フェイカーが緑谷の護衛役を回収しつつ、すこし遅れて合流する。オールマイトも遅れてきたが、彼の車の後部座席には、簀巻きにされたヴィランが二人乗せられていた。
「廻!!」
中継車からフェイカーが小間使いにしている男が飛び降りて、エンデヴァーに確保されている治崎へ駆け寄った。
エンデヴァーは警戒の色を濃くしながらも、次いで下車したフェイカーの面子を思って口を噤む。
「オバホじゃねーか! 喧嘩しようぜ!」
「両手がないでしょうに……」
フェイカーは状況を確認し合う治崎と玄野、ついでにエンデヴァーに喧嘩を売ろうとする乱波を尻目に、携帯端末で救急車の手配をしている。
「緑谷、こちらを」
「……ありがとう」
エンデヴァーよりも深くフェイカーを警戒するように、緑谷は新しい携帯端末を受け取った。
「フェイカー。灰堀森林になにがあるかわかるか?」
「灰堀? 詳しく教えてください」
ベストジーニストが個性で応急処置を行うは、ダツゴクの一人、レディ・ナガン。
緑谷の戦況をエンデヴァーたちに伝えたのはフェイカーであった。戦闘の映像をヒーローたちに送っていたドローンは、空中を飛び交い周囲を警戒する体制に移っている。
緑谷がフェイカーに語った内容は、ダツゴクの数名がオール・フォー・ワンの刺客として、緑谷を連れ去る任務を与えられているというものだった。
「二か月以内に……」
フェイカーは喉を鳴らすように呟いた。
二か月という数字には、全員心当たりがある。
オール・フォー・ワンによる死柄木の乗っ取り。その数字は医療的な側面と研究データの解析によって『二か月後が妥当』であると判断されている。
つまり、二か月後にオール・フォー・ワンが【二人】で日本を乗っ取るために動き出すということだ。
それだけはどうにかして回避しようと、緑谷を囮にしてでもオール・フォー・ワンの潜伏場所の特定に勤しんでいるわけだが──。
「場所、それらしき建物を特定しました。ラーカーズにも声掛けします。全員で行きましょう。戦闘指揮はオールマイトに」
「わかった。策束少年は?」
「私は、ナガンからもうすこし情報を引き出したい。聞けば、もしかしたらまだ【使える】かもしれません」
「……少年」
心配するような声色のオールマイトを無視し、フェイカーは治崎と話す緑谷と入れ替わるように、治崎と取引を始める。
「オヤジに会わせろ……」
「治崎、取引をしませんか?」
「壊理……壊理がいれば……」
「ああ、壊れているんでしたよね」
フェイカーは、エンデヴァーに首元を抑えられ膝をつく治崎の顔面に蹴りを入れた。
あまりの暴力性にエンデヴァーが目を剝きながら、背後では緑谷が緊張した面持ちで飛び出そうとする気持ちを抑えている。
エンデヴァーは治崎から手を放し、歯ぎしりしながらフェイカーを睨みつける玄野と向き合う。突然で驚いたが、エンデヴァーはフェイカーの体格の脚力を見抜いて、手加減していることは把握していた。
だが、やり方があまりにもヒーローとは言い難い。
唇を切ったのか、血を口から流す治崎の短髪を掴み、フェイカー自身は膝を折っていた。
「てめぇがぶち壊した寝たきり老人は、一生寝たきりだ。残念だったな。もう二度と目覚めねぇよ」
「オヤジ! オヤジに会わせてくれ! 壊理がいれば!」
「会わせてやるための取引だっつってんだろーが。お分かりぃ?」
泣き出しそうな治崎を見下ろす少年は、笑っていた。
下卑た笑みを張り付け、興奮しているのか小鼻が膨らんでいる。
エンデヴァーはそういう人間を何人も見てきた。
そしてそういった人間のほとんどは小物だ。普段から敬語で心の距離を保つ少年の違和感には気づいていたが、これでは、まるで──。
「おじいちゃんと会うのに、壊理ちゃんの個性を使わせるのに、どんな対価を許容できるのかな。楽しみだよ、治崎」
フェイカーが治崎から手を離すと、重力に従って彼の顔が地面に落ちる。フェイカーは怒りに耐える玄野を指で呼んで、治崎を中継車へと運ばせた。
「エンデヴァー、あのダツゴクは私が引き取ります。問題は?」
「問題は──」
エンデヴァーは言葉に詰まった。
問題は、ある。それはフェイカー自身だ。
なにを企んでいる? 治崎を治すのか? なにをさせるつもりだ? なにをするつもりだ?
