ある日エンデヴァーが、ぽつりとホークスへ零した言葉がある。
「オール・フォー・ワンが死柄木のように、人格を植え付けている人物がいると思うか?」
「あんまり想像したくない光景ですね。なんでまた?」
「──フェイカーだ」
「いや、まあ過去に接触があったのは本人が認めているところでしょーけど」
オールマイトも、そして緑谷も、その言葉を聞いていた。
「だとしたら、こうやって我々の手伝いをしてくれているのは?」
「アイツはすでに首相とすら面会している。国の中枢にアクセスできる立ち位置にいる。正体不明のやつの子飼いの連中。危険だ」
「……だとしても、策束くんは違います」
支給されたばかりの新装備を腕に仕込み、緑谷は否定した。
「フォースの反応はありません。怖いくらいに」
「フォースは、《危機感知》だったか」
「この個性は非常に強力です。《ワン・フォー・オール》の強化を経てしまったいま、あなた方にも反応してしまう……。使いこなすには時間がかかりそうですけど、いまは、それが策束くんの証明になるはずです」
数日後、緑谷は、フェイカーが治崎に暴力を振るう場面を目撃した。
しかし、そのときすら彼に《危機感知》の反応は一切見られなかった。
演技であることは間違いなく、しかし、その意図が読み切れない。
だからだれにも話せずにいた。そのためエンデヴァーがフェイカーに抱える疑念は解消されていない。
そしてオールマイトですら、緑谷を囮にした作戦を実行したフェイカーに強い怒りを覚えた。
その【勘違い】は今日この日まで、続くことになった。
◇ ◇ ◇ ◇
オールマイトの呟きに大口を開けて笑うフェイカーは、悪意を滲ませているように見える。
なぜ──わかりきっていたことだった。
ただ、考えないようにしていただけだ。
「優しいヒーロー……。そう、なんだろう?」
「──なんのことでしょうか。あ、飲食オッケーでしたか? お腹すいちゃって」
「【さっき】。……緑谷少年の【背中】を、キミは押した」
オールマイトはゲート内部に控えていた。
緑谷に拒絶され、A組に緑谷を託してしまった者として、彼の母親との約束を破ってしまった贖罪として、オールマイトは一切口を出すことはなかった。
もしあの場でオールマイトが緑谷を庇えば、民衆の多くは納得するだろう。だがそれでは、緑谷を受け入れさせる場ではなく、オールマイトのための空間になってしまう。
それはきっと、フェイカーとて同じ立場だったはずだ。
彼ならば口八丁で感情のままに暴れる民衆すら、説得できてしまう。そんな予感がある。それでも彼は口を出すことはなかった。
ただ一度、彼は手を出していた。民衆の悪意に怯え、拒絶しようとする緑谷を、クラスメイトのだれよりも早くに支えていた。
「キミを後継に選ばなかったことを、恨んでいるんじゃないかと思っていた」
「──まさか」
その疲れた声色の否定に、オールマイトはハンドルを握り締める力を一層込めていた。
本当に、この子どもがそんなことを考えていなかったのだと、理解してしまった。
「すべてを話せば、キミは……緑谷少年を恨むんじゃないかと思っていた。キミは、奪われた側だから。私が緑谷少年に個性を【与えた】と思うのなら、そうであってもおかしくはない。緑谷少年を窮地に追いやったように思えた。だけど……囮作戦を考えたのは、緑谷少年なんだろうね……」
「持ちかけられて、作戦を練ったのは私です。ヴィラン確保は、私の功績です」
ここにきても、彼は──。
「あなた方が行っている行動のすべては、私の作戦の範疇です。緑谷が雄英で休んだことで生まれるメリットは、すべて私の功績です。たとえオールマイトであろうとも、出しゃばらないでいただきたい」
不遜で、傲慢な物言いだ。
緑谷やエンデヴァーが命懸けで確保した、もっと言えばいま日本で捕縛され続けているヴィランたちがすべてフェイカーの功績になるわけがない。
それは彼自身が良く理解しているだろう。
「それが、キミの責任の取り方、なんだね」
「よくあるじゃあないですか。首相や社長が退いて新しい顔役を~って……。あれって意味ないんですよ。彼らはただ責任を取るシステムの一つなんだから」
フェイカーは窓に頭を当てて寄りかかる。
「でも、ヒーローは違う。ナンバーワンなんて記号に過ぎない。オールマイトも、エンデヴァーも……。あなた方の力も、築いてきた信用も、ナンバーワンを退いても続いていく。ヒーローである限りね。もしヒーローへの敵視がすこしでもフェイカーに向けば──そうは思いましたが、難しいものです」
