翌日もデクとロディの二人は、日の出より前に車を発進させた。
問題はいくつも抱えている。
ロディにとっての一番の問題は家族だ。ロロとララの安否は、それこそ自身の命よりも優先すべき事柄になる。
しかし急がば回れと言うように、最優先とはまたべつに重要視しなければいけない事柄がある。
「……ガソリン、無理だよね」
デクが運転席のメーターを覗き込みながらつぶやいた。何度も地図を睨みつけて、口の中で日本語を転がしている。
ルートの再検索をしているものの、いままで消費した残りのガソリンとこれからの距離を考えると、行き詰ったと言わざるを得ない。
「危険だけど、ここに行こう」
デクが指差した地点は、オセオンからクレイドへと延びる鉄道の駅。オセオンとクレイドを繋ぐ最後の駅であり、クレイドへ渡ればすぐにクレイド空港につく。
「距離もギリギリだな……。危険ってのは?」
「たぶん警察が検問を張ってる。それに鉄道に乗るってことは……」
万が一警官隊が市民を巻き添えにするよう銃を構えようものなら、デクは一切抵抗できないし、する気もなかった。その場合、二人が持つアタッシュケースの意味は闇へと封じられるだろう。デクは身の潔白が確認できた時点で解放される可能性もあるが、スラム出身のロディには警察から身を守る術はない。
「なんだよ、まぁた無賃乗車の心配してんのか?」
「ちが、ちがうよ! そんなんじゃ──」
デクが顔を上げると、いたずらをやり遂げた子どものようなロディと目が合った。
不安はある。でも、それは飲み込んだ。
代わりにデクは不敵に笑う。それはまるでバクゴーのようでもあり、オールマイトのようでもあった。
この笑顔が、果たして自分を鼓舞するためのものか、相手を安心させるためのものか、デクにはまだわからなかった。
数時間後、二人は渓谷から駅を見下ろせる地点で車を乗り捨てることにした。燃料切れのため、どこかからガソリンを調達できれば車でのクレイド入国も目指すことは可能だが、歩く距離を考えれば現実的ではない。
だからと言って、列車に乗ることも難しそうだ──。
デクの視界内には、駅で足止めされた鉄道が見えていた。駅の周囲では警察車両が五台ほど停車しており、電車から降ろされたらしい利用者が身体検査を受けている。おそらくは鉄道車両自体も、いま警察が検査していることだろう。
双眼鏡で崖下の駅を見るデクと異なり、ロディは周囲から車を下せる地点を探したが、残念なことに険しい岩肌しか見えない。
「ものすごい警備だ……。戦わずに正面突破はできそうにない。ここを越えて行くしかないね」
デクはそう言うが、彼が見上げている崖はほとんど直角と言って差し支えない。ロディが視線を下げると、デクはしゃがんでロディに背中に乗るよう指示を出していた。
「デク、これを持ってけ」
返ってきたのは、まったく見当違いな提案。その優しい声色を疑問に感じ立ち上がったデクが見たの、アタッシュケースをデクへと突き出しているロディの姿。
「ロディ?」
「その怪我で俺を抱えて登んのはしんどいだろ」
ロディはまた一つ、嘘を重ねた。
デクは車を持ち上げるパワー個性の持ち主だ、ロディを抱えて壁を駆け上がることなど簡単なことだろう。
──これは提案でも心配でもなく、一つの決断なのだ。
「俺は、ここまでだ」
「でも、車はガス欠だし、こんなところに一人にさせておくわけには」
「俺の逃げ足の速さは知ってるだろ。木の実でも食ってここで待ってっから……。早くケースの秘密解いて、迎えに来てくれ」
自身が足手まといであることは知っていた。パルクール走法の逃げ足は、どうしても地理把握などの知識量が必要になる。なにもない自然では岩の隙間に身を隠すのがせいぜいだ。この時期に生る木の実など人間が食せる範疇からは大きく外れる。
それでも彼は自身を捨て置かせた。
一日も早く、家族の元に帰るために。
「──うん」
言葉はそれだけで済ませた。
彼の言葉に嘘が含まれていることも、鍍金の勇気だとわかっていても、デクはとうに覚悟を決めていた。
一日も早く、家族の元に帰すために。
その二人の覚悟を無粋にも侵すものは──ヘリのプロペラ音。
見上げたヘリは崖上に沿うように低空飛行を行っていた。警察のものではなく、軍仕様のヘリコプター。
(まさか僕を捕まえるために軍も──違う!)
