向き直る。
「私は考えなかったよ。もう」
風切り音が聞こえてきて、咄嗟にウラビティは身体を引いた。目の前を小指の太さの注射針が通過する。その注射針は、チューブでトガと繋がっていた。
「出久くんならと思ったけど、もう大丈夫だよ!!」
トガがお辞儀をするように身体を動かせば、海水のなかでチューブがうねり、ホバージェットの排気音が聞こえた。死角から針が襲い掛かってくる気配に、ウラビティは逡巡する。本命は針か、ナイフか。
「世界が私を拒むなら──私も世界を拒む」
その声はあまりにも遠く。
背後で上がった飛沫を確認するために振り返った。
「お茶子ちゃん、かなしいね」
耳元で囁かれた声に死を覚悟した。
トガの言葉が、走馬灯のようにゆっくりと聞こえてくる。
ナイフだろう、背中の肉を抉った感覚が痛みとともに伝わって来た。
「あなたなら分かると思ってたのに。だって、お茶子ちゃんは私と同じ人──」
それは、どこまで【聞こえていた】のだろう。
トガはドロップキックで吹き飛ばされ、ウラビティは金縛りが解けたように振り返って、助けてくれたヒーローとともにトガへと向き直る。
「遅れてごめんなさい」
「大丈夫、掠り傷! ナイフの回収を」
フロッピーに指示を出したものの、海水に浸された血は洗い流されただろう。水を吸って重くなった服のまま、緩慢な動作で立ち上がるトガ。
「生きにくい……。私はこんなに【好き】なのに……」
デクへ笑いかけた輝きは、いまのトガの表情からは消え去っていた。
「もう──いい。出久くんもお茶子ちゃんも梅雨ちゃんも大好きだけど、もういいよ」
彼女は、腰に下げたポシェットへ手を当てる。
大好きな人たちの血が。
彼女の世界が、そこにはあった。
「なりたい自分に成りたいの。私は私が当たり前に生きたいだけ」
激情は鳴りを潜め、ただに至った、冷静なヴィランがそこにいた。
「私は、トガヒミコ。ヒーローはいらない。だから消えてね──さようなら」
「いやだよ! 私も私の当たり前を全うする! 麗日お茶子として!」
そこには少女がいた。麗日お茶子という、一人の少女だ。
だが、この戦いは決闘でもなければ対話でもない。
日本の命運を賭けた、天下分け目の戦いだ。
超常解放戦線の幹部を前に、ヒーローたちが動き始める。
ギャングオルカをはじめ、脳無たちを押し始めたことも理由の一つだった。おまけに脳無たちは周囲の敵味方関係なく広範囲攻撃を放ち続けている。
皮肉にも脳無の存在が、ヒーローたちの連携を有利にしていた。
ヴィランたちは周囲の状況に合わせて、味方を守りながら戦うなどという無駄なことはしない。
雄英高校のヒーロー科以外のヒーローの多くは、この二週間近くの乱戦訓練に参加はしていない。
しかし、そもそもヒーローとはそういう職業なのだ。
勝って助ける。助けて勝つ。それこそがヒーロー。
「そいつトガヒミコね!」
「加勢する!」
ウラビティ、フロッピーの二人を補助するようにさらに二人のヒーローがトガと向き合う。
とくに幹部であるトガヒミコの情報は、事細かく出されていた。
『姿を晦ます技術はとても複雑で微細なミスディレクションの類。それゆえに一度でかけられる人数には限りがある。感知系統のヒーローと常に四人以上でマークしてフォローし合う』
個性、戦い方、心理、戦歴。
彼女は、ただ個性を揮うヴィランよりも警戒するべきだと、判定を受けていた。それは言い換えれば、脳無よりも危険度が高いと思われているということになる。
──それだけだ。
死柄木や荼毘のような広範囲の破壊個性でもなければ、スピナーのような求心力があるわけでもない。四人で抑えつければ打開する術を失うはずだと、体力さえ無くなれば生きたままの確保は容易であろうとされている。
トガヒミコはシリアルキラーの類であって、スーパーヴィランには成りえない。
これまでの彼女の行動原理に、大局的な戦術思考が用いられることほぼはなかったからだ。
だが──。
(こっちの数が減れば減るほど逃げられなくなってる。捉えられ始めてる。
(仁くんの血液量だと三十分から四十分の《変身》が限度……。
(いま飲んで数的優位が覆せても“哀れな行軍”はこの離島で終わる。
(そもそもここで逆転しても、ヒーローたちの戻りの船をわざわざ島に着かせているとは考えにくい。
(分断と隔離。……ヒーローは仁くんのこと知ってるの?