「──ない」
疑問は絶えないが、エンデヴァーは唾とともにそれを飲み込んだ。
それは緑谷も同じことだった。
経緯を見守り、それでようやく彼も息を吐く。
遠くからサイレンが聞こえてきた。
◇ ◇ ◇ ◇
数日後、ホテルの大ホールに、緑谷以外のトップスリー・ラーカーズのメンバーが集合していた。
並んだテーブルには豪華な食事が用意されているものの、部屋は暗く、そして映像が流されていた。その映像の中では、劇中劇のようにもう一つの動画が再生されている。
一人の男が、笑いながら拍手をしているシーンだった。
その笑みは、悪意に満ちている。
『レディ・ナガンとの問答は楽しんでくれたかな。緑谷出久くん。
『これが起動したということはそういうことだ。予想するのが好きでね。
『キミのような人間なら、あの手の人種は見捨てられないだろう?
『僕は強制してないぜぇ? 彼女の意志だ。躓いちまった人間が、ヴィランと呼ばれるのさ。
『個性だなんだと個人主義を謳っても、結局管理社会。合わない子は排斥するだけ。例外はないよ。民主主義でも社会主義でも、根は同じだ。社会以前の問題、群生生物の原則だよ。
『キミの選んだ道は茨だぜ。
『戦うたびに心がすり減り、終わりは来ない。
『獄中でねぇ、ずぅっとキミのことを考えてた。
『僕の興味はあのウド──オールマイトにないよぉ。
『次は──キミだ』
映像が乱れ、次の瞬間にはラブラバのドアップが映っていた。
「映像は以上です。間一髪爆発からは逃れましたが、連合の痕跡は吹き飛びましたね」
部屋が明るくなると、フェイカーは口元を拭きながら食事をするように促すも、だれも、一歩も動けなかった。
強烈な悪意だ。その悪意が、緑谷を、《ワン・フォー・オール》を狙っている。その事実を再認識してしまっていた。
「みなさんお察しでしょうが、ナガンも、そしてこれから緑谷を襲う刺客にも、オール・フォー・ワンはなに一つ期待していません。たとえナガンが上手いこと緑谷を捕縛しても、【これ】ですからね。あとエンデヴァー、そんなに気になるのなら息子さんからの電話に出てください」
「う、うるさい! こっちにも考えがあるんだ!」
「……ナガンからさらに絞れんか」
エッジショットの質問に答えたのはホークスだった。
「無理っすね。セントラル病院の医者をして、なぜこれで死んでいないのかと言わしめるほどの重体です」
「失意と絶望に打ちひしがれた人間が、今際の際に足掻いているというわけか」
「オールマイト、エンデヴァー。そろそろ賭けに出るときじゃないか。一部の者だけじゃなく、すべての残存ヒーローと《ワン・フォー・オール》の秘密を共有し、包括的巨大捜査網を敷くべきだ。ナイトアイを殴り飛ばしてでも、《予知》の詳細を聞くべきだ」
二度目の質問に、新旧ナンバーワンが答えることはなかった。
代わりに、マウントレディがエッジショットの問いの補強に取り掛かる。おそらくラーカーズでは統一意見が定まっているのだろう。チームアップの長さの差だなと、フェイカーは鼻で笑った。
「レディ・ナガンの件で明らかになったのは、今後連合捜索の負荷がより緑谷くんに集中するということです。警察も眼前の取り締まりに手一杯……。目撃情報も依然ゼロ。頼みの綱が疲弊しきる前にサポート体制を──」
「一昨日、デステゴロが退職しただろ」
一見、無関係に思えるエンデヴァーの呟き。