「キミも、ヒーローだろう?」
「ははは、無個性ヒーロー? ちょっと車停めてくださいよ、この街の瓦礫の撤去してきまーす」
人に役割があるというのなら。
人に適性があるというのなら。
フェイカーは自身の適性を、責任を取る役割だと切り捨ててしまっていた。
兵隊になっても前線に行けぬのなら、号外を持って民衆に状況を知らせ、役立たずと石を投げられることこそが自身の存在意義である。
「……停めないんですか? まあそうか、この街の復興が数分早まるだけですものね。ふふふ、そう、私は、ヒーローじゃあない」
乾いた笑いが、車内に響く。
オールマイトは、そんな言葉を言わせたいわけではないのだ。
「復興を、この戦争の勝利をだれよりも信じているのは、キミだろう」
「ええ、まあ、ほら、《予知》で戦争の勝利は確定しているようなものですから。たとえあなたを犠牲として捧げようとも、日本は復興します」
その覚悟を聞いて、今度はオールマイトが笑った。
フェイカーのように疲れを滲ませることなく、快活に、暑苦しい笑い声だった。
「あーっはっはっはっはっは!!」
「……なんですか急に」
「ヒーローフェイカー! ヒーローとして大切なことを教えてあげよう!」
胡散臭そうにオールマイトを横目で見ていたフェイカーは、緩慢な動きで姿勢を正す。
「では【先生】、お教えください」
「ごほん!」
片手を口元へ持っていき、わざとらしく一度咳をしてから、彼は笑った。
「人を安心させるために笑いなさい。自分を鼓舞するときに笑いなさい。勝利を喜ぶために笑いなさい」
「胡散臭いのは父親譲りですよ」
「そうじゃなくてさ……。日本を復興させるんだろう? そのときに、私を思い出しても笑っていてくれよ」
「まだ作戦を練っている途中なんです。叶うのならそれを防いで、戦争後はあなたを伝説のヒーローとして全面に押し出して──」
「あはははは! 《予知》は手ごわいぞ! 私はいまだに一度も変えられていない!」
「笑わっ……ないで……ください」
笑うことを否定することは、もうフェイカーにはできない。
小さくなっていく言葉に、オールマイトは小さくため息を吐いた。
(まだまだだな)
彼の薄っぺらな笑いに騙されていた自分も、その笑いでだれかを守れると思い込んでいたフェイカーも、いまだ未熟なのだ。
「私を犠牲にオール・フォー・ワンを打倒して日本が勝利? 上等じゃあないか!」
「あなたは象徴だ。必要な存在です」
「なら──キミが成ればいい」
フェイカーが間抜けなうめき声を漏らす。
大口を開けて見上げてくる少年に向け、もう一度笑ってしまった。
「緑谷少年でも、爆豪少年でも、麗日少女でも、だれでも成れるのさ。象徴なんて」
「無理でしょう。《ワン・フォー・オール》は一つだけですよ」
「なんだ? やっぱり欲しかったのかい? ははは、素直になれよ策束少年」
その挑発は、ちょっとした賭けだった。
彼にすこしでも《ワン・フォー・オール》を欲する気持ちがあるのなら、きっと彼は頭を撫でるオールマイトの手を振り払うだろう。
──まあ実際、振り払われたわけだが。
「わかった! わかりました! 降参です。答えを教えてください」
苦笑いをしながら手櫛で髪の流れを整えながら、オールマイトの悪ふざけに乗ってくれた。
その様子に、なぜ彼が緑谷に協力できていたのかが理解できた。
それだけではない。彼は過去、自分が不利益になると知りながら、B組との対抗戦のときにも、相手に協力していた。
彼にとっての敵がなにか、自分を苦しめるものがなにか、自分がなにに打ち勝たねばならぬか。それを、理解している。
「特別な力はあっても、特別な人間はいません──だ。ついさっき、教えられたばかりだ」
「……ちょっとズルい授業ですね」
「大人だからね」
二人で肩を揺らしつつ、静かに笑う。
「良い言葉ですね」
「そうだね」
このような【授業】など挟まず、この場で彼に謝罪することは簡単だった。
オールマイト自身がどれほど彼を傷つけたかなど、想像するだけで腹立たしい。
謝れば、誤ったことを認めれば、彼は許すだろう。謝罪を受け入れ無かったことにするだろう。
それは度量や慈愛の精神などではない。
立場や立ち位置しか考えれば、いまの日本のことを考えれば、謝罪されてしまえば、受け入れるしか選択肢がないのだ。
