【完結】無個性ヒーロー   作:南畑うり

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緑谷離脱編③

 

ダツゴク。

一般的にはタルタロスをはじめ、オール・フォー・ワンたちが刑務所を襲い、脱獄した者たちの総称だ。

ニア・ハイエンドが襲った刑務所のほぼすべてが、個性犯罪者を中心に収容している場所だった。そのため、いま無法を働く脱獄犯たちが総じてダツゴクと呼ばれているわけだが──。

 

それらとは一線を画すのが、タルタロスに収監されていた犯罪者たちだ。

トップスリーとラーカーズに課せられた任務の一つが、タルタロスのダツゴクたちの捕縛である。

だがタルタロス襲撃から十日余り現在、ヒーローたちはタルタロスの収容者リストすら手に入れていないありさまである。

公安が機能停止しているという面もあるが、タルタロス収容者は裁判の結果で収容されるわけではない。公的な資料に欠けがある。

 

そのため、囮となってオールマイトと過ごす緑谷には、トップヒーローたちが自ら捕えた、あるいは確実にタルタロスに収監されているヴィランたちの情報が提供されていた。

 

だから、緑谷は【襲撃】の際──一人のヴィランの名前が浮かんでいた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『──じゃあ、真堂先輩は目を覚ましたんだ』

「ええ、全治二か月。面の皮どころか筋肉も分厚かったようで良かったですね」

『あはは、アレを耐えたんだもんね。あの人もすごいヒーローになるよ』

「そうでしょうね。ところで、装備の件ですが」

『あ、うん。オールマイトから。これって普通の圧縮じゃないよね? メリッサさんのアイテムにそっくりなんだ。覚えてる? デヴィット・シールド博士の娘さんのメリッサさん。すごいよこれ』

「あー……そうでしょうね。コスチュームは?」

『結構もってるほう、かな?』

「ははは、いつもボロボロですからね」

 

受話器口から返ってきた笑い声を聞きながら、フェイカーは逡巡するように視線を伏せた。

 

「……雄英に戻れば、新しいコスチュームも用意、できますよ」

 

口元の笑みは絶やさず、しかし、どこか後悔するような口ぶりで告げる。

緑谷からの返答は──拒絶。はっきりと、「戻らない」と言葉にした。

フェイカーもそれ以上言及することはしない。

 

『じゃ、そろそろ行くよ』

「ええ、次の捜索地区からはエンデヴァーたちのフォローが遅くなります。オールマイトとの連携を密に……緑谷?……デク? 聞こえますか?」

 

フェイカーは慌てて携帯端末を耳元から話すと、すでに通話が切れていた。

その途中に中継車のスピーカーからラブラバの声が響いてくる。

 

『GPSが途切れたわ。【位置はここ】よ。【映像】では……女性? 心当たりは?』

「あります。玄野、行きましょう」

「デカい車はちょっと……」

「多少ぶつけても構いませんよ」

 

玄野の安全運転のもと、中継車は緑谷の足取りを追うことになった。

 

「エンデヴァー」

『フェイカーか! どうなっている!』

「把握済みですのでご安心を。データは送りました。おそらくはレディ──」

『刺客だ! 少年が狙われている!!』

 

フェイカーとエンデヴァーの回線に無理やりねじ込まれる形で、オールマイトの悲鳴のような声が聞こえてきた。おまけに、彼の会話の背後では爆発音が聞こえてきている。

 

『ベストジーニスト! いますぐ迎え!』

「乱波、起きてください。敵ですよ」

 

中継車通路で横になっていた乱波をフェイカーが足蹴にして起こす。宝生、窃野、多部の三人もいれば戦略の幅は増しただろうが、彼らは竹下の護衛で病院にいる。

 

「オールマイト、南西四キロ地点。市街地です。画像、位置情報送りました」

『ありがとう!』

「……玄野、もうすこし急げますか?」

「……雨も降ってるんだぞ」

「……そうですね」

 

フェイカーが現場に到着したのは、エンデヴァーたちより数分遅れだった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『緑色の少年──お前を連れて行く』

 

