翌朝
時間が遅れている時計の時刻を直すこともなく、カレンは再び八時十分に起床した
昨晩はシャワーも浴びずにスーツのまま寝てしまっていたこともあり、彼女は朝からピンチとなったのだが、それはこの物語にはほぼ必要のない一幕なので割愛しよう
カレンが予備に用意していたスーツを着て自室を出て社員寮の廊下を走っていると、男子棟へ通じるエレベーターから青い髪の男性が現れる
「あ…うす」
愛嬌の無い男、昨日レインが紹介した安全チームの先輩、ロイドである
「おはようございます!ロイド先輩!」
カレンはロイドに対し、姿勢を正して頭を下げ挨拶をした
挨拶や礼儀は社会の基本、それは両親に教え込まれたものだった
「…はよっす
あー…カレン、だったっすね
朝っぱらから元気っすね」
「元気というか、焦りというか…
もう8時15分です、早く出勤しないと…」
「そういや、新入社員だったっすね
…その、なんすか…ガラじゃないんすけど、先輩として一つアドバイスというか、忠告なんすけど…」
ロイドはバツが悪そうに眉を顰めては頭を掻き、大きくため息をついてから覚悟を決めたようにカレンに向き合う
「安全チームのチーフ…レインについてなんすけど
あんまり信頼しない方がいいっす」
そのロイドの言葉に、カレンは首を傾げる
「なんでですか?確かに少し…とっつきにくいというか…お堅そうですけど、いい人ですよ
昨日も初対面の私に対して、よく気にかけて下さいましたし」
「そうじゃないっす
なんというか…俺、言葉にするのは得意じゃないんすけど
あの人、俺と同期なんす
同じ日に入社して…そん時、アンジェラ様と話してるのを見たんす
会話も少し聞いたんすけど…「施行575回」「パターンRで実施します」「互いに良き実施内容であることを…」とか、よくわかんないこと言ってたっす
あの人は、普通のエージェントとかじゃなくて…」
言い表しがたい違和感を抱えるように、ロイドは歯切れ悪く話す
カレンはそれを聞きながらも、レインを庇うようになんとかロイドの勘違いであるように反論する
「でもそれは、レインさんが信用に値しない理由にはなりませんよね…?」
「それだけじゃないんすよ
俺、元々コントロールチームで、カウレスは情報チームなんすよ
安全チームに配属されたのは、君が来る前日っす
元々は別の職員三人が安全チームにいたんすけど…」
「え、安全チームには今レインさんを始め、ロイドさんにカウレスさん、そして私…
前の三人はどこへ行かれたのですか?」
ロイドは思い出すのも苦痛のように顔を顰めながら答える
「…退職したっす」
「…退職?」
「死んだんすよ、この会社で
ここでは社員が死ぬと「退社」って扱いになるんす
強制的に退社させられることもあれば、誰一人ここから出たことはない…
来るもの拒まず、去る者には死、なんすよ」
その話は決して簡単に告げられるものではなかった
しかし、簡単に死という事が告げられるのは、この会社だからだろうか
昨日管理したアブノーマリティ
アレに限らず、ここにいるのは人間とは程遠くかけ離れた存在であり、何よりも人間に近しい存在なのだ
都市の人間、さらには巣の人間にとってはあまりにも未知
未知とは一番の恐怖、それはカレンも昨日の仕事で痛感していた
未知の存在、アブノーマリティ
以前自分が配属されている安全チームにいた先輩たちは、そんな未知に殺されたのだろうか
「話が逸れたんすけど…その退社理由は無論、収容違反したアブノーマリティに殺されたっす
けど、そん時…これは他の職員づてで聞いたんすけど…
…レインが、収容違反したアブノーマリティを鎮圧した折に、安全チームの職員を囮にしたとか…」
「…囮?」
「その日はついてなかったっす、別のアブノーマリティも収容違反をして…安全チームは二体のアブノーマリティに挟まれたっす
そん時、レインは残る二人の職員をアブノーマリティの餌にして背後に回り込んで、アブノーマリティを鎮圧したっす
二体のアブノーマリティに挟まれた職員は…一人は重傷、もう一人はパニックになり…二人ともその後に死んだっす」
自分が来る前の惨劇を語られ、カレンは半ば放心していた
「その…レインは、自分の命優先で他人を足蹴にする…そんな風に見えた、って知人は言ってたっす
…誰しも自分の命が大事なのはそうなんすけど、レインには…必死そうじゃなくて、それが当たり前の事のように…
死んだ職員に追悼することも嘆くこともせず、次の瞬間には通常業務に戻ったというか…
並の人の精神力じゃない、というか…」
「何の話をしているんですか?」
ロイドが夢中になって話しているその時に、別の声が割って入る
二人が声の方へと振り向くと、そこには安全チームチーフ…レインが立っていた
「れ、レインさん…!」
「…」
「もう出勤時間をとうに過ぎています
カレンに関しては昨日の今日でこれですか?」
カレンが携帯端末を確認すると、時刻は8時31分と表示されていた
「悪い、レイン
俺が悪絡みしたんす、カレンは俺に付き合ってくれただけで…
だから俺はともかくカレンの遅刻は見逃してやってほしいんす
これでもこいつは急いでたんす、そん時に俺が長話しちまって…」
「なりません、どのような理由であれ、遅刻は遅刻
そんなに話がしたいのなら早く出勤して控え室でお話しされればよろしいじゃないですか」
正論の槍にカレンとロイドが突き刺されている中、奇妙な音が響いてくる
「まぁ落ち着けよ、そうかっかすんな
遅刻なんて、この会社じゃかわいいもんだろ?」
音の正体は機械音、箱型のロボットが三人の前に現れ、仲裁をし始めたのだ
「ネツァクさん」
「ネツァク…さん」
レインとロイドが揃って箱の名を呼ぶ
「…これが、昨日レインさんが言っていた…」
深緑色の長方形の箱
鉄でできた手足が付いており、箱の端には目のようなレンズらしきものが見受けられる
(これ…ロボット?
まさか、AI?)
このご時世、機械が人間より上の立場になるのは何もおかしなことではなかった
さらには、AIは人型であることを禁じられているため、このような箱型のAIなのだろう
「新入りか…残念だな、こんなとこで働くことになって
まぁ今から走ればアンジェラからのお咎めもないだろ」
「ネツァクさん、貴方がそんなだから社員に示しが…」
「業務開始には間に合えば問題ないだろ?
ここではどんどん人が死んでくんだ、少しくらい平穏な時間が多くたってバチは当たらないだろうさ」
言い合いをするネツァクとレインをよそに、ロイドはカレンに向け「早く行こう」とジェスチャーし、二人は駆け足でその場を後にする
後ろからレインの「あ、ちょっと!」という大きな声が聞こえていたが、二人は振り向かずに本社へと向かった
(…施行、575回…)
カレンは先程聞いた言葉に引っかかっていた
その数字に、既視感を覚えたのだ
(…まさかね)
杞憂である、と首を振り深く考えないことにした
そのまま二人は、仲良く安全チームメインルームに到達した
業務開始直前にはレインに冷たい眼差しで説教されたのは、割愛する
次回、リョナ表現注意です