相手を許さないという余力すら、いまのフェイカーには無い。
ひと段落した空気感の中、フェイカーは携帯端末を弄り始める。オールマイトが盗み見ると、どうやらテレビ用の原稿の作成中であるらしい。
「私の原稿かな?」
「【あなた】もそうですが、前面に押し出したいのはラーカーズです。エッジショットの確保率はトップスリーを含めても頭一つ高い。……ですが、やはり目立つのはマウントレディですね。ははは、実は私、彼女のファンなんです。内緒ですよ」
口元に人差し指を当てて軽快に笑うその笑顔は、きっと本当に彼なのだと思えた。
神野区の中心部は、いまだに溶けぬ氷が点在していた。
フェイカーは適時護衛役と連絡を取りながら、周囲の安全を確認していく。
「一番近くの避難所まで五キロあります。土地の者がディクテイターに囚われていたのだとすれば、すでに避難していてもおかしくはありませんが……ちょっと問題が……」
フェイカーが言いづらそうに避難所の内部事情を語った。
設備の問題で避難民の出入りの管理が甘く、正確な収容人数が不明なのだという。
「申し訳ありません、見通しが甘かったです。トガヒミコの危険性は説明したつもりだったのですが」
「雄英バリアが特別か……」
警察署ですら四方の壁に電流フェンスを立てかけることくらいが限界であり、ヒーロー科の生徒がいる場所でもない。
「でなければさすがに私も反対でしたよ。廃墟のほうがまだマシです」
「本当に、緑谷少年を守ろうとしてくれているんだね」
フェイカーは頭上に伸びてきたオールマイトの手を素早く避けると、後ろ歩きで跳ねながら逃げていく。
そのコミカルな動きにオールマイトは笑った。
「どうします? 私は一度避難所に寄るつもりでしたが、周囲を見て【オールマイト】を集合にしましょうか?」
薄ら笑いではなく、にやにやとした冗談めかした笑い顔で、オールマイトの後ろを指差すフェイカー。その指差す先には、オールマイトの銅像が見えた。
オールマイトが終わった土地に、オールマイトの銅像を建てる。
やや悪趣味にも思えるが、その場所が観光地ならば話は変わる。再開発前、神野区の土地を買い取った策束家は、その土地を主軸にオールマイトを据えた街を作ろうとしていた。
その見通しはあまりに甘いと評価せざるを得ず──。
銅像の首に、『I AM NOT HERE』と雑に書かれた看板がぶら下げられていた。
観光地どころか、いまや国民にとってはオールマイトですら不満を吐き出す的になっている。エンデヴァーやフェイカーとは異なり、オールマイトに物を投げる人物は今現在出てきていないものの、それも時間の問題ではないかと思われている。
「オールマイト?」
からかいすぎたかとフェイカーが視線を戻すと、オールマイトは銅像と打って変わって地面を見つめていた。
その視線の先には、緑谷のコスチュームの一部が雨に濡れ続けていた。
オールマイト自身の笑顔を模した仮面の部分を、緩慢な動きで拾い上げた。オールマイトには、もう笑うことができなかった。
フェイカーに慰められるように背中を叩かれ、弱音が零れる。
「平和の象徴はもう、ない」
「それは……でも──」
「それでも、笑わなければいけないんだよな」
力を籠めるだけで軋む音が聞こえてくる脆い素材だ。
こんな鍍金が、守ると決めた弟子を、自身を慰めてくれる生徒を、苦しめている。
緑谷のコスチュームを見つめ続けていたオールマイトの視線が、いつの間にか銅像を睨みつけていた。
「【アイツ】は……弟子がつらいときになにもしてやれなかった。もはや、足を引っ張るだけだ」
「つらいときに慰めて欲しいから、だれかといるわけじゃあないでしょう」
振り返り、来た道を戻ろうとするオールマイトに逆らうように、フェイカーは銅像へと足を向けた。
「私はね、オールマイト。緑谷を利用するつもりでいましたよ。緑谷もそうでしょうね。彼は金持ちの友人に味を占めた。セスナはさすがにやりすぎでしたけど、壊れたアイテムの補充くらい、もはや罪悪感はないでしょう。でも、それは依存や寄生じゃあない」
それはどこか、相棒とも言える関係性だ。
事実、オールマイトとのサイドキックを解消したあとの緑谷と、急ごしらえのサポーターのフェイカーとは良いコンビだった。
フェイカーは、オールマイトに感謝の言葉をかけようとした。だから、まずは振り返り──言葉を失った。