隣のビルの壁へと突き刺さった携帯端末を、呆然と見送った。

ビルの屋上で足を止めたのは単に経験の無さから来る油断なのだが、それはヴィランの計算の内だったのか。

緑谷の携帯端末を【撃ち抜いた】のは、二十センチの円錐状ななにか。《ワン・フォー・オール》で強化された視力には、それはダークブルーとピンクの繊維がエポキシパテのように練られた【弾丸】であるとはっきり見えていた。

 

その弾丸から女性の声が流れてきた。

 

『大人しく従えば、手足は残してやる』

 

緑谷は腰を落としてなにかが射出されたであろう方向を睨みつける。見上げるは、点在する高層ビルたち。

そのどこかからの狙撃だと確信し、緑谷は一人のヴィランの名前を思い出していた。

 

緑谷自身は会ったことはないが、ホークスの話、そして雄英高校の教員スナイプの古いインタビュー映像から、一人のヒーローの名前が浮かんでいた。

 

──元公安直属ヒーロー『レディ・ナガン』。個性《ライフル》。

 

緑谷は真っ先に身を隠すことを選択した。

彼女の個性の有効射程は三キロメートル。緑谷が立つ位置は襲撃者が本当にレディ・ナガンであるのなら射程範囲内だ。

 

緑谷は足元と携帯端末へ《黒鞭》を伸ばすと、最小限の動作で屋上から飛び降りた。

携帯端末を回収すると、《黒鞭》をワイヤーアクションのようにすぐに隣のビルの間へと入り込んだ。一車線道路であるため余裕をもって動けるが、ナガンの位置からでは狙えないと判断した──のに。

 

緑谷は《黒鞭》を解除して《ワン・フォー・オール》への出力へ切り替えた。

そして両手で銃弾を掴む。それ自体は人間離れした技量であり、高校入学時と比較すれば彼の戦闘能力は比較できないほど磨かれていると言っていい。

だがその緑谷をして、ナガンの技量は神業だった。

 

緑谷は空中で無防備を晒した。ビルの間から銃弾の威力に圧されに圧され、落下しながらビルの間から抜け出てしまう。

一撃目は緑谷の携帯端末を撃ち抜き、二撃目は百八十度を超える神業のような曲射。

そして三撃目は、緑谷がビルの陰から出た瞬間に直撃した。

 

「──二発も防がれたのは初めてだ」

 

感動も焦りもなく、つまらなそうにナガンはつぶやいた。

硬い装備に防がれたが、技量を察するに目標の少年はまだ育ち切っていない。撃たれた衝撃を上手く逃がして、ビルの壁を蹴って近づいてくる勇敢さは認めるが……それではだめだ。

 

右腕の変形した《ライフル》を戻すと、雨が当たって水蒸気が舞う。

彼女は移動のため、壁に寄りかからせておいた寝言をつぶやく青年を引っ張り上げる。

 

「……オヤジ……オヤジの元へ……早く……」

「はいはい、これ終わったらな。隠れてろ標的来っから」

 

肩に担ぎながら、口元を歪め吐き捨てるようにナガンもつぶやいた。

 

「……やっぱ捨てとくべきだったかなぁ」

 

その男は、タルタロスで出会ったダツゴクの一人だ。オール・フォー・ワンが言うには、ヤクザの若頭。なぜヤクザなどがタルタロスに入れられたのか、個性の発動は両腕が必要なのかなど、疑問は尽きぬが現状のこの男が世間の脅威となるかと言えば、否だ。

だからこそ、一人で着替えも食事もできない男をタルタロスに放置して良いのかと、連れ出してしまった。

開けられない監獄に体当たりをし続けている者に対しての罪悪感も、すこしはあった。

 

脱獄直後、ナガンと数人のヴィランたちはオール・フォー・ワンにスカウトされて個性を与えられた。

断り切れず、一時は敵対していたヴィランとナガンは契約を交わす。それがオール・フォー・ワンから与えられた個性《エアウォーク》だ。

 

男を抱えてナガンは隣のビルへと飛び移る。便利な個性だと思う反面、裏切りの代償を強く感じさせるものだった。

そして、これが自分に相応しい個性なのかと鼻で笑ってしまう。

 

「任務を遂行する」

 

