肝試しにて青山とペアになったことに絶望している峰田が、おどろおどろしいオーラを纏ってオレと八百万に近づいてきた。
「策束ぁ、オイラと代わってくれよぉ」
「お前よくオレにそんなこと言えるな」
退学も覚悟しろよと言ったのだが……まあそれはともかく、メンタルお化けの峰田にクジを手渡す。
彼は一瞬キョトンとしてから、嬉しそうに八百万を見上げた。
「こ、困りますわ!」
「ほら、レクリエーションですから」
ははっ、と爽やかな笑顔を向けても、フルフェイスゴーグルのおかげでこちらの笑顔は伝わらなかったらしい。珍しく不満を隠そうともしない八百万が、峰田からクジを奪ってしまった。
轟とペアになって激しく拒絶している爆豪にも声をかけようと思っていたのに……。
残念ながらペア交代にまでは至らず、一組目の常闇・障子ペアを見送る。
「あー……もー……」
耳郎が両耳のイヤホンジャックをぎゅうと握りしめて呻いた。目がいつもより据わっているし、嫌そうに暗闇を見つめている。落ち着きなく足踏みする様子は、まさにストレスの見本市といったところか。
声をかけようとも思ったが、なんというか、違うよなぁ。友だちとして声をかけたいけど、本当は頼れる男をアピールしたいってのが本音だ。しかし仮にも訓練合宿中にそんな意味もないことをしていいのか、というかそんなアピールが本当にプラスになるのか、そもそもどんな声をかけるのが正解なのか。それとも行動なのか。ぐいっと肩を掴んで引き寄せて、いやいや接触はさすがに良くないか。それに恐怖に怯える女性につけこむような真似はできない。
「あの」
「手でも握るか」
「ええ!?」
手はなぁ、ギリギリだよなぁ。ギリギリだからこそ効果的なのかもしれないが……。
そんなことを考えていると、耳郎・葉隠ペアが出発していく。一瞬耳郎がこちらを見たので、手を軽く上げると、向こうも軽く返してくれた。
なんかいい感じじゃない? チャンスだったのかなー! どうなんだろうなー!
「業さん……」
八百万に声をかけられ横を見ると、彼女はなぜか幽霊のように片手を前に突き出していた。視線は合わず、俯いている。
「ああ、A組も驚かす側になりますからね、今のうちになにか考えておきますか」
「……え?」
轟はもう出発してしまったあとだ。彼の氷ならルート上を上手く冷やしてくれるだろう。八百万にライトやロープやメイク道具でも出してもらえれば形にはなるかもな。口田の個性を使って大量の蝙蝠を、ってのも面白そうだ。
あ、それとも葉隠にずっとついてもらうってのもいいな。気配が有っても無くても恐ろしい。なんてったってこのゴーグルがなきゃ影も形も見えないのだから。
望遠仕様に切り替え、ルートの予想距離を割り出す。と言っても、このゴーグルは《I・アイランド》事件の影響でオフラインしか扱えず、目に見える範囲じゃ大した情報は得られないか。
衛星に繋げられれば途端物凄い兵器に化けたんだけどな。デヴィット・シールド負の遺産といったところか。
《臭気センサー:異常あり》
はて? 屋外でほぼ役に立たないセンサーが屋外で反応した。B組の宍田獣郎太あたりがスタート近くに潜伏しているのかもしれない。獣臭そうだ。なんて言うと、彼らの両親に怒られてしまうな。策束家とは関わりはないが、良家のお坊ちゃんだし。
「百お嬢さん、なにか匂います?」
「いいえ! とくに!」
峰田にクジを渡そうとしたときから不機嫌になっている八百万を尻目に、より強い反応を示すセンサーに警戒心が増す。だが最先端のセンサーでも、この程度の臭いの強さでは、種類まではわからないらしく、曖昧すぎる情報だよな。
「そろそろ行きましょう、業さん」
「え、ああ、そうですね」
いつの間にか三分が過ぎていたらしい。八百万に声をかけられ顔を上げると、マンダレイがこちらを手で促していた。
「えー、それ反則じゃないー?」
マンダレイの隣に立っていたピクシーボブにゴーグルを笑われつつ、後続の麗日・蛙吹ペアに片手をあげておく。
……これさっき耳郎にもやったな。もしかして訓練で良くやる手信号のクセなのでは?