扉は開放されていて、こちらへ身を乗り出す一人の女性と目が合った。フードを深くかぶる若草色の女性である。
見覚えがあった。
ロディを射殺す矢を放ったヴィランである。ヘリにはもう一人、こちらを窺う男が見えた。先日ロディを襲いに来た鬼のような個性ヴィランではなく、べつの男だ。
デクは差し出されたアタッシュケースごと、ロディを抱えて前に高く跳ぶ。
壁を駆け上がり、数舜の間にデクたちを追うように矢が突き刺さっていく。
(爆発!? 矢の種類が違うのか? 個性?)
さきほどまで二人が立っていた場所を含め、矢が着弾した箇所が爆発するように吹き飛んでいく。だが、火薬の匂いはない。
炸裂矢という可能性もあるが、これがあのヴィランの本気だと思えば納得できるものがある。
三度目の襲撃──。向こうも、余力はないはずだ。
「やべぇぞデク!!」
ロディの忠告通り、次に射られたものは【矢】ではなかった。
巨大な【鉄球】が次々に降ってくる。ヘリに搭載される程度の重量ではなく、B組の小大唯の《サイズ》のように、鉄球の大きさを変化させていることが予想できた。矢を射る女性ではなく、ヘリに乗り込むもう一人の男の個性だろう。
着弾するころには、鉄球の大きさはデクよりも巨大だ。上から放たれているということもあり、当たれば質量に圧し潰されるだろう。
おまけに、これ以上の戦闘は危険だ。
鉄球が深々と突き刺さった斜面が崩れ、【ずり落ち】始めていた。駅から距離はあるとはいえ、渓谷の下には列車と警察車両。もし鉄球や岩が転がり落ちれば人が死ぬ。
(ごめんロディ!!)
デクは土煙の中で《黒鞭》を射出した。ヘリコプターのテールブームへと張り付いた《黒鞭》を巻き上げることでヘリへと急接近する。
「デラウェアスマッシュ──」
慣性と遠心力をもってヘリよりも高度へ躍り出る。
「エアフォース!!」
空中でのシュートスタイルは、威力としては不十分だ。ヘリは墜落こそ免れたものの、バランスを大きく崩し駅方面から距離を取った。攻撃したデクは反動も受け切れず、《黒鞭》での補助も失ったデクとロディは地上に落下する。
着地の瞬間、デクはロディを軽く空に放った。実質二メートルほどの落下を味わったロディだったが、デクはそれの比ではない。脆くなった地面に埋まり、それでも衝撃を逃し切れずに地面を削りながら転がるはめになる。
ロディも地面に叩きつけられたが、多少の掠り傷と背中の打撲。遠くにロディを心配するデクの声を聞きながら、先ほどまで握り締めていたケースが手元にないことに気づき、周囲を見渡す。
あった──崖のほうに転がっていたケースを見つけ走り出すロディだったが、その背中を見るデクの頭上を、二つの鉄球が通り過ぎていく。
「ロディ!!」
悲鳴のような叫び声はロディの耳には届かなかった。代わりに地面が砕ける轟音と、吹き飛ばされた風切り音に包まれる。
鉄球の風圧に飛ばされたロディだったが、空中でケースを掴んで崖の縁に指を引っかけ、かろうじて落下を防ぐ。
ヴィランがそれを逃すはずもなく、崖上へと降り立った金色の仮面の男がケースともどもロディを殺そうと鉄球を持ち上げていた。
ロディは、ケースをデクへと放り投げていた。
そうすれば助かるから──違う。
ヴィランはケースの秘密を知っている人間を殺そうとしている。ここでケースを手放したって意味はない。
「人類の! 救済を!!」
ヴィランが叫びながら巨大な鉄球を振りかざすも、ケースを投げた反動でロディは掴んだ岩と一緒に落下していた。
地上まで二十メートル以上。ピノが支えてくれたとしても、着地の瞬間にランディングやロールを挟んだとしても、逃しきれる衝撃ではないだろう。
(──ああ、くそ、もう一度、会いてぇな)
スローモーションのように崩れた岩と、ヴィランが飛ばす唾まで見えた。
そのヴィランから【氷】が放たれ、ロディに襲い掛かるように空中へと伸びる──ように見えたが、その氷で落下したロディは受け止められることになった。
氷にしがみつくロディはケースを落とした崖上の地点へと戻ることができた。おまけに目の前にはデクの間抜け面。
デクの個性かとも考えたが、それはデク自身が否定することになる。
「これは──轟くん!?」
