ラブラバを抱きかかえたジェントルを先頭に、デクたちは施設内を走り続けていた。
ショートたちから離れてすぐに地下への入り口を発見し、階段を下れば大洞窟が広がっていた。高さ百メートル、奥行きに至っては一キロメートルありそうなほどの洞窟だった。足元を見下ろせば川が通っており、川の流れの先には太陽の光が薄っすらと見える。
「川を遡って行き止まりに部屋があるわ」
ノートパソコンの画面を見ながらラブラバの案内を聞く。そして、ついでのようにタイムリミットの時間も教えられた。
すでに爆発の予告時間まで二十分を切っている。
「リスナー諸君。英語を英語と一括りにしてはいけないぞ、ヨーロッパ言語とはかくも多様なものなのだ。英語とイギリス語の区別もお忘れなく」
「語学が得意なジェントルカッコイイってこと!?」
「それにいまは日本では受験シーズン。英語の勉強には紅茶をお供にすると良い。オススメはもちろんオセオンティー。今朝のアーカイブを見直してくれたまえ」
「今朝のエプロン姿もとっても素敵だったわ!!」
黄色い悲鳴を聞きながら、デクばかりが焦り続けていた。無個性の可能性がある団員にも個性を使ってしまうほどには焦燥を抱えている。
「スマァッシュ!!」
シュートスタイルから繰り出される剛脚によるエアフォースで、銃口を向ける団員たちを倒していく。怪我の具合を確認する時間すらない。
息継ぎすら惜しむように攻撃を放つデクを見ながら、ジェントルは自身のヒゲを撫でた。どこか憂いさえ感じさせる視線を受け、デクは一瞥だけ送って先に進む。
ジェントル・クリミナルとラブラバ。事が事だったので言及こそ避けていたが、昨年十一月、二人はヴィランとして警察に逮捕された。おまけに逮捕からまだ二か月しか経っていない。本来であればこのような場所を旅行できるはずがないのだ。
旅行ではないのなら──一人のクラスメイトの顔が浮かぶ。
彼は、ヒューマライズをどう思っているのだろうか。
死傷者の出るようなテロを起こした組織を肯定するような思考は、持ち合わせていないだろう。相手の言い分を聞こうともしないだろう。それでも「惜しいな」と笑いながら言いそうだと想像してしまう。
「坊や、あの扉よ」
「わかった!」
いまは彼らの処遇より、トリガーボムの停止だ。
──無駄かもしれない。
トリガーボムの製作者、アランがケースを持ち出して数日が経過している。コードが書き換えられていれば、その時点で詰んでいる可能性がある。物理的に制御システムの部屋には入れないかもしれない。すでに爆発へのタイムリミットは分水嶺を過ぎていて、コードが間に合ったとしても手遅れだったら。
それでも、可能性があるのなら、だれかを救えるのならば。
デクは、覚悟を決めて最後の扉を蹴破った。
「ここが一番奥の部屋……」
「まるで祭壇ね」
デクは歩きながら周囲を警戒し、ラブラバはようやくジェントルをフレームアウトさせ、部屋全体をカメラに収める。
そこは、体育館ほどの広さの図書館だった。
本棚が並んでいるわけではない。むしろ部屋にはなにもなかった。三メートルほどの壁が本棚と化しており、そこには整然と大量の蔵書が並んでいた。
部屋の中心には、ジェントルの身長よりやや高い金色の悪趣味な塔が立っている。天井と壁の本棚は八角形で作られており、宗教的な意味合いが強そうだった。
デクが蹴破った扉の反対側は階段になっているが、この部屋自体には二階はない。階段を上ればおそらくはフレクト・ターンのプライベートルーム。その部屋の入り口を飾るように、ヒューマライズのシンボルが仰々しく飾られていた。
「なら、あの扉の先にトリガーボムの制御システムが──」
直線的に走り出そうとしたデクをジェントルが止めた。そして二歩ほど彼の前に出て、身体を晒す。
「会いたかったぞ、人類救済を謳う狂人め」
ジェントルが見上げる先、階段の手すりからこちらを見下ろす一人の男。
その男を、デクは動画で何度も見ていた。
ヒューマライズ創設者、フレクト・ターンである。
どのような個性なのか、彼の青い肌からは想像もつかない。
「失せよ。お前たちのような重病者が立ち入っていい場所ではない。ここは人類を救済する神聖なる場所だ」
