「……」
「よぉネツァク…とりあえず、情報整理しようか」
青い残響、アルガリア達との接待を終えて暫く
ローランは芸術の階を訪れてネツァクに声をかける
ネツァクは酒も飲まず、何も描かれていないまっさらのキャンバスを前に座っているだけだった
「俺も、アンジェラからいろいろ聞いてきた
…10年前に拾った子供が、悪名高いスミレの魔女の作ったクローンだったなんて…
そんで…あー…あの時、接待前にネツァク、調律者のアイツにいろいろ聞いてただろ?その後から様子が変だったから…
前に言ってたロボトミー社での好きになった子って…イナ、だったのか?」
ローランの問い掛けに、ネツァクは握っていただけの筆を置いた
そのまま振り返ることなく、ぽつりと胸の内の心情を語り出す
「…イナ、と言うんですね…今の彼女は」
「ああ…L社にいた時は…」
「レインシリーズ、と呼ばれるだけあって…彼女も数いるうちのレインの一人でした
だから…僕は、彼女だけを呼び分ける呼び方を知りませんでした
……イナ…良い名前ですね」
「…見てたんだろ、接待
アイツは今青い残響に操られてるだけなんだって、前までは明るくて優しい子だったんだ
戦場においても、誰かを殺さずに集結させるくらい…凄い子に、なったんだ」
「はは…なんだ、相変わらずなんですね
強くなったのは、見てわかりました
かつてロボトミー社で駆けていた頃よりも、ずっと…
…本当、生きていてくれて、嬉しかったんです
強い衝撃でした、死んだと思っていた彼女が生きていたんですから」
「ネツァク…」
「けれど…あんな苦しそうに、怯えてしまっているイナを見て…僕を送り出してくれた彼女のあんな顔を見てしまって…僕は、悔しいんです」
膝の上に乗せた握り拳を強く握り締め、ネツァクはふつふつと煮え滾る感情を吐露する
「あの子は…イナは、「あの人の代わりに死ねばよかった」と叫んでいましたよね
それは…ローランに関係する人物ですか?」
「…ああ、俺の妻のことを言ってるんだろう
俺の妻はお腹の子と一緒に事故で死んだ
…けれど、本当は、イナを庇って死んだんだ」
ローランだって理解している
感情をぶつける矛先がなかった当時は、その矛先をイナに向けてしまいそうになるのを防ぐため…彼女から距離を置いた
けれど、イナを庇ってアンジェリカが死んだのは、アンジェリカが望んでそうしたからなのだ
イナには何の非も無いんだって
それなのに、イナはずっと自分を責め立てている
そして、罪滅ぼしを求めているのだろう
その贖罪を求めた先が…アルガリアだったのだ
優しく責任感の強いイナだからこそ陥った地獄
「実に、彼女らしい…
…イナは、L社にいた頃…他のレインシリーズ同様他人の命を土台にしてまで生き延びる、人としては破綻していた、けれどL社においては非常に合理的なエージェントでした
けれどある時、彼女を慕っていた後輩が自ら盾になり死んだことで…それが強いトラウマとして残っている…はずです」
「それは…」
「きっと俺のことですよね」
芸術の階の本棚の影から、司書補であるオーウェンが顔を覗かせる
少々バツが悪そうに頬を掻き苦笑しながら
「へへ…実は俺らも見てたんですよね、今回の接待
アンジェラ様に頼み込んで、例のレインさんがいた時の記憶を同期させてもらいました
確かに俺は、レインさんを庇ってポーキュパスに頭を爆破されました」
オーウェンの手には、ポーキュパスの本が抱えられている
「…誰かに助けられ生かされるのは、苦しいですよ
置いていった方は、相手の幸せを願って笑って死んでいきますけど…残された方はその願いが呪いになって苦しみになるんです」
まるで自分が体験してきたかのように語るネツァクの背を眺めるローランは、唇の内側を噛んだ
彼は、愛する妻の死に際にも立ち会えなかった
「レインシリーズは強い生存本能があります
イナだってそれが根底にあるはず…そんな彼女が自ら「代わりに死ねば良かった」と口走るのは、相当自我が壊されているのでしょう
…早く解放しないと、ねじれてしまうかも」
「ねじれ…って…!」
先日、図書館にもねじれが訪れたことがある
E.G.Oを発現させたはずのフィリップが、天使のような怪物になって再び訪問してきたのだ
幻想体のような彼は接待した後また図書館から脱出したのだが…あれ以来、フィリップは来ていない
だが、イナもいずれ
フィリップ…泣く子や、ピアニストのように
「そうなるのは僕としても望ましくありません
ですが、ゲストとしてそのまま接待してしまうと…本になってしまうでしょうね
本にならず退場しても、あの男のもとにいれば問題は解決しません」
「そう…だよな、それが図書館の決まりなんだもんな」
「え!あ、あの!あの!俺思うんですけど!」
深刻そうな二人の間を割って、オーウェンが手を挙げて発言する
それは至極基本的なことだった
「戦うんじゃなくて、話しませんか?
