喫茶店『マンハッタン・カフェ』   作:fell@かぶとがに

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いつものお店、いつもの空気。
紫煙を燻らせながら、いつもとは違う一杯を。
そうしている内に、きっとアナタは来るから。


行きつけのお店で、アナタを待つ

駅前の、行きつけの喫茶店。

今日もいつものブレンドを頼みましょうか。

……いえ、たまにはアイスコーヒーを。

確かここは、水出しコーヒーも美味しいと評判だったはず。

 

カウンターに座り、水出しコーヒーとアップルパイを頼みます。

ここのアップルパイは、僅かに香るシナモンがお気に入り。

香りが強すぎるとちょっとくどいのですが、このお店は穏やかでちょうどいい。

 

路地を入った雑居ビルの二階。

老齢の寡黙なマスターとの対面は、週に数度の憩いの時間。

 

オーダーのやり取り以外には一度も話したことはありませんが。

時折お店の近くですれ違うと、目線で挨拶をする程度には顔見知り。

そんな距離感が、このお店の居心地の良さに繋がっているのかもしれません。

 

私も喫茶店をやっていますが、人のお店で飲むコーヒーもまた、乙なものです。

 

コーヒー豆の種類は有限。

淹れ方も決して種類は多くありません。

 

けれど、何故でしょうか。

店によって、淹れる人によって、コーヒーは如何様にも表情を変える。

まるで淹れる人のこれまでの生涯を映した鏡のよう。

 

窓から外を眺めると、ビルの下を忙しなく歩く営業マン達。

その姿を見ていると、こんなところで呑気にコーヒーを待っている自分が少し後ろめたくも覚えて。

しかし同時に、平日の昼間から気ままに過ごせる我が身に、ちょっとした優越感も覚えていて。

 

不定休を名乗る私のお店は巷で最近、ちょっとした都市伝説となっているようです。

地元の方々にはマイペースにご贔屓いただいているのですが。

 

ことり、とカウンターに物音。

窓から視線を戻すと、置かれていたのはアップルパイと灰皿、マッチ。

マスターはコーヒーを氷の入ったグラスに注いでいるところでした。

 

懐から煙草を取り出し、頂いたマッチで火をつけます。

他にお客さんはいません。

一呼吸してから息を吐くと、想い人に感化された煙が漂い、数年前の少女の頃に戻った心持ちになりました。

 

「今日はお一人でお待ちですか」

 

マスターが口を開きました。

私的な会話は初めてだったので、少し驚きましたが。

 

けれど嫌な気持ちはなく、自然な距離感で。

私もまるで、いつも駅前で顔を合わせる度に世間話をしていたような気になっていました。

 

「いつも……二人で待っているように見えますか……?」

「現役時代から、よくお二人でいらっしゃいましたから」

 

またまた、私は驚きました。

現役時代の私を知っている、というのはままありますが……それだけでなく、私と一緒にいる……。

 

「今日も二人、ですよ」

「でしたら、よろしければどうぞ。用意しているときに崩れてしまいまして」

 

そう呟くと、マスターが小さくカットされたアップルパイを私の隣に置きました。

通常の三角ピースが崩れてしまったらしく、スクエア状に小さく整えられています。

 

「ありがとうございます……良かったね」

 

マスターにお礼を告げてから隣に声をかけます。

隣の席に、嬉しそうにマスターへ笑顔を向けるお友だちの姿が現れました。

 

「以前からお気付きだったんですね……」

「商売柄、などというほど大層な仕事ではありませんが。時々いらっしゃるんですよ、不思議な方々が」

 

あなたの待ち人もその一人ですよ、とマスターは笑いました。

 

水出しコーヒーのストローに口をつけます。

一口吸うと、すっきりと穏やかな味わいが口いっぱいに広がって。

水でゆっくりゆっくりと淹れる水出しは、優しい滋味に溢れていました。

 

隣で美味しそうにアップルパイを頬張るお友だちに釣られて、私もフォークを口に運びます。

 

「……相変わらず美味しいです、アップルパイ」

「亡くなった妻が遺してくれたレシピでして」

 

再び、煙草をゆっくりと吸います。

煙が胸の中を巡り、外へとふんわりと流れていく。

 

間違いなく身体には悪いのでしょうけれど。

あの人と同じ営みを繰り返していると思うと、心が落ち着くんです。

良くない悪癖だとは、我ながら思ってはいるのですが。

 