これ以上考えると良くない方に思考が向かいそうだ。訓練中に恋愛のことを考えることはやめよう。
それにしても……。
警戒していた宍田の脅かしはなく、進めば進むほど臭気センサーが反応を示している。道中、森に身を潜めていた骨抜と拳藤がいたので声をかけると、地面から小大の頭が出てきた。
心臓止まるかと思った。
「なんでバレたー?」
「この秘密兵器のおかげ。それより、なんか匂いしなかった?」
三人とも森の中にいたはずだが、とくに匂いはしなかったという。これはもしかして故障か? えー……買ってひと月経ってないけどー……。
「なにか創造致しましょうか」
「いえ、故障の可能性も出てきたので……」
いかん、落ち込んできた。
こりゃあ使いすぎると依存してしまうな。おそらく昼に葉隠たちといい勝負をしたことが影響している。コレを無くしたらオレはまた無個性に逆戻りだ。いや、無個性なんだけどさ……。
足取りが重く、気づくのが遅れた。
『煙霧確認──』『熱源感知──』『燃焼項目──ハードウッド』
「百お嬢さん! 耳を塞いで!」
「えっ」
「早く!」
八百万が慌てて耳栓を《創造》し、装着を確認する。不安なのでその上から指で押さえるように指示し、少し離れてから【サイレン】を起動した。
不安を煽るけたたましい警戒音が、真っ暗な森に響き渡った。
ボリュームを最大にしたため、オレの鼓膜が破けるんじゃないかと思ったが、オレのあごに振動がくる程度だった。どこまで届いた? 合宿所まで届いてくれればいいが。
『火災! 発生! 火災! 発生! 訓練! 停止! 声をかけあって! 帰投しろ! 繰り返す──』
これが故障だったら額擦り切れるくらい土下座しよう。
だが、視認してしまった。
遠方に上がる煙と、煙に炎の光が反射している様を。
繰り返している間にマンダレイの《テレパス》が届いた。言葉はオレのものと似たようなもので、すぐさま施設へ戻るように指示を出している。
「────」
八百万がなにか叫んでいる。さすがのセンサー類も読唇術はお願いできないらしい。一分以上サイレンは鳴らした。これで行動できないお気楽なやつはこの場にいないだろう。
警戒音を消して、八百万の声を聴く。
「この煙おかしいですわ!」
周囲にピンクの靄。森の奥から流れてきているな。量が合わない。
「ガスマスクを創ります!」
いいね、さきほどより落ち着いている。彼女自身がつけたガスマスクとは別に、三つのガスマスクが握られていた。すぐ後ろには拳藤たちがいる。
踵を返して走り出す。ピンクの靄はさほどスピードがない。だが、範囲がある。いつの間にかピンクの煙に囲まれているようだった。
火災による気流の変化で、どこかから噴出したガスが森全体に溢れ出した? おいおい、馬鹿言っちゃあいけないよな。
「もう一度、やります」
「お願いします」
オレの声色で、八百万もわかっただろう。いや、彼女ならオレよりさきに気づいていたはずだ。それでも口に出さなかったのは、有り得てほしくないと願った心の弱さだ。オレもそうだ。
『ヴィラン! 襲撃! ヴィラン! 襲撃! 警戒! 警戒! 繰り返す──』
この文言を三度繰り返したところで、耳を押さえる拳藤たちにもう一度出会った。どうやら音を聞いてこちらへ向かってきていたらしい。
三人にガスマスク作動・装着手順を教えていると、マンダレイからの《テレパス》で広場にてヴィランに襲われていることと、洸太くんの所在不明が伝えられる。指示によると交戦は不可。……逃げられるのか、この森で。
