※グロ・流血のシーンが続きます。ご注意ください(原作にはありません)
警察官の人とともにギャングオルカを引き摺った距離は、おそらく五十メートルもないだろう。
突如、オールマイトたちからの衝撃波に巻き込まれ、三人ともども大きく転がってしまう。まるで突風を伴う大地震だ。
転がった拍子に警察官は骨折の痛みで大声を上げ、それでも、彼の目はギャングオルカの方へ向けられていた。
視線の先には、四つん這いになるギャングオルカ──。
「オールマイトとヴィランが戦闘中! 被害甚大! 死傷者多数! 生き埋め状態です!」
こっちだって立つのすらギリギリだ。血を流しすぎたのか、それともどこかにぶつけたのか頭が痛い。ストレスって可能性もある。
それでも、立ち上がったギャングオルカの姿に気を抜けるほど安心してしまう。
彼がこちらに駆け寄ろうとしたので、戦闘の中心部を指差して足を止めさせる。
「こちらは大丈夫です! まだ気絶したヒーローたちがいるはずです!」
目が合ったのは一瞬だったが、彼はすぐさまオールマイトたちの方へ走り出した。
オレは警察官を引き上げ、支え合うような姿勢で後方へ向かう。
「誰か! いませんかー!!」
声を出し瓦礫の中を進んで行く。途中声が聞こえるたびに足を止めるが、背後の轟音で特定できない。八百万からヘルメットを回収しておけば良かった。ベストジーニストのリミットを気にしすぎだ馬鹿め。
警察官はもう自力では動けないほどに疲弊している。周囲に負傷者は何人もいるだろうが、まずはこの人からだ。
──オレは、誰かのヒーローには成れないかもしれない、なんて、思ってしまうよ。
「こっちから……声が……」
さきほどから一分と経っていないのに、すでに警察官の意識は飛び飛びだ。なのに、助かる道ではなく、助けを求める人の方へ指を差す。
情けない。
足で地面に大き目のバッテンを書く。彼が意識を向ける方向だけ、線を長めに書いた。
声はオレには聞こえてない。幻聴か、それともこの警察官の個性かもしれない。
このバツ印はすでに四つ目。
情けない。
途中呆然と立ち尽くし、崩れた建物を見上げている中年の男性を見つける。
離れるように指示を出すと、顔をくしゃくしゃにしながら泣き出してしまった。ここに会社があったのかもしれない。大切な誰かが寸前まで一緒に居たのかもしれない。
やめろ、想像するな。共感するな。
「立ってください! このままでは死にます!」
男性を置き去りにして歩き出す。すでに警官は意識を失って、もたれかかるばかりだ。もう一人はとてもじゃあないが連れて行けない。
情けない。
無個性ヒーロー。
笑わせてくれる。
なにもできやしないじゃあないか。
ようやくコンクリートが捲れていない道路を見つけ、周囲にいる人間に助けを求める。携帯端末のカメラを向ける集団がこちらを見ていた。
オールマイトとオール・フォー・ワンとの戦闘場所から百メートル離れたかどうかだぞここは!
「早く離れてください!」
それでも民衆は避難を開始しない。
ここは境界線なのだろう。オレの背後は【非日常】。前にいる人たちはいまだ【日常】にいる。
それでも何人かは事の重大さに気づいているのだろう。警官の避難に手を貸してくれた。
オレはすぐさま【非日常】へと戻った。
建物で言えばたった五棟、そこにさきほどの男性はいた。【日常】からこんなに近かったのかと心臓が締め付けられる。
すれ違いざまに偽善丸出しの声をかけ、そのまま走り抜ける。鉄筋を見つけたので、梃子の役割を期待して拾っておく。長さはあるが、少し細いし折れ曲がっているため、期待するような効果は生み出せないかもしれない。でも、無手よりは良いな。
定石で言うならば手前からだ。オレから一番近いバツから様子を見るべきだ。だが戦闘が激化していたら? 最初に聞こえた声はバツ印から近かった。唯一オレにも聞こえた女性の声。ギャングオルカを運んでいる最中につけたので、オールマイトたちからは二十メートルも離れていないだろう。ほかのバッテンは警官が指差した方向に付けただけ。距離もわからないし、本当にいるのかどうかもわからない。
だが戦闘している場所が移動していたら? オレの存在が迷惑になる可能性もある。なんのためにギャングオルカの覚醒や避難を優先したのかってことにも繋がる。
なのに、ああ、くそ。
頭上で旋回するヘリコプターを睨みつける。残念ながら報道ヘリのようで、こういうときの空自の腰の重さに舌打ちが出そうになる。県警ヘリはどうなっている。
一番手前のバツ印を通り過ぎた。
二つ目、三つ目と、もしかしたら誰かいるかもしれないのに、次から次へと見殺しにしていく。
そして三十メートルもないような距離で四つ目のバツ印は、すでに消えていた。
戦闘の激しさを物語るように、オールマイトとオール・フォー・ワンがボロボロの恰好で向き合っていた。そしてヴィランの素顔も晒されている。
オール・フォー・ワンは、目も鼻も無かった。口だけはいまだにマスクが残っているが、口がなかったとしても驚かない。
人間、なのか?