「保須のときといい、お前の通信はわかりにくい!」
デクとロディが車で通ってきた崖上に立つ一人の青年──ショートである。彼が第一声に選んだのは、ヴィランのことでもケースのことでもなく、デクへの愚痴であった。
デクから暗号を受け取ったショートは、バクゴーとともに一足先にクレイドへと入国。しかし合流地点の追加連絡はなく、揃って一晩明かすことになる。
この地点にこのタイミングで出会えたのも一つの運でしかない。
ずいぶん【人工的な運】ではあったが、それがなければ到着のタイミングは合わなかったかもしれない。
続けて文句を言おうとしたが、それはヴィランの攻撃によって邪魔されてしまう。
ショートが立っていた場所が、氷ごと爆発するように砕け散る。間一髪で直撃は避けたが、ヘリコプターから二の矢を構えようとするヴィランの姿。
反撃を開始したのは、ショートでもデクでもなかった。
「どこ見てんだぁ!?」
地上から舞い上がったバクゴーの《徹甲弾機関銃》がヴィランの乗っているヘリを襲う。爆発の威力は抑えられているが、大量のガソリンを積んだヘリコプターに火薬物だ。たとえ装甲を破られなくとも、運転手は怯えて舵をきった。
状況を悟ったのは、金色の仮面のヴィラン。
ロディを崖から叩き落そうとしていたが、いまはショートの氷に閉じ込められて、ヘリに乗った味方とは分断されている。おまけにヒーローが三人。そのうちの一人が、自身の頭上の氷に立って、彼を見下ろしていた。
「助けてくれ! なんでもする!」
「なら聞きてぇことに答えてもらう」
「わ、わかった!」
助かった──安堵した瞬間、大きくなるプロペラ音に怯える。視界には、こちらへと向けられた殺気の塊の矢が二本見えた。
ショートは大きく飛びのいて矢を避けるが、一本はヴィランがいた地点に着弾し、氷ともども、巨大な《鉄球》が砕け散る。
「この裏切り者ぉ!!」
崖近くを大きく旋回したヘリから、フードのヴィランが叫ぶ。聞こえているとは思えないが、口の形を読まれていた可能性は考慮していなかった。
協力者を失い、失態を演じるショート。
彼は喉を鳴らしながら強くヘリを睨みつけた。
「爆豪! 確保しろ!」
「命令すんじゃねー!!」
空中を駆けるバクゴーに、追尾する矢が襲い掛かる。《爆破》で上昇、下降、急旋回を繰り返して矢を避け続けるも、反撃する隙は見いだせない。
バクゴーは遠距離での攻撃を捨て、ヘリの機首へと飛びついた。時速百キロの鉄の塊だが、彼の動きに躊躇はなかった。
ヴィランは背負った矢筒に手を伸ばし、物を掴む感覚が無いことに自身の失態を知る。
「制御不能!」
バクゴーの行動に反応できないパイロットの絶叫が聞こえてきた。
準備不足、三度の失態、そして、期待に応えられなかった己への失望。
ヴィランは、左手の弓への形状変化個性を解除し、その左手を自身の胸に当てた。
世界を厳しい瞳で睨みつけていた彼女は、ゆっくりと全身の力を抜いた。
「人類の救済を──」
自殺するにはあまりにも穏やかな表情で、ヴィランはヘリから身を投げ出した。
デクもショートも反応しきれず、渓谷の下へと落下するヴィランを見送ってしまう。バクゴーもパイロットを助け出すことが限界だった。
人を助ける──その言葉を胸に抱く英雄は、【彼ら】だけではない。
「ジェントリー! トランポリン!」
ヴィランとすれ違いながら空へと【飛び跳ねる】一人の男性。
落ちるはずだった彼女はその瞬間、空中で大きく【飛び跳ねる】。何事かと目を見開いたヴィランだが、彼女は空中で座り込んでいた。
「な、なに──?」
ヴィランが周囲に手を伸ばすと、まるで壁でもあるかのように手に反動が返ってくる。それは左右も、天井も同じだった。暴れるが、逃げられる隙間はなさそうだ。
「リスナー諸君、ごきげんいかがかな?」
ヘリが崖へと墜落し爆発音が響き渡る中、燃える機体を背景に、呑気に動画撮影を始める一組の男女。
低身長の女性が、嬉々とした表情でカメラをまわしている。男性のほうは、なんと紅茶をカップへと注ぎ始めた。
「あっつ!……私はいまオセオンにいる。オセオンと言えば、そう、オセオンティー──」
「ロディ! 大丈夫!?」
