喫茶店『マンハッタン・カフェ』   作:fell@かぶとがに

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今日も雨が降っている。
私の心を窓ガラスに映すように。
けれど今日は少し、何かが違う気がした。


アナタと一緒に、あの頃の夢の続きを

「雨、止まないね」

 

洗った珈琲カップを拭きながら、窓に張り付いて外を眺めるお友だちに話しかけます。

お友だちはこちらへ振り向くと、こくんと頭を一度縦に振り、再び窓の外へと視線を戻しました。

 

ここは喫茶店『マンハッタン・カフェ』。

引退後、溜まっていた賞金でひっそりと始めた私のお店です。

 

郊外の、駅から徒歩十五分ほどの小さな商店街。

その中でも端の方の細道を少し入ったところにある、簡単な軽食と、世界中の様々な珈琲をお出ししている純喫茶。

 

店員は私一人。

時々、お友だちに手伝ってもらうこともありますが。

お客さんの大半は地元の方々で、ジャズやブルースを日替わりで流す中、ゆったりと過ごしていただいています。

 

稀にレース現役のウマ娘たちが来ることもありますが、殆どの子は悩みを抱えていて、迷い込むようにここへ訪れます。

そんな子たちはカウンター席に案内し、甘い飲み物をサービスしながら話を聞いてあげています。

相談に乗ってあげた子が大きなレースで結果を出している様子をみたりすると、小さな喜びが生まれるんです。

 

そんな、一人で過ごす日々。

かれこれ何年でしょうか。

すっかり当たり前になってしまいました。

 

「珈琲、飲む?」

 

お友だちは窓の外を見たまま、頭を小さく横に振りました。

 

窓の外側を、雨水が垂れて落ちていきます。

今はお客さんはいません。

雨の日はあまり来ないので、そろそろお店を閉めてお休みにしてしまってもいいでしょうか。

 

そんなことを考えていたとき。

からんころんと音が鳴り、入り口が開きました。

 

「いらっしゃいま――」

「や、久しぶり」

 

傘の雨水を落としながら声をかけてきたのは、現役時代の、私のトレーナーさんでした。

 

「戻ってらっしゃったんですか。連絡をくれてもよかったのに……」

「驚かせたくてね。サプライズだよ」

 

そう言ってトレーナーさんは悪戯っぽく笑いました。

 

私の卒業後、トレーナーさんは欧州へ研修に旅立ちました。

私をG1ウマ娘へ導いた能力を見初められ、理事長たっての願いで数年間の修行へと赴いたのです。

 

それ以来、帰国は今回が初めてです。

数年ぶりの再会でした。

 

「お店の調子はどうだい」

「のんびりやらせていただいてます。地元の方からも親切にしていただいて」

 

トレーナーさんは私の正面のカウンター席に腰掛けました。

 

「そりゃよかった。ブレンドをもらえるかな」

「はい、お任せを……」

 

手紙でのやり取りはたまにありましたが。

電話もめったにしないので、声を聞くのは本当に久しぶりです。

 

「どうぞ、このお店は喫煙可なので」

「悪いね、わざわざ」

 

灰皿をお出しすると、トレーナーさんはジャケットの内ポケットから煙草を取り出しました。

その仕草はトレセン時代から変わっていません。

 

サイフォンの水が沸騰するのを待つ間に。

私もポケットから煙草を取り出し、マッチで火をつけました。

 

「カフェ、吸うようになったのか」

「ええ……誰かさんのおかげで」

 

軽く息を吸い、天井に向けてふぅ、と吐きます。

薄い煙が環を作り、立ち昇ってすぐにかき消えました。

 

「あれ、ライターどこにやったかな……カフェ、そのマッチ一本もらってもいい?」

「いえ……こちらで……」

 

私は煙草を咥え、カウンターから少し身を乗り出します。

意図に気付いたトレーナーさんは小さく笑い、同じように煙草を咥えて顔を突き出しました。

 

煙草の先端が触れ合います。

互いの顔が目の前に近付いて。

煙草を咥えていなければ、そのまま唇を重ねられそうな距離で。

 

私が息を吸うと、先端が赤く灯って。

それに合わせてトレーナーさんが息を吸うと、仄かな火がふわりとトレーナーさんの煙草にも灯りました。

 

互いに顔を離し、息を吐きます。

煙が薄く、私たちの周りに広がりました。

 

「カフェとシガーキス、なんてね……トレセン時代は考えもしなかった」

「思春期の少女は想い人に染まりやすいものですよ」

「……まさか、当時隠れて吸ってなかっただろうな?」

「さぁ……ご想像にお任せします」

 

窓に張り付いていたお友だちはいつの間にかトレーナーさんの隣りに座っていて。

私のはぐらかすような言葉を聞いて、クスクスと笑いました。

 