「先の戦いでは超常解放戦線のスパイヒーローどもを率先し縛り上げた気骨のあるヒーローだったはずだ」
「明日、だれかの糸が切れても不思議じゃない。現にいまもコスチュームを脱ぐ者はあとを絶たない」
ベストジーニストも続き、ホークスはラーカーズの反応を見るために目を光らせている。
オールマイト、緑谷を含めたトップスリーは、ラーカーズの危惧もすでに話を終えたあとであるがゆえに。
「マスコミが段々とデクに近づいている。辞めたヒーローから情報が漏れだしているんだ。……秩序が失われ力が跋扈するこのいま、《ワン・フォー・オール》の実態が世に暴かれれば、あらゆる負の連鎖がデクに集約されてしまう」
「いくらでも悪い予想ができちゃいます。だって現実にすでに起きてる」
だからこその現状維持をトップスリーは支持した。
覚悟の様子見は、日本を滅ぼしかけない日和見は、この場のヒーローたちが決めたことだ。
「エッジショット。この決定は、私たちが表舞台から姿を消すことも視野に入れている。そうなれば、次はキミたちだ」
「会長……」
「オール・フォー・ワンを倒したとしても、この解れに解れた日本を復興させるには、相当な裁縫技術が必要になる。そして切れた糸は、ときには取り除くことも必要だ」
ベストジーニストは、ラーカーズとトップスリーの対立を示唆していた。それは悪意や正義の対立ではなく、責任の所在を押し付けるための対立である。そして、トップスリーはそのことに対して受け入れることの提案だった。
途端に緊張感が増した二人に、オールマイトがぎゅぅうと拳を握り締める。
本当なら、象徴がいれば、象徴のままなら、自身が引き受けられた責任だったはずだった。だが、いまはアイテムを使って木っ端なヴィランを逮捕する程度のことしかできない、ただの無個性だ。
「ちょっと思うんですけど、オール・フォー・ワンは公表しないのかしら。緑谷くんのこと。《ワン・フォー・オール》のこと。真っ先にやりそうだけど」
「しないでしょう。それじゃあ【楽しめない】」
マウントレディの疑問に、フェイカーは笑いながら答えた。
行儀悪く、携帯端末に視線を落としながら、食事を止めようとはしていない。話しながらも口に物を運ぶその仕草には、なぜか注意できない威圧的なものがあった。
「アイツはオールマイトのことも公表しなかった。水面下で物事を進めるのが好きだということもあるでしょうけど、一番効果的な場面でカードを切りたいという欲望が見え透いています」
「欲望?」
「そう。我がままに、なんでも自分の思った通りになる。ふふ、神さまになりたいんでしょうかね。それか、子どものままなのか……。一方、公表するということは、自身の認識外の出来事が起こるということです。緑谷に石が投げられるのが止められないとか、あるいは逆に、敵を増やしてしまうとか。ああ、あとはそれか──」
食べ物を摘まみながら、フェイカーは目を細めた。
「《ワン・フォー・オール》を、大切にしているのかもしれませんね」
反論はできなかった。
オールマイトですら、その答えは考えついていなかったからだ。
神野で、たしかにオール・フォー・ワンはオールマイトの正体を世間に晒したが、個性に対する言及はしなかった。
だが、有り得るのだろうか。弟のために個性を与え、裏切られ生まれた個性が《ワン・フォー・オール》だ。七年前には自身の顔を潰し、瀕死にまで追いやった個性だ。それを、大切にしている?