そんなことを考えていたとき。

カランカランと、喫茶店のドアが開きました。

 

「ごめん、カフェ。遅くなった」

「大丈夫です、私もさっき来たところですから」

 

入ってきたのは、私の最愛の伴侶。

数年間の別離を経て想いを遂げた、愛しい元トレーナーさんです。

 

にこやかな表情で見上げたお友だちの頭をぽんぽんと撫でると。

お友だちとは反対側の、私の隣に腰掛けました。

 

「珍しいね、アイスコーヒーなんだ」

「ここの水出し、美味しいですよ」

「それじゃあ俺も彼女と同じで。アップルパイも」

「かしこまりました」

「……と、その前に……お願いね」

 

お友だちにちらりと目線を遣ります。

頷いたお友だちは立ち上がると、元トレーナーさんの頭上を手刀で軽く薙ぎ払いました。

肩から上に纏わりついていた薄い影が、私の煙草の煙と共に霧散していきます。

 

「……また憑いてた?」

「ええ、それなりの数が……確かに、アナタも不思議な人の一人ですね……」

「何の話だい?」

 

クスクスと笑う私とお友だち。

納得したように小さく頷くマスター。

一人だけ話を分かっていない元トレーナーさんは、何度も首を傾げていました。

 

灰皿を元トレーナーさんへと差し出します。

目でお礼を言って彼が煙草を咥えたところで、私は彼の手元のライターを静止しました。

 

「折角頂いたので……たまには、どうぞ」

 

手元のマッチを擦り、火をつけて。

消えないように手の平で守りながら、彼が咥えた煙草の先端へと火をあてがいます。

薄暗い店内で私たちだけがにわかに照らされ、ぽうっと二人の顔が浮かび上がりました。

 

マッチの火を消して、互いに見つめ合ったまま息を吸って。

火薬の仄かな香りは香ばしい吸い心地で。

私はやはり、マッチが好きです。

 

緩やかに、静かに煙を吐くと。

まるで私たちの絡み合った人生のように、煙も混ざり合っていきました。

 

「どうぞ、水出しコーヒーとアップルパイです」

「ありがとうございます。ここのアップルパイ、好きなんだよなあ」

 

この人は時々、本当に子供っぽい。

好物を前にした少年のように、嬉しそうにフォークを手に取りました。

 

そんな夫を愛おしく思いながら眺めていると。

こっそりとマスターが耳打ちしてきました。

 

「よろしければ今度、アップルパイのレシピをお教えしますよ」

「いいんですか……?」

「大切なレシピですから、どなたかにはお教えしようと思っておりまして」

 

マスターはそう言って、私たち二人を優しげな目で見遣って。

 

「お気に召すようであれば彼に作ってあげてください、末永く。嬉しいものですよ、最愛の人に好物を作ってもらうのは」

「……ぁ……ぅ……はい……」

 

つい、学生の頃のように顔を赤らめてしまいました。

私ももうすっかり大人になったものと思っていたのですが。

 

まだ心の何処かに、愛しい人との夢を見る乙女の気持ちが残っていたようで。

隣に座るお友だちも、どこか懐かしそうに、口を押さえて笑いを堪えているようでした。

 

そんな状況が恥ずかしく、煙草の火を消して俯いていると。

 

「ん、どうしたんだ、顔真っ赤にして」

「……なんでも……ないです……」

 

久しぶりに恋する乙女に戻ってしまった私は、それ以上のことは言えませんでした。

 

横目で愛しい人の横顔を覗き見ます。

あの日恋した、アナタの横顔。

 

するとなんとも言えず胸の奥が暖かくなってきて。

改めてこの人と生涯を共にしたいと、ただただ思いました。

 

ふとアップルパイを頬張っていた彼の口元を見ると、たくさんのパイくずを付けています。

本当に子供のようです。

 

「ああもう……口の周り、汚いですよ……」

「えっ、悪い。俺、食べるの下手くそだな……」

「ふふ……動かないでくださいね」

 

カウンターに置かれていたおしぼりをお友だちに取ってもらって。

最愛の夫の口元を拭ってあげます。

 

そんな私たちのやり取りを眺めながら。

マスターは昔を懐かしむように、満足そうに微笑んでいました。




しっとりオトナなカフェも良いけど、時々はふと乙女に戻って欲しいと思う学会の者です。
こちらが論文となります、ご査収下さい。
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