その声が聞こえ始めたのは、アンジェリカが死んだ直後だった
ピアニストによる大演奏は、
大切な家族
その事実を理解するよりも先に…感じたことがある
ああ…
今までアルガリアによる教育で様々な音を聞いてきた…肥えた耳にすら衝撃を与える音だった
それはまさしく命の音で、強く儚く、そして唯一の音…
…けれど、美しいと感じたことを自覚した瞬間、強い罪悪の意識がイナを襲った
自分のせいでアンジェリカは死んだのに?
それを、あまつさえ「美しい」と感じてしまった?
それを自認した、病院へ行く救急車の中で、イナは嘔吐した
信じられなかった
信じたくなかった
自分は、自分はなんて、最悪な人間なのだろう、と___
その時に、あの声が聞こえたのだった
愚かだと思う ?
醜いと 思う?
君のせいで家族が死に
大切な人を悲しませ
それなのに あの音を 綺麗だなんて
恐ろしさの余りイナは謝り続けた
ただひたすらに謝り続けた
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦してください赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して赦して
そんなイナの懺悔を聞き届けてくれたのか
声は、イナを導いた
赦されたいのなら
おいで
あっちよ
その声に導かれるままに、イナはこんなところまで来てしまった
アルガリアの「都市中に音楽を響かせる」という計画を手伝い、彼を守り、彼に赦しを求め…手を汚した
音楽を演奏するための演者も集め、ねじれた人々が楽団員として図書館の完成を待ち侘びている
そして…最後は、イナを残すのみとなった
「ほら、イナの楽団正装だよ
一際小さいサイズだから…他の皆のと比べるとリスみたいだ
君は普段スカートだから、特別に同じように仕立ててもらったんだ」
手渡されたヌオーヴォ生地のスーツは、黒を基調とした中に青の刺繍が取り入れられている
普段白のワンピースジャケットを着ているからか、対照的でどこか馴染まない
どこからか拾ってきた大きな鏡の前に立たされ、その前にスーツを広げられる
「うん、良く似合う」
自分の肩書きは、残響楽団なのだろうか
未だねじれていないイナは、「アルガリアの姪」「アルガリアの弟子」としてここにいる
他の団員と違い、明確に勧誘されたわけでもなければ、ねじれていない…中途半端な立ち位置
けれど、世間から見ればイナも残響楽団と同義なのだろう
ハナ協会にもとっくに認定されているだろうし…何よりこの男は、イナをとっくのとうに団員として見ている
今までイナに様々なことをさせてきた
ターゲットの図書館への誘導、交渉の証言、無辜の人々の虐殺、邪魔者の粛清…
その全て、イナの心を壊すという罰であり、彼女がねじれるための過程なのだろう
…けれど、彼女は未だ人の形を保っている
最後の強い一撃が足りないから
アルガリアはそれを理解しながら…最後の一手を考える
そのタイミングは…まだ、もう少しだけ先なのだが
「ほら、向こうで着替えておいで」
「……私は…」
残響楽団の目的は、「都市に演奏を聞かせる」こと
かつてのピアニストを超える、誰もが自分を表せられる…史上最高の演奏会
誰もが各々の強い願いをもって、残酷な現実を前に自分の欲を肯定している
その欲が、音楽というカタチになって集まっている
だが、イナは?
彼女はただ贖罪を求めているだけに過ぎない
むしろ…あの時のような、否、それ以上の演奏を響かせようとする楽団に、アルガリアに、ずっと恐れている
目的の違うイナを、引き込もうとしている
洗脳と躾をもって、逃げられないようにしている
そもそもこれは、イナが最初に望んだことである
「これを着たイナを、
「…」
イナはヌオーヴォのスーツを受け取り、割り当てられたテントに入っていった
(…貴方は覚えていないのでしょうか
貴方のもとで修行していたあの頃、私にこの服を買ってくださったこと
強い生地で身を守れるように…って)
白いワンピースジャケットは、かつて二年だけアルガリアのもとにいた時に、ショーウィンドウに飾ってあったものをイナが見つけた
フィクサー認定試験の直前、景気づけにアルガリアが買い与えたもの
ショーウィンドウに並ぶだけあり、有名な工房の上等な素材で作られたそれは…どれだけ血を浴びても染みにならないし、耐熱性と耐水性も高く…デザインも良いから、イナも気に入っていた
そのジャケットがイナの正装であるように、フィクサーとして仕事をする時は必ず着ていたほどに
大切なものだった
イナには、大切なものが増えすぎた
「…どうして、まだ貴方と繋がっているんですか」
イナはジャケットを脱ぎ、綺麗に畳むと…自身の影にジャケットを入れた
自分の傍を離れたはずの無二の腹の中は、イナの影と繋がっている
あらゆる武器、大切なものはそこに隠してある
しかし無二とは、あの病室で言い争ってから会っていない
イナの元を離れてどこへ行ったのか、イナは探そうともしなかった
…心配しているわけではない…ただ、そちらへ割く労力も時間も意識も足りない
あの日の悲しげな無二の表情を思い出す
無の世界蛇は、今頃どうしているのだろうか