屋上の手すりへ足をかけその勢いのまま空を駆けた。

空からは、あまりにも良く見えた。

ビルの隙間を縫うように、さきほどまでいたビルへ蛇行しながら突き進むぼろぼろの少年。

 

(本当、光に向かって進む虫みたいだね、【あんたら】は──)

 

右手を《ライフル》へ変えながら左手で髪をむしり千切り、氷柱のような円柱状のライフル弾を右手の平の穴へと【二発】装填する。

 

一発目は曲射用の陽動。そして二発目が、本線の貫通力を増した銃弾。

どれほど硬い装備であろうとも貫く。

リロードに、躊躇はなかった。

 

ただ一度だけ目を瞑り、そしてヴィランとして銃撃を始めた。

 

緑谷は勘の良さなどでは説明がつかない動きで、空中で身を反転させながら迫る銃弾を足で蹴り上げる。

その瞬間、腹部に走る鋭い痛み。ほぼ真上から撃たれたらしく、銃声とほぼ同時の着弾だった。

 

「うぐっ!?」

 

撃たれた緑谷は《浮遊》もできぬほどに力が抜け、落下していく。

見定めた地点より遥か後方からの射撃。そして追撃は真上から。

 

可能性はいくつかあった。

デトネラット社のヒーローアイテム。ダツゴクの個性によるサポート。

そして緑谷が確信しているのは、オール・フォー・ワンから個性を与えられたこと。

 

『策束少年の個性は、《複製》。その個性は、オール・フォー・ワンに奪われている可能性がある』

 

《ワン・フォー・オール》の視力強化で、微笑を浮かべ移動するナガンを見る。

 

痛みではなく、怒りのあまりに緑谷は歯を食いしばっていた。

やつは、オール・フォー・ワンは、どことも知れぬヴィランに、友だちの個性を与えた可能性もある。

 

(《黒鞭》!!)

 

落下しながらも、緑谷はビルに《黒鞭》を付着させて衝撃を殺して着地。そしてビルを遮蔽物に使いながら、直線で走ることを選択した。

追いかけっことしては分が悪いが、それでも距離が空けば不利になる。そのような浅い考えもあったが、むしろ怒りに取りつかれていた。

 

ナガンは、途端に攻撃的になった子どもの姿を見ながら、さらにリロードを重ねる。

 

「馬鹿だね、いちいち感情込めてたら、すぐに壊れちまうよ」

 

彼女が装填した弾は殺傷能力の高いスラッグ弾が一発。そして散弾実包が一発。

どうやって緑谷が空まで上がってくるかは不明だが、ビルも遮蔽物もない空中では、どこかで必ず直線で動くことになる。

 

(せめて頭と胴体には当てないようにして──っ!?)

 

雨が降っているし、慣れぬ個性だ。おまけに数年ぶりの実戦であり、違和感などいくらでもある。

それでも、命の駆け引きの勘だけは鈍ってはいなかった。

 

ナガンが《エアウォーク》を中断させると、彼女は重力に逆らうことなく落下しはじめた。彼女がせわしなく視線を周囲に向ける。それは近づく地面に向けてではなく、さきほどまで自分がいた空間だ。

 

風切り音とともに、一本の【矢】が通過した。

 

「時代錯誤も甚だしいね!」

 

余裕を見せるために笑いながら、装填したばかりのスラッグ弾を放って《エアウォーク》の距離を稼ぐ。矢は明らかに個性の影響下にあるようで、大きくうねってもう一度狙いをナガンへと向けていた。

 

その矢は散弾に撃ち抜かれて空に散っていったが、一撃の様子見などとは思わない。

 

(自動追尾……。ターゲットはなにもしていない。エンデヴァーやベストジーニストの個性とは違う。雨で分断できたと思ったけど、ほかに護衛がいたとはね)

 

しかし、矢の追撃はない。

一撃に重きを置いた個性なのかと警戒していると、ビルのガラスが砕け、破片とともに緑谷が飛び出した。

そのまま空中で組みついたものの、ナガンは一切慌てることなく体術で緑谷を捌いた。

上下左右すらわからぬような状況でもなお、彼女の《ライフル》が緑谷の鳩尾を抉るように変形する。流れるような動作で装填し──。

 