反論はできずとも、なにか言おうと口を開いたとき、フェイカーは自身の携帯端末をヒーローに見せつけて話を替えた。
「緑谷が第二の刺客と接触しました。ああご安心を! すでに、ははは、捕縛済みですね」
「──な……」
あまりのことに言葉が出ない。
このホテルでの滞在は、休養のためだった。数日などとは言わない、せめて一晩だけの休みを取ろうと、世間から睨まれながらの休息だとフェイカーが手配した。
トップスリー、ラーカーズの装備は一新された。ナガンと戦い、爆発に巻き込まれた緑谷の装備とコスチュームも、調整が必要だと言われたから、この場のヒーローたちは納得して受け入れた。
「なにを──なにを考えているフェイカー!!」
荒い足音を立てながらエンデヴァーは近づき、彼の胸倉を掴み上げる。椅子が絨毯に倒れ、フェイカーの身体は宙へと浮かんだ。
軽く咳き込むフェイカーだったが、オールマイトですら止める素振りはなかった。慌てて自身の携帯端末から緑谷へと連絡を取ろうとしている。
「オール・フォー・ワンならこのタイミングを狙うと判断しました。実際、はは、当たった」
「貴様──!」
「実際に狙って送ったかどうかは、事情聴取で判断するしかありませんけどね。もしそうなら、距離が割り出せる。我々がホテルに入ったのが十九時ですから、四時間で行ける範囲にいる可能性が高くなり──」
エンデヴァーは、フェイカーを投げつけるように放り出した。
絨毯の上で尻餅をつくフェイカーは、落とした携帯端末を拾いながらヒーローを見やる。
オールマイトは緑谷と通話しているのか、懸命に声を張り上げていた。
「ごはん! 食べてないだろ! 待って──待ってくれ! 少年!」
通話は、切れたようだった。
無言で携帯端末の画面を見るオールマイトの視線は、下がったままだ。その丸まった背中を、エンデヴァーが大きく叩く。
「いますぐデクの元へ行く! オールマイト! 準備しろ!」
「わかった!……策束少年。この作戦は、私も怒っているよ」
「それは失敬。どうやらみなさんは、囮にするって意味を理解していないようでしたので」
エンデヴァーが先導しヒーローたちを連れて出て行ったため、豪華な料理に囲まれた広間でフェイカーは一人残された。
「──ベロス、そちらの動きは?」
『矢を射る必要もなかった。銃使いとは比べ物にならないほど弱い相手だったわね。それにこの少年も、おそろしく強くなっている』
「そうですか……。ではそのまま警戒を」
『おいクミチョー! 俺の相手はどこにいるんだよ! このガキと遊んでいいのか!?』
『コイツうるさい』
『黙れ! 俺は英語がわからねぇ!』
「えぇと、では緑谷に代わってください」
電話口から野太い声と女性の声が遠のき、聞き慣れた少年の声が流れてくる。
「お疲れさまです。作戦成功おめでとうございます」
『うん。アイテムの補充もありがとう。それと、昨日のレディ・ナガンのときに助けてくれたのって、この人だったんだね』
「通報はやめていただけると嬉しいですね」
『ははは、うん、やめておくよ。乱波さん含めて』
「さん付けなんて必要ありませんよ。喧嘩始めたら放置してください」
『わかった』
すこしの間のあとに緑谷が通話を切ろうとしたが、フェイカーが口ごもりながら引き留めた。
「あの……明後日ですが、雄英に戻ります。なにか、伝言など──」
『ないよ。大丈夫』
「そうですか。えぇと、あと、ホテル。いまだれもいませんし、料理も大量に余ってまして。どうですか? ごはん、食べてないんでしょう?」
『──ありがとう』
「……では、お気をつけて」
通話を切ったのはフェイカーからだった。
悔しさに塗れたその表情には、余裕もないのか笑みすら張り付いていない。荒々しく携帯端末を机に叩きつけ、そのまま突っ伏した。
そして、まるで呪詛のようにぶつぶつとつぶやき始める。