カメラの前を横切って、デクは腰の抜けているロディへと駆け寄った。
弱々しく答えるロディだが、デクがアタッシュケースを持っていないことに気づいて周囲を見渡す。
「ごほん……。オセオンティーはセイロンティーの一種で、きっとこの広大な山岳地帯から採れたものを──」
「緑谷、これだろ」
空中で見えない壁に閉じ込められているヴィランに目を向けながら、ケースを持って歩み寄るショート。
「ありがとう轟くん! でも、どうやって? それに、あの人──」
カメラに笑顔を向けながら、でもこちらを睨みつける男性に見覚えがあった。
約三か月前、文化祭当日に、デクが確保したヴィラン──ジェントル・クリミナルにそっくりだった。隣に立つ少女もそのままに。
「あいつらに運んでもらった。派手なドンパチのおかげで、ヘリから見つけられた」
「あいつら? ヘリって?」
「策束がチャーターしてくれたやつだ。クレイドで合流して、ここまで来た」
「ヘリがあるの?」
デクは嬉しそうにロディを見た。一日も早い帰宅を叶えられそうだと思ったからだ。
「ん、そいつが電話で言ってた」
「うん、【僕のせい】で巻き込まれた。ロディっていうんだ」
三人が簡単な自己紹介を済ませている間に、二度も撮影の邪魔をされたジェントルが、憤りながら空中の個性を解く。
ジェントル・クリミナルの個性は《弾性》。触れたものに弾性を付与する個性。そして個性が解かれた瞬間、ヴィランはもう一度落下し始める。
デクが崖から飛び出した瞬間、空中でバクゴーに頭を踏まれ、地面に叩きつけられた。
バクゴーはデクを足場にヴィランへと組みつき、首を握り締めながら崖上へと戻る。ヴィランは左手の親指と小指を【弓】へと変化させると、それをツルハシのようにバクゴーへ振り下ろしたが、その前に首元が《爆破》されて気を失ってしまった。
「ふぅ、ずいぶんと野蛮な助け方だな」
「けっ!」
ジェントルの言葉に舌打ちを返すバクゴーを見ながら、デクは首を大きく傾げる。
「あの、あなたは──」
「やあ、久しいな少年よ旧知の仲で挨拶をしたい気持ちはわかるが、いまは優先すべきことがあるだろう?」
「え、ええ。だけど」
「ケースだ! ヒューマライズ絡みなんだろ!!」
デクの声をかき消すように、バクゴーがショートの持つアタッシュケースを指差した。
それはデクにとっても、ロディにとっても寝耳に水である。
「え? ヒューマライズ絡み?」
「ああ、だから俺たちはここに来た。有力な情報が手に入る可能性があると踏んでな」
「私たちもだ」
どうやら撮影が一度終わったらしく、ジェントルの隣に立つ女性──ラブラバが簡単な補足説明をする。
ケースの落とし主は、ヒューマライズの団員。
二日前、いまバクゴーが気絶させたヴィランに襲われ、高速道路での事故によりケースを紛失。それがケースの【秘密】の一つだ。
そして、ケースの秘密その二を、いまデクは見つけた。
「あっ!!」
しゃがみこんでいたデクは、ショートの掲げるケースを掴みながら立ち上がる。
何度も投げ出され、土まみれで歪みも生じたアタッシュケース。そのゴム足部分。そこが一つ外れかけていた。
「ラブラバ、撮影を」
「任せてジェントル!」
「……いいのか?」
「知らねーよ!」
ケースを受け取ったデクがゴム足を外す。ケースのゴム足は四か所に取り付けられていたが、動くのはそこだけだった。
「なんだこれ?」
外れた部品はロディが受け取り、デクはケースの穴に指を入れるもただの浅い空洞だった。ゴム足のほうもハズレのようで、ロディはT字の部品からゴムパッキンを外していたが、なにかが隠されている様子はない。
振り出しに戻るかと思いきや、ジェントルがケースの穴へと手を伸ばした。そして、穴の中ではなく、穴の外側を【スライド】させる。動いたのは、ケース外装に擬態していた五センチほどの板だ。
「すごい! すごいわジェントル!!」
「……これは自作だな。そこが外れるだろう?」
「う、うん!」
外れたゴム足よりもさらに下、スライドして凹んだケースを爪でひっかくと、フタが開いた。
その中には、茶色の棒状の物体が入っていた。
それこそがヴィランの追っていた【秘密】だと理解できる。
だが、これはなんだ?
