気弱だった僕と、まっすぐな彼女の青春ラブコメはまちがっている。 作:レオン・アーノルド・スチュアート
カッコをつけて、『ウォッカ・マティーニを。ステアせずシェイクで』なんて頼まなければよかった。
ジェームズ・ボンドを気取って頼んだのは良かったが、飲んだ瞬間に脳を直接殴られたような感覚に陥ってしまった。
一口口に含むたびに、思わず顔をしかめそうになるのを、強力な表情筋でごまかす。フィンランド人はお酒に強いとされているが、僕自身はそこまで強いわけではない。明日は二日酔い確実だろう。
だが、今の僕に二日酔いを気にする余裕はない。カウンターより少し離れた席に座る僕のレイバンのサングラス越しの視線の先、見知った顔のバーテンダーだ。
同年代よりも大人びた印象の川崎沙希は、気だるそうな表情でグラスを磨く。ここはとある高級ホテル内のBAR「エンジェルラダー 天使の階」。金の力と人脈で調べ上げた、彼女のアルバイト先だ。
全体的に落ち着いた印象。綺麗な女性が弾く生のピアノの音。バーの雰囲気はなかなか良い。女とデートに来たら、まず間違いないだろう。ここはドレスコードが必要だ。
複数の男性客が、彼女に親しげに話しかける。彼女は特に表情を変えること無く適当にあしらう。僕は内心でヒヤヒヤしていた。懸念点であるバイトの内容はそれほど重要ではない。幸いにも、水商売などのいかがわしい仕事ではないことに安堵はしていたが、彼女に悪い男でもいないかどうか心配になってしまったのだ。自分のことを棚に上げてよく言えるなあと自嘲する。
「川崎」
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
また来客があったようだ。聞き覚えのある声。三人組で、男1人に女2人。ただ、両手に花とは行かないようだ。
「ど、どうもー‥....」
「同じクラスなのに名前を覚えられていないなんて流石ね。比企谷くん」
「雪ノ下.....由比ヶ浜.......それと.......」
どうやら彼女は八幡くんの名前を覚えていないようだ。おそらく知った顔だったのだろうが、名前が出てこないのだろう。
ここはドレスコードが必要だ。ドレス型のお二人さんも中々似合っている。雪ノ下さんは胸が足りないが。
「で、何の用?まさかそんなのが両手に花ってわけじゃあるまいし」
「まさか、これと一緒にしないでもらえるかしら」
「あのさぁ、お前らの争いに俺を巻き込むのやめてくんない?」
相変わらず、やたらと毒を挟んでくる雪ノ下さん。
いちいち罵倒しないと話一つできないのか彼女は。
「弟から聞いたぞ。帰りが遅いって」
ようやくそこに辿り着いたか。全く遅いったらありゃしない。
それを聞いた川崎さんは。
「そっか……最近やけに周りが煩いと思ってたらあんたたちか。大志が何言ったか知らないけど、気にしないで。あんたらには関係ないし。これ以上関わらないで」
彼女は話を聞く様子には全く見えない。
「シンデレラの魔法が解けるのは午前0時だけど、貴女の魔法は解けたみたいね」
ロレックスを確認すると、21:50とある。未成年の労働基準法だ。要するに彼女は年齢をごまかしている。それをシンデレラに例えたか。流石、ユキペディア。
横では何がなんだか分からなそうにしている由比ヶ浜さんを、八幡くんが教えてやっている。まあ、普通に言えば済む話なんだけどね。物事をやたら難しくするのが、この二人の悪いクセといえばそうかもしれない。
「魔法が解けたなら後はハッピーエンドが待ってるだけなんじゃないの?」
「いいえ、貴女に待ってるのはバッドエンドだと思うけど?人魚姫さん」
しかし、雪ノ下さんの口撃に対等に渡り合う川崎さん。やはり彼女は頭がいいし、度胸もある。論破されて泣いて逃げ出した三浦さんとは違う。
「止めるつもりはないの?」
「ん?無いよ」
「でもさぁ、川崎さん。あたしだってお金無いときバイトするけど、年ごまかしてまで……」
「別に、お金が欲しいだけ」
「まあ、それは分かるけどよ…」
