Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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Fault and CurseⅠ

 

就職二日目の新人社員が脳味噌を吸われて死んだ

 

空洞になった頭の中から溢れる血が、涙のように滴り落ちる

 

「どうして私を身代わりにしたんですか」

 

犬のように慕ってきた後輩が前に立って頭が爆ぜた

 

下半分しかない顔が、不気味に笑っていた

 

「いつもそうやって誰かの命を踏み台にしてるんですね」

 

共に入社した同僚が魔女の遊戯に弄ばれ殺された

 

首を断たれた男も、大蛇にすり潰された男も、ひたすら見下ろしていた

 

「アンタの我儘で死ななくていい命が喪われた」

 

「お前が逆らうから自分も周りも苦しむんだ」

 

血の抜けた子供が指さした

 

「気持ちの悪い、人間じゃないくせに」

 

蟲に侵された頭の家族が睨んでいた

 

「私達だってまだ生きていたかった」

 

義体の体が溶けた男が祈っていた

 

「魔女様の綴る運命に背いた罰だ」

 

脳を分解された男が嘆いていた

 

「死にたくない、死にたくなかった」

 

 

 

…腹に穴が開いた女が、抱き締めた

 

 

 

「全て、貴方の罪なのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁぁぁあぁああぁああ!!!」

 

イナは目を覚ます

 

繋がれた脳波の管を引き抜き、呼吸器も無理矢理外す

 

白い空間に響く無機質な電子音はテンポを速め、彼女の心拍数が上昇していることを告げている

 

点滴スタンドは大きな音を立てて倒れ、近くの機材はイナの手脚により叩き壊された

 

イナが頭を掻き毟り、唇を噛み、過呼吸を繰り返していると白い空間に何人もの人間が入ってきた

 

「ひっ、い、いや、いやぁ!!来ないで!!誰もわたしに近寄らないでぇ!!」

 

「落ち着きなさい!鎮静剤早く!動きが鈍いうちに!」

 

怯えて暴れるイナを大の大人が両手両足を押さえつけ、彼女の血管に注射の針が入り込む

 

薬液を注入されたイナは次第に動きが落ち着き、焦点の会わない瞳は朧気になっていく

 

「はぁ…本当にこれほどする価値があるんですかね」

 

「ピアニスト事件の生き残りだ、あのチャールズ事務所のフィクサーでもある

丁重に治療しろとお達しだからな」

 

「それでも、外郭の熊用の鎮静剤をこう何本も打って、割に合うんでしょうか

一本50万眼もするのに」

 

「そもそも何故普通の人間用の鎮静剤が効かないのか…」

 

「血液検査の結果見ただろ?正常じゃない、明らかな劇物が混ざった血だ

その成分が薬の作用を阻害してるんだろう」

 

「それよりも、拘束具を用意してくれ

このままでは医療機材が破壊され尽くしてしまう」

 

白衣の大人達は口々に言いながら、壊れた機材を運びながら彼女の部屋から出ていった

 

一人、寝台の上で天井を見上げるイナの視界に、黒い蛇が映り込む

 

「…のう、小童

すまなかった、妾ではどうにも出来んかった

本当に…すまない…」

 

謝罪を口に繰り返す黒い蛇、無二の姿すらイナは見ていない

 

イナは、何も見ていない

 

だからだろうか、扉も開けずに侵入してきた魔女の存在に気がつくことができなかった

 

「だからあの時死んでおけば良かったものを」

 

無二はイナを守るように、その体を巨大化させていく

 

扉の前には一人の女がスミレ色の瞳を静かに湛えて、イナと無二を見据えている

 

…スミレの魔女、ヴァイオレットが、イナの病室に足を踏み入れたのだ

 

「貴様、何用だ!小童に権能一本でも触れてみろ

今度は右腕のみならずその首を噛み砕いてやる」

 

「やだなぁ、お前からそんな物騒な言葉を聞く日が来るなんて思わなかったよ

一体何時まで猿芝居を続けるつもり?」

 

「何の用かと聞いている!!」

 

ヴィオラは肩を竦め、権能の力で椅子を取り出した

 

白い病室に不釣り合いな、黒い革製の椅子

 

その椅子に腰掛けては脚と手を組み、威厳をもって微笑んでいる

 

「様子を見に来たんだよ、愛娘のね」

 

「何が愛娘だ…!命を弄んでいながら、笑えぬ冗談を言うな

それに、貴様はこやつを殺そうとしただろう!」

 

「頭に血が上ってまともな会話にならないな

…いや、お前にはもう血すら流れていないか」

 

手を叩いて笑うヴィオラの頭を噛み砕こうと無二はその口を大きく開き、彼を飲み込んだ

 

…否、飲み込もうとした

 

「何…?」

 

しかし無二が何かを捕食した感触はなく、ヴィオラもまた無傷で同じ姿勢を保っている

 

「実像で来るわけないだろ、僕は今忙しいんだ

昔からおつむが少し足りていないな」

 

「貴様…やはり陥没したL社の中か」

 

魔女は口の端を釣り上げて笑った

 

「これから、だ

これから都市は出鱈目になっていく

自己の確立すら不安定な都市の人間達を、僕はいずれ塗り替える

()()にとって、種の保存法として最適な方法でね

その為にもまぁ…頑張ってよ、無の世界蛇、今日はその為の宣戦布告も兼ねてるんだ」

 

侮蔑を込めた視線を無二へ向けた後、感情を消し去った瞳でイナを見る

 

その瞳に映るスミレ色は、深く濁っている

 

「どうだい、十年の延命を経て得た人生は

楽しかったかい?それとも…苦しいかい?