「ハァ。それは、英雄への冒涜か……。取り消せ、愚人!」
氷壁の天辺にしゃがみ込み、両手に刃物を握り締める男の姿。
その男が構える日本刀の切っ先は、オールマイトの喉元へと当てられていた。たとえフェイカーの護衛役がこの場にいたとしても、数センチ刃を引く、という運動神経に勝る個性は用意できない。
この【男】が相手ならとくに。
「ずいぶんと懐かしい顔ですね」
身構えるフェイカーとは対照的に、オールマイトは自身の命を握られながらも、錆だらけの刀を持つ男を、ちらと見上げるだけだった。
「ヒーロー殺し、ステイン。……私が現役のころは決して姿を見せなかったくせに、まさかこんなところで先延ばしになっていた面会が実現するとはね……」
「なにを言っている」
「なにって、私に会いに来たのだろう。だが残念だったね、私はもう、オールマイトではないんだ」
「わかりきったことを! だれがお前をオールマイトと見間違えるか!」
「え、いや、だから私を殺しに──」
「黙れ……!」
ステインが刃を使って、オールマイトの顔を上げるように誘導する。
顔が良く見えるように。
世界をもっと良く見せるように。
「お前はオールマイトじゃない! 贋物めぇ!」
刀に込められた力はさらに増している。殺気をまき散らすナイフのような男ではあったが、本当に殺す気ならすでに刀を振るっているだろう。
オールマイトの肉体は《巻き戻し》で負傷する前の肉体ではあるが、その中身に《ワン・フォー・オール》は存在しない。ただの筋肉が鋭い刃物に勝てる理由はなかった。
「ここは英雄の聖地。この地で英雄の名を騙るお前は何者だ。なぜ騙る! 言え!」
なにを以て、オールマイトをオールマイトの贋物だと叫ぶのか。
その疑問に答えることはなく、訥々と考えが零れていく。
「むかしから、なにかをせずにはいられない性質でね。許せなかったんだ。
「理不尽に奪い、理不尽に奪われる日常が。無力でも動かずにはいられなかった。
「世界を良くしたかった。そして走り終えた。
「その結果がこうだ。命に代えても守らなければならない弟子に。その弟子を守るために奔走してくれていた子どもに。掛けるべき言葉すら言えなかった。
「なんなんだろうな、私だけがヒーローから遠ざかり続けている」
刀を振りかぶったステインは、落下しながらオールマイトを氷壁へと押し込んだ。
フェイカーは一歩遅れて駆け出し、氷の陰にいる二人を見つける。そこには、血まみれのだれかがいたわけではなく、体格差二倍はありそうなオールマイトを、ステインが押し留めているに過ぎなかった。
「えっと、お二人って、そういう関係だったりします?」
「いや、まだ肩を組むほど仲良くは──」
「黙れ」
オールマイトに刃を当てたまま、柄を握る手で銅像を指差した。
「ちょうどいい。見ろ。小僧、お前もだ」
ヒーロー二人がヴィランに従い、銅像を覗き見る。
雨雲に覆われ、夕闇過ぎた悪天候だ。そのような視界の悪さでも、近づいてきた人影が女性であることは、怒った口調から察することができた。
銅像の前に立った女性は、足元に個性を発現させて銅像の台に登った。さらにもう一度個性を発現させ、オールマイトの銅像の首に下げられていた『I AM NOT HERE』の看板の紐を切った。
卵や泥を投げられ、雨で広がってしまった汚れを雑巾で拭き始める女性を見ながら、ステインはオールマイトへ声を掛けた。
「日に一度、脱ヒーロー派による冒涜を浄化している。おそらく近くの避難所からだろう。避難所の人間にははた迷惑な行いだろうな」
「無駄な危険を。彼女は一体──」
「オールマイトが最後に救った女だ」
フェイカーも、オールマイトも息を呑む。
神野区の悪夢での要救助者の顔など、いちいち覚えていられるものではなかった。それでも彼女にとっては、自身を危険に投じても、そうしなければならないほど、恩義を感じている。
オールマイトがいかに自分を貶めても、彼の行動に救われた者は多くいる。
それは、オールマイトだけでは辿り着けない答えの一つだ。
必死に前だけ見続けてきたオールマイトでは、置いてきた笑顔を振り返る余裕すらなかったのだ。
ステインは、いつの間にか刀を収めていた。
その代わり、オールマイトを騙った男へ溢れんばかりの怒気を滲ませ、髪を引っ張り、胸倉を締めあげた。
「オールマイトはいかなるときも笑ってその身を人々に捧げた!