(どのみちこのままじゃなにもできないで終わる。
(──なら、スピナーくんに賭ける!
(私は私の為すべきことを!)
敵意と諦念が。あるいは、仲間への憧憬が。
トガを、ヴィランとして完成させていた。
彼女は腰に下げたポシェットから一つの薬を取り出して、口に咥えると見せつけるように掲げる。
血のように真っ赤な薬液を見て、フロッピーが連携を乱して飛び出した。《カエル》の長い舌が鋭く飛び、透明なカプセルを破壊する。
フロッピーは攻撃の反動で水飛沫を全身に浴び、保護色で隠していた身体の輪郭が顕わになった。
そこね──そう呟いたトガの目に、喜びはない。
「梅雨ちゃんは冷静……だからそれはフェイク」
トガの冷たい視線に連動するように、空に浮かぶ脳無がフロッピーを見下ろす。その重圧は、目の前のトガから視線を外すほどのものだった。
脳無の周囲に浮かぶ黒い肉塊が伸びて、フロッピーは集中的に狙われてしまった。着弾地点からは十メートルにも及ぶ水柱が立ち並び、彼女の安否はわからない。かといって、彼女のためにこの爆心地に突撃する者など──一人しかいない。
トガは水圧に逆らい切れずに吹き飛ばされたフロッピーを掴むと、噛みつくような口づけをかわす。下唇から溢れ出たフロッピーの血を、トガは強く吸い込んだ。
水が引いたそこでヒーローたちが見たのは、倒れるフロッピーと、彼女の頭を支えるフロッピーの姿。
ウラビティが攻撃を行おうとしたのは、救助活動をしているように見えたフロッピーだった。小さな透明なカプセルを咥えている、その違和感に賭けて。
しかしウラビティの攻撃よりも早く、フロッピーは溶け出してトゥワイスが姿を現した。その両手から、つぎつぎとトゥワイスが《二倍》されて溢れ出す。
その光景を目にしても、ウラビティが攻撃を躊躇したのは、怯えたからではない。
トゥワイスの──トガの目の前に、黒霧の《ワープ》が出現したからだ。《ワープ》の主と二言、三言会話した彼女は、黒い霧へ歩を進めた。
「待ってぇぇぇ!! まだ──私まだあなたと! 恋バナしてない!!」
近寄ってくるウラビティを見て、トガは落胆した。それは、デクやウラビティが裏切った期待に依るものではない。
もう絶望の淵にいると思っていたのに、まだ寂しいなんて思うことがあるのかと、目を細めて笑った。
「できたら、良かったね」
その呟きはだれにも聞かれることなく、《ワープ》へと飲み込まれていった。
朦朧としながらも、フロッピーは舌をウラビティへと伸ばす。全身の力を振り絞り、彼女を《ワープ》へと放り投げた。そのまま脱力したフロッピーは、《ゼログラビティ》の影響で素早く引きずられる。
《ワープ》のさきで二人が見たものは──青い炎と、黒い壁。
「黒霧だけじゃないわ! 荼毘まで!──轟ちゃん! 障子ちゃん! みんな……!」
フロッピーは《無重力》で浮遊して目下の戦況を窺う。
作戦の失敗を直感した。黒霧によって集結されてしまった。
「ウラビティ!! フロッピー!」
「ツクヨミ! イヤホン=ジャック!」
声を掛けられ振り返ると、傷ついたクラスメイトが飛んで近寄って来た。
「戦いは混迷の一途を辿っているようだ」
ツクヨミの言葉を無視し、フロッピーはイヤホン=ジャックの怪我を心配した。彼女の右耳の《イヤホンジャック》は失われ、出血を手で抑えている。
その喪失感はあまりに痛々しく、しかし当のイヤホン=ジャックはそれほど気にしていないようだった。
「魔王と戦ってこれくらいなら運が良かった! 同じゲートから出てきたってことは、あのトゥワイス群はトガってことね……」
日常では当然すべき配慮を、ウラビティたちも捨てることにした。
すぐさま戦況を把握する。
とはいっても、それは絶望的な状況の再確認にすぎない。
「このままじゃ日本が埋め尽くされる……。止めなきゃ!」
「だが荼毘の熱が強すぎるぞ! トガはかまわず増殖するが我々は逃げ惑うだけ! もはや戦いにならない! 分断作戦は破れた!」
ツクヨミの言葉にイヤホン=ジャックは反論しようとしたが、それよりも先にツクヨミはウラビティに提案をした。
作戦負けしたところで、諦める要素の一つにもならない。
「すまないが、トガは任せるぞ」
「どういうこと!?」
「荼毘とエンデヴァーが戦うのではな。《ダークシャドウ》は足手纏いだ。それに──魔王がいない」
イヤホン=ジャックは慌てて周囲を見渡す。
視界の端に捉えられる距離で、激しい個性による戦闘が行われていた。おそらくオール・フォー・ワンは移動している。
──なぜ?
