アニメ第3期第1話、総合40話より。
《I・アイランド》の事後処理を終えたのは、事件から十日間以上経過したあとだった。観光客は二日間の足止めがあり、《I・アイランド》の運営陣はホテル側に協力要請して、ほぼすべてのホテルが無料開放されることになった。
策束家が所有するホテルでも受け入れしたが、事後処理で追われたのはそこではない。
《I・アイランド》の株価が暴落しそうだったのだ。
それもそのはず、テロリストを呼び込んだのは、彼らが抱える研究員の一人。その動機が《I・アイランド》側の秘匿主義にまつわるものだ。おまけにテロリストがセントラルタワーの一部を破壊した(ということになっている)。
我らとしても、投資者がレセプション会場に一堂に会していたのだ。それを利用しない手はない。
《I・アイランド》関連の株取引を売買停止にし、首の皮一枚繋げたが、損失分や今後のことをどうするのかを話し合う場が設けられる。
解決の立役者たる緑谷たちは、ほかの観光客よりも長く五日間拘留されることになったが、それでも信用ある身分ということで、オレたちよりはよほど早い帰宅となった。
どうにかこうにか今後の目途が立ったところで、オレたち投資家も帰国することになる。外国籍の運営陣は大変だろうが、踏ん張ってオレたちの利益をよろしくお願いします。
そんな帰り道、一刻も早く【手に入れたオモチャ】で遊ぶことばかり考えていたオレのもとに、緑谷からの着信が入る。
今度はどんなヤバいことに巻き込まれたのかと不安になったが、なんでも体力強化のお題目の元、雄英高校のプール施設に行くことになったらしい。それについてのお誘いの電話だった。
無論、断ってもいい。
断ってもいいのだが、今後の授業内容を考えると……。
「男たちだけ?」
『うん、そうだね』
……まあ、ならいいか。
飯田あたりにお願いすれば、形くらいにはなるだろう。
空港からの帰り道だったので、そのまま帰宅。準備だけしてすぐに家を出ることになった。
今日は長期休暇の、しかも出かける予定がなかった日なのでどうしようかと悩んでいると、警備の人が善意で送迎を買って出てくれた。ありがたい。その人は雄英高校近くに行くとそわそわして、嬉しそうな表情になる。聞けば、敷地内に入るのは受験以来だそうだ。警備会社の人たちは、そのほとんどが雄英を受験したことがあるらしく、合格者であるオレに敬意を払っているとのこと。本当かな、無個性なんだけど……。むしろ無個性のくせにとか裏で馬鹿にされているのではないだろうか。
帰りの送迎は気にしなくていいと告げ、駐車場でその警備員の方とは別れた。電車で帰ってみようかな。ふふ。
更衣室に入ると、ちょうど轟たちがいたので声をかけておく。《I・アイランド》の一件は秘匿義務があるとはいえ、周知の事実なので、気にせずに話題に出す。さすがに公の場で話せば捕まるし罰金でも請求されるだろうが、仲間内で秘密にするほど気かける必要はない。
「俺たちも悲惨だぜー。ホテル泊まって次の日には帰る準備だもん」
瀬呂がつまらなそうに言うと、常闇や尾白が同意した。
「ヴィランと戦いたかったとかじゃなく、なにもできずに帰るってヒーローの卵としてどうなんだろうって思っちゃったなー」
「命を賭して解決に当たった策束たちとは、どうしても比べてしまうな」
などと言う尾白の水着には、巨大な穴が開いていた。尻尾を器用に通す尾白を感心して見ていると、恥ずかしそうに股間を隠す。心配するな、【そっち】は見てない。
「あれ、緑谷たちってまだ来てないの?」
「少し遅れるって。峰田の水中カメラがどうとかって言ってたけど」
水中カメラ? あのエロ小僧がカメラとか、盗撮にしか聞こえないけど。
まあいいか。オレにはオレの準備がある。
鞄から浮き輪を取り出して、空気を入れ始める。
「え、え、なに、遊ぶ気満々じゃん」
「策束くん! 先生に見つかったら怒られるぞ!」
などとクラスメイトにからかわれるが、オレは懸命に空気を入れて浮き輪を完成させる。そして、続いてアームリングを取り出した。
さすがにクラスメイトの視線が集まる。
小さい浮き輪を左右の腕に嵌めると、準備運動のために更衣室から出てプールへ向かう。
「策束は泳げないのか?」