新たな家族を得て、そしてそれが崩壊して…人生ってそういうものなんだよ

手に入れた先に零れ落ちていく

君が抗ってきたものは全て無意味になってしまうんだ

それでも生きるというのなら、好きにするといい

君が抗おうが、従おうが…運命は帰結する

世界蛇の寵愛は、既に君に染み付いているのだから」

 

イナの瞳が揺れる

 

瞳孔の開いた瞳は、ゆるやかにヴィオラを捉えた

 

「や…やめろ!小童!聞くな!

頼む、聞かないで!…()!」

 

無二の必死の懇願も虚しく、ヴィオラは権能の一本を用いて無二を無音の殻に封じ込める

 

無二ならものの数秒で脱することはできるが、その数秒間はヴィオラにとって十分な時間で

 

魔女は唇を歪ませ、残酷な真実を伝える

 

「あの無の世界蛇は、無二という名ではない

無二なんて人格は()()()()()()()()()()()

かつて人の姿で都市に現れ、たった一人の恋人と離別し子供すら奪われた哀れな怪物

君達クローンの製造元、オリジナルの母、萌恵本人だよ

彼女は君に自身を取り巻く死の運命…世界蛇の寵愛を分け与え、君に僕を殺させようと唆した」

 

イナはただひたすら、脳に届く言葉を受け取ることに必死だった

 

「オリジナルの母親だと名乗らなかったのは「自分は無二だ」と言い聞かせることで僕への復讐を鈍らせない為

あの女は優しすぎるからね、怒りや絶望を持っていても底抜けの善人であれば殺意は鈍る

だから、「悪性の人格」として無二を名乗り、その殺意を維持していたのだろう

君に知恵や力を与え、復讐の道具として育て上げて…

自分の無念を晴らす為に、君を利用した悪い蛇さ」

 

殻を破って飛び出してきた蛇が、イナの元へ駆け寄った

 

「ちがう、違う!私は君を殺すのではなく、止める為に…この子を死なせないために…!」

 

「相変わらず生温い女だな

僕が生きてる限り自分の理想を叶えようとする諦めの悪い性格だと言うのは知っているだろうに

僕を止めることはつまり、僕を殺すしかないんだよ

何のために武器を、力を与えた?殺す為の力をさ

…それに、初期型575番に何を言って生き延びさせたんだ?

「母様を止めるため」と思考誘導して自分の目的を代行させようとした事実に変わりはないだろう」

 

「そ…れは…!」

 

蛇は、反論しない

 

できずにいる

 

歯痒そうに顔を歪ませ、蛇の体を形成する影が動揺を物語るように揺れている

 

「…ま、今日はこの辺りにしておいてあげる

ピアニストによる絶望感…甘美な狂気のお礼としてね」

 

そう言い残した次の瞬間、ヴィオラは姿を消した

 

沈黙が広がる

 

正体を、本性を暴かれた蛇はイナの方を振り返ることなく、声をかけた

 

「…い…イナ…今の、話は」

 

「全部、嘘だったんですか」

 

鎮静剤により重い体を起こし、イナは俯いたまま問い掛ける

 

その言葉に感情の色はなく、ただ機械が行う確認作業のような無機質さを放っている

 

「無二として共に過ごしてきた十年間、全て…嘘だったんですか?」

 

「う…嘘じゃない…と言えば嘘になる…けれど、私が無二と偽ったのはあれが理由じゃ」

 

「母様から解放された私は自由だと言っておきながら、命令に従う機械だった私の思考を利用し、自分の目的とすげ替えさせて」

 

「ねぇイナ、話を聞いて…」

 

「結局貴方も、母様と同じだったのではないですか

私は、私の意思で生きられなかった…所詮ただの傀儡だったんです」

 

「そんな事ない!貴方は生きている人間、そうしてくれたのは貴方の周囲の人達で」

 

「私を一人の人間として、家族として迎え入れてくれた女性は死にました!!

突然現れた怪物に楽器にされ、ぐちゃぐちゃになって弾かれてしまいました!お腹には、生まれるはずだった命もあったのに…!

全部全部私のせいです…あの時アンジェリカの提案を断ればよかった、私が前に出てればよかった、アンジェリカを連れて離脱すればよかった…!!

…私は、命じられれば動く、母様が作った人形に過ぎないんです」

 

「あれは…彼女は、自らの意思で君を守って」

 

「守るために強くなったのに、助けるために力を使っていたのに、これでは本末転倒じゃないですか…!

そうなるくらいなら、力なんてもう要らない…!

 

もう…もう…生きたくない…」

 

蹲り、涙を流し、嗚咽を零す

 

イナは自暴自棄になり、蛇はそんな彼女を立ち直らせようと言葉を尽くす

 

「そんな、そんなことを言わないで!生きていれば苦しみも喜びも必ず訪れる…でも死んだらそれまでなの!

何も無い、心が消えてしまうような虚無…

これから訪れるであろう幸福さえ二度と訪れなくなるの!

だから、死にたいなんて考えないで、お願い…」

 

「そうやって…私をまた利用する為に生き延びらせようとしているんですか?」

 

「違う!私はただ…」

 

「もう、もうやめてください!私に、もうこれ以上生きようとさせないでください…

お願いですから…私から…出ていってください……」

 

泣き縋るようなイナの懇願に、蛇はそれ以上かける言葉を失う

 

自分はどこから間違えたのだろう

 

そんな後悔と、拒絶された悲痛感に絶望した蛇は…イナの左目に宿るターコイズブルーの瞳は、彼女の目から離れて姿を消した

 

残されたイナの虚無感を表すかのように、左目は再び虚空となってしまった

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