ピクシーボブの《土流》による援護も感じられない。全員で撤退が一番だが──。
背後の森から物音。
軽く咳き込む音も聞こえた。骨抜と拳藤が前に盾になるように前へ出ると、森の中からB組のメンバーが現れた。
鉄哲徹鐵。彼に横抱きにされた塩崎茨。それに二人の口元を器用に布で押さえる泡瀬の三人。なるほど、B組はおよそ三人行動か。行動に移せたのは約七チーム中の二チームだけ。まずいよな……。
「塩崎の様子は?」
ガスマスクをつけた鉄哲が、辛そうに首を振った。
「わからねぇ。昏睡ってのが一番わかりやすいと思う。呼吸はしてるし、脈にも異常はない」
「どこで吸った?」
「もうちょい先に行ったところ。塩崎が個性使おうとしゃがんだ瞬間だ。すまねぇ……。B組の待機位置に行こうとしたけど、煙が凄くてダメだった」
ピンクの靄の発生源がB組待機位置近く? 密度が増している可能性があり、そのまま突っ込んでもガスマスクの吸収缶が機能不全になることも考えられる。
「業さん。私行きますわ」
「……ええ」
八百万は必須だ。彼女がいればどんな不測の状態になっても対処可能。なまじ残りのB組が全員昏倒していたとしても、この有毒そうな煙を吸わせておくより、ガスマスクはつけるべきだ。そもそも山火事の煙も身体に有害である。ピンクの靄が吸い続けても人体に影響のないものだとしても、八百万が行く必要はある。
「みんな、百お嬢さんを頼む」
「当たり前だ!」
「策束は?」
地面に寝かせられた塩崎を見る。
「オレは彼女を施設まで運ぶ。この状況で襲ってきたんだ。たぶんヴィラン連合……死柄木弔だ」
呼吸を止めながら、フルフェイスゴーグルを外した。八百万が慌ててガスマスクを《創造》してオレに渡してくる。
オレはゴーグルを八百万に渡して、代わりにガスマスクをつけた。
「使い方の説明は省きます。視線誘導操作に切り替わっているので、注視すれば反応します。ピンクの煙の中でも人の形くらいは判別できると思います」
「はい」
八百万も意図はわかっているだろう。自身のガスマスクの代わりにゴーグルを装着。そのままガスマスクを大量に《創造》してオレに手渡してきた。ベルトに引っ掛け、拳藤に手伝ってもらって塩崎を背負う。ついでに固定用のベルトもつけてもらった。さすがに森の中でお姫様抱っこなんて、転んだら死んでしまう。
「みんなを、助けてください」
六人がオレの言葉に頷いてくれた。溢れそうになる涙を堪え、走り出す彼らを見送る。
情けない。
真っ暗な森が怖い。
情けない。
呼吸が制限され苦しい。
情けない。
なにも、できない。
ああ、なんて情けない。
涙でぼやける視界を、塩崎の命を預かっているという意識だけでねじ伏せ、一歩一歩慎重に駆ける。森の中だ、せめて目を慣らしてからのほうが、いや、悠長だ。ヴィランが何人いるかわからない状況だ。
情けない。いや──失望だ。
◇ ◇ ◇ ◇
時間をすこし遡る。
それは、麗日と蛙吹が森へ入り、次いで青山・峰田が森へ入る待機時間だった。
自然溢れる森林から、あまりにも不釣り合いなサイレン音が流れてきた。
そして遠方から聞こえてくる、学友の声。
『火災! 発生! 火災! 発生! 訓練! 停止! 声をかけあって! 帰投しろ! 繰り返す──』
「火災!?」
「嘘でしょ!!」
プッシーキャッツの面々が顔を合わせて驚いている。
それもそのはず。【燃える物がない】からだ。