ジェントルがラブラバを下ろすと、彼女はカメラを掲げながら大きく引いてデクが蹴破った扉の前まで下がる。
その彼女が背にした本棚の本を守るように、シャッターが上がっていく。
「神聖? 神を捨てた思想団体が? 実に面白い物言いだ」
ジェントルが数歩進む。
ここにいる目的はフレクトの討伐や捕縛ではなく、トリガーボムの制御システムのクラッキングだ。おまけに雑談で時間を潰せるような時間もすくない。
「神もいなければ科学でも語れぬ個性終末論。民衆の心に寄り添うのはいつも俗説である。認めたまえ、我らは等しく俗物だ」
「宗教を捨てた東洋の蛮族が。救いを知らぬとは」
「なんと度し難い。救いなら宗教がすでに説いているではないか──」
ジェントルが突如として宙に舞い上がる。空中で直立不動のまま、フレクトに不敵な笑みを向けていた。
「──少年!!」
「はい!」
まるで事前に打ち合わせをしたかのように、デクは飛び出していた。
ジェントルはフレクトと宗教論争するつもりはなかった。背に回した腕から、簡易的な手信号をデクへ送る時間が稼ぎたかっただけであったのだ。
ジェントルの個性は《弾性》。空気に触れればそこに空気の柔らかな壁が作れるし、鋼鉄に触れれば即席のバネが出来上がる。建物全体に《弾性》を付与することすら可能であるその個性は、デクにとっては発射台の役割になった。
出久は右手から伸ばした《黒鞭》で、ジェントルの張った《弾性》の空気を掴んで数歩引いていたのだ。そのまま反動を使って走り出す。
目指すは、トリガーボム制御システムの扉。
「愚かな」
「──くっ!!」
《ワン・フォー・オール》の十五パーセントと《弾性》の組み合わせだ。初速は優に百キロを超える。それなのに【着弾】のほうが早かった。
急激に方向を曲げたことで、デクは部屋の壁へと突撃する。衝撃で、シェルターの奥から本の崩れる音を聞いた。
背中を強かに打ち付けながらも立ち上がり、追撃を避ける。見れば部屋の隅々な箇所にレーザーが設置してあり、それがデクを狙っていたようだ。
避けられたのは偶然。ただうなじに嫌な気配が生まれた、それだけだったが、なぜか【避けなければならない】と認識してしまっていた。訓練でもいまのような感覚を味わったことはなく、不思議に思い部屋を見渡す。
フレクトは階段を優雅な動作で降りてきている最中で、ジェントルは地上でそれを油断なく見守っている。
レーザーはほかにどこか──そう思って天井を見上げたとき、デクは一つの絵を見つけた。部屋の天井部に飾られた絵は、八角形の絵だった。
犬と獅子と恐竜の頭を持つ化け物だ。両手には蝙蝠のような羽根が生えており、足は猛禽類。それが、町並みの真ん中に放置されている構図である。
その絵の真下。
部屋の中心部分にある灯篭のような柱には、赤子の像が飾られている。《無垢な存在》という意味ではなく──これはきっと光る赤子だ。
始まりの子ども。
終わりの化け物。
この部屋は、ヒューマライズが信仰している歪な魔法陣だ。
「純粋なる人々は個性という病魔、その脅威に晒されている。それは時とともに混ざり深化し、コントロールを失って人類を滅亡させる」
「そんなことない! 個性も無個性も病気でもなんでもない! みんな生きてる同じ人間だ!」
デクはエアフォールをフレクトに放ちながら叫んだ。だが、それはなぜか霧散してしまう。いや、それどころかフレクトからエアフォースのようななにかが発射されたことを確認し、慌てて回避する。
攻撃されたことを意にも介さず、フレクトはため息を吐くようにつぶやいた。
「重病者は度し難い……やはり私がやらねばならぬ」
「絶対にトリガーボムは止める!」
エアフォースがかき消されたことで、フレクトの個性は防御系に寄ったものだと考えた。ならばと、デクはいまできる最大火力で攻撃する方法を選択する。
走り出したデクはさきほど掴んだ《弾性》を蹴って跳躍。レーザーは発射されれば光速ではあるが、照準が合うまでには一般的なシステムのラグがあるはずだという魂胆ではあった。
それが実ったのかはわからないが、デクのシュートスタイルは最速でフレクト・ターンへ振り下ろされた。
