「逃がしたか」
「如何致しますか、アルガリア様」
「…いや、大丈夫…イオリも、俺達に殺されるより図書館の肥やしになる方を選んだだけだ
他の奴らも図書館に因縁が出来た…これで、残るはハナくらいかな
リウやR社がいい釣り餌になるだろうね」
紫の涙がいなくなった拠点では、殺気立った団員達の雰囲気が電気を帯びたように皮膚を痺れさせる
アルガリアの一言で各々武器を下ろし、臨戦態勢を解くが…イナだけは、拳銃を持ったままだった
「アルガリア」
それぞれがそれぞれの仕事に戻る中、イナはアルガリアを呼び止める
「なに?」
「…本当に、私を…赦してくれるんですよね」
イナにとって大切な問答だった
イナが抱えた罪を…傷に塩を押し込むが如く、赦す為の罰を与えてくれる
イナが求めていたのは…一体何だったのか、もう自分自身もわからなくなっていた
「……当然だろ
君がそう望むなら、俺は幾らでも君を罰し、そして赦す」
「…なら…なら、
「……」
イナが自ら、殺戮を希望した
昏い闇を宿したスミレ色の瞳が、深淵を映し出している
ここまでイカれてしまうとは、流石のアルガリアも想定外だったのか…少し驚いた後に、笑いだした
「…ふ…はは、はははは!
ははは…ああ、イナ…そう、君はそういう選択をするんだね
そこばかりは…さすがにあの愚弟に似たのかな
確かに敵は減らしておくに越したことはない…けど、君にはまだ最後の試練があるんだよ」
「試練…?」
「それはその時に伝えるよ…うん、いっておいで
でも、くれぐれも怪我をしないでくれよ
俺も、可愛い姪が血を流すのは見てられないから…」
過去に散々殺そうとしてきたのに、今更何を言っているのか
そんなことを知ってか知らずか、アルガリアは笑顔でイナを送り出した
プルートの結界を解き、イナは拠点を出た
それから、ほんの数分の間に…
L社の巣全体に、弾丸の雨が降り注いだ
的確に人差し指の遂行者や代行者…さらにはR社の職員達だけを撃ち抜くひとつの弾丸…それが無数に分裂し、天からの誅罰のように彼らの脳天を貫いた
それでも生存している
「…ふ…ふふ
これで…これで、私は…」
死体しかない道を、イナは歩く
誰もいなくなった巣の街並みの中…血を吐き出しながら
図書館で撃った時よりも広範囲なのに…今のイナは倒れずにいる
心臓は驚くほど静かに鼓動し、血は温度を失うかのように指先は冷たい
赦されたい、赦してほしい、誰か、誰か…
…その時ふと、気がついた
(あれ…私
なんで、赦してほしかったんだっけ……)
私には苦痛だけです
他には何見望みません
苦痛は私に従順で、ここに至るまでそうあり続けた
私の魂が深淵の底を彷徨う時にも、苦痛はいつもそばに座り私を守ってくれた故
どうして苦痛を恨むことができましょう
苦痛よ、私はついにお前を尊敬するに至る
お前は決して私から離れることがない故に
ああ苦痛よ、私はついにお前を理解するに至る
お前は存在するだけで美しいのだと
お前は哀れで暗く、悲しい私の心の暖炉から決して離れなかったものに似ています
ああ苦痛よ、お前は私の最愛の人よりなお情け深い
苦痛よ、私は知っています
私が死に就く日にも、お前は私の心の奥深くに入り、私と共に整然と横たわらんことを
「…なんですか、それ」
「私の好きな詩ですよ
これを聞いたローランは、私のことをキチガイ呼ばわりしましたけど」
「うっ…あの時のことはごめんって」
暖かな日の光が差し込むひとつの家の居間で、若い夫婦と少女が団欒としていた
女は少女に詩を語り、その意味を説いていた
「簡単に言うと…苦痛はいつも自分に忠実で裏切らない、ということです
この世で唯一、信じられる存在…それが、痛みであり苦しみです
…苦痛を感じないものは、苦痛に見放されたもの
