病室は焦凍を残し、轟家には一度退室をお願いした。一般人にとっては不必要な情報があまりにも多いからな。それに、ただただ長い。
各都道府県の犯罪発生パーセンテージから逃げている脱獄囚の数を計算し、現存ヒーローの振り分けして、ついでに死柄木たちの行方を推察。日本の株価やスポンサー離れ、いま戦っているヒーローへの褒賞や、海外企業の撤退の数々、それはまさに崩壊の足音だ。
休憩を挟みながらも説明を始めて十時間近く。すでに日付変更線は越えていた。
エンデヴァーがとくに驚いていたのは、雄英への避難計画だったな。
企画者は根津校長とオールマイト。
彼らが計画した作戦は、大胆なことに守るべき市民を防衛拠点へと密集させるということだ。
それは、一つの覚悟だ。あまりにデメリットが目立つ覚悟だ。
過去の戦争時、国内外に関わらず都心部から市民を田舎へ分散させる、疎開という行動が生まれた。人口が密集する場所に攻撃を受ければ被害は大きなものになる。だから攻撃される前に散らす。
じつに理に適った行動だ。
被害を最小限にしたいのなら、な。
絶対に守るという覚悟がそこにある。
「とくに死柄木の《崩壊》は、もはや対処としては不可能です。発動させれば、雄英高校を含めて周囲の街に《崩壊》が《伝播》します。そのため、根津校長が雄英バリアに手を加える決断をしたようです」
雄英バリアはその間抜けな名前と裏腹に、民間に卸された軍事システムだ。タルタロスのシステムは世界一強固と数日前まで言われていたのだが、そのシステムが《I・アイランド》にも流用されている。
皮肉な話で、どちらもオール・フォー・ワンによって大きく崩されているのだが、数日前までは本当に神話から引っ張ってきたようなシステムだと太鼓判を押されていたのだ。
そのシステムはデチューンにデチューンを重ね、殺傷能力の一切を排除された雄英バリアへと生まれ変わる。
そうでもしなければ、それは【兵器】だ。民間へ卸せるわけがない。
兵器だったものに根津校長が手を加える。
大臣たちからは強い反感があった。個性を持ったネズミが人間を殺す兵器を作り出そうとしているという感情だ。ははは、選挙のたびに命を賭けている政治家とは思えない意気地のなさだ。
オールマイトはじめ、トップヒーローの多くは雄英出身であり、その多くは根津校長の教え子。彼らの圧に屈してどうにか許可が下りたが、その臆病さに日本は救われる。
「簡単に構造を説明しますが、バウムクーヘンだと思ってください」
「バウムクーヘンって、あの、お菓子のか」
「ええ。器用な人であれば、一枚一枚捲れるでしょう? あれと同じ構造を雄英敷地内に再現します。それらを含めて新・雄英バリアとでも呼称しましょうかね。その完成図は、雄英で施行する前に士傑、傑物、勇、聖愛など、ヒーロー科がある学校へと配られます」
「学生を、護衛にあてがうつもりか」
さすがに意図は読み取るか。
「やる気に溢れる学生が無理に外に出る必要はなく、プロはヴィラン逮捕に専念できる……。根津校長が一学校の役員って、役不足ですよねぇ?」
根津校長発案の新・雄英バリアは、既存のセンサー類はそのままに、学校と周囲の敷地に大きな仕掛けが加えられることになる。
まず、避難民たちの住まいだが、それは地上に設置してある。いまの学生寮のような造りの建物の数十、数百を用意するという。そしてセンサーがヴィランを感知した場合、それらの住宅は【地下】へと潜る。
リニアのように地下を上下左右と移動することで、死柄木の《伝播する崩壊》から市民を遠方へと逃がすことができる。
多層構造の防壁と、距離。
この二つが新・雄英バリアの本質だ。
「……その多層防壁なら《崩壊》が伝播しない、と?」
「ナイトアイのお墨付きです」
「そうか」
まさか死柄木に「実験に付き合ってくれ」などと言えないからな。代わりに使えるものはなんでも使う。ナイトアイが《予知》の詳細を教えるのが嫌なら結果だけ聞く。それだけで実験や試作の段階は踏み倒せるからな。
