Labyrinth of the Violet   作:白波恵

128 / 162
Play timeⅠ

幼子は、迷っていた

 

自分の母の仕事場を見学していたら、大きく頑丈な部屋に入っている不思議な生き物達を眺めるのが楽しくなり…道を外れてしまった

 

いつも自身を守ってくれる母の姿が見えず、心細さから不安が募り、泣き出してしまいそうになった子供は、一つの病室を見つける

 

誰かいないか、そんな期待から消毒室を抜け、病室に入っていった

 

「どうしたんだエリヤ、なにか忘れ物でも…」

 

病室にいたのは、仰々しい機械や大きな管に繋がれた一人の青年だった

 

瘦せ細り、不眠気味なのかクマが濃く表れている

 

子供の目に見えて体が悪い様子の青年は、驚きつつも幼子を受け入れた

 

「君、どこから来たの」

 

「…あっち…」

 

「名前は?」

 

「…レイン」

 

そう、ほんの僅かな時間…それでも、二人の子供にとって、ささやかな内緒話のような、煌めくガラス玉のような…宝物の思い出なのだ

 

 

 

どうして今、オリジナルの記憶が想起されるのか、イナにはわからなかった

 

記憶の中の青年…オリジナルがジェニーと呼んだ彼のことも、結局どうなったのか知らないまま

 

しかし、この記憶がオリジナルにとってよほど大切なものなのか、オリジナルから複製されるレインシリーズの一人であるイナにも、その記憶は引き継がれていた

 

目の前で繰り広げられる惨劇を直視しないようにするためか、それともこの研究所のような施設が記憶再生のトリガーになったのか…彼女にはまだ知る由もないが、この記憶を再生させる時は、確かに精神状態がいくらか安定するのだ

 

「凄くがっかりだよ、 ここまで来ればきっと答えが見つかると思ったんだ

それなのに、どうして誰も知らないんだろう…」

 

アルガリアは落胆した様子でそう呟く

 

その瞬間、イナは手に持った剣で無力な人々を次々切り殺していく

 

イナたちが今いるのは、外郭に存在するとある施設

 

廃墟になって久しいが、元は立派な人工造形物だったのだろう、古い型だが時代の最先端を走っていた機材が多く残されている

 

しかし、研究所であっただろう建物は見る影もなく廃れてしまい、今や外郭の住人達の住まいとなっている

 

そんなところに、なぜアルガリア達は訪れたのか…それは、赤い霧について調べるためだった

 

アルガリアは住人達に聞き込みをしながら…無益な返答が返ってくる度に、イナに殺させている

 

「何かがあるのは確かなんだけど…心当たりない?」

 

「もうじき化け物が来ます、どうか…私達を放してください…!」

 

「ちっとも役に立たないな」

 

死んだ男含め、住人達はアルガリア達の他にも何かに怯えている

 

何せ、この外郭は都市と違い、強い何かに守られてもいなければ、むしろ見捨てられた者たちが生きる…地続きの地獄

 

人間のほとんどの人口は都市に集中しているが、それは外郭はまともに生きられる環境ではないから

 

常に怪物が跋扈し、その日を生き延びるのも必死な世界

 

今アルガリアが尋問している住人達も、この後訪れる予定の怪物達を恐れている様子だった

 

「あの…アルガリア、彼らは本当に何も知り得なさそうですが…」

 

「イナ、お前は何も疑問を持たなくていい

俺の言うとおりにするんだ」

 

「…はい」

 

アルガリアが指をさす

 

さされた人間を、イナが殺す

 

肉を裂き、骨を断つ感触

 

周囲の悲鳴、絶叫、すすり泣く声、怯える瞳…

 

イナにはもう、苦しむ余裕もない

 

感情が沸き上がる隙間もない

 

「都市のど真ん中に現れたピアニスト…俺の妹を奪っていった…

俺はその場にいられなかったけど…遅くなって到着し、見たものは…ピアニストがいない巨大なピアノだけだったんだ」

 

アルガリアが懐かしむように語りだす

 

背後に連れた二人の「友達」聞かせるかのように

 

しかし、その話が始まった途端、イナの瞳孔は開き、心臓は暴れ、呼吸は激しくなる

 

目の前が真っ赤になり、怯える住人達がまるであの時に見たピアノの鍵盤に錯覚してしまう

 

「俺の妹は、ピアノの鍵盤と弦になって最後の演奏をしたんだ…言葉じゃ言い表せられない姿だったよ

でも、恐ろしくて絶句したんじゃないんだ…その姿は美しかったんだ」

 

何かを叫びながら逃げ惑う鍵盤をひとつ

 

「俺の妹をあほうの元へ送ったのが間違いだったよ、俺は止められなかった…一生理解できずに寂しかった俺達は、演奏でお互いを理解することができた」

 

祈りを捧げる鍵盤をふたつ

 

「世間知らずの可愛いおてんばさんを喪った痛みと絶望に、いっとき身体を震わせて…再び妹だったものを見ながらその美しい旋律に身体を振るわせたとき…目が醒めた

見えたんだよ、その子のために俺ができることが」

 