隣を歩く障子に言われ、鼻を鳴らしながら前を向く。
確かに泳げない。だが、これには育ちの問題が関わってくる。体育がないわけではない。学校指定の水着だってある。プールだってあった。
だが、オレが通っていた私立中学では授業で行われる水泳がなかったのだ。
小学校では【とある理由】によりプールは免除されていたので、泳いだことが本当に無い。
おまけに筋肉がそこそこ付いているので、身体が無条件で水に浮かぶわけじゃない。正直浮き輪とリングアームだけで身体が浮かぶのか不安しかない。
なんだったら水に顔をつけるのも怖い。
だけど今後、水が怖いから助けられませんでしたなんて言い訳が通用しないことはわかっている。雄英のヒーロー科に水泳の授業が無いのがなぁ。自分で克服しなきゃならないなんて……。
ただ高所恐怖症のせいで足引っ張ったからなぁ。早めに直しておきたいよなぁ。
障子への言い訳を考えてながら通路を抜けてプールに出ると、そこには──
「業さんじゃありませんか」
誰よりも、大嫌いなやつがいた。
「それに、その、浮き輪は……?」
絶望が、こみ上げてくる。騙された。くそ、緑谷。
「えー!? なんで策束くんと障子くん!?」
八百万と麗日の声が聞こえてきた。
というか女性陣が全員揃っている。全員不思議そうにオレの恰好を見ている。
ああ、帰ろう。
踵を返して戻ろうとしたが、ぞろぞろと通路を塞ぐように男子たちが現れ、逃げ道を塞がれる。その間に八百万たちが近寄ってきてしまう。
「え!? なんでヤオモモたちいるんだ!?」
尾白が彼女たちの水着に、若干の興奮を見せながら質問をする。まあ彼も十六歳の思春期だからな、峰田のことも馬鹿にはできないか。
話を聞くと、女性陣は夏休み前ですでにプールで遊ぶことを予定していたようだ。
じゃあ緑谷がこの日に被せた、とは考え辛い。なぜって、いないのだ。
峰田と、上鳴が。
まあ緑谷と切島と爆豪もまだいないのだが、二人が女性陣とプールで遊ぶために日にちを合わせて緑谷を連絡役にしたとは思えない。
プールサイドで準備運動をしていると、案の定、峰田と上鳴がオレたち男性陣の存在に驚き、オレの視線に恐怖で震えている。
残念ながら許すことはできない。
女性陣と男性陣に別れて行っていた準備運動も終わり、オレは一足先に帰ろうとしたのだが……。
「こちらお使いになりますか?」
とビート板を《創造》した八百万に呼び止められてしまう。バレた、死ぬほどバレたくない奴にオレが泳げないことを知られてしまった。
「あたしが教えてあげよっか!」
芦戸が嬉しそうに提案してきた。彼女、普段から成績は下から数えたほうが早いからな。《I・アイランド》での活躍もなしで、そんな中でオレのマウントを取れるのが嬉しいのだろう。ちくしょう。
「私も苦手なんだー。ボール遊びなら大丈夫?」
葉隠も声を掛けてきた。顔は一切見えないが、見えればきっと、見下すような嫌な笑みを浮かべていることだろう。高校生にもなって泳げないとかあるんだー、へーみたいな顔をしているに決まっている。クソが。
あ、なんかしらないけど、蛙吹の顔が憎たらしくなってきた。なんだお前なんて泳げるの個性のおかげだろ。海水じゃあ溺れて死んじゃうんじゃないかなぁ!?
「あははー! なにその顔ー!」
「B組の物間みたいな顔してるよ」
「なんだかあたし、とても睨まれている気がするわ」
などと女性が話している間に、男たちはコースの大半を貸し切ってガチ水泳タイムだ。飯田もそっちに加わっているので一人で練習するほかない。
女性陣のコースは《創造》したボールやらボートで遊んでいるので、比較的波が穏やかなので、不本意ながら女性と同じコースで泳ぎの練習をすることにする。繰り返すが、一人でだ。
水泳を避けていたツケか。《I・アイランド》で購入したばかりの【アイテム】を使いたいが、まだ許可申請も出していない。無許可で使おうものなら逮捕される恐れすらある危険物だ。明日にでも雄英には申請届けを出しておこう。
プールの縁に手を掛けてバタ足をし続ける。顔は上げっぱなしだ。オレは目の前で人が溺れていても、絶対に顔を下げないことで心理的余裕をもつことにする。合理的すぎるな。
「カルマさ……」
プールサイドからオレを見下げるようにしゃがむ耳郎と目があった。