「公安に一通り仕込まれてる」

 

零距離での射撃にもかかわらず、緑谷には空中を【蹴って】脱出された。

落下し、嘔吐きながら、緑谷はナガンに問う。

 

「なんでオール・フォー・ワンに付くんですか!? あいつは全部支配しようとしている! なんで! あなたはヒーローだったはずなのに──!」

 

ビルの間に、緑谷の声が反響する。

 

「造られた正義しか見えてない。そんな色に染まった人間には理解できねぇさ」

 

個性によって強化された聴力によって、闇に消えるナガンの声が聞こえてきた。怒気を感じさせるその声色には、しかし、静けさもある。諦めや達観に近いと思った。

 

ビルの間に身を潜めたナガンは、曲射用の弾丸を一発、ターゲットへと放つ。

組みつかれて理解したが、パワー勝負でナガンが緑谷に勝利することはない。距離が必要だった。

 

(ハッ……予定通りとは言え、こうなんども防がれると自信が無くなっちまうね)

 

緑谷は、キャッチした弾丸からナガンの声が聞こえてきて動きを止める。遮蔽物に隠れ、交渉に徹しようとした。

ナガンにとってもこの時間は貴重である。矢を射た個性持ちへの警戒だ。見れば連携は一切行われていない。先んじて撃てれば銃弾が矢に負ける理由はなかった。

それに緑谷を確保すれば、間違いなく追尾する矢で狙われる。さすがに《エアウォーク》でも人ひとりを抱えてあの矢を防ぐのは困難だろう。

 

「疲れちまったのさ。

「──たくさん殺した。ハリボテの社会を維持するために……。

「ヒーローへのテロを謀計していたとあるグループ。ヴィラン組織と癒着し名声と金を得ていたヒーローチーム。

「社会の基盤を揺るがしかねない人間たちはみんな、法に裁かれることなく罪ごと消えた。

「すべて公安の秘匿命令だッ」

 

時間を稼ぐ無駄話だ。動揺の必要などない。

歯を食いしばっても零れる吐息をそのままに、ナガンは空中を歩きながら弓矢の個性持ちの居場所を探す。

 

「ッ……かつて……自警団、ヴィジランテが英雄視され、ヒーローとしての信頼を獲得し、国が彼らの活動を保障した。

「とどのつまり、超人社会の土台はヒーローへの信頼……。

「それを維持する歯車が私だった。

「表の顔と裏の顔。どちらも欠ければ立ち行かねぇから、従った。

「従って、従って──その脆さに目眩がした。

「ハリボテの脆さに耐えきれず、はは、それなのに歯車はもっと脆かった。

「強かったのはあの人だけさ。私が殺した、公安の会長さんだけだった」

 

弾丸と同期させているインカムから、緑谷の驚愕に満ちた声が聞こえてきた。

緑谷はナガンの逮捕された経緯を知っているようで、自身の罪状、ヒーローの殺害を訴えられ、彼女は鼻で笑う。

笑えて、いただろうか。

 

「そうさ。公安はそこでもハリボテを守った。中枢の揉めごと──造反など見せられやしないのさ。

「知らなかっただろう? だれもが空想し憧れた超人社会は、薄く脆い虚像……。

「そんなもの取り戻してどうなる?

「繰り返すだけだ。キラキラ輝く星だけを見せられ、まただれかが真実に蝕まれる。

「オール・フォー・ワンの支配する世界のほうがっ、まだいくらか澄んでるだろうぜ!」

 

装填は終了。時間を掛けすぎた。

連射で仕留める。まずは装備の剥げた左腕をもらう。

 

「チッ」

 

二射目の矢を躱し、ナガンは空を駆けた。

さすがに音からでは射手の居場所は判断できないが、追尾矢とは言ってもその速度は銃弾に比べれば遅く、軌道もいくぶんかわかりやすい。おそらくはオート。ならできるだけ引き付け、矢ごと緑谷を撃ち抜く。それで終わりだ。

 

「避けるのが得意なら、くるくる回りな。歯車ヒーロー」

 

嘲笑交じりの発砲。

一秒にも満たぬ速度で銃弾は迫りくる矢を撃ち抜いて緑谷へ向かう。

 

緑谷の直線的な動きも、銃弾の軌道もナガンの想定の範囲内。

だから、その異物──矢が砕かれると同時に、火花と破裂音をまき散らされて視覚と聴覚を奪われるなどとは思ってもみなかった。

 

怒りに身を任せていても緑谷はその隙を見逃さなかった。

火花に照らされたナガンに向けて《黒鞭》を放つも、彼女の背後のビルへと付着する。百メートル以上の出力を捻出したのにも関わらず、直撃しなかった。

だが、失敗ではない。

 

(速い!)