材質は木材とプラスチック。カセットテープにも見える、左右対称のなにかだ。形状としては見たことがないもので、二枚の板で真ん中の部品三か所を挟み込んでいるようなイメージだ。
左右の部品は動くようで、デクとショートが知恵の輪でも解こうかとするように相談しはじめる。
「貸せ! そんなの俺の《爆破》でぶっ壊してやんよ!」
「ダメだよかっちゃん」
中央の部品部分になにかが入っていることは確認できるため、さすがに冗談だとはわかっていても、やりかねないのがバクゴーだ。
バクゴーに取られないように避けていると、ロディがそれをひょいと奪った。
「デク、ちょっと貸してくれないか」
「わかるのか?」
「似たようなパズルをガキの頃にやったことがある」
座り込んで、デクが弄った箇所を正位置に戻すと、ロディはその【パズル】を解き始めた。
「なるほど、パズルか」
ジェントルは興味深そうにうなずいた。一見なにかのパーツだが、そう言われればパズルにしか見えない。不思議なものだとジェントルは感心すらしていた。
「それも自作だろうな、作った人物はよほどイタズラが好きだったのだろう。作品に愛を感じる」
「デク、この人はなに言ってんだ? せめて英語にしてくれよ」
「あ、あはは、うん、また今度ね」
子どものころ。
ロディはそう言ったものの、解き方を覚えていたのか淀みなくパズルが完成していく。左右の三枚板が外れるころには手順は四十を超えていたのだが、その間にロディは一切悩む素振りは見せなかった。
「すごい……」
「まあ、なんとなくな。よし! これで──」
最後、捩じるように板同士を外すと中からなにかが零れ落ち、デクがそれを慌てて手皿で受け止めた。
データメモリを入れる情報チップと、もう一つ。こちらも見たことのない形状のもので、薄いアクリル板のなにかだ。アクリルの中には黒い線が埋められているが、よくわからない。
「へぇ、持ち主は科学者ね。スパコン用のメモリーチップよ」
カメラを回しながら、ラブラバはつぶやいた。どうやら専用の機材であればこの中のデータも読み取れるらしいが、彼女は推奨しないと言葉を重ねる。
「それ二十ペタは入るから、確実にヤバいやつよ。まともな入手方法でも、まともなデータでもないわね。買ったら五億とかかしら」
「ごおぉっおほん!」
ジェントルは咳払いをして動揺を隠した。デクも震える手で、薄紫のメモリーカードをしまう。
「坊やたちは、個性黎明期より前、AIの反乱があったのは習った? 過去の遺物ってわけじゃないけど、その時代の技術がないと造れないのよ、それ。ほぼ新品だし、どこから仕入れたのかしら。使い終わったら頂戴ね」
「あげられないよ!」
「あ、そう」
日本語がわからないとは言え、ケースの【秘密】が解明され、おまけにヒーローたちが慌てふためく姿を晒しているにもかかわらず、ロディは解き終えたパズルを握り締め、睨みつけていた。
見覚えがあったし、【プレゼント】されてから何度も解いて遊んだ記憶がある。
そんなことすっかり忘れていたのに、パズルを解いている最中、むかしのことがずっと頭に浮かんでいた。
忘れていた父の笑顔も、父への恨みも、思い出してしまっていた。
(ヒューマライズ……人類の救済……そして、このパズル……)
学がないロディでも、察しはついている。
父が、ヒューマライズを裏切った可能性だ。
(いまさらじゃねーかよ……!)