「続けて避難計画の詳細ですが──」
空中映像機に携帯端末からべつのデータを送る。
雄英バリアに関しては市民向けの安全説明に過ぎない。今日の謝罪会見では、ヴィランにここを襲うメリットはないぞとテレビを通して大々的に喧伝してもらうつもりだ。
ここから先は、エンデヴァーたちトップスリーの行動にも大きく関わることとなる。
まず、各地の学校へ避難してもらうのは希望者だけだ。ヒーローは信用できないと、避難しない人も多くいることは想像に難くない。
その地域の治安は悪化するだろう。そこにエンデヴァーを投入して良いのかどうか。
例えばヴィラン連合が地方で大暴れする陽動に、うまうまとエンデヴァーを送れば、下手すればその瞬間に雄英が襲われる、なんてこともあるかもしれない。
かといって──ちらりと三人を見る。
エンデヴァーは重傷で憔悴しきっているが、それはホークスも同じこと。むしろ怪我の度合いなら彼のほうが上だろう。そしてベストジーニストも片肺がない。彼は数体のハイエンドを確保したというが、それが限界だったと嘆いていた。
おそらく全盛期の彼らには遠く及ばない。
そのためナイトアイの《予知》を頼ったわけだが、その結果、一か月は死柄木もオール・フォー・ワンも動かないという話だった。
「決戦が、ひと月後だと?」
「さあ。たぶん結果だけならナイトアイは教えてくれるでしょうね」
エンデヴァーは信じられないとばかりにオールマイトを睨みつけている。
「ですが、ひと月丸々いまの日本の状況が続くことも視野に入れなければなりません。実際、報告される被害は日に日に増している。タルタロスは、私たちが思っている以上に魔窟だったようですね」
皮肉交じりにそう言うと、オールマイトはへらへらと笑って顔を逸らした。タルタロスの収容者のほとんどはオールマイトによって確保されている。ある意味でのみ、その伏魔殿を作り出した人物は彼なんだよなぁ。
「ああ、間違っても謝罪会見では期間を明確にするような発言は避けてくださいね」
「それでは謝罪にならんではないか」
「ひと月後と言わず、一週間後には市民の不満は爆発していますよ。娯楽施設は用意しますが、不便な生活を強いるのは──」
ホークスが唇に指を当てドアを睨みつける。
ヴィランがここまで入ってきているというわけではないと思いたいが……。
ノックとともに、扉が開けられた。
鳥のような異形個性の担当医だった。
「オールマイトさん、緑谷くんに覚醒兆候が」
「い、いま行く! 行くよ策束少年! みんなも! 戻ってきたらすべて話すから!」
オールマイトに引きずられ緑谷の病室へ向かうと、すでにリカバリーガールが診察を行っている最中だった。
「廊下を走ってきたね。まったく、病院だよオールマイト」
「すみません……。それで、緑谷少年は?」
「追加の《治癒》で疲れているだけさ。ただ、しゃべったり歩いたりは数日空けておやり。戦うなんてもってのほかだからね」
リカバリーガールに睨まれ、オールマイトは巨体を竦ませていた。その様相が面白くて笑っていると、リカバリーガールの視線がこちらへ向いた。
「坊やにも、教えるのかい?」
「……はい」
「……そうかい。ほら、飴ちゃんお食べ」
飴玉を受け取ると、その手を彼女がぎゅぅうと包むように握り締める。
「頑張りなよ。ここからだよ」
「はあ……。まあボクにできることなら」
なんのことやらととぼけていても、それが《ワン・フォー・オール》についての事柄なのは間違いない。まさか無個性なんかを捕まえて、日本のための戦いはここからだなどと言われないだろう。
リカバリーガールが出て行ってしばらく、唇を震わせていた緑谷から、かすれるような声が聞こえてきた。
「おーる、まいと……」
「なんだい緑谷少年!」