──だが。
相手の顔面を捉えたデクの蹴りは、直撃することなく寸前で止まっている。まるで磁気の同極が反発するかのごとく。
そう認識したときには、デクは背後へと弾き飛ばされていた。
「きゃあ!」
シェルターを大きく凹ませたデクは、ラブラバの悲鳴を聞きながら立ち上がる。右足と背中には激痛。訓練でも味わったことのないような威力で戸惑ってしまう。
(は、弾かれた……? 違う、この衝撃と威力……)
訓練でも? いや、毎日その身に受けている感覚だった。
(まるでスマッシュを受けたような……)
デクはいまの衝撃を、【反動】という形で、毎日身体で受け止めているのだ。
「驚いた。個性終末論者が個性に頼るのか」
「……そう、私は生まれながらに病を患っている。決して消えることのない、すべてを反射してしまう病を」
デクの攻撃の衝撃で吹き飛んだのは、羽織っていたコートだけだった。そのコートの代わりに、フレクトは機械の触手のような武具を纏う。
(挑発行為に意味はないか。少年の攻撃も、あれではもちこたえまい……)
ならばと、ジェントルは空中を走り出す。レーザーによる攻撃を避けるために《弾性》による移動を繰り返しながらフレクトへと近づいていく。
そのフレクトには避ける様子は見られなかった。おそらくは反射という個性への信頼、あるいは、どうにもできなかった絶望。
だがそれは慢心だ。
レーザーを避けながら、ジェントルはフレクトの周囲を一周し、さらに背後へと回る。
「挟み込んだつもりか?」
デクのほうへ視線を向けたフレクトが一歩踏み出すと、不思議とその足が止まった。背後からジェントルの笑い声が聞こえてくる。
「《ジェントリーハウス》の住み心地はいかがかね?」
「浮浪者め」
フレクトがデクに向け一歩踏み出したことで、ジェントルの表情から余裕が消える。
ジェントルの個性《弾性》は空気に色を付けるわけでも形を変えるわけでもない。見えないのだが、その異変には《弾性》の個性を知るからこそ脅威を感じる。
空気の軋む音が、フレクトの足音に混じって聞こえてくる。
その前に、デクはもう一度走り出していた。空中を走るという荒業を見せながら。
「あの子! 【また】!」
ラブラバのカメラがデクを捉える。さきほどのジェントルが空中に張った《弾性》を跳ね板のように使いながら、ジェントリーハウスから抜けだそうとするフレクトへ拳を放つ。
だが、結果は焼き直しだ。
殴りつけたインパクトの瞬間、それがそのままデクの身体全体に押し返されているイメージ。耐え切れず吹き飛んだデクは、天井、そして壁へと叩きつけられて、しかしまたすぐに立ち上がった。
「呪われた力だ……」
なにごともなかったかのように、フレクトは自身の青い手の平を見つめる。空にゆっくりとその手を伸ばして、訥々と語り始めた。
「この病のせいで、私は両親から一度も抱きしめられたことがない。
「心通わせた友人も、想いを寄せた人も、心すら反射させ私の元から離れていった。
「すべてを反射する私は、自ら死を選ぶこともできない。
「コントロールできない個性は苦しみを生むだけ。
「──そして人類は体も心も、進化する個性に圧し潰される」
ジェントルはもう一度捕縛しようと近づくが、レーザーに狙われていることを察知して近づけずにいる。おそらくは制御システムへの扉に近しい者から狙うように設定されている。逆に言えば、ジェントルが狙われている限りラブラバは目標から最も遠い立場となる。
デクも必死だ。
反射されたとはいえ、実質的にはすでに二度のスマッシュを直撃されたようなもの。ヘリコプターの外装に利用されるジェラルミンはアルミニウム合金の一つであり、鋼鉄よりもよほど軽く、鋼鉄よりも硬い素材とされている。
デクのスマッシュはそれすらへし折るほどに高められている。
初撃は手加減した。いくら防御系の個性だったとしても、頭部に《ワン・フォー・オール》の蹴りを受ければ殺害してしまう可能性があった。だが、それでも常人であればむち打ち程度では済まない威力。
そして二度目は──。
《ワン・フォー・オール》を身に纏っているとはいえ、そのダメージは計り知れない。
(インパクトの瞬間だけ個性を使わずに!)
