Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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Fault and CurseⅡ

一体どこから間違えてしまったのだろう

 

私は湖の底に眠る怪物だった

 

それ以前のことはよく覚えていない…否、記憶があやふやで霞みがかったようにハッキリとしなかった

 

覚えていたのは、自分が「無の世界蛇」だということ

 

いつかの神話の世界蛇が自分を見初めて、死んだ私に宿ったこと

 

その時に人格が分離して「無二」が生まれて、そう、いつしか消えてしまったんだっけ

 

夢でも見ているかのように記憶を辿りながら、ただ水底で眠り続けていた蛇だった私

 

食べることも話すことも無く、時折白鯨や人魚と喧嘩していた程度

 

何年、何十年、何百年そうしていたかはわからない

 

でもある時、難破船が私の元へ沈んできた

 

陽の光すら届かない黒い水底、水上からずっと深い場所へと

 

船には人間という生き物が乗っていることは知っていた、でもさすがにこの深さに耐えられる人間はいなかった

 

難破船に乗っている人は皆死体となって流れ着いた人魚達に食べられ、残った死骸から人魚へ変化していった

 

湖は人間にとって危険な場所なのに、何故人は湖に漕ぎ出すのだろう

 

人は「都市」という、地上の楽園で暮らしているのだと

 

湖へ出る必要がないほど食べ物にも資材にも困っていないのだと、どこかで聞いた気がする

 

無意味で、無駄で、無謀

 

それなのに、人は敢えて危険へと飛び込んでいく

 

いつからか私は人間に興味を持った

 

起きる時間が増えた、重い体を起こして頭を水上へ持ち上げれば、遠い遠い水平線の先にちっぽけな世界が見える

 

都市、人間が築き上げた人間の世界

 

何故私はこうも人間へ興味を持ってしまったのかはわからないが、それからも時々起きては都市を眺める生活を送っていた

 

…だからだろうか、水底にいれば良かったものを、魔女に見つかってしまったのは

 

「ようやく見つけたよ、無の世界蛇

ずっとお前を探していたんだ…全く、哀れな怪物に成れ果ててしまって

人間が恋しいか?あんなに自分は人だと豪語していた先がこのザマではね

僕がお前の願いを叶えてあげよう、人の血肉を得てお前は都市で暮らす

お前がいなくなったこの辺りの支配海域は僕がもらう

…あと、人間になれば怪物の頃の記憶は当然封じられる

そのままでは人間とは呼べないからね」

 

魔女の契約書に、私はサインをしてしまった

 

今思えば、人魚姫の童話のようだなんて思ってしまう

 

…人魚姫なんて、どこで知ったんだっけ?

 

それから私は、人間の体を得て都市で暮らし始めた

 

身銭もないので何でもいいから働くしかなかった

 

気がつけば「フィクサー」という職になり、人助けから人殺しまでなんでもやった

 

身一つしかない私には失うものもなかった…でも、弾丸が人の頭を貫く度に心臓の内側から銀の杭でも飛び出るかのような苦しみを味わった

 

都市の人々を見たくて人になったのに、気がつけば周りを気にする余裕もなくなっていた

 

そんな私が唯一、心落ち着くのが夜の星空だった

 

その時の私は覚えてなかったけれど、湖で見るより都市で見る方が星の輝きは少ない

 

だからこそ、その微かな輝きが希少で大切に思えたんだ

 

ある日の夜、流星群が見れるというニュースを聞いて唯一の楽しみとして仕事をした日の終わり、雨が降ってしまった

 

ああ、これでは星空が見れないな…と落胆していた時に貴方に出会った

 

よくわからないことを言うし、なんだか不思議な雰囲気を漂わせていた貴方に私は次第に惹かれていったんだ

 

本当に幸せだった

 

こんな私でも、誰かを愛し愛されることが出来たんだって

 

子供も授かった

 

子供の名前は「雨」にしようと二人で決めた

 

……でも、貴方は帰ってこなかった

 

土塊となった貴方の欠片を見た時、全てが赤黒く見えた

 

子供も奪われた私は、人間から怪物へ戻る際に…全て魔女が仕組んだことだったと気がついて、でももう全てが遅かった

 

怪物として囚われた私は、ロボトミーコーポレーションで管理されていた

 

その時はまだ理性があった、作業しに来る職員と対話することは楽しかったと思うから

 

でも…あの日、職員の彼が呟いた名前に違和感があって、理性が崩れかかった時に魔女が再び私の前に現れて私の理性を破壊した

 