「それは個性に依るものではない!
「オールマイトという人間が、そのようにしか生きられぬのだ!
「魂に刻まれたその信念を人は称えた。お前ごときがオールマイトを量るな!
「結果だと!? これは【過程】だ!
「彼の遺した埋火は、雨風に負けず、わずかな人間たちの間で火継され、いま新たな大火へと進化しつつある! ならばその火を絶やしてはならない! 生ある限り醜くもがいてでも、くべ続けなければならない!」
彼女の行いが、火継されたものだと言わんばかりに、ステインはオールマイトの顔をそちらへと向けさせた。
乱暴にオールマイトを手放すも、彼は抵抗することなく氷壁に寄りかかる。涙で歪む視線は女性に向かっていたが、その背中に向けステインが言葉を吐き捨てた。
「英雄の心は、他が為にのみ存在が許される」
赤黒血染にとってのヒーローであり、自身を終わらせるはずの英雄、オールマイトとはすでに人間ではない。
神格化され、自身の宗教と言っても過言ではない。
「だが、神が地に伏せ、人のか弱き心をも得たのなら、あるいは──」
「キミ! なんでそのことを! まさかずっと!?」
慌てた素振りのオールマイトが、声を荒らげてステインの言葉を遮った。
調子を崩したステインは、どこか気の抜けた口調のまま懐からナイフを取り出した。
「俺はお前など知らぬ。もしお前が本当に真の英雄ならば、そのタルタロスでの情報を使え」
オールマイトの足元にナイフを投擲する。そのナイフは紙袋を貫通しており、不自然なふくらみがある。彼の言葉を鵜呑みにするのならば、タルタロスから持ち出した極秘データということだろう。
拾って良いものかとオールマイトが悩んだ一瞬の隙を突いて、ステインは極上の殺意を振りまく。
「そして必ず、ヒーロー四十名殺傷犯である、このステインを終わらせに来い。すべては、正しき社会のために」
そうすることで、彼は贋物から本物に成れる。
この世に【本物】など、オールマイトしかいないのだから。
「──で、貴様は」
「お久しぶりです。いやぁ、まさかこんなところで会うとは、思ってもいませんでしたよ」
ステインの行く手を阻むように進み出たフェイカー。その手にはさきほどの紙袋が握られていた。
その中には長方形の保管容器が入っており、開けばデータチップと思われる記録媒体が三つ入っていた。
「三つ? 暗号化されているということでしょうか。よく見つけましたね」
ステインの行く手を阻むように立ち、フェイカーは余裕を存分に振りまきながらステインと向かい合う。
「死に逝く者が銃ではなくそれを抱いていた」
「ああ、それはそれは……。なるほど……。面白い」
「面白いだと?」
背面に手を回し、刀の柄を握るステイン。オールマイトが慌てて走り出そうとするも、それはフェイカーが制した。
「失礼。決して死んでいった者たちを蔑ろにしているわけではなく、ははは、あなたが私たちに【これ】を渡したということが、はははは、面白い」
彼の笑顔は、いままでと違っていた。
相手を挑発するでもなく、様子見をするでもなく、自身を卑下しているわけでもない。
イタズラが見つかったような、子どものような無邪気さがあった。
それこそ、さきほどオールマイトと話していたときのような、苦笑いに近かったかもしれない。
「奪い取りました?」
鼻白むようなステインの表情の変化に、フェイカーはさらに笑った。
──なぜ、いまそのような笑い方ができるのか。
「なるほど、あはは、なるほど。あなた、託されましたね」
「託された?」
「信頼されたんですよ。ヒーロー殺しを、信頼して託したんです。オールマイト、こちらは私が一度預かります。あなたはあちらの女性をお願いします」
「策束少年!」
「待てそれは──」