本来エンデヴァー事務所が出向した理由は、フレクト・ターンの捕縛およびトリガーボムの確保であるのだが、現最優先事項はトリガーボムの制御システムルーム。そしてエディ・ソウルが遺した破壊システムの入力である。
時間が稼げれば良い。気を削ぐだけでも、なんでも良い。
アクションは削いで、最短距離でフレクトへと向かう。その勢いは《ワン・フォー・オール》の四十パーセントをも上回る速さだった。
そして拳が触れる瞬間個性を解いた。
だが、愚策だ。
直撃はせず、それどころかフレクトは拳をデクの腹へと押し当てている。フレクトから伸びる機械が規則的に方向を変えると、突撃した勢いがすべて彼の拳に集まっていく。
(エネルギーの方向すらも自分で選べるのか──まずいぞ!)
「少年!!」
ジェントルが二人に駆け寄ろうとするも時すでに遅く、突撃した勢いはそのままデクへと三度反射される結果となった。
埋もれるように床を割りながらそれでも勢いは収まらず、もう一枚のシェルターへと衝突し本とともに床に転がってしまう。
しかし、それは一瞬。遠くで見ていたジェントルでさえ見逃すような速さでデクは駆け出した。パワーでの突破を諦め、速さでの打開を目指す。
「私は私を否定する──。個性という病を、この世から消し去る。そして純粋なる人類を滅亡から救うのだ!」
「愚かな!!」
ジェントルも駆け出した。
デクが走り出したことで、レーザーの目標がデクとジェントルを狙い始めたからだ。二人ならば──そう思い、自身を狙うレーザーを目視しながら走り出し、腹部に熱さを感じた。
「ジェントル!!」
悲鳴を上げる暇もなく、ジェントルは床に倒れ込んだ。そしてすぐさま跳躍。同じようにレーザーに撃たれたデクを拾い上げ、ラブラバの元まで退避する。
「ラブラバ……撃たれたのか……」
「私は大丈夫! でもジェントルが!」
フレクトが用意した機械、それも空飛ぶ円盤がおそらくレーザーを乱反射させたのだろう。ラブラバはレンズの割れたカメラをジェントルに見せつける。それよりもジェントルの腹からの出血のほうが心配だった。
デクはより重傷で左太ももと、右肩──おそらくは肩甲骨に大穴が開いている。
ジェントルとデクがいるタイルの上に、血が広がっていく。
「哀れな」
その言葉は、傷を負って可哀想などという愛護の精神ではないだろう。
空中に散っていたフレクトの装備が彼の身体へと戻る。そして左手を上げるフレクトの顔には、笑みが張り付いていた。
空中にいくつも浮かぶ投影モニター、その数二十五。
多少テレビを見る人間であれば、そのすべての土地を言い当てることはできるだろう。そのなかには、東京の夜景も映っていた。
「あと十分。ついに人類の救済──その第一歩が始まる。数多のヒーローたちの死によって」
「──くだらん救いだ」
デクとラブラバを入り口にまで避難させたジェントルが、フレクトと対面する。左の脇腹からの傷は彼の内臓にまで達しているらしく、口元のヒゲも赤く染めていた。
「無神論者が救いのなにを知る」
「救われたことなら、あるのだよ」
ジェントルは優雅な動作で頭を下げた。
貴族間で使われる伝統的な挨拶『ボウ&スクレープ』。その顔には、痛みを感じているようには見えないほどの笑みが広がっていた。
「宗教が二千年も前に説いている。そして、我が相棒は──その答えを教えてくれた」
それは、いまからたった数分。
自身の神に愛される至福の時間。
撫子色の靄がジェントルを包み込んでいく。
走り出したジェントルの姿をフレクトは見逃した。《ワン・フォー・オール》を発動させたさきほどのデク【よりも】速く、視界の外へ消えて行く。
「これより始まる怪傑浪漫!」
フレクトの周りにまたも《弾性》が発生した。それも先程の比ではなく、重厚に、幾重に、広範囲に張られていく。
「めくるめからず見届けよ!」
それだけではなく、《弾性》が壁、床、天井と付与され、跳ねまわるジェントルの姿はもう靄でしか確認できない。
「私は救世たる義賊の紳士──ジェントル・クリミナル!」
ジェントルを狙ってレーザーも発射されるが、その発射装置も《弾性》で歪み、発射口を巻き込み融解していく。おまけにフレクトのアイテムも《弾性》に阻まれ展開できない様子である。