この世のどこにも味方はいない…私はそう思っています」
「苦痛が、唯一の味方」
「最終的には、ということですよ」
女は自分の腹を撫でながら少女を眺める
少女はその瞳の色を知っている
青空の色だった
「この子が生まれて、君と一緒に育って…時にはきょうだい喧嘩もするかもしれない
この都市で、君もこの子もこれからたくさん傷付いて、たくさん悲しむかもしれない
そんな時…痛みを拒絶しないで受け入れるための言葉
お
「…痛みから逃げるより受け入れちまった方が生きやすいんだよな
世の中どうにもならないことの方が多いし、その時その時にいちいち悲しんでたらきりがないし…」
「もう、あながち間違いではありませんが、貴方がそう言うとどうしてそう軽薄そうになるんですか
私が言いたいのは…苦痛は味方であり、敵じゃないこと
逃げずに向き合って、苦痛と共に現実に立ち向かう、ということ」
幸せは、いつ崩れ去るかわからない
この都市にいる限り、永遠の幸福なんて約束されない
噓、欺瞞、裏切り、暴力、災厄
脅威は無限に沸いて溢れてくる
この家族の幸福だって、結局は長続きしなかったのだから
「だからこの言葉が将来君の助けになることを祈っていますよ
イナ」
「は…はは…あ…う…ああ…
う…ううぅぅ…」
痛かったのだろう
代行者の鎖でもなく、R社の銃弾でもない
身体のどこにも外傷はない…ただ、心が痛かった
イナは蹲り、小さく泣いた
涙を堪えることはしなかった
ただ、流れるままに涙を流した
「やっぱり、イナは俺の自慢の弟子だ」
そんなイナの背後に、アルガリアが歩み寄る
そちらへ向けば、何の感情も宿さない、温度のない視線がイナを見下ろしている
「怪我はない?アンジェリカが帰りを待ってるよ」
「…アルガリア…私…」
「俺達の音楽が都市に響けば、君を赦さないものはなくなる
君は赦されるんだよ」
いつもの優し気な微笑みで、イナの手を引く
しかしイナは、引かれながらもその言葉に疑問を抱く
(…どうして…貴方じゃないんですか…)
紫の涙との会話以降、イナはアルガリアに疑心を抱き始めている
…本当は、アルガリアの狂気にはずっと思うところはあった
それを「赦してもらえる」という期待で全て押し込んでは見ないようにしてきた
それももう、限界だった
一度疑念が燻ぶれば、完全には信頼できなくなる…それが知性体としての理性である
渦巻く胸の内を見せないように、イナはアルガリアについていくばかりだった
ヴィオラは闊歩する
鼻歌交じりのヒールの音は、静寂に満ちた暗い廊下によく響く
微かな橙色の灯りを進んだ先に、厚い耐性ガラスで隔てられた空間が見える
「お、やってるねぇ」
ガラスの壁の向こうには広大な森が広がっており、中からは銃声音が聞こえてくる
森林地帯に見立てた模擬戦場で行われている殺し合いは、明確な軍勢や派閥はなく
「クソッ!クソッ!クソッ!!」
「半分くらい残ってるかな」
「昔のことを思い出さない?」
「最初にあたしを殺した時?」
「手がイカれたみたいに震えたよね…」
「雑談している間に一人でも多く殺せってば!」
…ただひとりが、無数に走り回っている
同じ顔、同じ体系、同じ声
全く同じ人間が、複数も分裂して互いに殺し合っている光景
「絶対的に最強である個体を決めるにはわかりやすくていいかもしれないけど、勿体ないよねぇ」
「何の用だ、スミレの魔女」
殺伐とした景色を眺めていると、指揮官のような身なりの女性がヴィオラに詰め寄ってきた
「あ、ニコライ~!ひさしぶ…おっと、そう怖い顔しないでよ、様子を見に来ただけだって」
「貴様の情報通り図書館に行ったが…貴様の情報以上の武力を持っていたぞ」
初老の指揮官の様相をした女性はニコライと呼ばれ、ヴィオラに向けた銃口を下ろした
