Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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PianistⅢ

大きな地響きが辺り一帯へ広がり、その振動は強い地震として二人の元へと襲いかかる

 

アンジェリカは咄嗟にイナを抱えて机の下へ潜り込むが、飾っていた花瓶は落ちて割れ、窓ガラスはひび割れ、背の高い棚は倒れる

 

「…イナ、大丈夫ですか?」

 

「ありがとうございますアンジェリカ…でも、今のは一体」

 

互いの安全を確認した直後、家の外から何かの音が聴こえることに気がつく

 

それは、音楽の旋律を奏でている…生きているうちで何度か聞き覚えのある音

 

ピアノ、だった

 

状況把握の為二人は家の外へ出て、周囲を見渡す

 

多くの人々が家の外に出たり、地響きにより物や家屋の下敷きになっている

 

災害の現場のようになっているが、先程の地響きの中心地はイナ達の家よりも遠かった

 

建物の隙間から煙が登る

 

ピアノの旋律だと思って聴こえていたものは、人間の悲鳴や絶叫が混ざっている

 

「…!

イナ、貴方は市民の避難誘導を!」

 

「わかりました!…って、アンジェリカ!?どこへ行くのですか!」

 

前線から離れていてもアンジェリカのフィクサーとしての直感は冴えており、的確にイナへ指示をして駆け出した

 

アンジェリカの武器となる手袋は今ローランに貸し出している為、彼女はたった一つのメイスを手に震源地へと向かう

 

建物の隙間を縫い駆け付けた先には、死体と絶叫で音を奏でる巨大な多腕の人型生命体

 

その身体よりも大きなグランドピアノのような楽器をひたすらに弾き、その音楽を聴いた周辺の人間達は狂気的な表情で音符へと変わっていく

 

「なん…ですか、これは」

 

異様な光景に絶句する

 

演奏者はひたすらにピアノを奏でているが、そのピアノの構造も音も本来のものではなかった

 

人の血肉や骨で作られたピアノ、

 

アンジェリカはこれ以上被害が拡大しないように対象への攻撃を開始する

 

対象は大きく、そしてピアノを演奏している為その場から動かない

 

しかしソレがひとたび音を奏ればその音の衝撃は周囲へと拡がる

 

建物は崩れ去り、人々は狂乱する

 

発狂した市民は体が引き裂かれ、潰れ、捻れ、弾け…やがて音階のように宙に浮かぶ五線譜へ磔られていく

 

アンジェリカの攻撃も衝撃波により弾かれ、アンジェリカは素早い動きでソレの攻撃を躱していく

 

暫く戦闘していれば応援に駆け付けたフィクサー達が何十人も集まってきた

 

恐らく、イナがその健脚で呼び掛け回ったのだろう

 

チームで連携を取る者、強大な武具で叩き潰そうとする者、幾つもの命が突如現れたソレに襲い掛かる

 

…しかし、現実は簡単に好転しなかった

 

 

数時間にも及ぶ戦闘は苛烈さを増していく

 

何十人と集まったフィクサーは次々と殺され音の欠片となり磔られ、その音色は次第に拡大していく

 

遠くの地へと響くピアノの音に精神を壊された人間は音に貫かれ音となり、その光景を見た者が同様に音となっていく

 

悪循環として被害が拡がり、アンジェリカも焦りを見せていた

 

武器はひとつしかなく、決定的な弱点も現状見つかっていない

 

避難状況や被害数も把握出来ていない、ここは撤退するべきかと思い悩んだ時

 

「アンジェリカ!」

 

上空から声がし、見上げると瓦礫の上から駆け付けたイナが降りてきた

 

「時間がかかってしまいすみません!

9区の人達の避難完了しました!

ツヴァイ協会にも呼び掛けて今9区は厳重封鎖してもらってますが、被害はおよそ20万人は優に超えている状況です

追加増援も申請しています、すぐに上の協会が階級上のフィクサーを派遣してくれるはずです」

 

「イナ…ありがとう、ではそれまで私達で時間を稼ぎましょう」

 

「アンジェリカは大丈夫なんですか、お腹の子は…」

 

「ここで逃げたらあの怪物はどう動くかわかりません、せめて9区に押し留めておきたいんです

私なら大丈夫、イナもいるんですから」

 

アンジェリカは期待を込めた眼差しでイナを見つめる

 

イナはその期待を一身に背負い、力強く頷いた

 

そして、二人は共に怪物へと立ち向かう

 

メイスを持ったアンジェリカが距離を詰め、銃を構えたイナがアンジェリカをサポートする

 

素早く飛び交う五線譜を弾丸で貫き、怪物本体へと瞬く間に詰め寄ったアンジェリカはメイスの切っ先を振り下ろした

 

その刃は怪物の脳天を割る…ことはなく、音の壁で刃は防がれる

 

アンジェリカの重い一撃すら通じず、イナは怪物が座る椅子に魔弾をぶつけた

 

椅子を貫いた魔弾は魔術により爆発を引き起こし、怪物はバランスを崩す

 

その隙にアンジェリカは体勢を変えピアノへと攻撃を切り替える

 

鍵盤のひとつへメイスを突き立て、不協和音が生まれる

 