「ただいまいつもの窮地にて手短に」
いつの間にか、ジェントルは最初の立ち位置へと戻っていた。
足元のコンクリート片を掴み上げ、投擲。
「『トリガーボム! 止めてみた!!』」
フレクトは訝しむ。ジェントルの個性は触れたものに《弾性》を付与するもの。おそらくいまや部屋中《弾性》化しているだろう。その投げたコンクリートはどこかで弾かれるはずだ──それは、安易な考えだった。
「なっ!?」
眼前に届いたコンクリート片。それが反射された瞬間、もう一度戻ってきた。一度だけではない、二度、三度、四度、五度……──数え切れるわけがない。
フレクトの個性と《弾性》に圧され、コンクリート片が恐ろしい回数フレクトへと向かってくる。
それもフレクトが身に纏う反動制御装置にも当たり、壊れた装置の破片も加わって、フレクトのいる中心部はまるで竜巻の中にいるかのようだった。
ジェントルは張り続けた《弾性》に一か所穴を作っていた。そこに投げ込んだわけだが、ここまで上手く行くとは思わず固まってしまっていた。
「け、計画通り!」
慌ててもう一石投じようとコンクリート片を拾い上げようとしたとき、ジェントルはなぜか頭から床に倒れ込んでいた。
そこで跳ねながらむせると、ばちゃりと床を血が汚した。口から零れたとは思えない量だ。
「お、や……しまった」
もう一度血を吐いてから、ゆっくりと立ち上がる。そのころには《弾性》はすべて消え去ってしまっていた。
そして目の前には無傷のフレクトの姿。
「私が救済してやろう」
腕を動かすことで《弾性》をフレクトとの間に張るが、その甲斐も虚しくジェントルは軽々と吹き飛ばされた。
「つ、次は、わ、わ、私が、相手だわ!」
涙を流しながらカメラを振るうラブバラ。彼女はこの場で献身ではなく継承を選択した。
それがジェントルの願いなのだと奥歯を噛みしめる。
「怖い──怖いわジェントル! 大好きよジェントル! 好き! ずっと好き! 覚えておいて! 私は! あなたを愛しているわ!」
愛が武器であるかのように、彼女は走り出した。
涙でぼやける視界には、吹き飛ばされたジェントルは映っていない。でも、たしかに感じる繋がりに救いがある。
フレクトの足にラブラバの拳が触れる瞬間、ラブラバはもう一度愛に包まれた。
ラブラバを抱きかかえ地面を転がるジェントル。
気を失っているのか、浅い呼吸を繰り返すばかりだ。
「──仲間とともに殺してやろう」
そのフレクトの言葉は、二人に向けられたものではない。
足を引きずるようにフレクトに向かうデクは、意識を朦朧とさせながら部屋を見上げていた。投影映像には、いつの間にかトリガーボムの設置区域であるヒーローたちの活動が映っていたからだ。
市民はパニック状態。ヒューマライズの団員からの妨害。そして、目標のヒーロー。
悔しい。
目まぐるしく変わる映像の中に、見覚えのあるヒーローたちが映っていた。
麗日お茶子、蛙吹梅雨、上鳴電気、瀬呂範太、峰田実、切島鋭児郎、障子目蔵、耳郎響香、八百万百──。
悔しい。
きっと、テロが成功した暁には、この映像がヒューマライズの正典として扱われる。
【こんなもの】が、正しい導きであるはずがない。
悔しい。
(みんな必死に戦っている……! トリガーボムを止めるために! みんなの笑顔を──守るために!! 考えろ、あいつに勝つ方法を──!)
だが、それが限界。
悔しさを噛みしめて、考えて考えて、【考えるふりだけ】している【あの頃】と、なに一つ変わりはしない。
無個性だったあの頃と、なにも変わってなんかいやしない。
心が、ゆっくりと腐っていく。
膝から崩れ落ちる感覚は、あの頃にそっくりだった。
──その身体を支えてくれた【彼】の姿に、デクは英雄を重ねていた。
「ロ、ディ……どうして」
「……もう大丈夫だ。デク」
優しい笑みを浮かべたロディ。いるはずがない、幻覚かとすら思った。
「あ、あぶない……ここから……離れて……」
「ああ、こいつを、やつらに渡したらな」
彼の手には、紫色のメモリーチップ──トリガーボムの解除キーが握られていた。ラブラバに預けていたものだが、デクを救い上げる前に回収したのだろう。
(そんな、ダメだ、それがないと、トリガーボムが……みんなが!)