オールマイトは緑谷の唇に耳を極限にまで近づけて、一言も漏らさずに聞き取ろうとしている。
「ああ、グラントリノは生きている! すごいだろう僕らのお師匠は!」
もはや密談だなと、緑谷の枕元に置いてあるカルテを手に取る。
両手足の骨の粉砕骨折は、もはやいつものことだ。それだけなら二日も眠らなかったかもしれない。ただ、全身の亀裂骨折と舌の裂傷が《治癒》の邪魔をした。
データでしか知らないが、緑谷は《黒鞭》を口の中に出現させて行動したという。だが、口の中の皮膚、というか粘膜は外皮ほど厚くはないため、ズタボロだったそうだ。それだけしなければどうしようもなかったらしいが、手足を切り取られずに済んで良かったよ。
壊理ちゃんの個性はあるが、彼女の個性は溜めている最中だ。あとひと月でどれほど溜まるのか。それに決戦後にどれだけの負傷者が出るかわからない状況だ。安易に彼女の個性に頼ることはできない。
「うん……。そうだね……。うん……」
溢れる涙を拭いながら、オールマイトは緑谷と会話している。まさか独り言ではあるまいなと、病室の椅子へと腰かけた。贅沢な時間の使い方だが、それだけの価値があると信じることにしたからだ。
彼らの小さな会話を聞きながらのんびり待っていると、ようやくオールマイトから呼ばれる。
「策束少年だよ」
「さく、たば、くん」
オールマイトはベッドのリクライニングを使って緑谷の上半身を無理やりに起こした。一センチ稼働するごとに、緑谷の表情は痛々しく歪む。
「無理させなくても……」
「だい、じょ、ぶ」
「説明は、私から行おう。緑谷少年が話したいことがあれば、教えてくれ。策束少年も、質問があればいつでも」
オールマイトは、訥々と、無感情に、話を切り出した。
「私は──無個性だった」
そんな、衝撃的な話を切り出した。
「《ワン・フォー・オール》──それは力をストックする個性と、個性を譲渡する個性。その二つの個性の総称だ。
「その誕生は大昔。
「オール・フォー・ワンが一人の無個性の青年に個性を与えた。その個性が一つ目の力をストックする個性。
「しかし、その無個性の青年には個性があった。その個性こそ、個性を譲渡する個性。
「それが、初代と呼んでいる人物だ。
「二代目、三代目と《ワン・フォー・オール》は引き継がれてきた。聖火のように、継承され続けてきた。
「私が八代目。そして──緑谷少年が九代目だ。
「私たちの出会いは、もう二年前になる。
「中学三年生だった緑谷少年と出会ったのは偶然だった。本当にたまたま、彼と出会った。少年は無個性であることを苦悩していて、しかし、心はまさに、ヒーローだった。
「無力さを投げ捨て、友のために、救いを求める人のために走り出していた。私より早くだ。あの場でだれよりも情けなかったのは、無個性だった少年ではなく、彼に背中を押されていなければ動けなかった私だった。
「悔しかった。それと同時に、少年ならば──そう思った。
「私の雄英赴任はその当時から動き出していた。年齢や肉体。それにオール・フォー・ワンの殺害で、どちらにしても後継は必要だった。むしろ遅すぎたくらいだった。
「出会って十か月。緑谷少年は私の試練を乗り越えて《ワン・フォー・オール》を勝ち取り、雄英の入学も果たした。
「──唯一の誤算が……策束少年、キミだった。
「無個性で、だれに助けられることなく、それどころかみんなを助けて雄英に入学を果たしたキミの姿は、緑谷少年にとってもう一つの未来の可能性そのものだった。
「緑谷少年はいままで爆豪少年と、そしてキミに、《ワン・フォー・オール》の譲渡を考えていた。それを止めたのは、私だ。
「渡せる個性が一つしかないのだと、策束少年の肉体では《ワン・フォー・オール》は受け止められないと、私が言いくるめた。
「だが、神野区で泣くキミの姿を見て、私は揺らいだ。
「相応しいのは、策束少年だったのではないかと。
「──緑谷少年。彼の個性の話は、聞いたかい?