 

緑谷は巻き取られるように空中を進んでいく。

おまけに彼は怒りを鎮めていた。まるで緑谷を守るように、何者かが暗躍しているのはその破裂音で理解できたからだ。

 

(冷静になりやがったか……。ならば──思考を増やしてやる)

 

緑谷に向けていた銃口が、突如明後日のほうへ向く。曲射用の弾丸であるための角度調整なのか。そう思ったが、すぐに否定された。

屋上で喚く一人の男が、銃口の先にいた。

無精ひげを生やし、清潔感もない浮浪者のような男だった。そして白いシャツはだらりと垂れて、両手の欠損が確認できる。

罠かもしれないとは脳裏に過っていても、無意識に、呼吸するかのように、男の元へ向かえるように体重移動はさせていた。

だが、あの男……見覚えが、ある。

 

「──治崎!?」

 

英雄症候群とは、治崎が緑谷を指摘した言葉だった。

ナガンの《ライフル》が肉襦袢でも纏うかのように肥大化していく。その醜い変化は、彼女にとっても苦肉の策。

口径漸減状態。

薬室から銃口にかけて口径を絞っていくことで、発射速度を超高効率で発揮させる特殊弾頭とその銃身。理論上、弾丸は絶大な初速と──ひいては貫徹力を得ることになる。

一発撃つだけで右腕が雨を蒸発させるほどの熱を溜めてしまう《ライフル》にとって、さらなる摩擦熱を発するこの状態変化はリスクが高い。

だが、彼女は緑谷をオール・フォー・ワンの元に連れて行くと決めたのだ。

だから、緑谷の心を折ることにした。

 

ナガンの本気を感じ取った緑谷は、ナガンへ迫るためにつなげていた《黒鞭》を解除する。そして、さらなる加速。加速に使用したのは、《ワン・フォー・オール》三代目の継承者の個性《発勁》だ。

その個性は一定の動きをし続けなければならないため、緑谷の想定では《煙幕》を発動してその中で【溜める】予定だった。だが、怒りに囚われていた間はそんなことなど忘れ、緑谷は【直線】を【走った】。

 

さきほどは《黒鞭》をナガンに放ったあと、地面を蹴るために使用した。

そしていま、空中でナガンが行った《エアウォーク》と《ライフル》の反動を使用した移動の模倣。

右手足に残る《発勁》は二発だが、緑谷はあとのことなど考えていなかった。

──イメージはただ一つ。

緑谷の世代なら、いや彼らの父も、もっと上の世代も、だれもが《象徴》として認めた日本のヒーローの姿。

 

ナガンが放った銃弾は二発。一発は向かってくる緑谷に。もう一発は治崎に向けて。身を守っても、治崎に向かっても、どちらも地獄だ。

 

(さあ、理想に殉じろ、ヒーロー)

 

緑谷の選ぶ答えに諦めを噛みしめながら、ナガンはそこで信じられないものを見る。

彼女の視線の先では、緑谷と治崎の【頭上】を銃弾が通り抜けた。

 

(──オール、マイト……)

 

治崎を救った少年に、ナガンへ向かってくる少年に、英雄を重ねた。

そのヒーローと空中で交差した瞬間、自身の右腕のへし折れる音と、遅れて痛みを知る。

集中力が途切れ──否、やる気を無くしてしまった。

折れ、血まみれの右手が、星でも掴むかのように空に伸びる。

 

『キミのその右腕で、社会をより良くしよう』

 

(嘘だろ……。こんな状況で、なんであんたが出てくるんだよ)

 

自嘲することも忘れ、そんな疑問に囚われた。

 