デクの心の激情とは裏腹に、彼の口から零れたのは弱々しい吐息のような呼びかけだった。
「ロディ……」
縋るような声を無視して、ロディはデクを優しく地面へと置いた。
諦めた瞳。疲れ切った表情でロディはフレクトを見据える。
「言われたんだよ……。こうすりゃ、オセオンの爆発だけは、止めてくれるってさ」
「ロディ……ダメだ……! 僕たちが絶対に、止めてみせるから……!」
起き上がろうとして苦痛に沈むデクを、ロディは鼻で笑った。いや、自分自身を笑ったのかもしれない。
他人を小馬鹿にして、相手を貶めて、ようやく自分が一人前のように錯覚していた、そんな自分を。
「そんな身体で、どうやって止めるんだよ。もう時間もねぇ、爆弾も爆発。ゲームオーバーだ。……だから、弟と妹だけは、俺が守る──」
眼前にいるは、ヒューマライズ創設者フレクト・ターン。
無傷のままでそこにいる。不遜な態度で両手を広げ、近寄ってくるロディを迎え入れるかのようだ。
(デク、俺はしがないチンピラだ……)
その態度でもって、誘拐してきた科学者たちを、父を屈服させたのだろうか。
(ヒーローのお前みたいに、全部守る、全部背負うなんてできねー……。世界と家族、二つに一つしかねーなら、どっちか取るしかねーんだよ)
いまの自身のように、人の大切なものを、守れるかどうかすらわからない賭けのチップにしたのだろうか。
「──俺の親父も、そうだったんだろ」
「そう。キミの父親であるエディ・ソウルは人類救済爆弾の開発に協力してくれた」
「なにが協力だ」
悔しい。
「俺ら家族を人質にして、言うこと聞かせてたんじゃねーか」
「おかげで彼は正しい選択ができた。そしてキミも父親と同じだ。愛する者を守るために正しい選択をした──私も同じ。私も人類を愛したからこそ、この計画を選択した」
悔しい。
背後では、立つこともできずにもがくデクの気配。なんども名前を呼ばれると【決心】が鈍ってしまいそうだった。
「諦め時だぜヒーロー。人は、こうやって裏切られていくんだ。俺もそうだ、いつものことさ。嘆くことねーだろ」
唯一、いま誇らしいことがあるとするならば──エディ・ソウルと同じ【選択】ができたことだ。
フレクトの差し出した手に解除キーを乗せようとし。
──ロディは指でそれを空へと弾いた。
「あっ!?」
ロディのフードの中でピノが鳴く。
ああ、本当に、最高の相棒だ。
デクは渾身の力を籠めて立ち上がる。
託されたから。
継承したから。
エディ・ソウルが家族のために築き上げた、
ロディ・ソウルが家族のために築き上げた、人類救済への道を。
(《ワン・フォー・オール》《フルカウル》! 五十パーセント!)
ロディはフレクトの視線が空へ向かった瞬間に駆け出していた。空中ではすでにピノが解除キーを嘴で受け止め、ロディとの合流を目指している。
デクとフレクトの接触で溢れたエネルギーが突風となってロディとピノを吹き飛ばすが、知ったことかと制御室を目指す。
だが背後ではすでにデクが四度目の反射を受けて壁へ激突させられていた。
フレクトはすぐさま装備品の一枚を両手で挟むように構える。狙いは、ロディの背中。
「愚か者め!」
「ロディ!!」
レールガンの要領で発射された部品は音速を越えていた。ロディがいくらパルクールを鍛えていようとも、銃弾は避けられない。
「拒絶か反射か。じつに容易い個性だ」
ロディの背後に張られた《弾性》に弾かれ、円盤の部品は明後日のほうへ飛んでいく。天井の絵を貫くように止まった。
「行きなさいラブラバ。世界を救っておくれ。私を救ったように──」
「まかせてジェントル。それがあなたの願いなら──」
ラブラバはなにも映さぬカメラを投げ捨てて、ロディの手を引いて走り出した。
「させぬわ!!」
「現実を受け入れろ、フレクト。もう終わりだ」
話しながら、ジェントルの口から血が溢れ出す。自慢のヒゲを真っ赤に染めながらジェントルはそれでも笑っていた。
「蠅め!」
フレクトが腕を振るうとジェントルは枯れ木のように吹き飛んだ。その威力はジェントルの体重一人分程度なのだが、現状の彼に耐えるだけの力は残っていない。
しかし、足止めをする者はジェントルだけではない。
(【六十パーセント】!!)