対話です対話!
そんで…こっちに引き込むんです!」
「…対話?」
「お、おいおい…引き込むたって、それをアンジェラが許すと思うか?」
「それは…実際にアンジェラ様に聞いてみないとわからないじゃないですか!
俺も、レインさ…イナさんにはたくさんお世話になったんです!ほんのちょっとの間だけど…
尊敬する先輩が苦しんでるのを、そのままにはできません!」
オーウェンの力説に気圧された二人の前に、更に人が集まる
芸術の階の司書補…皆、イナに関係のある職員達だった
「わ…私はあの人に一言…いえ、二言くらい、言いたいことあります!
怪物になっちゃったら、きっと文句を言っても伝わらないでしょうから…ね、ねじれられては困ります!」
目覚めて二日目でイナに案山子への盾にされたカレン
「他のレインは気に入らないが…アイツは別、なんだろ?
なら助けてやらんでもない」
「カウレス先輩相変わらずのツンデレですねあいたたたた耳!耳は痛いです!」
レインシリーズと最後まで反りが合わない仲だったが…イナとだけは、比較的良好な関係を築けたカウレスも賛同して
「…」
ロイドは一人、思考を巡らせていた
(…強い自分を持つようになったアンタが
有象無象の複製品から、唯一になったアンタが、苦しんでいる
俺は…そうだ、俺は確かにレインシリーズに
けれど、本当に好きになったのは…アンタだけだったな
なら…空っぽの俺が出来ることは、ひとつだけだろう)
彼もまた、イナという人間性を獲得した彼女を好いている男として…協力することを覚悟した
自身の恋心が報われないことは、とっくのとうにわかっていた
「俺も手伝うっすよ
俺らで、英雄を取り戻してやりましょーよ」
空っぽな自分だけど、闇落ちしたヒーローを助けるモブなんて、超カッコイイ展開じゃなかろうか
いつか自分に説き伏せた奴にも、これで多少は誇れるのではないか
そんな期待からロイドはネツァクに手を差し伸べた
ネツァクは、そんな司書補達の言葉に…背中を押された
まだ、手は届く
交わすのは武器ではなく…言葉で
「……あぁ、皆…ありがとうな」
砕けた素を零すくらいには、ネツァクも喜びを露わにして
差し出された手を握り返し…芸術の階は、イナを助ける方針で満場一致する
そんな一同を眺めながら、ローランは安心したように肩の力を抜いた…ように見せる
(…訳ありなのは知ってたが…クローンだったとはな
魔女に狙われてたのも納得だが…)
一致団結を見せる芸術の階を後に、ローランはその場を抜け出した
…かつて共に暮らしていたイナは、娘も同然に可愛がっていた
子供なんていたことないのに、イナとの家族ごっこは…ローランにとって穏やかな気持ちになれるひと時だった
それでも…それでも、アンジェリカを喪った時の苦痛を和らげることは、イナには出来なかった
「私があの人の代わりに死んでいれば…!!」
イナにあんなことを言わせてしまった
彼女はずっとそう思っていたのだろう
あの日…ピアニストがアンジェリカを殺した日から、ずっと
自分が代わりに死んでいれば…イナが、アンジェリカの代わりに死んでいれば
ローランは今と同じように、怒りと憎しみで復讐を誓うようになっていたのだろうか?