「お友だちの反応を見ると怪しいな……ま、今となっては過去の話だけど……」

「吸ってたとしても時効ですよ。勿論、アスリートとして自己管理は徹底していましたけど、ね」

 

サイフォンの水が沸騰し、ロートの珈琲粉まで駆け上って。

煙草を咥えながら混ぜると、立ち昇る煙と珈琲の香りが混ざり、一昔前は純喫茶でありふれていたであろう、なんとも言えない大人の香りが漂います。

 

そのあと私は煙草の火を消し、入り口のドアへ向かいました。

ドアを開け、外の看板をひっくり返し、OPENからCLOSEに変えます。

 

「今日はもう店じまいかい」

「雨の日はお客さん、あまり来ませんから。それに……」

 

私はお友だちとは反対側の、トレーナーさんの右隣に腰掛けます。

 

「今日はゆっくり、過ごしたいんです」

 

落ちきった珈琲を出しておいたカップに注ぎ、トレーナーさんの前にお出しします。

珈琲を口に運び、こくりと一口。

 

「ああ……懐かしい。あの頃毎日飲んでた、カフェの珈琲だ……」

「そのブレンド、アナタにしかお出ししてないんですよ。数年ぶりに淹れました……」

 

静かにトレーナーさんの肩に身体を預けると、トレーナーさんも煙草の火を消し、私の頭を優しく抱いて呟きました。

 

「まだ俺のことを想ってくれてるのか」

「卒業のとき、言ったはずですよ……私はきっと、ずっと慕い続けていると」

 

欧州行きが決まり、数年は帰ってこれないと告げられて。

私の想いを知っていたトレーナーさんは、私に新しい恋を見つけるように言いました。

けれど、私はそれを聞き入れず。

 

『欧州から帰ってきたとき、まだカフェの想いが変わっていなければ、そのときは』

 

空港での別れ際、ずっと悩み続けていたトレーナーさんはその言葉を絞り出して、飛び立っていきました。

 

「アナタこそ、どうなんですか……? あの約束は、まだ……」

 

少し不安になった私が、身体を起こして顔を隣へ向けると。

静かに、唇を奪われました。

 

「んっ……」

 

一瞬驚きましたが、私はすぐに受け入れて。

目を瞑って、トレーナーさんを味わいました。

 

そして名残惜しくも、唇は離れて。

 

「先月ようやく向こうの先生からお墨付きをいただけて、今日帰ってこれてね」

 

珈琲を飲む姿も、煙草を咥える姿も当時のまま。

私の中の少女がその姿にときめくのを感じます。

 

「この一月くらいはずっとカフェと一緒になることばかり考えてたよ。心変わりしてないか怖かったのはこっちの方さ」

「……なら連絡の一つくらいくれてもいいじゃないですか」

「サプライズの方が感動的じゃないかい?」

 

そう口にした直後、トレーナーさんの頭をお友だちが思いっきりはたきました。

 

「いってぇ……なんか久しぶりだな、この感じ……」

「トレセン時代はアナタがクソボケを発揮するたび、ひっぱたかれてましたからね」

 

くすりと笑うと、お友だちも釣られるようにクスクスと笑いました。

今このときだけは、まるでトレセン時代に戻ったかのようで……。

 

そんなことを考えていると。

当時の恋心が……トレーナーさんへの熱が再燃するかのように、にわかに湧き上がってきました。

 

「トレーナーさん、住むところは決まってるんですか?」

「まだ決めてなくてね。決まるまではトレーナー寮に入ってもいいとは言われてるんだけど、外で暮らしたいかな」

「なら……郊外の喫茶店で、なんてどうでしょうか」

 

そう言って私は、トレーナーさんの手を握ります。

その指に私の指を艶めかしく絡めると、トレーナーさんも握り返してきました。

 

「いいね。俺も好きなんだ、純喫茶の雰囲気や空気がさ」

「でしたら……今日はもう、帰らなくても大丈夫ですね」

 

いつの間にか、カウンターにお友だちの姿はありません。

入り口の方から、ひとりでに鍵が閉まる音が聞こえました。

 

「お疲れでしょうから寝室の場所、ご案内します……こちらですよ」

 

立ち上がり、私が軽く手を引くと。

 

「……確かに、疲れてるな」

「ふふ……しっかり休んでくださいね」

 

休めるならば、ですけど。

小さな声で付け加えると、トレーナーさんは少し困ったように苦笑しながらも。

繋いだ私たちの手は、互いに熱を帯びていて。

 

そこから先の私たちの声は、雨音にかき消されました。




ベッタベタなカフェもいいけどしっとりオトナなカフェも良いと思う学会の者です。
こちらが論文となります、ご査収下さい。
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