せっかく合流したというのなら、共闘したほうが安全なはずだ。
「ギガントマキア? それとも死柄木?」
ウラビティの言葉に、ツクヨミは含み笑いで返答する。
「どちらでもかまわない。合流する前に俺とコイツなら」
『アア! 俺トこいつナラ!』
「魔王の闇を喰らい尽くしてやる』
クラスメイト【たち】がオール・フォー・ワンへ身体を向けた。
イヤホン=ジャックが慌てた様子で《イヤホンジャック》でダークシャドウを叩く。
『ナンダヨ』
「がんばれって意味!!」
『──オウ』
照れたように笑うダークシャドウとともにツクヨミは空を飛んでいく。
残された三人は、十数秒かけて地上へ向かう。
その短い間に、トゥワイスがいる範囲が数倍にも広がり続けている。
「……ねえ麗日! ちょっと離れて行ってない!?」
「ごめん! 熱の気流で流されてるんだ! どうしよ、解除する!?」
「この高さは失敗したら死んじゃうじゃん!」
「トゥワイスへの《変身》の時間がどのくらい残ってるかな!」
「死んだって聞いてて考慮してなかった。くそ、最悪だ」
地上のヒーローとて指を咥えて眺めているわけではない。それぞれが必死のその波を防ごうとしている。風が舞い、土の壁で身を守り、敵の炎を利用して──。
それなのに、増え続けている。
ここに三人が加わったとて、焼け石に水だろう。イヤホン=ジャックは片耳を失う傷を負い、フロッピーは脳無からの攻撃で万全とは言い難い。
だが、それでも、彼女たちはヒーローなのだ。
ウラビティたちが地上に降り立ち、トゥワイス群に向かって走り出す。
幸いにも、その時間のロスが彼女たちから愚直さを消していた。
「──最悪じゃ、ないのかもしれない」
二人の会話を聞いていたフロッピーは、四足歩行で地面を駆け、喋りながら考えを整理する。
「あくまで希望的観測よ。最悪だけど、まだ最悪じゃない。
「初手でオール・フォー・ワンや荼毘に《変身》したり、《二倍》で出されていたら終わってた!
「でもそうはならなかった! それなら、【そこ】から勝機を見出すしかないわ!
「トゥワイスの《二倍》で増やされた人間は個性を使える!