「策束少年の個性は、《複製》。その個性は、オール・フォー・ワンに奪われている可能性がある。黙っていて、すまなかった。
「やつが生きていた時点で、緑谷少年の決心を、成長を揺るがせるわけにはいかなかった。
「そんな言い訳で緑谷少年を選んだ。私が、決断した。
「恨んでくれてもいい。なにを言ってくれても受け入れる。この身体に戻れる切っ掛けを与えてくれたキミを、私が切り捨てた。
「……そして、もう《ワン・フォー・オール》は、おそらく譲渡できない。試したんだ、この身体になって《ワン・フォー・オール》を戻せないかと。
「緑谷少年は快く同意してくれた。この二年の努力を、自身の成長を台無しにする大人のエゴに。
「結果は、無理だった。私は、無個性のままだった。
「理由はわからない。私にだけ拒絶反応が出てしまったのか、緑谷少年の中で、《ワン・フォー・オール》がさらに大きくなってしまったのか……。
「那歩島でナインというヴィランと戦ったときに、緑谷少年は爆豪少年に一度だけ譲渡している。もっとも、それは爆豪少年が拒絶したことで、無効化されているけれど。
「もしかしたら、譲渡は後継者一人につき一回までなんて制約があったのかもしれない。かと言って、この状況では実験などできるはずもない。
「緑谷少年には、世界を背負って戦ってもらうことになる。
「もう私たちは、引き返せないところまで来てしまったんだ」
オールマイトは最後に、ノートを一枚手渡してきた。
なんども捲られ、手垢で汚れた、オールマイト直筆の『緑谷少年ノート』だ。そこには、オールマイトの考察を含めた《ワン・フォー・オール》歴代後継者の詳細が書かれていた。
「……ヤツもずいぶんと業が深い」
オール・フォー・ワンとの因縁の歴史だな。初代の弟はまだしも、二代目は──。
「さく、たば、くん」
緑谷に呼ばれ、ノートから顔を上げる。
「声に出さなくても。タブレットなら視線誘導で」
「ごめん……、ず、と……だまって、て、ごめ、ん」
「気にする必要はありませんよ」
ああ、まったく必要ない心配だ。
「オールマイトが自身の個性を、餌を求めて鳴くヒナに与えるなんて思いません。オールマイトが言う通り、あなたは《ワン・フォー・オール》を勝ち取った。私はそれを幸運だなんて思いません。これは父の教えですけど、我々投資家は幸運で勝負したりしないんですよ」
オールマイトは緑谷に投資した。そして緑谷はそれに応え続け信頼を勝ち取った。
「もしかして、そんなことを気にされていたんですか? まったく……」
場を和やかにさせようと、わざとカラカラと笑った。
「オールマイトは日本が海外からどのような評価を下されたかもっと気になさってください。オール・フォー・ワンを逮捕したとしても、元の生活に戻れない人は多いんですよ。時間もない。しっかりしてください。あなたが無個性であったとしても、あなたにナンバーワンを見出す人は多くいる。迷わないでください。罪悪感など不要です。緑谷も、なにも恥じる必要はありません」
「ごめん……ほんとうに、僕は……」
涙がシーツに落ちていく。その落ちた視線に入るように、ノートを差し出した。緑谷の震える両手が、そのノートを手に取った。
ギプスを巻いた手ではノートを引き寄せることもできずに、それでも表紙がよれるくらい力を籠めている。
「みんな、にも、つたえ、たい!」
【みんな】がなにを指すのか。
それがわからないほど、オールマイトは耄碌していないだろう。
「伝えよう……みんなにも……」
「……いいんです、か」
「エンデヴァーたちには伝えたんだ。《ワン・フォー・オール》はみんなが知るべきものとなるはずさ。もう隠し事は、やめよう……。策束少年も、良いかい?」
肩をすくめて明言は避けておく。
内通者がいたとしても、死柄木に、そしてオール・フォー・ワンにはオールマイトの個性も、その譲渡先も把握されてしまっている。わざわざ止める必要はない。
「では、私はリカバリーガールに《治癒》の依頼を。さすがにその手で手紙は無茶でしょう。そのあとはエンデヴァーたちと《ワン・フォー・オール》へのすり合わせをしておきます」
「──策束少年」
「どうしましたか?」
「キミは……いや──なんでも、ない。すぐに私も向かうから」
ずいぶんと歯切れの悪いオールマイトに見送られ、エンデヴァーたちと明日の謝罪会見のすり合わせへと向かう。