(いつからだっけ。綺麗事に吐き気を催すようになったのは。

(──あ……違う……。

(理想が、綺麗事に見えるほど、現実を見てきただけか。

(諦めることを、教え込まれてきただけだったんだ)

 

迷いなく、敵だと認識したうえで、まるでそうすることが当然かのように。

緑谷は落下するナガンの右手を掴んでいた。

 

「治崎に撃った弾! 軌道がズレてた! あなたが本当にオール・フォー・ワンに与したのなら、そもそも初撃で僕の腰を撃ち抜いて終わりだった!」

 

《浮遊》でナガンを支えながら緑谷は叫ぶ。

 

「闇を知っているあなたなら、これから示すべき方向もわかるはずだ。僕らと一緒に戦ってください!」

 

緑谷の右腕からの血が、ナガンへと滴ってくる。

彼女は、卑怯なことをした。

現実を突きつけようとした。

緑谷の心を折るために、彼に選択を迫った。自身を守るか、要救助者を助けるか。もちろん、どちらの選択でも、彼はヒーローではいられないと思った。

 

(お前は、私じゃないんだな……)

 

疲れたように、諦めるように、つられるように、ナガンは笑う。

でも一つだけ確信があった。

きっと彼は、自分のような絶望を味わうことがないと、安堵しながらナガンは笑う。

 

「緑谷出久……。お前は──」

 

オール・フォー・ワンの醜い笑い声を聞きながら──。

 

 

ホークスの眼前で大規模の爆発が起こり、一人が煙を上げながら落下していく。

ビルの屋上から飛び降り、ホークスはまだ未再生の《剛翼》を展開した。

 

自身の体重も支えられぬほど弱い《剛翼》では、空中で掴んだ人物の落下速度を緩めることしかできない。

それでも、叫ばずにはいられなかった。

 

「死んじゃだめです! 先輩!」

 

かつては遠距離攻撃を持つヒーローのトップに君臨し、オール・フォー・ワンの追跡部隊を率いた最高の実力者。

ヒーローを是正すべき存在の公安委員会によって、歪められたレディ・ナガン。

公安の言いなりになり、現在の日本の崩壊を招いたホークスからすれば、まさに先人である。

 

緑谷は《黒鞭》と《浮遊》で落下を抑えようとしたが、まだ疑似百パーセントの反動も、爆発のダメージも回復しきっておらず、落下は止められない。

 

「ホークス! 本人の意志とは思えないタイミングで爆発しました! ナガンはオール・フォー・ワンから個性を付与されてます! おそらくなにか仕掛けをされて──!」

 

ホークスは緑谷の言葉を聞きながら、ナガンを見下ろす。

黒く【焦げ】、割れていた。呼吸もしていない。

それでも、叫ばずにはいられなかった。

 

「俺はホークス! あなたの! 後釜だ! オール・フォー・ワンに唆されよってから! あなたのことは知っている! あの子と戦ったならわかったはずだ! 放り投げるには、まだ時期尚早だったって!! 知ってることを教えてください! 希望を次に繋いでください! 利用されて終わるな!! あなたはヒーロー! レディ・ナガンだろ!!」

 

落ちる。

ナガンは、その感覚を知っていた。

見上げることも慣れていた。

 

まだ子どもだったころ──理想を信じていたころ。

きらきらと輝く星が美しいと思っていたあのころ。

 

彼女の肺が、心臓が、無理やりに動き出す。

ひび割れた皮膚から血が溢れ、内臓を引き裂かれた痛みで意識が飛びそうになる。

 

「二か月、以内に、灰堀の、森林洋館へ、ターゲットを、連れてくること──」

 

ホークスは着地の瞬間に目いっぱい反動を消す。小石が当たれば死にそうな人が、希望を託してくれている。

地面に寝かされたナガンは、朦朧とする意識のまま、ホークスを見上げた。

 

「私のほかに、声をかけられていた人間が、数人……。後輩くん、私は、心が保たなかった。キミは、なんでそんな顔でいられる……?」

「──俺、楽観的なんス!」

「そう、かよ」

 

彼のように笑えていただろうか。

ああ、きらきらと、綺麗だなぁ。

 

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