仲間達にも逃げるよう指示する鍵盤を、みっつ

 

「美しい旋律で、アンジェリカの追慕を果てしなく受け継ぐこと…

優しい声が囁いたんだ…もう一度、あの時の演奏ができるって

その声を追いかけて彷徨ったけど、どこであっても確かな答えは見つけられなかった」

 

よっつ、いつつ、むっつ

 

潰して、引き裂いて、叩き壊して、細切れにして

 

「…違う

俺が見ようと思ったものはこんな下らない怪物じゃない

プルート、エイリーン」

 

「はい、アルガリア様」

 

「停止すればいいんですよね?ぜんまいは歯車と比べるとお粗末ですから」

 

開け放たれた建物の扉から侵入してきたのは、歯のぜんまいや肉のぜんまいといった怪物達だった

 

アルガリアから指示を受けた二人は、引き連れた歯車の教団信者や謎の魔法により怪物達を一掃する

 

「そしてようやく頭の中に何かが掠めたんだ

そうだ、赤い霧が血を吐きながら踊っているときの美しさとよく似ているね

きっとピアニストと赤い霧の美しさじゃ毛色は違うだろうけど、本当にそっくりだね」

 

驚嘆する鍵盤を、絶望し諦める鍵盤を

 

「なんにもない、俺に残ったのはこの招待状だけか…

エイリーン、君の子達をちょっと貸してくれない?」

 

「はい、どうぞ

私達はついていかなくても大丈夫なのですか?」

 

ななつ、やっつ、ここのつ

 

「心配しないで、すぐ帰ってくるよ

まだ熟してないからね…それに、俺にはこの子がいるから…おっと」

 

殺し尽くし、返り血により白い髪も服も真っ赤に染め上げたイナを見て、アルガリアは声を漏らした

 

完全に正気を失っているイナは充血した片目を血走らせ、次の鍵盤を探している

 

「…さなきゃ…つぶさなきゃ…アンジェリカを…たすけて…」

 

「はは、何言ってるんだイナは

アンジェリカはここにはいないよ」

 

譫言を呟くイナを、アルガリアは外套で視界を隠す

 

何も見えなくなったことで、イナは少し落ち着きを取り戻したのか…手にしていた剣を落とした

 

「…服、汚れてしまいます」

 

「気にすることじゃない…いつも汚れ役ばかりやれせてごめんね?

さぁ、一緒に行こうか」

 

アルガリアは招待状にサインをすると、目の前に現れた扉へ足を踏み入れる

 

「イナ様」

 

イナもその後に続こうとしたとき、プルートが呼び止める

 

そのままプルートが指を鳴らすと、血塗れだったイナの姿は住人達を殺す前の綺麗な状態に戻る

 

「血に染まったままで訪問しては、図書館の人達を怯えさせてしまうかもしれませんからね

やはり貴方様は純白の姿こそお美しい」

 

「…余計なお世話です」

 

本来のイナであれば、お礼の言葉を述べただろうが…イナは不愛想に返した後、扉の奥へ進んでいった

 

扉が閉じるのを見送ったプルートとエイリーンは、再び建物内を調査する

 

そんな矢先、エイリーンは一冊の本を発見する

 

「こちらは…」

 

エイリーンが手に取ったのは、床に落ちていた書物の様なもの

 

血痕と焼け跡でろくに読めもしない、紙の束同然のものだった

 

「おや、そちらはずいぶん古い著作物ですね

もう発行されていない、十年以上前の娯楽小説です

ここは研究施設と聞いていましたが、こんなものもあるのですね」

 

「研究施設であるのと同時に、病人や子供を保護していたと聞きます

娯楽品もいくつかあったのでしょうね

ですが…表紙も中も破損していて、読むことはできませんね」

 

「なにか懸念でも?」

 

「いえ、イナ様のお眼鏡にかなうかと思いまして…でももう発行されていないのなら、改めて別のものでもご用意いたしましょうか」

 

エイリーンは手に取った本だったものを地に置き直し、捜索を再開する

 

「なるほど、イナ様はアルガリア様の大切な姪御であり弟子様ですからね」

 

「ええ、いつか私達にもアルガリア様の語るような笑顔をお見せしてもらいたいものです」

 

アルガリアが集める「友達」…残響楽団

 

ねじれた人間で構成されたその組織は、アルガリアを信奉し、同時にイナのことも一目置いている

 

残されたアルガリアの姪、唯一の弟子…などの肩書も、アルガリアに次ぐ強さも理由のひとつだが

 

「アルガリア様と一緒に私を助けてくださり、残響楽団に参加した際も良くしていただきましたから」

 

「ええ、あの御嬢様は…どれほど躾けられても、根底は分け隔てのない優しさを持つ方ですからね」

 

そんな会話をしつつ、二人は建物の奥へと進んでいった

 

二人をはじめ、楽団の誰もは壊れてしまう前のイナを知り得ない

 

少なくとも…以前の彼女に戻る保証など、どこにもないのだが

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。