五度目の反動を受け、しかし奇跡的な受け身をとってもう一度走り出す。
だが、デクの視界からフレクトが消えていた。
そして真上からの圧力によって、デクは赤子の像とともに圧し潰された。
「こざかしい!」
フレクトがデクを床へと押し付けている。
両腕に力を入れて押し返そうと思っても、それはすぐにフレクト側から加えられる力となって戻ってくる。床が見る間に割れて、加速度的に押される力に負けてしまう。
──だが、それで終わりだ。
ヒーローの目的が打倒フレクトではないように、フレクトの目的も、デクを倒すことでないのだ。
「させぬ!!」
フレクトがデクから離れた瞬間を見計らって、デクは飛び跳ねながらフレクトへと追いつく。
地面を滑るように空中を走るフレクトの顔を、デクのスマッシュが捉えていた。
もちろん反射されてしまうのだが、デクは吹き飛ばされた瞬間、さらに《ワン・フォー・オール》の出力を上げる。
ここで骨が砕けてもいい。
四肢が無くなったとしても後悔はしない。
「行かせない!! ここから先は! 絶対に!!」
フレクトの拳とデクの拳が空気の膜一枚隔てて衝突する。限界を迎えたのはデクだった。右手のコスチュームが弾け、肌が露出する。
だが、引かず。
力を、《ワン・フォー・オール》を籠め続ける。
この調子では、すぐに百パーセントを超えるだろう。
だからどうした。
限界など、百パーセントなど、何度だって超えてやる。
打開したのは、余裕があるはずのフレクトだった。拳を引いてデクの体勢を崩すだけで力の反射される角度が変わってしまい、デクは扉の前まで下がる。
「なぜわからぬ!! 病魔だ! だれかが救わなければならぬ!!」
フレクトは己が両手を握り締める。
デクは構わず蹴りを放つが、失敗。蹴りは威力こそ高いが、片足では強化し続ける《ワン・フォー・オール》に体幹が対応しきれない。力を籠め続けることができず、デクは吹き飛ばされた。
その隙にフレクトは扉へ向かおうとして、靄を纏うジェントルに阻まれる。
フレクトの拳を受け吹き飛ばされるはずの彼は、しかしよろめくだけに留まった。
「貴様のために命を賭した部下になにをもたらした! 真に救いを求める者になにを教えた! お前は救いに死を説いた愚か者だ!」
すでにフレクトには装備品による補助機能はほとんど残されていない。反射する力の指向性は失ってしまっている。
でもそれは、ジェントルが耐えられている説明には繋がらない。
「お前が愛されないのは個性のせいではない!」
「黙れ……」
ジェントルの身体から溢れていた靄は、もう【真っ赤】に染まっていた。血のように、炎のように、懸命に命を燃やすように染まっている。
フレクトの背中にデクの攻撃が当たるが、やはり直撃には程遠い。
だが、不思議とフレクトはジェントルのほうへと【押し出され】、不憫にもジェントルはデクとともに吹き飛ばされた。──それは、そのような力のかかり方は、ありえないことだった。
天井にまで弾き飛ばされたデクは、その勢いを殺さずにかかと落としで反撃する。
一方のジェントルも吹き飛ばされた勢いそのままに《弾性》で周囲を跳ねまわる。ジェントルやデクの血を吸って、赤い靄の色がさらに濃くなった気がした。
「助けを乞えば良かったのだ! 恐いと! 悔しいと! 愛されたいと!」
「黙れっ」
「死を説いたのはなぜだ!? 聞かなくともわかるぞ愛を知らぬ者よ!」
「愛などまやかしだ!!」
「なぜ追わなかった!」
「っ!? なにも知らぬやつが!!」
ジェントルの攻撃など歯牙にもかけない威力だが、それでも目障りであることには違いない。おまけに、良く吠える。フレクトの個性は、雑音まで反射することはなかった。
だが、ジェントルは間抜けにも自身の力に負けて転がっていく。
その隙をついてデクの蹴りがフレクトの胸を打った。
本来であれば瞬きする間に吹き飛ばされていたデクが、力を籠め続けている。空中の蹴りで自身を支えるものもない。反射されてしかるべきなのに、なぜ──。