そんなことを考えながらヌオーヴォ生地の正装に袖を通す
「…私、青って似合わなかったんですね」
青いネクタイを締めた時に、そう気がついた
「イナ、着替えれたかい?」
まるで見計らっていたように、テントの外からアルガリアが声を掛ける
「…今、行きます」
「うん、イナは久しぶりの再会だからね…うんと綺麗にしていこう」
イナはスカートの裾を払い、皺を伸ばし、テントを出た
すぐ目の前で待っていたアルガリアは、イナを見て拍手をする
「うん、やっぱりとても素敵だよ
俺の見立てた通り…青がよく似合う」
「……」
「それじゃあ、お披露目といこうか」
アルガリアが連れてきたのは、ゼホンの工房であるテント
人形師と言うだけあり、その中には大量の人形が揃っており、必然場所を取ってしまう
外にまで溢れかえった人形達の視線が全て自分に向いているような錯覚を覚えながら、イナはアルガリアに続いてテントの中へ入っていく
「ゼホン…完成したんだって?」
薄暗いテントの中で、ゼホンが待っていた
「ああ、アルガリア…何とか間に合ったさ」
「不足はない?一応、エレナも血は全部揃えられたって言ってたけど…」
「過不足はない
それでは…感動の再会といこう」
ゼホンが支柱に絡まる配線のスイッチのうちひとつを押すと、照明がひとつ点灯する
一際明るい照明の下に、とある人形が立っている
アルガリアと同じ白銀の髪
アルガリアと同じ青色の瞳
アルガリアの双子の妹…アンジェリカ
……と、同じ特徴を持った、異質な人形がそこにいた
「…うそ……」
「あぁ…あぁ、ああ、ああ!アンジェリカ…!」
アルガリアはその人形に駆け寄り、強く抱き締めた
「会いたかった、本当に…またこうして会えるだなんて、夢のようだよ…
ありがとう、ゼホン…君にはとても感謝しているよ」
「いいや、俺の願いを叶える機会を与えてくれた旦那の為だ」
ゼホンが
人間の肉体はなく、骨はところどころ露出し、継ぎ接ぎの爛れた皮で覆われている
おぞましい形に…イナは青ざめて後退る
「…何してるんだイナ
早くおいで、アンジェリカに久しぶりって挨拶しなきゃだろ」
「…それが…そんなのが、アンジェリカなんですか…?」
「何を言っているんだ
ああ、ごめんよアンジェリカ…イナはあの日から、ちょっと…頭がおかしくなってしまって
君を君だと認識できないみたいだ
でも大丈夫…今はまだ混乱しているだけだから…」
「アルガリア…もう…もう、やめてください…」
「ああ…アンジェリカも嬉しい?そうだよね…君はイナを本当の娘のように大切にしていたもんね…ほら、その手で撫でて、その腕で抱き締めてやってくれ
触れ合えば、イナもきっと喜ぶ…アンジェリカの温もりを思い出してくれるはずだから」
「アルガリア……」
「え?…ああ、そう、何度か話しただろ?俺達、新しい友達と一緒に都市に演奏を響かせるんだ…君のための音楽を
その為にも、同じ衣装で揃えたんだ…ほら、イナもよく似合っているだろう?
青は、俺達の瞳の色だ…本当によくにあ」
「もうやめてッ!!」
イナの悲鳴に、アルガリアの言葉が止まる
頭を抱えてその場に座り込んだイナは、震えながらアルガリアに懇願した
「もう…やめてください……アルガリア…目を醒ましてください…
アンジェリカは…アンジェリカは…死んだん、です…!
いくら取り繕おうとも…それはアンジェリカではありません…!」
イナの言葉に、アルガリアから笑みが消えていく
そのままアルガリアはイナへ歩み寄り…彼女の顎を掴み、無理矢理視線を合わせる
底無しの仄暗い青い双眸が、イナを縛り、目を逸らすことすら赦さない
「目を醒ますのはイナの方だろ
いつまで過去の夢に囚われてるのかな」
「な…なに…を…」
「あの時、ピアノになったアンジェリカの姿を覚えているかな…?
皮膚は引き裂かれ、他の人間と混ざり、骨は剥き出しになっていた…
ピアノとして成ったアンジェリカの音は…美しかった
その時の姿そのままじゃないか」
「ち…ちが…」
「違わない…何も、違わないんだ…可哀想なイナ、理想は大切だけど盲目になり過ぎるのは良くないよね…?
もう一度…あの時の素晴らしい演奏を聞かせてあげようか…?
今度はオズワルドもいるから…より再現度の高い仕上がりになるだろうね…」
以前イナを閉じ込めた仕置部屋…ピアニストの記憶の再現をした異空間
イナへの脅しには十分すぎるそれは、イナが涙を流しながら拒絶するほど絶大なものとなっている
「や…やだ…嫌…ごめんなさい…ごめんなさい…!」
イナが泣きながら謝罪を繰り返す中、テントにエイリーンが訪れる
「アルガリア様、来賓です」
「うん?…ああ、きっとあの人だろうね」
訪問者を知らされたアルガリアはイナから手を離し、優しく穏やかに頭を撫でた
飴と鞭を使い分けた教育は、イナに効果覿面で…泣きながら過呼吸が止まらないイナに、アルガリアはそのまま言葉をかけ続ける
「ほら行くよ、イナ…君にも紹介しないとね…君は俺の弟子だから…
俺の師匠に会わせてあげる」
震え続けるイナの手を握って引き上げては強引に立たせる
アンジェリカの人形を背に、全員がテントを後に…イナは背後から突き刺さる視線に、再び吐き気を催す恐怖を感じた