それでも、パズルは捨てられなかった。
「ラブラバ、お前のパソコン貸せ」
「良いけど、まずはヘリね。着陸できるのかしら」
「崖下は大丈夫かね?」
そんな相談をしていると、中型のヘリが一機頭上でホバリングをし始めた。ヒーローたちが着陸地点を用意し、ヘリがそこへと降り立つ。
どうやらバクゴーたちが乗ってきたヘリのようで、中に残っていたメンバーと簡単な挨拶だけしている。
そして、【彼ら】も降りてきた。
「──え!? あ、あなたたちは!?」
デクだけは大慌てであるが、その理由をロディが知ることはない。
「無事でなによりだ」
「さっさとクレイドから脱出しようぜー、なぁ多部ー」
「腹、減った……」
デクは、その三人に見覚えがあった。会話こそないものの、直接対面したこともあるし、個性や経歴もデータとして頭に入れた記憶がある。
死穢八斎會若頭治崎が手づらから集めた実働部隊。
鉄砲玉八斎衆の宝生結、窃野トウヤ、多部空満の三人だ。
「な、なん……で?」
「緑谷、知ってんのかこいつら。なんなんだ?」
どうやらバクゴーとショートは知らないようで、元ヤクザたちと普通に話している。それをどう伝えようか思案していると、窃野がデクを睨みつけながら、肩を大きく振って歩み寄ってきた。
「んだガキ、見てんじゃねーよ」
「ご、ごめん、なさい」
「こんな雑魚チンピラにビビってんじゃねーよ!!」
「だぁれが雑魚だヤンキーヒーロー!」
頭突きの勢いで睨みつけ合うバクゴーと窃野から、宝生がデクを引き離す。
「お前も【あの中】にいたんだな。言いたいことはあるだろうけど、日本に戻るまでは協力体制で行こう。あのもう一人のモジャモジャはいねぇのか?」
「もじゃ……心操くんのことですか?」
「名前なんて知らねぇけど、そうか、いや、まあ、良いヤツだったからな。いねぇなら構わねぇよ」
宝生が雑にデクの頭を撫でていると、ノートパソコンを持ってもう一人の男が出てきた。
「あれ? えっと、探偵の──」
「よぉ、神野区ぶり」
名前も忘れてしまった、元ヒーローも降りてきた。
一体全体、これはどういうことなのか。デクが瞬きをなんども繰り返している間に、ラブラバが情報チップのデータを開く。
画面に大量に小分けされたファイルが表示された。
「うわ、すごいファイル数ね。うーん……これかしら」
ラブラバが開いたファイルは、音声ファイル。バクゴーと窃野も喧嘩を辞めて画面に集中する。
『私の名はアラン・ケイ。ヒューマライズに拉致された科学者の一人だ』
「おいおい英語じゃねぇかよ、だれか翻訳してくれ」
「静かになさい」
茶化した窃野はラブラバに窘められ、半笑いのまま静かになる。
『ヒューマライズは多くの科学者の家族を人質に取り、個性因子誘発爆弾の製造を強要した。
『それを使った最初の無差別テロは、優秀なヒーローたちをヒューマライズの支部がある場所に集めるための布石。
『そのうえで、個性誘発爆弾を使いそのヒーローたちを根絶やしにしようと考えている。
『トップヒーローたちを失った社会は崩壊。その混乱に乗じて、個性能力者を絶滅させ無個性者のみの世界にする。
『それがヒューマライズの──フレクト・ターンの真の目的だ。
『私のこの声がヒーローに届くことを望む。
『そして、私と同じく拉致された【エディ・ソウル】が、命に代えて作ってくれた爆弾の解除キーで、どうか、世界を救ってほしい』
音声は、そこで途切れてしまった。ラブラバはパソコンを操作してファイルを調べて、デクはその話を元八斎衆に翻訳をしている。
そしてロディは無表情でぎゅぅうとパズルを握り締めた。
ピノは、静かに涙を流していた。
エディ・ソウルが、もう亡くなっているのだとわかったから。
彼が、自分たちを守るために戦ってくれていたのだと、知ったからだ。
「おおっとまずい」
すこし焦ったように、ジェントルが携帯端末を操作している。普段であれば自身のチャンネルの炎上を恐れるだけだったが、いまはそうではない。