『また僕を殺すか? オールマイト』
あの状況下の言葉の意図など考える必要はなかったが、なんとなく社会的な意味だと捉えていた。
まさか肉体をもった怨念などと言わんよな。
いま問題なのは要救助者の場所だ。バツ印はもう消えているが、おそらくはオールマイトの背後。オレの位置からでは、オールマイトの背後を横切って行くことになる。おまけにヴィランの視界には長時間映ってしまうだろう。
オール・フォー・ワンに利用されるのがオチだ。すでに心を読まれている可能性だってある。残念だが見捨てるほか──。
オール・フォー・ワンの左腕が肥大化し、衝撃波がオールマイトを呑み込んだ。
この壊滅的状況を生み出した、あの攻撃だ。
直撃した。さきほどは数百メートル吹き飛ばされたオールマイトだったが、今度は拳を前に出して抵抗したらしい。すさまじい砂塵で目の前すらも見えやしない。
あと十メートル近かったら衝撃に巻き込まれていたと深い息をつくころに、ようやっと視界が晴れる。
……オールマイトの姿はなかった。
煙が晴れたあと、そこに立っている人物に見覚えはあった。
始めてその人を見たのは、保須襲撃のあと、学校の職員室だ。相澤先生らに報告している最中、吐血していたのでよく覚えている。
二度目はヒーロー基礎学で勇学園との共同授業中だ。
そして、三度。
ああ──これは、随分と、間抜けなことをした。
「頬はこけ、目は窪み、貧相なトップヒーローだ! 恥じるなよ! それがトゥルーフォーム。本当のキミなんだ」
乱れた金髪、筋肉が削げ落ちた細い身体に見合わぬ、だぶついたコスチューム。
【彼】がオールマイトであることに、いまさら気づいてしまった。ヴィランによって、気づかされてしまった。
おそらくオールマイトは、オレたちと対面するとき個性を使用していたのだ。そして私生活ではあの姿であると予想できる。雄英教師陣が知っているということは、プロヒーロー界隈では公然の秘密だった可能性もある。
問題は、いまオールマイトが、個性の発動限界を越えているということだ。
いつの間にかグラントリノもいなくなっている。視界に入る場所にギャングオルカも、マウントレディもいない。
ならここで動けるのは、オレだけだ。
鉄筋を握りしめて駆け出す。視界の端にいたオールマイトとオール・フォー・ワンがぐんぐん近づいてくる。怖い、怖いが、いまはなによりも──。
オールマイトの背後を走り抜け、彼が守り抜いた市民を見つける。さきほどから腕は見えていた。瓦礫に身体全体が埋まっているが、運は良さそうな人だ。上半身は無事で、オールマイトが守ってもくれた。いまこの瞬間にも死んでしまっているかもしれない要救助者を思えば、絶対に助けなきゃならない。
瓦礫に鉄筋を差し込み、梃子の原理で持ち上げようとしたが、数ミリの変化しか見られない。
彼女も必死だ、瓦礫から抜け出そうと、目の前の瓦礫を掴んで身体を引き抜こうとしている。見れば爪が剥がれ、彼女の指の動きをなぞるように、血の筋が何本も瓦礫に刻まれていた。
背後からは話し声。
意外とヴィラン側にも余裕がないのかもしれない。ヴィランの目は無いとは言え、距離や音を考えればオレがここにいることはバレているし、心も読まれている可能性がある。いや、いまはオールマイトの心を読んでいる? 一人限定だったのか。
「あはははは、笑顔はどうした?」
背後からの笑い声に寒気が走った。厭な声だ。悪意に満ちている。
見ればまるで口の端を持ち上げるように、両手の親指を頬に当てている。軽やかな笑い声とは対照に、オールマイトからは悲鳴のような呻き声が聞こえてきた。
梃子に使っていた鉄筋が大きく歪み、瓦礫からずり落ちる。
ああ、なにも成せない人間っているんだよな。
「オールマイト!」
ヴィランからは目を離さないオールマイトではあったが、オレが声をかけると、彼の肩が反応したのが見えた。