至近距離の轟音にアンジェリカは顔を歪ませるも、より深くメイスを押し付ける

 

五線譜が飛んできた瞬間飛び退き、一度距離をとる

 

「ナイスアシストですよイナ」

 

「アンジェリカ、耳から血が…!」

 

アンジェリカの耳からは血が垂れ流れ、鼓膜が破損したのだろうかイナの呼び掛けが聞こえないようだった

 

「この調子でまずピアノを破壊します

イナは引き続きサポートをよろしくお願いします」

 

駆け出していくアンジェリカに不安を抱えながらも、イナも同様に拳銃を手に走り出した

 

「無二、あれは一体なんですか…!アブノーマリティ…幻想体のようにも思えますが」

 

「わからぬ!わからぬが…あれは、あの魂はまだ人間の色を持っておる…

まさか…人間が突如変異したとでも言うのか…!?」

 

無二の憶測に、イナも冷や汗を流す

 

人が、怪物に成る

 

何の原因でかは不明だが、ここまで規模の大きな怪物が突然都市の中に現れるのは過去例が少ない

 

というのも、大抵こういう怪物はL社が収容していたから

 

L社が捕獲し所有することにより都市への被害が出ることは少なかった

 

しかしL社は今崩壊し、支部も没落

 

折れた翼が機能することも無く、突然現れた怪物が多くの人間を殺している

 

現れてから7時間ほど経過しただろうか、延々と演奏が続いているピアノの音にイナも疲弊している

 

「このっ…!」

 

槍のような音符が無数の雨のように降り注ぎ、それを躱しながら弾丸を撃ち込んでいく

 

(事態が好転しない…増援はまだなんですか…!?

どうしましょう、無二に頼る…?しかし無二は私の命を繋ぐためにその多くの力を消費させてしまって、あの怪物に適うかどうか…

魔弾もひとつ使って、体への負荷としては最悪残り二発

どうにか隙を生まないと…!)

 

イナは魔弾をひとつ込め、ピアノへと撃ち放つ

 

反動の衝撃がイナの左腕を通じて脊髄まで響く

 

魔弾はピアノを貫き、再び低い歪な音が反響する

 

その一瞬の隙を見逃さないアンジェリカが本体へとメイスを振り下ろし、その背中に傷をつけた

 

「やった…!」

 

確実に大きな傷に赤い血が溢れ出す

 

その出血の音さえも音楽のように奏でられ、異常な音にイナが一瞬気を取られていると…

 

「イナ!!」

 

背後から、ピアノ線が迫ってきていた

 

破壊されたピアノから放たれたピアノ線は地中を貫き、イナの背後に姿を現した

 

そのピアノ線は鉄より硬く、槍より鋭い

 

「…!」

 

アンジェリカの呼び掛けに振り返るも、魔弾の反動と本体へ攻撃が通ったことへの一瞬の油断により…イナですら回避することが出来なかった

 

スミレ色の眼前にピアノ線が迫っている

 

(あ…これ、無理…)

 

そう悟ったイナは、強い衝撃により地面へと叩き付けられた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数秒、衝撃により意識が混乱していたイナは地面に伏せていた自分の体を起こす

 

ピアノ線に襲われそうになった時、イナは何かに押し退けられた

 

だから、イナの肉体は無事だった

 

イナがほんの一瞬、状況を理解する前に…目の前に大量の赤い血が地面へと流れ落ちる

 

イナは全身の血の気が引いていく気がした

 

頭が理解を拒んだ

 

心臓が事実を否定するように強く脈打っている

 

だって、そんなはず、ないと信じたい

 

しかし、あの怪物と戦っていたのはイナともう一人しかおらず

 

イナは何者かに押し退けられて助かっている

 

なら、イナを庇った相手は

 

「…アン…ジェ……リ…」

 

イナは視線を上へ向けた

 

ピアノ線に身体を縛られ血を流して…音の槍でその腹を貫かれているアンジェリカが、そこに浮いていた

 

既に目に輝きは無く、口と腹からは赤黒い血が溢れている

 

「…うそ……うそ、うそ…あん…アンジェリカ……?」

 

「…い…な…よか…た……ぶじ…で……」

 

重い一撃を頭にぶつけられたように

 

イナはその一瞬だけ、ピアノの音が聞こえなくなった

 

無音の世界で、白銀の髪が赤く染まりピアノ線に連れていかれる女性へ手を伸ばすことしか出来なかった

 

アンジェリカの体はピアノの鍵盤へ詰められ、怪物は…ピアニストは、完成と言わんばかりにその音色を響かせた

 

強く鍵盤を打ち鳴らし、速く、遅く、軽く、重くピアノを奏でる

 

アンジェリカの音は、イナの耳と脳にも届いていた

 

無二の必死の呼び掛けすら神経に届かず、ピアノ(アンジェリカ)の音だけがイナの頭の中を侵食している

 

絶対的な演奏を前に、イナは一歩も動けずにいる

 

大きく拡がる五線譜に人の血肉で出来た音符が並べられ、ひとつの曲へと作り上げられている

 

その絶対的な演奏はその時、都市中へと鳴り響いていた

 

その、最前に座る観客のように

 

イナはただただ、大切な家族で築き上げられた一曲を聴き続けていた

 

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