「泳ぎ、教えようか?」
「泳ぎ方は、わかる」
水着だからか、恥ずかしそうにイヤホンジャックを指で弄っていた彼女は、オレの発言を聞いて首を傾げる。
「だって、泳げないんでしょ?」
「泳げないっていうか、水が、嫌なんだ」
顔を水に付けたくない、大量の水を飲み込んでしまう、鼻から水が入ったらとても痛い。
苦手なんだよなぁ。
「風呂は入れるでしょ?」
「立ったまま風呂に入ることなんてないだろ」
なんでわかってもらえないのか。こっちは洗顔だって完全に呼吸を止めて行っているんだぞ。タオルで擦るのが主流だ。
バチャバチャと、ビート板に顔を乗せてバタ足をする。浮力が足りずに顔に水が付くので、なんども手で顔を拭う。でも手も水で濡れているので不安感が強く煽られている気がする。プールなんてクソだなクソ。
「だからってそんな完全装備じゃ泳ぎ辛いでしょ」
「無きゃいやだ」
「あ、そ」
足だけ濡らすように座る耳郎。触れられそうな距離に彼女の白い太ももがあるので視線を大きく外してしまう。
「頭ってどうやって洗ってるの?」
「普通に洗うよ」
「顔濡れるじゃん」
「上から水が来るのは平気なんだよ。下からがダメで」
「へぇー。あ、じゃあ背泳ぎは?」
死ねって言われた気がした。泳げない人間に背泳ぎは勧めちゃ絶対にダメだ。
こればかりは、子どもが水を怖がることと同視されがちなのだが、ちょっと違うんだよ。トラウマなんだよ、わかってくれ、と言っても、伝わるものじゃあないか。高所恐怖症と似たようなものだ。
耳郎と二人なのに、オレのバタ足の音だけが響くようだ。男性陣の水泳の音と、女性陣の水遊びと黄色い悲鳴は良く聞こえてくるのに。
ああ、もう、なんて情けないんだ。
「業さん」
くそ、もう帰りたい。
プールの中を歩いてきたのだろう八百万が、手に何かを持って現れた。
「シュノーケルマスクです。口まで塞いでくれるので、良かったらお使いください」
そう言って渡してくれたのは、まるでカブトムシのように角の生えた透明のマスク。顔全面を覆う、大きな仮面だった。この角の部分が呼吸口になっているらしい。素潜りはできないが、水面を覗く姿勢なら十分に使えるだろう。
個性まで使わせたのだ、丁重にお礼を言って使わせてもらうことになった。
シュノーケル、ビート板、浮き輪、リングアーム。ここまでお膳立てされれば、問題は一つだ。苦手な水泳を克服できなくなるんだ。だからシュノーケルだけは準備しなかったのだが……。
シュノーケル使えば一応は泳げる。しかも八百万が用意してくれたのは口まで覆っているタイプのものなので、呼吸がしやすい。いいな、欲しくなってきたこれ。もらって帰ろう。
八百万と耳郎が女性陣に混じって遊びだすのを見届けて、コースの端っこで水に顔を付けながら泳ぐ。クロールも勢いを付けなければ問題はなさそうだ。シュノーケルってすごいな。
……こうじゃないんだけどなぁ。
ちなみにクロールも勢いよくするとダメだ。泡が下からオレ目掛けて上がってくる様で、恐怖のあまり動けなくなる。
一番安定するのは犬かきだ。浮き輪やアームリングで取られる重心がほぼ狂わない。自由形で泳げと言われれば、犬かきが一番早そうだ。
ようやく顔をつけることに抵抗がなくなってきた頃、爆豪と切島が遅れてやってきたらしく、途端に騒がしくなった。なんでも男子は個性有のレースを行うらしい。怪我すんなよ、謹慎になるぞ。
委員長の八百万も、副委員長の飯田も止める気配はないので、責任は二人がとってくれるだろう。委員長って絶対に貧乏くじだよな。
なんて、せせら笑っていたのが悪かったのか。
突如、水が降ってきた。
いや、違う、身体が、返って──
【鼻に入ってくる水は痛みと焦燥を。
【口で呼吸にしようにも喉に張り付くような水が、気道を塞いでいる。
【そして、ボクの頭を押さえつける大人の力を、振り払えるはずもなく──】
「業さん!!」
「良かったー!! 策束起きたよー!! こら男子ー!! 反省しろー!!」
いつの間にかプールサイドで介抱を受けていたらしい。
心配そうな八百万を見上げていた。立ち上がろうとしても足腰に力が入らず、完全に腰を抜かしているらしい。それか長期間で溺れたか? あり得るな、なにがあった?