山火事というものは山を所有している以上、どうしても不安の要素にはなる。しかし、夏場の青々と茂っている生木に火を点けるには、放火か落雷の二択だと考えて良い。
そして、落雷などは、ない。
火災に対する警告が止んだと思ったら、次にヴィランに対する警戒を促す文言が聞こえてくる。
「警戒しろ!」
虎がそう叫んだ瞬間、狙ったかのようにピクシーボブが宙に浮く。寸前に集中力を高めていたため、《土流》によって生み出した土壁で、身体を固定することに成功した。
「引っ張られてる!」
土の中から土くれの魔獣を出現させ、引っ張られている方向へ突進させるが、それは一瞬で砕かれる。
「マグ姉! 一人は余裕だと言っていただろう!」
「あのサイレンが悪いのよ! タイミング逃しちゃったじゃないもう!」
森の境目に二人の男が立っていた。
一人は大柄で、サングラスで顔を隠している男。肩に布で包まれた長方形の物体を担いでいる。
もう一人はトカゲの異形個性の持ち主。片手に抱えるは無秩序に大量に縛られた刃物を、
まるで一本の大剣のように見立てて持っていた。土くれを一撃で倒したのは、この男だろう。
「まあいい。我が名はスピナー! かのステインの意思を紡ぐ者!」
三十キロはありそうな刃物の塊を、片手で振り回してから腰だめに構える。抑揚をつけた劇場型、身振り手振りももったいぶっている。その隙を見てマンダレイは次の指示を《テレパス》していた。
「あらぁ?」
生徒たちが、まるで訓練されていたかのように撤退を始める。それを見てマグ姉と呼ばれた男が唇をすぼめて頭を傾げた。
「てっきり生徒たちは血の気が多いと思っていたのに、肩透かしねぇ」
「……引石健磁だな」
「私ったら有名人だわ。ねえスピナー、ステ様と比べてどっちが有名かしらねぇ」
殺人、殺人未遂、強盗殺人で全国指名手配されている男。明かに挑発しているが、それに乗る必要はない。ピクシーボブの機動力が奪われているが、この程度で《土流》の操作をミスすることはない。
それを見て、緑谷はマンダレイに声をかけた。
さきほどからずっと、マンダレイの悲痛な叫びが聞こえているから──。
「僕、知ってます! 行きます!!」
「緑谷くん!!」
クラスメイトの制止も聞かず、一直線に駆け出す緑谷。追いつけるとすれば飯田だけだろう。
「ラグドール……」
虎が《テレパス》を受信して集中を乱した。
その隙を縫うようにスピナーと名乗ったトカゲの異形個性が逃げようとしていた生徒たちにナイフを投げつけた。殺意は乗っていないのか、飯田の足元へ突き刺さる。
「待てよ眼鏡くん!! お前とヘルメットマン……。ステインの意思を継ぎ、シュクセーしてやる!」
スピナーは大剣を諸手に構え走り出したと思ったが、すぐさま横に大きく跳び退いた。《土流》によって進行方向の地面が【うねって】いる。
「早く逃げて!」
「はい!」
飯田が駆け出そうとしたとき、とある生徒が一歩だけ、逆らうように前に出た。
「なああんた。そこのおしゃべりヴィランさん」
「なぁに? わたしのファンかしら──」
引石は肩に担いでいた得物を落とし、虚ろな目で棒立ちになった。
ピクシーボブを縛っていた不可視の引力が消えたため、彼女は猫のようにその場を大きく跳躍して、後方へ下がる。
「マグ姉? おい! おい、マグ姉!!」
仲間意識か、スピナーは敵の前で虚脱した引石に呼びかけるが、その最中にも虎からの攻撃によって近づけないでいる。
なにをされた?