くの字の鉄筋をオール・フォー・ワンに投げつけながらオールマイトの横を抜ける。頭部に直撃したが、ダメージはないだろう。それどころかヴィランの左手が肥大化したのが見えた。
二人の間に割って入り、身体を反転させてオール・フォー・ワンに背を向ける。
「一撃! 耐えます!」
オールマイトと目があった。
ただ、真っ直ぐに瓦礫の中の彼女を指差す。
オールマイトはヴィランから視線を切って背後の要救助者へ視線を向けてくれた。あとは、頼む、気まぐれでいい。もう一度チャンスを──
空を飛んだのだと思う。
──目を開けると、閉じたつもりもなかったのに、地面に転がっていた。
太陽が見えたし、瓦礫に叩きつけられたのは覚えている。
視野がぼやけている。
痛いはずなのに、なにも感じない。
立ち上がろうとして、地面に頭を打ち付ける。右腕が──裂けていた。開放骨折どころじゃあないな。心臓の脈拍に合わせ血が溢れ出している。
顔になにかがぶら下がっているため、邪魔だなと左手で取ったら、右の耳たぶだった。顔の皮がおまけのようについてきた。
右足も折れているようで、地面を濡らす血の多くは右手足から流れ出している。
まさか、本当に手加減されるとは思わなかった。
オールマイトの視界内で四散することもありえたというのに。
上体を起こし周囲を見渡すが、視界がぼんやりとしている。
オールマイトは、ヴィランは、あの女性は、どうなっただろう。
「いてえ」
声が出た。ああ、そりゃあそうだ、痛いわな。
頬を濡らすのは、血か、涙か。
「どうすんだよコレ……右手……ヒデェ」
こういうときは、止血だ。傷口が広すぎる。骨が突き出した部分に指を引っかけ、服を破く。肩口まで割いて、紐のように上腕に巻き付けた。左手だけなので出血を止められるほど強くは巻けなかったが、それでもさきほどの壊れたポンプのような出血量ではない。ああ、ずいぶんと血を流してしまった。
瓦礫にもたれかかり、次は右足だ、そう考えている最中、意識が急に薄れていくのがわかった。血を流しすぎた。
死ぬって、寝落ちみたいだ、なんて思ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
薄井気迫という男がいた。
神奈川県神野区生まれ、四十三歳。妻と、今年大学生になった娘がいる。
個性は《目立たない》。気配が薄く、気づかれにくいというものだった。学生の頃はそこまで気にならなかった。友だちだっていた。
ただ、社会に出るとその個性がデメリットであることを知った。
面接から採用まで多くの企業で苦労させられたし、一つ前の会社では、上司から顔を覚えられずに昇進なぞ夢のまた夢だった。それでもこの会社では愚直な仕事が評価されたのだろう、二十年来の付き合いである部長から、部長補佐のポストをいただいた。あと五年もしないうちに、自分が部長になる、そんな夢を見ていた。
それが、今日、会社が無くなった。
外回りで遅くなった昼食。妻の作った弁当を食べたあと給湯室で弁当箱を洗って戻ると、部長が新入社員に「あれが男のあるべき姿だ」などとからかい混じりに言っていた。しばらくすると部長と新入社員が取引先へ挨拶に出向き、そこから三十分もしないうちに地震が起きた。
建物が崩れるのに、十秒もかからなかったと思う。
壁が崩れ、傾き、机にしがみついていたが、建物に空いた大きな穴から外へ投げ出された。
気付いたときには、崩れ去った会社の前で立っていた。従業員二十人といない小さな会社だ。会社の中には五人以上いたはずだ。なのに周囲には誰もいない。
生き埋めであるのならまだ良い、だが、もし死んでいたら。
明日からの暮らしはどうなる。娘は大学生になったばかりだ。妻になんと言えばいいだろう。
「建物から離れてください!」
声を掛けられ、後ろを向いた。
顔を泥だらけにして、肩と腹部を赤黒く染めた少年がいた。警察官らしき人物を担ぐように支えている。
ここから離れろ?
離れて、逃げて、もしまだ生き埋めになっていたら?