彼には…当然のように肯定する自信はなかった
イナが代わりに死んでいたところで、悔やみ、嘆き、涙を流して…アンジェリカと共に立ち上がり、未来を生きていただろう
アルガリアだって、あそこまで狂ってしまうこともなかっただろう
そう思えてしまうから…ローランはイナになんの言葉もかけられなかった
イナが退院してきた日、イナを憎んでしまいそうになるから遠ざけた…思えばあの時に、ちゃんと向き合えば良かったのだろう
自分の本心を、言葉にして…そのままお互いに向き合うことが出来れば、イナはアルガリアのもとへ行くことはなく、あそこまで壊されることは無かったのだろう
向き合うことを恐れ、憎むことを恐れ…逃げずにいれば…
今更そんなことを悔やんでもどうにもならない、今ローランが出来ることは…未だ変わらない
イナのことは、彼らに任せよう…ローランと出会う前からイナの心に残っている誰か達に
だが、ローランも責任を放棄したわけではない
ローランはローランなりに…イナも助ける方法を、模索しようとしている
「どういうことなのヴィオラ
聞いていないわよ…まさか、光の種シナリオ進行中のL社から抜け出したレインシリーズがいたなんて」
「あちゃ〜…とうとうバレたか
いやぁ、そう怒ることもないだろう?結果的に光の種シナリオは終わりを迎えられたんだし…」
「結果が良ければそれでいいかもしれない
けれど、何故私に一言も報告してくれなかったのかしら
…あの異質なレインシリーズが来たせいで、無駄に司書補達に説明を求められて…記憶同期せざるを得なかったし」
館長が本を纏める為の書庫
アンジェラが座る為の仕事用の机の上には…接待にて僅かに抽出できた、イナの戦闘ページが並べられている
それを見せながら、アンジェラはヴィオラに問い詰める
「あの頃の君はまだ未熟だったし…伝えたところで、L社の外に出られない君に出来ることは何もない」
「それは…そうかもしれないけれど」
「外のことは僕に任せてくれればいいんだよ」
あっけらかんとして尋問から逃げるヴィオラに、アンジェラは言葉を飲み込んだ
確かに、ヴィオラの言う通り…あのレインシリーズは初期型575番…つまり、周期575回目という序盤の方に存在していたもの
その時のアンジェラはまだ人の心に寄り添い、優しく…そしてヴィオラにも警戒心を強く見せていた頃だった
そんなアンジェラに「レインシリーズが本社の外に逃げた」なんて報告をされたところで…何も出来ないし、そんな余裕もなかった
「…けれど、やっぱり報連相は大事じゃないかしら」
「へぇ…随分と人間らしいことを言うようになったね
何も教えてくれなかったことがそんなに悲しかった?」
ヴィオラは本当に、都合の悪い話から逃げるのが上手い
質問には明確に答えず、こちらの図星を突いてくる
「……ええ、とても悲しいし失望したわ
そもそも、どうしてL社の外に出るようなことが…」
「僕も死んだと思ったけどさぁ〜ほら、死んだ職員って抽出部門で幻想体を作る素体にされるじゃん?その時にあの目障りな元調律者が何か手引きしたみたいで…この僕の、魔女の遺伝子を受け継いでいるからT社の時間操作を隔てる外壁も越えられたんだろうね」
「どうして今まで生かしていたのかしら」
「僕も最初は捕まえようとしたけどさ…アルガリアに裏切られちゃった☆
でも、むしろ目の届く範囲で外にいてくれた方がいいかな〜って気が付いたんだよね
そうすれば、魔女の遺伝子に引き寄せられて残りの権能が見つかるかもしれないし」
アンジェラの質問に、ヴィオラは軽快に答えていく
長い付き合いではあるが、ヴィオラのこういうふざけた態度はいつまで経っても苛立ちを生んでしまう
精神的な疲労感から、アンジェラは馬鹿馬鹿しくなり…溜息をついて尋問を終わらせた
「…はぁ、もういいわ
何にせよ、図書館の方針は変わらない
彼らもまた、いずれは図書館に導かれるとしたら…変わらずに本を得るだけだから」
「そうそう、やることはなーんにも変わらない!僕にとってもあの子が本になろうがそのまま都市で生きていこうが、今は何にも問題はないよ
ああ、でも…どうなるんだろうね、あの子がねじれたら…それは…ちょっと問題かもしれないなぁ」
ヴィオラは紅茶を飲みながら、書庫の天井を見つめた
品種改良の手を施したクローンであるレインシリーズ、その一人であるイナは…純粋な人間ではない
出自も特殊であれば、元々感情や余計な要素を削りに削った、人間らしくない人間だった
それが感情を得て、今までの自己定義を覆す自我を得た…そんな子供同然の複製人間が、もし、自我を崩壊させねじれてしまったら
更には魔女の遺伝子を引き継いでいるのだから…
「生まれるかもしれないね…二代目の魔女が
…なーんて、スミレの魔女は僕だけでいいさ、
そんな軽口を零し、ヴィオラは紅茶を飲み干した
純白のキャンバスの上に、絵の具を走らせる
記憶を頼りに、あの時と同じ優しい笑顔を形どって…傷や血は敢えて描かずに
更に、記憶にあるのは灰色の髪だったが…今回は、星の輝きのような白銀を乗せて
そうして、描きたいものを…いつか見たいものを描いていく
普段なら毎日のように口にする酒も、この時ばかりは飲もうと思えなくて
飲まず食わず休まず描き続けて、完成させた一枚の絵画
自分で思う中で、過去一番の出来だと自負できる
いつか見たい…俺にとっての、夢
あの時見た「レイン」の笑顔を…今度は「イナ」としての笑顔で見てみたい
それは出来れば、死に際ではなく、ただ怖いことも痛いこともない…優しい世界で
こんな風に笑う君を見てみたい