「でもウラビティが聞いた通りならヒミコちゃんの《変身》は【好きな人】の個性しか使えない。
「相性というのかしら。
「《変身》から《二倍》で増やした人間にもヒミコちゃんの条件が乗ってしまうようになっているのなら、ヒミコちゃんの【好き】が死柄木たちには当てはまらなくて使えないのかも。
「まったくの的外れかもしれない。でも、この極限状況、気持ち一つで一秒後に条件が覆ってもおかしくないわ。
「そうならないためにも、早く本物を見つけないと」
すくなくともいまこの瞬間は、どれだけ絶望的な状況だとしても諦める必要はない。
諦めがヴィランを作るというのなら、ヒーローは諦めない。
「うわあああああ!!」
ウラビティは雄叫びを上げてトゥワイスに掌底を放つ。
増え続けているため末端も末端だ。あまりにも脆く、《ゼログラビティ》が発動する間もなく液状に消えて行った。
だが、それは勝機にはならない。一人が崩れたと思ったら、つぎの瞬間にはそのスペースに二人のトゥワイスが現れる。おまけに、周囲のトゥワイスもウラビティに向かって手を伸ばす。その手の先から、新たなトゥワイスの顔が《二倍》で増えた。
「ハートビートファズ!」
ウラビティの後方からイヤホン=ジャックの範囲攻撃が届き、手に届く範囲のトゥワイスは形を失っていった。しかし、その技の威力は訓練での半分以下──。地面を割るほどの破壊力も範囲もなく、痛みで連発もできなかった。
それでも、味方を守るために必死に声を張り上げる。
「ウラビティ! フロッピー! トガ本人を見つけないと!」
「でも、どうやって──」
弱音が溢れ出しそうになったフロッピーが見つめる先に、ウラビティはいた。
戦場にいるというのに、真っ直ぐにトゥワイスの、そのさらに奥を見つめている。だというのに、油断はなかった。
襲い掛かって来たトゥワイスに向けてワイヤーを射出。それらを鞭のように振るってダメージを与えた。《二倍》が消えるほどではなかったが、ダメージを負ったトゥワイスたちは役割をこなすべく後方に下がってさらに増えようとする。
押し留めるのが役割というのであれば、この戦い方で良いはずだ。
だが、足りない。
一人、また一人とヒーローがトゥワイスへと飲み込まれていった。
イヤホン=ジャックや遠方からの《土流》がサポートに範囲攻撃を行うが、中核に──トガへ近づけば近づくほどに《二倍》の強度は本来のものへと近づいていく。
結果、末端のトゥワイスだけが破壊されて、すぐに増える状態が繰り返されていた。
だが稀に、トゥワイスたちの間に死柄木や荼毘が見える。それらはなにか動作をした途端に周囲のトゥワイスに攻撃を受け、形を失っていく。
その間に、《二倍》以外の個性の発動は一度もなかった。
ウラビティに、その原因はわからない。個性の性質かもしれないし、フロッピーが言うように相性の問題なのかもしれない。
わかるのは、いまきっと、トガが必死に足掻いているということだ。
(なにが彼女の個性を阻害しているの? 気持ち? あんなに笑顔──だったのに)
考えながら、足が止まりそうになる気持ちを必死に堪えた。
ついさきほど、本当に数分前。トガはデクに対して笑顔だった。
デクとの会話で、彼女はなにを思っただろう。
生きにくい、そう言っていた。
超常解放戦線幹部の経歴──トガの資料がヒーローに配られた。
両親の証言もあり、そこには心無い言葉が載せられていた。
『あの子は人間ではありません。血を好む化け物です。直そうとしましたが無理でした』
トガヒミコは両親から【普通】を奪われ、矯正され、我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢して──溢れた。
資料を捲りながら、もっと早くにあなたを識れたならと思った。
支えになることはできないし、きっとヒーローとヴィランという立場は変わらない。
だけど、きっと、話ができたのに。
もっと早く。
もっとちゃんと。
トガヒミコの笑顔に向き合うことができたのに──。
「すごい……」
イヤホン=ジャックは、ただひたすらに悪意へと突き進むヒーローを見送ってしまった。
それはきっと不用意な突出だ。訓練であれば厳重注意、まして相手はヒーローを憎むヴィラン。自殺に近い行為である。
それなのにフロッピーはウラビティへと伸ばした手を引っ込めて、イヤホン=ジャックに外周のヒーローと合流するように指示を出す。
「フロッピーは!?」
「彼女を追うわ。お茶子ちゃんもヒミコちゃんも、一人にはできないもの」
「……死んだら許さないんだから」
二人は歯を見せ合って笑い、二手に分かれた。振り返ることなく走り出す。
山のようにうねるトゥワイスを見上げれば、これが今生の別れになることも想像できた。
託したわけではない。
自暴自棄とは程遠い。
信頼とも、すこし違う。
不思議な気持ちだと二人は思う。
もしここに相澤教員がいれば、笑ったかもしれない。
すこしはヒーローらしくなったじゃないか──と。