社長は面接官だった。新入社員のときは飯を奢ってもらった。社長就任の飲み会では、そのことを覚えてもらっていた。
なのに、逃げろっていうのか。
「立ってください! このままでは死にます!」
死ぬ、ああ、そうか、死ねば保険金が妻に入る。
大学の学費ならば十分に払える金額だろう。
薄ら笑いが張り付いたのがわかった。
ここで、動かなければ、死ねてしまうんだ。
いつまでそうしていただろう。斜めになった会社はそれ以上崩れる様子もなく──それよりも早く、人間が真上を横切った。
最初は、瓦礫だと思った。地面に叩きつけられた瞬間、腕や足が見えた。
ごろごろなんて、可愛い音は聞こえない。
地面に叩きつけられた衝撃で大きく跳ねて、人間ってそんな音が出るのか、現実も忘れそんなことを思った。
建物の残骸に身体をぶつけ、それでも止まらずに、直角に曲がってそれでも転がり続ける。
死んでいると思った。惨いとも思った。
慣性を失って倒れ伏すその人間が、うつ伏せであることに気付かなかったのは、足の角度のせいだった……。
それでも、その人間は生きていた。頑丈になる個性か、再生力でもあるのだろうか、痙攣するように起きようとする人間に近づく。男性だと気付いたのは、彼の血だまりを踏むほどに近づいたとき。
壁を頼りに上半身を起こしながら、千切れそうな右腕の止血をしている。
手伝うなんて忘れていた。
だって、【彼は立ち上がったから】。
頭から足のつま先まで、自身の血液で真っ赤に染め上げたその身体で、左目だけぎらぎらと輝かせ、空を見ていた。
そしてゆっくりと、足を引き摺りながら歩き出した。
歩くたびに、びちゃびちゃの雪を踏みしめるような音がした。パキパキという音も聞こえる。
血が靴に溜まっているのだと思った。彼はそれだけ血を流している。
「──嘘だろ……嘘だろ!?」
薄井は自分の粟立つ肌を感じながら、慌てて男性を追いかける。追いかけるといっても二、三歩だ。すぐさま男性の前に立ちはだかり──少年の顔を真正面に捉えた。
子どもだ。きっと自身の娘より幼い。
そんな子どもが、【折れた足で歩いていた】。
ものすごい再生の個性を持っているのかもしれない、なんて考えはもうなかった。
命を使う考えも、もう捨てた。
少年を横抱きに上げて、薄井は走り出した。
「誰か! 誰かっ!!」
陰が薄く、目立たない、そんな人生に終止符を打つように、出したこともないような大声を上げながら──。
◇ ◇ ◇ ◇
静かだ。
オレはゆっくりと、目を開けた。
白黒の天井が目に入る。おまけに視野が悪い。右側、窓を見ようと思ったが、視野が塞がれてなにも見えない。
首を少し動かすだけで全身が痛み、歯を食いしばろうとして力が入らないと悟った。
おそらくは夜だろう。
……大丈夫、今回は全部覚えている。まあ毎度のことながら吹き飛ばされてからの記憶はないのだけれど。
命があるのは良いことだ。ああ、本当、手加減してくれて助かるよ。
【オール・フォー・ワン】という名のヴィラン。オールマイトとは旧知の仲であるようだ。お世辞にもいい関係にあるとは言えないが。
あれから一体どうなった? ここはどこの病院だ?
眼球を動かすだけで強い痛みが走るため、うつ伏せに寝ているかもしれない母親の姿があるのか、どうか。
身体の右側の反応が悪い──というより無い。右半身麻痺とか? 幸いにも左手と左足は指先まで感覚がある。助かるねぇ。
「あいうえお」
右半身麻痺にしてははっきり発音できたな。なんだ、腕と足だけの麻痺?
「業さん……?」
電気がつけられたらしい。
まぶしさで目を瞑る。聞き取りづらいが女性の声。やっぱり母さん居たのか。
「あー、おはよう」
喉だけで声を出す。舌を動かすのも痛い。動かせそうなので、麻痺だとしてもリハビリでなんとかなる範疇かな。
「業……さん……」
左手に暖かい感触。
手を握られているらしい。いやぁ、心配をかけてしまった。まあでも、これで雄英にはいられなくなってしまったので、今後心配をかけることはないだろう。
……あれ、もしかして十年寝てたとかないよな?