「……失敗じゃんか。四時間以内の潜伏場所なんてヒーロー全員投入したって特定できない。個性も考えれば海外からだって来られる。それを理由に海外のヒーローには自国の警備を優先してもらうか。いま呼ぶのはリスクが高すぎる。だけどラーカーズの意見は悪くない。包括的捜査網を張るならこのホテルを中心にしたいがここはまだ生きている街だ、戦場にはできない。オールマイトの活躍が報道されない。みんなヒーローを叩くことに必死だ。オレがヒーローからのヘイト集めてどうするんだよ。民衆の攻撃を集めたい。どうすればいい。見た目がガキすぎる。エンデヴァー強面すぎんだよくそ。焦凍はイケメンだよなぁ。オールマイトみたいな筋肉どうやって手に入れるんだろ。耳郎に会いたい。でもこの前戻ったときなにも言われなかったんだよな。明後日こえー。絶対バレてるよな。伝言くらい残せよ。心配してくれって言ってるようなもんだろそれはよ。なんだよかまってちゃんかよ緑谷。余裕なさすぎなんだよ、オレかよ。しかたねーじゃん、オール・フォー・ワンは心を読むし、個性は何個入ってるのか想像もつかない。そんな相手にどうすりゃ勝てるんだよ。死柄木はどんな個性を付与されてる? 全部か? 個性因子は鮮度があると聞いたけど、身体に入れたらそれは腐るものなのか。あのクソダルマめ、クソマッドサイエンティストめ。人の顔見て笑いやがって。無個性だと思って馬鹿にしやがって。治崎が正気取り戻したら音本ってヴィランを採用。全部の情報吐き出させてやる。乱波の乱闘で前歯全部無いって話だけど、セントラル突っ込みゃあなんとかなるか。まずは相澤先生とミルコを呼び出す。デステゴロの引退は朗報だな。ヒーロー辞めたんなら一般人だ。無茶ができる。楽しくなってきた。ナイトアイの《予知》は【洩れてない】。大丈夫……なわけがないよな。くそ、どうすりゃあ良い……オレ一人じゃあ無理だよな……。情報が洩れすぎだ。どうやって緑谷を……。どのヒーローを頼れって──」
タイミングを見計らったかのような着信に、フェイカーは姿勢を正す。頬を両手の指で押し上げ、笑顔を張り付ける。
現状日本で最も有能な男──根津からだった。
「こちらフェイカー。どうかなさいましたか?」
『エンデヴァーと連絡が取りたいなと思っていたんだけどね。電話に出てくれなくてさ。なにか問題があったかい?』
「いえ、順調です。やはりオール・フォー・ワンの狙いは緑谷でしょう。その情報もお伝えしたくて、明後日には一度戻ります。エンデヴァーも、まあいまちょうど問題が起こったところですが、根津校長からの要望であれば指示を出せると思います」
『助かるよ。でも、彼のほうには私から連絡を入れるから大丈夫さ』
「──……はい。かしこまりました」
『ところで、策束くんは問題ないかな?』
「ええ特には。子どもですので多少信頼されない部分はありますが、この混乱を乗り切れれば問題なくなります」
『そっか……。じゃあ、キミとも話さないといけないようだね』
「話を? ええ、よろしくお願いします」
根津との会話を終わらせて、べつの人物へと通話を行う。
その瞬間だけは目元すら緩めて、湧き出るような笑顔を浮かべて。
「パーティーしましょう。ベロスも呼べるなら呼んでください。あ、多部は絶対に連れてきてくださいね」
受話器口の歓声を聞きながら、プロジェクターの映像を流し始める。
悪意の笑いを浮かべるオール・フォー・ワンを見ながら、彼は薄ら笑いを張り付けた。
◇ ◇ ◇ ◇
雄英高校のA組寮は、朝から緊張に包まれていた。
「業さん、紅茶は?」
「ええ、いただきます」
フェイカーの部屋は使わず、寮生全員が一階の食堂で待機していた。
A組のメンバーは、今日は見回りから外してもらっている。これは、B組を含めた学年問わずヒーロー科全体の総意の作戦だ。
「……そんな警戒しなくたって、暴れたりしませんよ」
コスチューム姿のフェイカーは、明るく笑いながら八百万の淹れた紅茶を受け取る。
「欲しい情報はなんでしょうか? ああ、《ワン・フォー・オール》のことなら、手紙以上に詳しくはありませんよ」
「──策束くん」
麗日の強い視線が、フェイカーを捉えている。彼女だけではない、多くのA組のヒーローたちが、彼の一挙手一投足を警戒するように睨みつけていた。
「ふふふ、麗らかじゃあないなぁ。どうしたって言うんです?」
「デクくんは、いまどこにいるの?」