「無事で良かったわ、業ちゃん」
「なにが……?」
俺を助けてくれたらしい蛙吹の話では、レースでショートカットした爆豪の爆発に巻き込まれ、十秒ほど水中で溺れていたらしい。浮くには浮いたが、浮き輪のせいでひっくり返って、二転三転してしまっていたとか。
それを蛙吹が長い舌で回収してくれたとのこと。
おのれ爆豪、情けない姿をさせやがって……。
「ありがとう、蛙吹」
どうにか立ち上がろうとしたが、足に力が入らずふらついてしまう。八百万に支えてもらったが、ずるずるともたれかかることになる。
完全に酸欠らしい。
八百万に自分の状態を話すと酸素ボンベを《創造》してくれたので、ありがたく使わせていただこう。
八百万に保護してもらう形で休んでいると、女性陣が代わる代わる見舞いに来てくれた。ありがたいけど、もう帰りたい。水泳とかもういい。水の外から助ける方法を考えたほうがよほど効率的だと気が付いた。
男性陣は個性を使わずに水泳を行うらしい。まあ彼らのプール使用許可は体力強化だからな、死人が出たわけでもないハプニング程度では訓練は止めないだろう。オレだってそうする。女性陣は遊ぶ空気でもなくなってしまったようで、オレが休んでいる待機所でスイカを食べ始めた。当初はスイカ割りでもする予定だったのか。……プールだぞ。
多少動けるようになったので、更衣室で着替えを済ませ一足先に帰路につく。
みんなに挨拶だけすると、いろんなクラスメイトに謝られたが、そうじゃないだろうと思ってしまうのは、オレのわがままだろうか。
本調子ではないが、送迎ならば問題はないよなと──そこで初めて、酸欠は思考力を大きく奪うと再認識する。
送迎はいらないと言っておいたじゃないか。運転手は残念ながら直帰している。帰りは切島たちと食べ歩きでもして帰ろうと考えていたんだ。しまったな。家に掛ければお手伝いさんにお願いできるかもしれないが、相手の都合を考えるとな。
とりあえず、気怠さもあるので昇降口で休むことにした。あ、そういえば、心操は訓練最中か。覗いてきてもいいかもしれない。見つかったら相澤先生に怒られるかな?
怒られると言えば、八百万に作ってもらったシュノーケルマスクもらってきたが、いらなくなってしまった。あ、弟に上げよう。八百万の脂質から作られているんだよって言えば喜んでくれるはずだ。
しかし、これはキツイな。溺れたのもそうだが、トラウマに触れるだけで心がすり減った気がする。
「あの、もし」
誰かに声を掛けられた。
顔を上げると、髪をおろした八百万が心配そうな顔をオレに向けていた。
どうやら休んでいる間に、A組の水泳大会もお開きになったらしい。寝ていたわけじゃないが、休みすぎたようだ。
「業さん!? 大丈夫ですの?」
まだ明るいと思っていたが、すでに五時らしい。帰宅したはずの人物が校内でへたり込んでいたら、そりゃあ八百万じゃなくても心配するか。
あまりにも身体の心配をされるので、酸欠での思考力の低下と、送迎車がこないことを説明する。
八百万は送迎待ちらしい。彼女のほうから相乗りを提案されてしまったので、断ることもできずに頭を下げることになった。なぜか水泳のときよりも嬉しそうに笑う彼女に辟易しながらも、駅前のラーメン屋の味を思い出す。
腹の虫の音を聞かれ八百万に笑われてしまった。
帰りは、なんと彼女とともにラーメンを食べることになった。運転手も一緒にどうかと懇願したが、若い二人の邪魔はできないと笑われてしまった。八百万家の運転手は良いラーメン屋を知っていたな。切島たちと食べに行くラーメン屋に加えておこう。
雄英の制服を着ていたからか、いまだに雄英体育祭の影響からか、混雑している店内で握手やサインを求められている。
普段の外食は、両親を連れて会員制のレストランだ。彼女自身は店員や野次馬の対応の落差に驚いてしまっているが、そつなくこなす彼女に素直に感心した。あとオレには一切声をかけてこない。付き添いのモブ顔で悪かったな。いや、オレが悪いんじゃなくて、彼女が持ちすぎているんだ。
「とても暑かったです」
「ラーメンが? 人の熱気が?」
店から出た瞬間に、八百万が珍しく不満を全面に押し出した表情でつぶやいていた。わざと茶化すように言うと、彼女は不器用な笑みを浮かべる。
お上品な店じゃないし、会員制でもなく、芸能人が利用しそうな様相でもなかった。しかしヒーローになるってのは、これに近いものがあるんだろう。
八百万百ではなく、『クリエティ』として生きなければならない。とくに彼女のコスチュームは顔を隠すものでもないからな。
そう思うと、今回の《I・アイランド》で入手したゴーグルはとても良い買い物だ。顔を隠し、性能は抜群。難点は多方面に送る書類の数だな。さすがご禁制のヒーローアイテム。
家まで送ってもらい、お決まりの社交辞令で別れる。菓子折りでも持って行くべきか。
家族に八百万に送ってもらったことを話すと、母さんは嬉しそうに、弟からはすごい視線で睨まれた。
理不尽なことにデザートに残していたアイスは食べられた。