同意見であるらしい本物と贋物を見ながら、フェイカーはもう一度笑った。
「オールマイトっぽい人に預けたんですよね。なら私が預かっても問題ないはずだ。ああ、でもきっと信頼がないでしょう? 一度、来ていただけませんか? 気になるでしょう? この中身」
ちらとステインがオールマイトを見て、フェイカーへと視線を戻す。その迷いに、フェイカーは付け込んだ。
否、笑いもなく語りかけるフェイカーに、交渉を持ちかけるような余裕はない。
真面にステインを睨みつけ、相手に選択を迫っている。
「あなたの目から見て、いまの日本は正しいですか? この世界は、正しいですか?」
その場で一回転したフェイカーの視界には、壊れ、荒廃した街が映っていた。
復興の途中だった神野区。そこはきっと、オールマイトを思い出にするための、始まりの街になるはずだった。
「もしこのような破壊を望んでいたのだとすれば、きっと私とあなたは戦うしかない」
「無個性が? この俺と?」
「だがヒーローだ」
止めようと駆け出そうとしたオールマイトよりも一歩だけ早く、フェイカーは一歩踏み出した。
「正さねば」
さらに一歩。
「英雄を取り戻さねば」
さらに一歩。
「私が、血に染まっても」
ついにはステインの胸倉を掴み、数センチもないような距離で睨み合い──笑った。
手を離し、白旗を振るように両手を振るうフェイカー。
「とは言っても、戦力は皆無です。素手でも負けますよ。それに【これ】のお礼もしなければ道理がない。あなたの殺人の罪は帳消しになどできませんし、あなたも【そんなつもり】はないでしょう。どうです? 休戦としませんか?」
ステインが答える前に、女性の悲鳴が聞こえてきた。
「オオオオオールマイト!?」
顔を真っ赤に染める、さきほどの女性の姿だった。雑談にしては大声すぎたらしく、氷壁の向こうからこちらの様子を見に来たようだ。
「オールマイト。任せましたよ」
「ま、待て! キミは──!」
感涙する女性を落ち着かせるオールマイトを横目に、ステインはフェイカーの後ろについて歩き出す。
無言だったが、さきに口火を切ったのはフェイカーだった。
「さきほど言いかけていたことって、なんだったんですか?」
「……知らん」
「あははは」
笑いながら、フェイカーは考える。
神が地に伏せる、とはなんの暗喩か。
それが宗教であれば、それはまるで神話の導入だ。だが、相手がオールマイトであるなら話は変わる。ステインは《ワン・フォー・オール》の存在を知っている可能性があるのだ。
ステインから情報が洩れる分には構わないとフェイカーは考えている。
つい数時間前に行われた緑谷を受け入れてもらう迎合の場で、緑谷の【特別な力】という意味合いは麗日によって認知されることとなった。それはすぐさまマスコミ関係者を通じて発信されていくことが予想できる。
気になったのは、ステインの言葉の続きだった。
「オールマイトを、励まそうとしたのですか」
「……ハァ」
深いため息に、わざとらしく肩を揺らしてフェイカーは笑った。
「言っておくが、仲間だと思うなよ」
「ええ、もちろんですよ。私は、フェイカーですから。あ、それよりあなたのフォロワーどうにかしてくださいよ。私が粛清対象なんですって」
「贋物は……粛清対象だ」
「殺人鬼は取り締まりますよ」
「俺を殺して良いのは──」
「あー、はいはい」
肩を並べるように、楽しそうに雑談を交わす二人の背中を、オールマイトはどこまでも見送ってしまった。
車の中で、たしかにフェイカーと会話したはずだった。
対話したつもりになっていた。
だが、ステインに向ける笑顔も、さきほど車の中で見た笑顔も、【変わらない】のだ。
(私は、なにを育ててしまったんだ)
足元が崩れ去るような不安を抱え、どこまでもフェイカーを見送ってしまった。