「あれから、どうなったの……」
ああ、舌が痛い。痛みを気にすれば活舌が悪くなる。我慢だ、我慢。
「覚えてねぇのか、お前。記憶大丈夫か?」
今度は男の声。誰だ、父親でも弟でもない。オレに「お前」なんて声をかけてくるのは、中高の学友くらいだ。
「またですか! 百です! 八百万百! 覚えていらっしゃいますか!?」
十年どころかせいぜい数日か……。
「大変ですわ! 相澤先生とリカバリーガールを呼んでまいります!」
訂正、どうやら十数時間っぽい。
八百万の暖かさと気配が左手から消え、バタバタと八百万が病室から出て行った。
さて、たぶんオレの病室にいるであろう轟に声をかける。
「あー……えっと、爆豪は?」
「なんだ、記憶あんじゃねぇか。まあ無事らしい。いまは警察」
「記憶喪失のほうがまだマシだ。身体中痛い。ベストジーニストは?」
「いまも集中治療室。傷見た限り正直助かるとは思わなかったけど……お前も助かったくらいだから、大丈夫だろ」
「……何人死んだ」
「わからねぇ。いまも救助中だ」
それから、轟からいくつか話を聞いた。
現在は夜中の二時。十時間ほど経過しているらしい。
オレの母親は見舞いに来て過労でこの病院に入院したと。いやぁ、本当に申し訳ない……。父親は雄英と話をつけに行くと八百万に伝言を残してそのままだ。
神野区は半壊。半分といっても再開発から出遅れた工業地帯が八割方壊されたので、区として見れば一割か二割の損壊である。確かに半壊と言っても過言じゃあない。
死傷者は千人を超える見通しらしい。現状の被害は想像もできないとテレビが報道していた。
オールマイトとオール・フォー・ワンとの対決は、オールマイトの勝利。記者会見こそまだだが、どうやら明日にも開くらしい。昨日は雄英で、明日はオールマイトの記者会見。忙しいねぇ。
オールマイトの個性(トゥルーフォームとヴィランが言っていたが)のことも生中継されたらしい。
直後オレが吹き飛ばされた映像も流され、八百万は慌てて神野区に戻ってきたとのこと。轟はベストジーニストと雇った元プロヒーローと病院へ。次いでオレが病院に担ぎ込まれたようだ。
「身体は……聞かねぇのかよ」
「まあ、現実逃避ってやつよ」
珍しい、あの轟に気を遣ってもらっている。
最悪は常に想定している。ネガティブさなら誰にも負けていない。
むしろあんな切羽詰まった状態で生きているのだから、目付け物である。
あの警官とオールマイトが助けてくれたであろう女性。この二人を救えたのなら……。
「泣きそうだ」
覚悟はしていた。なのに、後悔とか、悔しさとか、理不尽さも、心の中には渦巻いている。長年連れ添った身体だ、傷を見るのが怖い。最後の記憶はオレの耳たぶだ。いまどうなっている? 怖いよ、怖いなぁ……。
「……泣いたっていいぞ」
「そろそろ八百万が来そうだから、やめておくよ」
「八百万も泣いてたぞ」
「あー、泣き虫なんだよ、アイツ」
昔話に花でも咲かせようと思ったそのとき、病室の扉が開いた音がした。
八百万の声の奥。相澤先生の声が聞こえる。リカバリーガールもいるようで、八百万が治癒の依頼を出すと、相澤先生に止められていた。もう十分に過度な治癒をされているのだろう。
「策束……。言い訳はあるか」
「ああ、ええ、【作ってきました】」
「なんだと」
「言いたいんでしょう、爆豪救出に向かったメンバーを全員除籍ないし退学にするって」
「当たり前だろうが!」
「病室で大声出すんじゃないよ、イレイザー」
リカバリーガールに止められ、相澤先生が少しだけ大人しくなる。
八百万に、車に置いてきた鞄を持ってきてもらう。どうやら雇った方は律儀にも駐車場で待っていてくれているらしい。心はまだヒーローに戻れるんだろうな。
鞄の中には封筒が入っている。八百万、轟、切島、緑谷、飯田、そしてオレの退学届だ。
「あと、そちらの携帯端末に音声と映像データが残っています。本当は事後報告にするつもりはなかったんですけれど、相澤先生の記者会見と重なってしまいましたかね」
相澤先生は全員分の退学届に目を通したようで、リカバリーガールは「私にも寄越しな」と言っていた。
「なんだ、ずいぶんと素直じゃないか」
そういう相澤先生の声に、優しさはない。まあそうだろうな、まだ交渉の途中だ。
「ところがどっこい、ってやつでしてね。その書類、オレの退学届を除いて、正式には受理できないんですよ」