しばらく拮抗していた力関係は、フレクトの勝利になった。しかしデクを吹き飛ばしてもフレクトは自身の身体の違和感に、制御室へ向かうことも忘れ動揺していた。
「──まさか……個性の限界!? そ、そんなことが!」
「お前は諦めたんだ……」
デクは、床を削りながらも途中で抗っていた。
六十パーセントの反射を、六十一パーセントの力で相殺している。
「諦めなければ、何度もぶつかっていけば、人とふれあえたかもしれないのに……病気だとか言って、勝ってに諦めて絶望して……お前はぶつかることをやめたんだ!」
「──黙れ」
「個性の絶望を【僕ら】に重ねるな! 僕らは諦めてなんかいない!」
「黙れ」
「僕たちは、諦めない言葉を知っている」
「黙れぇ……!」
「さらに向こうへ! プルス・ウルトラぁぁぁぁああ!!」
「黙れー!!」
デクの拳がフレクトの拳と交差する。すでにお互いの個性は拮抗しており、行き場を失ったエネルギーが二人の間で破裂して周囲を破壊するが、デクが理不尽に吹き飛ばされることはなかった。
二度、三度、四度──。百パーセントはいつの間にか超えていた。
手足の骨が壊れる音を聞きながら、助走とばかりにデクは壁を走り始める。
加速するために《弾性》と《黒鞭》を使う。壁を青と黒の稲妻が散るように、もう目で追えるスピードを遥かに超越していた。
それでも足りぬとなおも加速し続けている。
そのための時間稼ぎは、ジェントルの仕事だった。
「くたばりぞこないが!」
「だが生きているよ!」
四つ手で組み合う二人を遮る力場は、すでに布一枚の薄さとなっている。
「どうしたフレクト・ターンよ! 超えてみろ! 己を!!」
「黙れぇぇええええ!!」
両者、両手では足りず顔も使って相手を圧倒せんとし、とうとう力のシーソーがフレクトに傾いた。ジェントルを床へと押し倒し、壊れかけたアイテムの力を使い圧殺を選ぶ。
「がはっ!」
ジェントルが血を吐き、それがフレクトの顔へと【触れた】。
気のせいだ──つくわけがない。
フレクトは慌てるような素振りでジェントルから離れ、制御室へと数歩進んだ。その背中に声がかけられる。
「どうしたフレクト・ターン。触れ合うことが恐ろしいかね……」
指一本動かせないほどに疲弊しているジェントルは、フレクトの様子を見て笑った。ひと際深く、慈しむように笑った。
不意に、音が止んだ。デクが壁を走り続ける不快な足音が、雑音が、消えていた。
「行け、少年」
頭上から降ってきたデクの蹴りが、フレクトの腹へと突き刺さる。
それは、見まごうことない【直撃】であった。
大きく身体をくの字に折り曲げたフレクトから、ガラスでも割ったかのような音が響いてきたことで、ジェントルはゆっくりと目を瞑った。
限界に怯えた者が、限界に挑み続ける者に勝てる道理などないのだから──。
ロディがラブラバとともに祭壇へと戻ると、そこには支え合いながら制御室へ向かおうとするデクとジェントルの姿があった。
「──爆弾、止めたぜ……」
「うん。ありがとう……」
ラブラバがジェントルを支えに走り出し、デクから引きはがす。すぐさま応急処置する様を見てロディもデクの補助へと入ろうと──見つけてしまった。
白目を向いて仰向けに倒れているフレクトは、厳かな服装も、神秘的な個性も身に纏っていなかった。
口から血の混じった泡を吹く姿に、スラムの酔っ払いを思い出す。
「あーあ……普通のおっさんじゃねーか……」
ロディは苦笑いを一つ落しながらつぶやいた。
世界中のトリガーボムのタイマーは、五分を残しすべてが停止していた。
フレクト・ターン
劇場版第3弾『ヒーローズ:ミッション』オリジナルキャラクター。
個性終末論を掲げるヒューマライズの創設者。個性《反射》によって自然光すら反射していたようで、身体が青白い。個性限界を迎えると肌色なので青い身体の異形個性ではない。ヒゲは自前。
ヒロアカ全体で考えても最強クラス。本来力押しのヒーローやヴィランに負けるような個性ではない。
強すぎたが故に打たれ弱いことを知らなかった。