どれほど取り繕おうと、私は怪物

 

飛び出した私は怪物として人を殺し、殺し、殺した

 

その時に見た、魔女と似た顔立ち、魔女と同じ髪色、瞳

 

それが魔女の子供…利用された私の子供だということはなんとなく理解してしまって

 

鎮圧された後、隙をついて収容室から逃げ出した私は、死にかけたその子供が運ばれた先の抽出部門へと向かった

 

死にかけた…否、もう死んでしまった子供

 

そんな子供を生き返らせることができるかもしれない、なんて甘言を聞いてしまえば、応じる他なかった

 

魔女に何度も騙されているのに、私は本当に甘い

 

一縷の希望を捨てきれず、信じてしまう

 

怪物としての自分を律し、強く理性的であろうとした

 

その為には「私」であることを封じなければいけない

 

私は甘く、自分に自信がなく、すぐに心が不安定になる

 

…だから、強い自我で確固たる意思を持った「無二」として彼女に接するようにした

 

……本当のところ、やっぱり私は怖かっただけ

 

自分の子供が魔女に奪われ、素材として使われ、複製人間が作られている

 

そのうちの一人である彼女と向き合う勇気が、私にはなかった

 

自信を持って「私は君の母親だよ」と名乗ることが出来なかった

 

だって、実の子にすら母だと言い抱くことすら出来なかったのだから

 

そう…結局のところ、全て私の弱さが生み出した罪

 

あの子…イナに、私の呪いを被せてしまった

 

私は世界蛇に愛されたせいで周囲の生命の寿命を奪っている

 

私は誰より他者の死を恐れるくせに、誰よりも他者の命を削ってしまう

 

その呪いを、私が移植されたことにより彼女にも被せてしまった

 

彼女と過ごした十年間、彼女は本当に頑張ってきた

 

他人を守れるようにと努力してきた

 

それを一番近くで見てきたんだ

 

それでも、都市では毎日誰かが死んでいる

 

そのどうしようも無い現実に、何度も悔やみ悩みながら…それでも彼女は生きてきた

 

普通と違う方法で生まれてきた彼女でも、普通のような家族と笑い合うことが出来ていた

 

それを私は喜ばしく思っていた、例え貴方の母になれなくても、貴方の幸せは私の幸せと同じだと

 

けれど、そんな幸せすら都市に奪われてしまった

 

イナの心は、折れてしまった

 

もう私が一緒にいては、彼女を余計苦しめてしまうだけだと気がついて…彼女を置いて私は逃げ出した

 

ごめんなさい、と謝ったところで赦されるはずもない

 

私が犯した罪、私が臆病で弱いから招いた結果

 

一体、どうしたら償えるのだろう…

 

そう考えながら、影から影へと伝って、私は浜辺へ辿り着いた

 

水平線を眺めて、考える

 

私が出来る償いを

 

水平線の向こう側、私が昔いた海域は今は魔女の支配圏…きっとそこに、ヴァイオレット・カンパニーの本社がある

 

泳いで行ければ良いのだが、残念ながら私は泳げない

 

これも世界蛇の呪いなのだ

 

昔は体が大きかったから湖の底を這って動いていたのだが、今の私はイナの蘇生に力を使ってしまい、像並の大きさまでしかなれない

 

力を取り戻す為には、幻想体として力を振るうには…当然必要な行為がある

 

もうこの際、嫌だやりたくないだの甘ったれたことを言っていられるほど余裕もない

 

私は湖に潜り込み、水底を進む

 

進んで、進んで、這いずり回って…目に入った人魚を片っ端から食らった

 

人魚と呼ばれる怪物とはいえ、彼らも元は人間だったから

 

私は人間を食い殺すことで、人としての理性を崩しながらも怪物としての力を取り戻していく

 

ほんの少しずつだけれど、そうして行けばいつかはあの頃のような怪物に戻れる

 

…魔女の言う通りだった

 

私は、もう私には出来ないからと、イナを使って魔女へ復讐しようとしていた

 

耳触りのいい言葉で唆した蛇そのもの

 

他力本願で自分の目的を叶えようとする狡賢い蛇

 

だからこそ、今度は間違えないように

 

誰かではなく私が、魔女を殺す

 

その為なら…私は喜んで怪物となる

 

もう二度と人になれないとしても構わない

 

もう二度と誰からも愛されないとしても良い

 

…私は自分の罪を償う為、罰として怪物を受け入れるのだ

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