八百万と轟の間抜けな声が聞こえた。学業優秀者と実技優秀者を出し抜くのは気持がいいねぇ。
「契約書に個性の使用が【認められた】場合、それは書類として受理できません。言い忘れましたが、オレのヤツ以外、百お嬢さんの個性で創り出したものです」
このへんは文書法が関わってくるため、契約後である場合はまた別な処理法があるのだが、現状はまだ相澤先生とリカバリーガールが受け取っただけだ。雄英高校との契約ではない。
「というわけで、いまあなた方が受け取れるのはオレのだけです。破けていますが、法律上とくに問題はありません」
「待てよ策束! 俺たちはお前に庇ってもらうために覚悟決めたわけじゃ」
「黙ってろ轟。……で?」
「ええ、まだありますとも。百お嬢さん、携帯端末を返していただけますか?」
……反応がない。あれ、もしかしていない? 視野が無いから誰がどこにいるのか見当がつかないんだよな。
代わりに相澤先生が八百万に声をかけた。
「八百万、それを寄越せ」
「い、いやです」
なんだ、いたか。そろそろ体力の限界だからさっさとしてほしいのだけれど。
「まあ、データは後でもいいですが。それを見れば、この馬鹿な作戦の主犯がわかります。そしてその主犯が、【彼らを煽り、誘導した】こともわかっていただけるかと」
「……お前の退学届を先に受理すると、お前が主犯ならほかのヤツの退学届をあとから受理する道理がねぇって? ガキの浅知恵だな」
「そうでもないですよ。だって、そもそも【オレの信用を失くしたのは雄英高校】なんだから」
相澤先生は答えない。
「オレは相澤先生に何度か進言していましたよね。八百万家に連絡を入れるべきだと。あなたは聞き入れなかった。そしてあの結果だ。あなたは【林間合宿の責任をすべて受け入れる】と言った。わかりますか? 林間合宿で失った信用は雄英教員であるあなたの責任であり、ゆえに雄英を信用しきれずクラスメイトを【利用】して爆豪の救出へ向かった。あなたが責任を取るように、オレも責任を取ります」
これが個人のできるギリギリの攻防。あとは法律や民意を味方にして緑谷たちを守るしかない。
ここから相澤先生がなんと言うかと様子見していると、助け舟は予想外のところからやってきた。
「イレイザー、まあ今回は負けを認めなよ。それに、林間合宿にヴィランが侵入したのは間違いなくあたしたちの落ち度。そうだろう?」
リカバリーガールだ。嫌なところを突いたよな、自分の性格の悪さに反吐が出そうだ。
「坊やの退学届は根津に任せてさ……。それより、言ってやるべき言葉があるんじゃないのかい?」
「……そう、ですね」
おや、想定していたよりも相澤先生の抵抗が優しい。
「策束、手足のことは」
「あー、まだ。……考えないようにしてまして」
母親が入院するレベルだと思えば、記憶喪失の比ではないだろう。右半身麻痺ないし──。
「無いんですよね」
ここにリカバリーガールがいるのに、それでも気を遣わせる怪我だ。出血がひどかったのは、右手と右足だけではない。血の多くは流れ、出血死や、ほかの傷でも死んでいたっておかしくはないと思う。
身体全体を治癒しようとすれば、体力が足りないのは自明の理だ。
となると、優先順位が存在することになる。まずは頭、次いで胴体、最後に四肢だ。
リカバリーガールの《治癒》は、その人の治癒能力を高める個性。傷口に手を当てて魔法のように治しているわけではない。つまり、優先順位を守って治癒させるには、四肢を削り落としたほうが手っ取り早いということだ。
「ははっ」
手っ取り早いって。
「すまなかった……」
「謝らないでくださいよ。まあいまは一切現実感ないんですけど、あとから泣き叫んで誰かに当たるようだったら相手してください」
あ。
「そういえば耳たぶってどうなりました?」
「耳? どうした?」
「いや、邪魔だったんで千切った記憶があるんですよね」
「……八百万、おい、ちょっと!」
轟の慌てる声と、なにかが倒れる音。そして怒鳴り出す相澤先生の声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
もし個性に目覚めたら、そうだな、子どもの頃からやり直す個性なんてどうだろう──。
そんなことを考えながらゆっくりと眠りについた。