「ヒューマライズが世界二十五か所に仕掛けた爆弾を爆発させるとさ。二時間後にね」
ジェントルが掲げる携帯端末には、仕掛けられた爆弾の被害予想地域まで掲載されていた。窃野は自分の携帯端末でそのニュースを調べ、鼻で笑う。
「オセオンって言ってもここは安全じゃん。なんだったらヘリ乗ってようぜ、安全だ」
手を広げた拍子にオセオンの被害地域がロディの目に入る。見慣れた町だ、全部頭に入っている。だからこそ、わかってしまった。
「嘘だろ!?」
「な、なにすんだよ! おい返せ!」
携帯端末をロディに奪われた窃野だったが、デクに止められる。ロディは窃野の様子を気にすることもなく、画面を見てうめく。
「オセオンの被害地域……俺ん家も入ってやがる!」
喚き出したい気持ちでいっぱいだった。
父を奪われ、父への尊敬を奪われ、父の願いも奪われた。
(なんなんだよこいつら……これ以上、俺たちからなにを奪おうって言うんだよ!)
怯える弟と妹の姿が目に浮かぶ。
許せるわけがない。
「統括本部にこの情報を送ってヒーローチームの撤収を──」
「するわきゃねーだろ!」
ショートは携帯端末を操作し始めたが、その目的をバクゴーは否定した。統括本部に情報チップのデータを送ることは有効なことだろう。だが、そのデータを基にヒーローが爆発範囲から逃げ出すわけがない。
それは、デクも同感だった。
「ヒーローはトリガーボムを捜し続ける。たとえ爆弾の目標が自分たちだったとしても、罠だとわかっていても、救いを求めている人たちがいる限り、その人たちを置いて逃げるなんてことヒーローなら絶対にしない──そこまで考えての作戦なんだ」
卑劣な罠だ。なぜそんなことができる。なんでそこまでヒーローを【信頼】して、そんな作戦が立てられる。
ヒューマライズ自身が大々的にテロの告知を行ったおかげで、携帯端末一つ電波さえ繋がれば被害範囲が確認できる。
ロディがいままさに我を失ったように、被害範囲地域のパニックは容易に想像がついた。
奔走するヒーローもいるだろうが、逃げ出すヒーローがいたとしてだれが責められようか。そこにいれば死ぬ可能性が非常に高く、おまけにいまオセオンにいるのは日本のヒーロー。自国のためにオセオンを切り捨てる──その可能性が、この作戦では考慮されていない。
市民を守るためならば、己が身を犠牲にする【だろう】という信頼が前提の作戦なのだ。
もちろん、トリガーボムが爆発すれば、それはそのままヒーローと国の失態だ。東京やパリをはじめ、首都で広範囲のテロがあれば機能不全に陥り、それをヒューマライズが占領するというプランの可能性もゼロではない。
だが、その場合生き残ったヒーローが死ぬ気でヒューマライズを追い詰める。トップヒーローたちが生き残ってさえいれば、それは実現可能の戦力だ。
それが叶わぬ未来なのは、ヒーローを信頼しているデクには手に取るように理解できている。
だからこそ、悔しい。
同じくらい強い気持ちでヒーローを信頼しているというのに、彼らの技術力や熱意が人を殺すのために利用されているという現実が。
「──だったらその解除キーで、トリガーボムを止めるまでだ!」
「そういうと思って……ほら」
ショートの声に呼応するように、ラブラバはノートパソコンの画面をデクたちへと向けた。
地図はアイルランドから、南に存在する島を拡大したものだった。
「それがクソどもの本拠地か!」
「ラブラバ、トリガーボムの制御システムは?」
「施設の一番奥ね。……でも、無理よジェントル」
それはジェントルの身を案じてのことでも、彼の実力に不足を思ってのことでもない。
もっと単純な、算数の話だ。
「坊やがチャーターしてくれたヘリは時速二百キロ。この地点は直線距離で四百キロ以上離れているの。良かったわね窃野、爆発が起こるころには私たちは空の上よ」