「緑谷? さあ? でも、そうですね。予想で良いのならお答えしますよ」
紅茶を飲んで吐息を零したというのに、彼がこの環境で安らいでいるようには見えなかった。
「親父が電話に出ねー理由、教えてくれよ」
「ジーパンとヘラ鳥もだ。答えろ」
「あははは、トップヒーローが学生の電話をいちいち取ると思いますか? この日本の状況理解できてますぅ? 彼らはいまも必死に死柄木の居場所と特定するために働いています。応援してあげましょうよ」
肩を揺らしながら笑うフェイカーに、轟と爆豪を押し退けて近寄る一人の女子生徒。
三白眼を限界にまで吊り上げ、唇は歪むほどにきつく結んでいる耳郎響香だった。
フェイカーは一度視線を合わせたが、興味ないとばかりに紅茶に視線を落とした。
「あなた方が緑谷の居場所を知ってどうするんですか? 緑谷の個性はたしかに強力でしょうが、一つの個性でこの壊れた日本が戻ります? そんなことより警護に注力したほうが──」
「響香ちゃん!」
悲鳴のような蛙吹の叫び声。
フェイカーが気になって視線を上げると、そこには身体を反らせ、拳を背面にまで送る耳郎の姿があった。
彼女は目を丸くするフェイカーの顔面に向け、拳を振り下ろす。
ティーカップが割れる音と、どよめきが聞こえてきた。
フェイカーは、気づけば耳郎に馬乗りにされていた。
「薄っぺらい!! 話し方!! すんな!!」
胸倉を掴まれ、間髪入れずに三度殴られた。
ほかのクラスメイトが慌てて耳郎を掴んで、フェイカーから引きはがす。左手はフェイカーの胸倉を掴んだままだったため、彼は自分の頬を抑えて上体を起こしていた。
そして、耳郎の顔を初めてちゃんと見た。
頬を赤く染め、眉を落とし、涙を流す耳郎の姿。
「くだらない駆け引きなんてすんな! こっち見ろよ! 笑いなよ!! いつもみたいに!!」
耳郎を取り押さえているクラスメイトからも、フェイカーに対する非難の色は強い。それでも、叫ぶのは耳郎だけだった。
「くだらないことで笑ってよ! 安心させるために笑ってよ! そんなカッコ悪い笑い方しないでよ!」
繋がった左手だけが、彼女とフェイカーを繋ぎ止めていた。
「あんたは! ウチのヒーローなんだ!」
──それを、フェイカーはまるで埃のように強く払った。
揺らめくように立ち上がり、襟元を正しながら耳郎を見下ろす。
耳郎は、彼女の傍に控えたクラスメイトは、笑いながら、見下すフェイカーを呆然と見上げた。
「私は、すでにヒーローですよ。認知されつつあります。ああ、嬉しいですね、認められるというものは」
ヒーローの失墜は──。
その責任の所在は──。
「いま誰も彼もが絶望の只中にいます。期待も不安も、私が背負っています。希望は、私が繋ぎましょう」
耳郎は、フェイカーの顔がわからなかった。
笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか、喜んでいるのか。それとも無表情かすら認識することができなかった。
ただ、拒絶されたことだけは理解できていた。
「──最悪」
情けない。
不甲斐なさに塗れる耳郎のつぶやきは、笑い声にかき消された。
「くく……あっははは」
我慢しきれずに、フェイカーが吹き出したから。
さっきから笑っていたのに、いまこの瞬間だけが、クラスメイトの策束業を思い出させるような笑い方だった。
「ふふ、ははは──ハァ……上等」
不遜に、挑発的に、彼は笑った。
だが、それも一瞬。すぐに笑顔を張り付けてしまう。
「さあ、そろそろ校長室へ行きましょう。外出許可、下りるといいですね」
フェイカーは耳郎に向け手を差し出した。
その手に縋ることなく、クラスメイトの手を借りて耳郎は立ち上がった。
先陣切って校長室の扉を開いたのは轟と爆豪。
ノックすることのない様子に、フェイカーが顔をしかめている。
マナーの指摘をする人物ではないことを知っているため、その表情の変化を盗み見ていた麗日は、目的の半分がすでに達成されたことを確信していた。
校長室には一人の来客。大柄の男性であり、ここ数日でフェイカー共々テレビで見ない日はない人物。
ナンバーワンヒーロー、エンデヴァーだ。
「親父」