「働いたら負けとか言ってる奴に分かるわけ無いじゃん」
「聞かれてたか……」
3人の必死の説得に、全く彼女が応じる素振りは見せない。彼らは彼女の事情を知らないからだ。だから全く議論は平行線をたどるだけ。全くの時間の無駄である。
てか、働いたら負けというのは、恐らく職場見学の希望票だろう。ちなみに僕は「僕はハンサムだし、英語も話せるし、頭もいいし、モテモテなので特にありません。頑張らなくても成功できますから」だった。平塚先生に再提出を食らったのは言うまでもない。
「人生舐めすぎ。あたしは別に遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない、そこのバカと一緒にしないで」
そこのバカのセリフのときに、彼女の瞳がちらりとこちらを向いた気がした。まさか、気付いてたり。いや、それはない。
「あんたらもさあ、偉そうなこと言ってるけど、あたしのためにお金用意できる?うちの親が用意できないものをあんたらが肩代わりしてくれるんだ?」
「そ、それは……」
由比ヶ浜さんは黙り込んでしまう。
……やはりか。僕の時もそうだったが、ここまでされるのは彼女も嫌なのだろう。だから敢えて予防線を張ったという見方もできる。しかし。
「ねえ、あんたの家県議会議員なんでしょ?そんな余裕ある奴にあたしの気持ちわかるわけないじゃん」
「っ!」
ガタン!と雪ノ下さんがグラスを倒した。
「ちょっと!ゆきのんの家の事なんて、今は関係ないじゃん!」
素直な由比ヶ浜さんが、思わず声を上げた。まあ確かにそうだ。
だが僕は同時に、思わず笑いそうになった。
政治家こそ、この世で最も頭の悪い人種だと僕は思う。特に世襲政治家が横行するこの日本はまさにそうだ。どんなに馬鹿でも、親父が議員だとか、金さえ払えば政治家になれるのだ。こんな美味しい職業はない。
ちなみに僕の父はフィンランドで政治家の誘いも受けたが「政治家より実業家のほうが世の中の役に立つ」と断っている。全く持ってその通りだ。
「なら、あたしの家の事も関係ないでしょ」
「それはそうだけど……」
「大丈夫よ。ただグラスを割っただけだから」
由比ヶ浜さんは何も言えなくなる。それはそうだろう。その通りなのだから。それを雪ノ下さんが宥める。
「兎に角、もう帰ってよ。ああそれと、そこのジェームズ・ボンド気取りのバカも連れて帰ってね」
思わずウォッカ・マティーニを噴き出しそうになった。
三人は驚いた表情でこちらを見る。
「ハハハ……バレましたか」
スチャッとレイバンのサングラスを外して笑顔を見せる。いつも通りのチャーミングスマイルだ。
「ミカ……港ミカです」
ジェームズ・ボンド気取りの挨拶を交わした僕の姿を見て、3人が息を呑んだのが分かる。
アルマーニの仕立てた黒スーツに、ジョンロブの革靴をカツカツと鳴らしながらそちらに向かって歩く。金髪を短く切った姿は、恐らく誰の目にも一端のハリウッドスターに見えており、少なくとも高校生に見えるものはいないだろう。
ところか一人川崎さんは、呆れた顔でこちらを見る。
「ハァ……『何がウォッカ・マティーニ、ステアせずシェイクで』よ……噴き出しそうになってたじゃない。バカ丸出し」
「どうやら僕にはきつすぎたみたいですね」
後頭部をさすりつつ、苦笑い。
「いつからそこに居たんだ?」
「あたしが来る少し前だよ」
八幡くんの問いに川崎さんが答える。
「……気づいてたんですか?」
「あんたの考えなんて直ぐに分かるよ。どうせあたしが心配だからとかでしょ?ストーカーかっつの」
「ですが、雪ノ下さんたちの言う通りですよ。このままでは意味がない。ですから……」
「あの話は断わったはずでしょ?」
「あの話?」
今度は由比ヶ浜さんが食いついてきた。
「コイツが50万ばかし貸してくれるんだって」
「ご、ごじゅう!?」
由比ヶ浜さんは目を見開いて素っ頓狂な声を上げた。
八幡くんと雪ノ下さんも思わずこちらを見る。