とはいえ、エンデヴァーたちは《ワン・フォー・オール》については、公言しないこととしてまとめていた。
それは、緑谷を守るための時間稼ぎだ。
群訝山荘はじめ、超常解放戦線の地方基地へと突入したメンバーは知らぬことだが、蛇腔市ではエンデヴァーが全域通信で死柄木と交戦をする際に、その単語を発している。
そしてヒーローの離脱者の多くは、蛇腔市で心が折れた者だ。
マスコミに《ワン・フォー・オール》という単語が漏れたのも、辞めていったヒーローなのではないかと予想している。オール・フォー・ワンがマスコミにかく乱情報として流し続けている可能性もあるが、情報として広まりが不自然すぎる。個々からの情報と考えるほうが自然だよな。
「ごめん、おまたせ」
「すぐに、というわりには」
くつくつと笑うと、オールマイトもつられて笑った。すでに一時間が経過している。深夜二時……。気づけば、焦凍が壁にもたれかかりながら眠りそうになっていた。さすがにベッドが恋しいよな。
「手紙を、その書いていて」
「緑谷がでしょう? 彼の母親には?」
「ああ、リカバリーガールが明日のほうが良くなっているだろうからって。朝一に来てもらうことになっている」
息抜きがてら休憩を提案すると、ホークスが首を振った。
『フェイカー。キミ、自分の顔色は見たかい? 一度寝てくれ。ね、エンデヴァーさん』
「明日の謝罪は我々だけで行う。お前が泥をかぶる必要はない」
「かぶったのは卵でしたよ」
自虐のように言うと、みんな苦笑いだ。ベストジーニストから握手を求められ、それに応える。
「ここ数日のことは、本当に感謝している。だが、今日はショートとともに帰りたまえ。明日の行く末を、見守っていてほしい」
「その団結力で、今後もよろしくお願いしますよ?」
『もちろん。命に代えても』
「ならやめてください。あなた方がこれ以上入院したら日本の半分の投資家が無一文です」
和やかになった空気のまま、焦凍を連れて部屋を出た。彼は明日も検査入院だ。リカバリーガールの追加の《治癒》も必要かもしれない。
歩きながら長い息を吐いていると、オールマイトに呼び止められる。
「策束少年、頼みがあるんだけど」
「どうかしましたか?」
焦凍は胡乱な視線をオールマイトに向けている。
オールマイトはきょろきょろと周囲を見渡しながら、服の内側からノートを一冊取り出した。さきほど緑谷へと返却した、あのノートだ。
「この手紙をA組のみんなに届けたくてね。一緒に乗っけてってくれない?」
「ハア……オールマイトは戻って謝罪会見の内容を確認してください。あなたは出さないと言っても、内容は把握していてもらわないと困ります」
「わかってるけど……これは、謝罪会見の前に届けないと」
もう一度ため息を吐いて、オールマイトの手からノートを奪い取る。
「私が届けますので、ご安心ください」
「え、でも」
「まさか私や緑谷に気を遣って、日本の現状をおざなりになどしないですよね?」
ノートを胸に抱きながら、片手でエンデヴァーの病室を指す。
無言の圧に屈して、彼は低い腰のまま何度も頭を下げて病室へと戻っていった。
「まったく」
歩きながら、手紙というものを確認する。ノートは後ろの白紙の部分が何枚も切り取られ、手紙代わりにされていた。十七枚か、『轟くん』の分もある。無いのは、おそらく『かっちゃん』と『策束くん』の分だろう。
「……手紙って、なんのことだ?」
声に力はなく、もういまにも眠りそうだ。焦凍の手紙を小さく折りたたみ、彼のポケットへ差し込んだ。
「配達完了。明日の朝、そちらをご覧ください」
「なんだよ気持ちわりぃ」
あまりにも口が悪い焦凍はあくびを噛み殺しながら、それでもそれ以上手紙に注意は払わなかった。
配達ついでに彼を病室にまで送ると、母親、姉、兄が部屋で寝ていた。空いているベッドににやにやと視線を送ると、彼は恥ずかしそうに頬を掻く。
「明日には俺も緑谷も退院だって話だから、そのあとみんなで話そうぜ」
「そうですね。ここ数日で説明しなきゃいけないことも増えていっていますし」
「気持ち悪い」
「失礼ですよさっきから」
「……悪い」
最後のは、謝罪だよな。
疑念を解消することはできなかったが、表情を柔らかくして病室に入っていく焦凍を見送った。
病院の外、雄英の正門前にたむろするマスコミをやり過ごし、寮へと戻ってくる。