スピナーがさきほど動いた生徒を見る。……見覚えがある。
「洗脳、個性!」
雄英体育祭。並みいるヒーロー科を抑えベスト八位まで残った普通科の生徒。名前は確か、心操人使。
「マグ姉! 起きろマグ姉!!」
『なぁに? 聞こえてるわよ』
耳元で囁かれるような《声》で一瞬だけ誤認する。迫る虎から目を離し、引石の様子を見ようとした結果、代償は太ももに走る三本の線。
「硬った……。ふぅん、やるじゃん」
マンダレイの得意とする《テレパス》を使用した接近戦闘だったが、異形系の個性である鱗に阻まれ、思ったほどの傷にはならなかった。
「おのれヒーロー! 徒党を組み、腐敗する体制に与する愚か者どもめ!」
挑発されても、プッシーキャッツの表情に変化はない。
いつの間にか心操も飯田も、スピナーの視界の外に移動していた。広場には五人のみ。
膠着状態は長く続かなかった。
遠方の崖から地鳴りのような破壊音と、それに伴う砂塵が巻き上がり、マンダレイと虎が視線を逸らす。
おそらくはマスキュラー。ステインは好き勝手に暴力を振るう相手も狙う。スピナーにとっても粛清対象にはなるが、いまだけは感謝を送った。
大剣を下ろし、両手に投げナイフを三本ずつ構えて投げつけた。
五本は《土流》の土壁によって防がれる。しかし、一本は!
「いったぁ!? なに、なによ!」
右腕を押さえる引石。指の隙間から血が零れている。
「チィ!」
虎が引石に駆け出すが、その前に得物を拾われて空中に浮いてしまう。
「起きたかマグ姉! もう洗脳個性はいない! さっさと片付けるぞ!」
「へぇ、洗脳? ちょーっとムカついちゃったわ」
虎が引かれた勢いそのままに、ヴィランの頭上を飛び越えて森の中へ落ちていく。
「すぐ戻ってくるぞ!」
「無理よ。バリアー張っちゃったもの」
引石の自信ある表情に、ピクシーボブとマンダレイが冷や汗を流す。
油断できる相手じゃないことは、この数合の戦いで十分にわかってしまったから──。
◇ ◇ ◇ ◇
合宿施設が見えてきた。
たかだか二キロもない道のりだが、身体の疲れが信じられないほど強い。背負ったときの塩崎は羽のように軽かったというのに、いまや石像なのではないかと思ってしまう。
呼吸も荒くなって、背負っている相手に極端な負担をかけているというのに、彼女が目覚める様子はない。
森の中のメンバーはどうなったか、それが脳内を堂々巡りだ。
さきほどからマンダレイからの《テレパス》もないので情報がない。ヴィランは拘束したのか、まさか全滅なんてことあるわけがない。そんな、わけがない。
しかし、オレたちより先にいった爆豪や轟たちは? ピンクの靄を吸っても問題ないって個性じゃない。八百万を行かせて良かったのか。耳郎ならヴィランに気づけたと思う。しかしピンクの靄の巡りが早かった場合、気づけるかどうかは難しい。中央にいるラグドールは?
「策束……!?」
声をかけられ顔を上げる。
聞きなれた声。
相澤先生──ヒーロー・イレイザーヘッドだった。
「せ、せん、せい……」
喉が震える。鼻水で呼吸ができない。
安心感で膝から崩れ落ちた。ガスマスクを脱ぎ捨てる。
イレイザーヘッドが膝を折り視線を合わせてきた。いつもの無気力さはなく、緊張している。
「大丈夫か! なにがあった!」
「ピンクの、靄を吸ってはダメです。塩崎が昏倒──」
涙が、溢れる。
「おれ、なんも、でき、なくてっ」
違う、やめろ、そんな【贅沢】あとにしろ!