「勿論断ったよ。悪いし、それに金なんか借りたくないし」
「しかしやせ我慢は無駄ですよ。いずれバレることですし」
「……言ったでしょ。あんたはなんにも分かってないって」
「どういう意味ですか、それ?」
「どういう意味って……言葉通りだよ」
今度は僕と川崎さんが口論になってしまった。
見かねた雪ノ下さんと八幡くんが止めに入り、取り敢えずこの場はお開きになった。
八幡くんは川崎さんに明け方、24時間営業のファストフード店に来るように言い、その場を離れた。
「釣りは要りませんよ」
僕はポールスミスの財布から2万円を置くと、ポケットハンドで店を出た。これだけならカッコよくキマっただろう。
「………馬鹿なの、アイツは」
と言う川崎さんのため息をバックに。
ファストフード店には、大志くんと八幡くんの妹の小町さんが待っていた。小町さんとは初対面だが、八幡くんに似ず、快活そうな女の子だ。親しげに話しかけたら、八幡くんに睨まれたが。
席に座ると、雪ノ下さんから早速質問される。
「さて、どういう事か話を聞かせてもらえないかしら」
「はて、何のことでしょう?」
「港くん、さっき50万ばかり貸すなんて言ってたわね。どういう事かしら?」
ああ、あれか。
「どういうことも何も、言葉通りですよ」
「50万なんて高校生がポンと出せないじゃない」
「そうそう!ミカっちの家ってお金持ちなの?それと、川崎さんとどんな関係なの?」
結衣さんは恐らく、僕の家庭よりも川崎さんとの関係のほうが興味深いのだろう。
「僕の父が人より多くお金を持ってるだけですよ。それに川崎さんは…………単なる幼馴染みのよしみです」
「単なる幼馴染みでも、普通はそんな大金出さねえと思うが」
八幡くんに指摘される。正直な話、バレてることすら分からなかった。
「…………今、それは関係ないと思いますよ」
僕が視線を向けると、川崎さんご本人が現れる。
「大志………どうしてここに」
「姉ちゃんこそ、こんな時間まで何してるんだよ?」
「なるほど……」
事情は分かった。川崎さんは家庭になるべく迷惑をかけたくない。だからこそ一人でやろうとしている。
「なあ川崎、スカラシップって知ってるか?」
「要するに奨学金でしょう?借金と変わりないですよ、それ」
僕は冷たく言い放つ。
「そんなのに頼るなら、僕から融資を受けたほうが得だと思いますがね。利子はゼロだし、返済期限も限度額もないし」
川崎さんはあの喫茶店の時と同じような顔をした。
「だからそれは嫌だって言ったじゃん」
「しかしならばどうするんですか?こんなことをやっても先が見えますよ?」
「あたしが言いたいのはそんなことじゃない……だからあんたは分かってないよ」
「ですがね……」
喫茶店の時よりはまだ穏やかだが、また口論が始まってしまった。
それを見かねた八幡くんが止めに入る。
「まあまあ落ち着けよ」
雪ノ下さんからも助言が入る。
「幼馴染みかどうか知らないけど、そんな多額の金銭のやりとりは大体碌な事にならないわ」
それを聞いた僕も川崎さんも矛を収める。
ひとまずは、スカラシップを受けることで話が纏った。
だけど、もしものときは。僕は。
『マックス!今回も素晴らしい走りでしたね!』
『ここに俺の敵はいない。それだけの話だ』
レース後のメディアの取材にも、マックス・バーンスタインはぶっきらぼうに答える。
今気づいたが、どことなく八幡くんに似ているような気がする。
画面を消すこともできない。
今やすっかり差をつけられてしまった。
「……おはよう御座います」
「……………おはよう…………」
翌日、学校へ。事件は解決したが、僕と川崎さんはまだギクシャクとぎこちない。何とか声はかけるが、その先が続かない。
「おはよう御座います、戸塚くん、八幡くん」
「おはよう!ミカ!」
「…………おう」
この二人にはなぜかすんなりと行くのに。
「なあ、川崎とお前って………」
「ただの幼馴染みですよ。ただのね」
今はそう誤魔化すしかない。
僕は置いていかれている。時にも、人からも。