それを聞いた窃野は軽快な口笛を鳴らして、宝生に肘鉄を食らっていた。宝生は爆発を止めたい側らしく、どうにかできないかと質問をするも、それに答えられる人物は──一人、いた。
「間に合う」
ロディは自身に言い聞かせていた。
「クレイド空港までヘリで五分だよな」
「そんなところね」
「なら、セスナなら間に合う」
言うや否や、ロディはアタッシュケースを抱えてヘリへと乗り込んだ。
「セスナならこの全員が乗っても許容範囲だし、時速二百七十キロまで出せる。間に合う!」
相談する時間も惜しいため、全員でヘリへと乗り込んだ。
気絶したヴィラン二人とパイロットをヘリの床へ転がすバクゴーたちに、窃野が追加で不平不満を漏らした。
「そいつらヴィランだろ? その辺に捨てとけよぉ」
「クレイドの空港で引き渡す。崖下へ下ろして説明する時間もねーからな」
とくに金の仮面をかぶった男のほうは重傷である。捨て置いて獣が寄ってくれば生きながら食われる可能性もあるだろうし、崖下の警察へ身柄を引き渡す時間の余裕もない。
それにしても──バクゴーは窃野を見て舌打ちをする。エンジン始動に時間がかかるとはいえ、行きと同じようにこのような軽薄な男とともに時間を潰さなければならないのだ。クレイドについたら叩き落してやる。
そのように考えていると、ジェントルはおもむろに女性のマスクを外して、猿ぐつわのように布を歯に噛ませてそれを結んでいく。
「こちら女性の扱いには気をつけたまえよ。起きればまた自殺するかもしれないから」
「──自殺?」
妙なことに、窃野の表情から軽薄さが消えた。
「飛び降りさ。個性で受け止めたが、あの高さでも躊躇すらなかった」
ジェントルは、そのじつ、感慨深い想いに浸っていた。十五年も昔の話で、自身が高校中退を決定付けられた事件があったからだ。
ヒーロー科時代、作業中ビルから落下する人と遭遇した。そのときは周囲の確認不足からヒーローの救助活動の邪魔をしてしまい、結果的には落下した人物は全治半年の大怪我だった。
今回はそのようなことにならず、人を救えた。
だからこそ、すこしだけ胸のつかえがとれた気がした──のに。
「なんで」
「ジェントルになにするのよ!!」
「お、おい窃野」
ラブラバと竹下が慌てて、ジェントルの胸倉を掴み上げた窃野に声をかけた。
「なんで助けた?」
唐突な仲間割れに、デクやロディも戸惑ってしまう。
バクゴーとショートは個性を使用してでも止めに入るつもりだったが、それを宝生と多部に邪魔──警戒されているので様子を見ることにした。
しかし、ジェントルが窃野の質問に答える前にヘリコプターのプロペラが回転し始めて、会話できないほどの轟音が室内に響き渡った。扉を閉めれば多少マシにはなったが、ジェントルの服から手を離した窃野は、それ以上会話する様子なく、窓の外を見るだけになった。
べロス
傭兵ヴィランの一人。
左手の親指と小指を弓へと変化させる個性と、射た矢を自由に操る個性の複合タイプ《ロング・ボウ》。後述するシデロの鉄球も射たが、それを操作できたかは不明。重量制限の可能性もある。
傭兵ヴィランの中では唯一フレクト・ターンに忠誠を誓っている描写があり、ケース奪還の失敗を察した彼女は自殺を選択した。女性キャラクターの中ではスターに次いでムッキムキ。レディ・ナガンよりムッキムキ。
ロゴン
傭兵ヴィランの一人。
鬼に変身する個性《アイアン・クラブ》。両腕は変身してしまうとなにも掴めない金棒に変化してしまうのでとても不便そう。変身前は角が一本、変身後は角が二本になる。
シデロ
傭兵ヴィランの一人。
鉄球を創り出す個性《アイアン・ボール》。その作り出した鉄球はサイズ変更が可能。
ベロスに撃ち抜かれて死んだかもしれないし、外れて背後の鉄球が砕けただけかもしれない。小説版では鉄球とともに崖下へ落下したので、命中の有無にかかわらずたぶん死亡した。無個性ヒーローではロゴンと一緒に野球してほしいので生きてる。