さすがに夜間警備は立てていないようで、足音を立てぬよう寮をすべて回る。耳郎の部屋には要注意だな。彼女に気取られてしまったら、とても耐え切れない。
一部屋一部屋、名前を確認しながら床とドアの隙間に手紙を差し込んでいく。
その手紙の内容は直筆であるものの、内容は全部似通っていた。
一つ目は、手紙を書き残す理由。
二つ目は、自身の個性がオールマイトから授かったというもの。
三つ目は、雄英を去るつもりであること。
四つ目は、謝罪だった。
病院で盗み見た焦凍の手紙と差異はない。
自室のリビングを開けると、予想外にもそこには誰もいなかった。切島や百などの義に熱いメンバーが帰りを待っていてもおかしくはなかったんだけどな。それか両親に会いに行っている可能性もあるか。すでに学生の親類は在学生や卒業生に関わらず優先的に受け入れているはずだし。
問題は──。
手紙はすべて渡せた。
残りは、ノートだけだ。
最初のページは《ワン・フォー・オール》の成り立ちだ。そして初代、二代目と、個性を中心に書かれている。これは、さきほど見たばかりだ。
何ページか空白が続き、そして、緑谷の震える文字を見つけた。なんだよ、裏表紙からスタートだなんて聞いてないって。
『策束くん』
そのような書き出しが、手紙のために切り取られたページを挟んで始まっていた。
『策束くんには、ずっと、ずっと言いたかった。
『僕がずるをしていること。借り物の力で一年間一緒にいたことを。オールマイトは自分が悪いと言っていたけど、僕には、キミに言い出す勇気がなかった。
『オールマイトから、歴代の継承者から、託された。
『歴代の所有者の夢を見たんだ。
『そこで誓った。僕は死柄木を救う。
『それとワンフォーオールの最後の秘密だけど、所有者の変更ができるかもしれない。いまは無理だけど、策束くんなら、ワンフォーオールに相応しいかもしれない。
『まだ全然わからないけど、歴代の中には四十歳で老衰で死んだ人もいる。ワンフォーオールに内包された個性が多すぎるんだ。
『だから平和になったらもう一度ちゃんと話したい。
『今度は、キミの言葉で。
『僕は策束くんにいっぱい救われてきた。だから、今度は──。
「あは」
たとえどんなことが書いてあったとしても、笑おうと決めていた。
声を出して笑おう。
笑顔を張り付けよう。
ヒーローは、ボクのヒーローは、みんな笑っているから。
「ははは」
なんだよ緑谷。お前はとっくの無個性なんかじゃあなかったんだな。
死柄木を、そしてボクを、救おうとしている。
彼はヒーローだ。
「あはははは」
おかしいな、おかしいな。
どこにも書いてない。無個性が可哀想だって、書いてない。
書いてないのに、なんでこんなにも、ボクは緑谷に【可哀想】って思われているんだ?
「ひひひ」
喉が引き攣る。指が震える。
おかしいな、おかしいな。
緑谷に同情された。なんで? こんなに笑っているのに、なんで、なんで助けようとしてくるの?
オールマイトには謝られた。なんで? ボクがわがままいうとおもったのかな。こんなにもがんばってるのに、ひーろーになりたいとおもっているのに、みどりやがずるいなんておもったことないのに。
「いひひひ」
わかっている。わかっているだろう?
人になるためにはやっぱり個性がないとダメなんだ。
無個性がヒーローになんて成れるわけないのに、勘違いをしていた。
「ひひひ、ぐふっ、ふふふふ」
可笑しいな、可笑しいな。
無駄な夢が。認められぬ努力が。無個性である現実が。
口を両手で塞いでも、笑いが溢れて止まらない。
「はははは! ははははは!」
可笑しいな、可笑しいな。
じわじわと死んでいく心が、とても無様だった。
◇ ◇ ◇ ◇
雄英寮の一室で、少年が笑い続けていた。
彼には夢があった。
それはヒーローだ。
でも無個性だからと諦めていた。諦めさせられていた。
だけど一人のヒーローに背中を押してもらえた。だから社会的に守られる立場を捨てて、守る側に成りたいと願った。
叶うわけがないと知っていても。
少年は笑い続けた。
涙が溢れても、呼吸が苦しくても、唇が裂けても、どれほどつらくても笑い続けた。
それがヒーローだと、みんなから教わったから。
だが、少年はガラスに反射する自身の姿を顧みなかった。
泣きながら、咽ながら、耐えながら、それでも笑い続けることがどういうことかを、気づくことはできなかった。
それが狂笑だと、だれも教えてくれなかったから。