「やお、よろずとっ、けんどう、てつて……つがっ」
震えるな、震えてくれるな。いまが、オレにできる唯一のことなのだ。
引き攣るような呼吸の中、歯を食いしばってから大きく深呼吸して、鼻水を飲み込む。
「B組が、煙のなかに、取り残されましたっ! 八百万、骨抜、拳藤、小大、鉄哲、泡瀬の六名が、救助活動中!」
「そうか……。よくやった」
頭を強く撫でられる。
だが、まだだ。
「森が燃えてます! A組は、常闇、障子、轟、爆豪、耳郎、葉隠が取り残されてます。残りのメンバーは」
「施設の中にいる。何人かは、だが……。お前もすぐに──」
「先生!!!」
緑谷の声──。
イレイザーヘッドが立ち上がり、声の方へ視線を向ける。
森の中から子どもを背負った緑谷が現れた。
オレもイレイザーヘッドも、緑谷の様相に言葉を失う。
「先生! 良かった! 大変なんです! 伝えなきゃいけないことがたくさんあるんですけど、とりあえず僕、マンダレイに伝えなきゃいけないことがあって──」
両腕が、砕けている。骨が支えていないことは、力が入らないであろう腕の左右の長さでわかった。
一方的に喋り続ける緑谷にイレイザーヘッドが何度も話しかけるが、緑谷はぶつぶつとしゃべり続けている。
「洸太くんをお願いします! 水の個性です。絶対に守ってください! お願いします!」
「待て緑谷!」
走り去ろうとした緑谷を、イレイザーヘッドが呼び止める。
「その怪我、またやりやがったな。保須でのこと忘れたのか」
緑谷は言い訳をするかのように口を開く。
それをイレイザーヘッドが遮った。
「行くぞ緑谷。策束、行けるな!」
イレイザーヘッドに、視線で洸太くんを任された。
──緑谷を、その怪我の緑谷を、連れていくのか?
「行け……ます!」
足に力を入れて立ち上がる。洸太くんも状況はわかっているのだろう。緑谷を心配そうに一瞬見上げたが、小走りにオレのほうへ向かってきた。
入れ替わるように、イレイザーヘッドと緑谷が広場に向かって走り出す。
心が、さっきよりも重い。苦しい。
オレが──、ボクが、無個性だから?
頭が痛い。緑谷は重傷だ。足が重い。両腕骨折。気持ち悪い。要救助者だろ。一緒に行く? ありえない。だって、じゃあ、だって。オレは、あの緑谷よりも、劣るのか……? 無個性ってのは、要救助者よりも、守るべき相手なのか?
自分でも怖気立つほどの、不快な思想に見舞われる。こんな非常時になにを考えている。
その嫌な思考を止めてくれたのは、手を握ってともに走る洸太くんだった。
「あいつ大丈夫かな」
あいつ、とは緑谷のことだろう。
頭を振ってさきほどの考えを消し去る。そうだ、まずは緑谷の心配だろう。そもそも緑谷を一緒に行かせたのは、これ以上手間取らないため。連絡は大量にあるはずだ。それをこの状況下で足を止めて伝えるなんて、贅沢すぎる。
「僕、あいつのこと殴ったんだ……。なのにあんなボロボロになって助けてくれたんだよ」
握った手が力強く握りしめられる。
「僕まだ、ごめんも、ありがとうも、言ってないんだよ! あいつ、大丈夫かなっ」
不安なのだろう。涙が前を向く洸太くんの目から溢れていた。
「大丈夫じゃないかもな。あの怪我だ。すぐに激痛で動けなくなる」
すすり泣く音が洸太くんから聞こえてきた。彼がいくら子どもだからって、あの怪我がどれほどのものか想像はつくだろう。
「それでも、動いちゃうんだよ。動けちゃうんだよ。ヒーローってのは。気持ち悪いだろ」
声は震えていただろうか。視界は涙でいっぱいだった。
「誰かがいたから元気になれたってのは、そこらへんにごまんと転がっている奇跡の一つだ。緑谷がいまも動けているのは、キミがいるからだ。キミの両親だって、キミがいるから──」
それは、責任だ。軽はずみに口にしていい言葉じゃあない。
それでも伝えるべきだろうか、このまま流したっていい。
「キミのために、頑張ったんだ」
言ってしまった。
「帰ってきたら、言ってやろう。ありがとうって」
「うん……うん!!」
この子はいつか、オレの言葉の歪さに気づくだろうか。
悪意でもなく、真意でもない。世界の歪み。
誰かのために命を投げ捨てる?
最後には、自分の選択で、自分で決めたのだろう?
自己犠牲とは、自己満足と表裏一体するものだ。
この少年はいつか、その歪さに向き合っても、ヒーローを目指すのだろうか。
彼の両親は、死ぬ覚悟を決めたとき、この少年の涙の意味を考えたのだろうか。