「当たり前じゃん、なんでひと月で都市の星にまでなったと思ってるのさ
あそこは常に成長してるんだよ…樹木が光合成するみたいに、底のない貪欲さが図書館を成長させてるんだ
君達第四群も、全滅したんだってね」
「ああ、お陰様で久方ぶりに孵化場を稼働させる羽目になった」
「でも…エネルギー不足、でしょ?R社も大変だねぇ」
「…」
ヴィオラが訪れたのはR社…戦争や弾圧、制圧に特化した武力提供会社である
ニコライはウサギ、トナカイ、サイの部隊を纏め上げる隊長である
R社は優秀かつ強力な武力を誇るが…その絡繰りは、一万以上のクローンを長い期間戦わせ、最終的に生き残った個体が各部隊の隊長として襲名されるものである
本来、クローンは都市において七日以上同時に存在してはならないのだが…R社はT社との企業連携による時間加速技術を用いて、隔絶された空間内でのみ長い時間を確立させ、蟲毒を完成させている
それも、今回限りまでの話だが
「ロボトミーコーポレーションが墜ちてからそこそこ経つもんね~…援助、してあげようか?君達第四群個別の契約で…」
R社が武力提供していたL社が没落してしばらく
武力提供の報酬として受け取っていたエンケファリンの提供も途切れ、クローンの量産体制が崩れたR社には後がない
次の任務が失敗すれば、事実上の廃棄…殺処分は避けられない
「結構だ
これ以上、魔女に借りを作っては利子だけで何万人の人生が飛ぶかわからんからな」
「つれないなぁ…ま、君らんとこの代表さんにクローン作製の技術を売ってあげた時の買取費、何十年経っても完済終わらないんだもんなぁ
これ以上首絞めてやるのも可哀相か」
「性悪めが…」
「皆そう言うんだよなぁ、僕は困ってる人間に手を貸してやってるだけなのに…」
「社長との会談が終わったのなら帰ってくれないか
今はまだ、客人として何もしないでおいてるだけだ」
ニコライに追い払われ、ヴィオラはぶつくさと垂れながらもR社を後にする
R社の敷地を出た後、ヴィオラは姿を消す
当然ながらそれも遠方に飛ばした幻影であり、本人は未だ図書館にいる
…光を集める、最下層に
ゲストから抽出した光が徐々に蓄積されていくのを眺めながら、ヴィオラは恍惚とした表情を見せる
「ああ、アイン…君は光の中にいるんだろう?僕の言葉も聞こえてるかな
カルメンがいなくなった時点で、僕にはもうこの光を人類に散布するなんて計画はどうでもよくなったんだ
僕が見初めたのはカルメンだけ…君が生きているうちは光を奪うのも無理だっただろう
だが、今はどうだ
肉体を失った君はもう何もできやしない、アンジェラが完全な人間になるまでもう少しだ
そうすれば…僕の夢も、次期叶うだろう」
ヴィオラは高らかに笑った
長年の悲願が達成されるまでの王手がかかるのだ
「…と、いけないいけない、最後まで慢心せず…遊ぶのは僕の悪い癖だからね、今度は遊ばずに計画を遂行しなくちゃね
問題はローラン…あいつをこのままにするとアンジェラは絶対に殺されてしまう
それも、完成された光に届く直前に
しかし彼は今後の最終局面に必要になるのも確か…
なら、アンジェラを殺す前に、僕が手を下さないと
アンジェラとの規約は違反するけど、彼女も理解してくれるだろうね
してくれないと困るんだけど、ね」
…
「ねぇ…カルメンも、そこにいるんだろう
競争は僕の勝ちだよ…というか、君は僕に何も言わずに途中退場したじゃないか
酷いカルメン、僕に相談してくれたら、助けてやったのに
…なんで、アインだったんだよ…なんで僕じゃなかったんだよ
本当に酷い奴だな…君はさ…」
……
「どうして僕には君の声が聞こえないんだ
アルガリアにも、あの初期型にも、図書館に訪れるゲストにだって聞こえているのに
そんなに、僕に話をするのは嫌なのかよ…
僕は、