轟が鋭い口調を発すると、エンデヴァーは冷や汗を垂らしながら、自身を呼び出した根津に向けて責めるように言葉を向ける。
「校長……嵌めましたね……」
「彼らの話を聞いて、【対話】の余地があると判断した。私は常にアップデートするのさ」
「なんで俺のことスルーした。燈矢兄を一緒に止めようって言ったよな」
言葉に詰まった父親に向け、轟がエンデヴァーに呼びかける。
「焦凍……。その気持ちだけで救われているんだ」
「俺は救われねぇよ! 緑谷だけは例外か! エンデヴァー、デクとオールマイトを二人にしてるだろ!」
エンデヴァーは答えられず、壁際に立つフェイカーへと視線を向けた。
実際、すでにデクは独りでの行動を開始してしまっている。オールマイトですら拒み、囮という役割すら逸脱し、緑谷は暴走してしまっている。それが善意であり、フェイカーがそれを利用しているとわかっていても、エンデヴァーには止めることができなかった。
それが、正解だと思ってしまったからだ。
それに賛同する者は、A組にもいる。
「やっぱな……。ああ、正しいと思うぜ……。概ね正しい選択だよ」
轟を押し退けエンデヴァーの前に立つ爆豪は、責めるでも吠えるでもなく、ヒーローを見据えていた。
対話を、行おうとしていた。
「デクのこと、わかってねーんだ……。デクは、イカれてんだよ、頭。自分を勘定に入れねぇ。大丈夫だって。オールマイトも、そうやって平和の象徴になったから! いまのデクを止められねぇ。エンデヴァー! 二人にしちゃいけないやつらなんだよ!」
言いたいことは理解できる。エンデヴァーは、オールマイトの背中をだれよりも長く見続けてきた男なのだ。あの男の隣に立ちたいと、日本でだれよりも願った男なのだ。
いまの爆豪のように──。
エンデヴァーは、無意識にトップヒーローに配られた秘匿回線端末に触れていた。
「──それ、GPSのヤツっスか」
エンデヴァーの視線がフェイカーを捉える。
小さな【ため息】が聞こえた気がした。
気を取られた隙を突いたのか、A組でも緑谷に次ぐ機動力を持つ瀬呂がエンデヴァーから端末を奪う。彼だけではない。峰田も、葉隠も、口田も、芦戸も──フェイカー以外全員が駆け出していた。
「こ、これ! 借りて良いスか! あの、俺! 緑谷とは、たまたま同じクラスになっただけっスけど!」
背後では、瀬呂の言葉を皮切りに多数決を武器のように振るいだす子どもたち。エンデヴァーは、終ぞ彼らの顔を見ることはできなかった。
「《ワン・フォー・オール》の悩みを打ち明けてくんなかったのも、あんな手紙で納得すると思われてんのもショックだけど」
「我々A組は、彼について行き、彼と行動します。《ワン・フォー・オール》がどれだけ大きな責任を伴っていようとも、緑谷くんは俺たちの友だちです。友人が茨の道を歩んでいると知りながら、明日を笑うことなどできません」
視線が合わぬようにと、エンデヴァーは力無く常識を振りかざす。
「外は危険だ。秩序がない。お前たちまで──」
「大人になったね、【轟】くん」
エンデヴァーは、黙していた根津へと視線を向けた。
不思議と、根津も視線を下げていた。
「私はヴィランの目的である彼が、雄英に戻りたがらないことを是として、チームアップを許可した。──でも良いのさ、戻ってきても。合格通知を出した以上は、私たちが守る大切な生徒さ」
根津のつぶらな瞳が、フェイカーを見る。
それを遮るように、エンデヴァーが根津の視線を遮るように前に出た。
「しかしデクを戻せば! ここにいる避難者の安全が! それに、彼らのなかにはまだ、我々を敵視している者も──」
「なにも敷地面積だけで、指定避難所を受け入れたわけじゃない。彼らには、私からなんとか伝えよう。文化祭開催に伴い強化したが、結局出番の無かった雄英バリア──その真価とともにね。いいんだよ、オールマイトだってこの学校で育った。キミたちの手で、連れ戻してあげて」
そこから、飯田の質問を皮切りに雄英バリアについての説明を、より詳しく受けることになる。
だが、根津は生徒たちにとって、そんなことよりも、もっとも大切なことを、この場で教えようとしていた──。