「誕生日?」
片方のスミレ色の綺麗な瞳がこちらを見返す
紫色に反射した黒い姿が、純白な少女の身なりとなんとも不釣り合いに見えた
「ああ、そういや誕生日とか聞いたことがなかったなって…」
小さな少女はつい先日、我が家に転がり込んできた孤児のようなものだ
住民票の手続きのため、戸籍が無いらしい彼女の書類作成にも生年月日は知っておかなければならない
しかし返ってきたのは、申し訳なさそうな声で
「すみません、私に誕生日というものはありません」
という言葉
誕生日が無い、とはどういうことなのだろうか、これは深く聞いてもいいものなのだろうか
「えっと、私が作られ…生まれたのは、都市の管轄外であるところなので…都市で使われている暦に適応される明確な制作日…ああいや、誕生日が相当されないというか…一律に生まれるのに生誕の日を固定するのは無駄だと母様が言って…」
小さな子供とは思えない程に流暢に弁明するその姿に、つくづく不思議なガキだな、なんて思っていたが…少し可哀想にも思えた
都市には自分の生まれも定かじゃない人間なんてざらにいるが、この俺ですら誕生日を覚えているのに、この小さな子供にはそれが無いのはなんともいたたまれない気持ちになる
今後チャールズ事務所で誕生日を祝われる度にこの子供の顔色を伺うのも面倒だ、というなんとも身勝手な考えから、俺はひとつ提案をした
無いのなら、新しく作ってみるのはどうかと
手続きは面倒だが通ってしまえばこっちのもんだ、そもそも無いものをでっち上げるのだから、誕生日だって新しく決めたって今更だろう
「それは…いいのですか?必要と言うのなら私は構いませんが」
それは裏を返せば、不要なら無くてもいいということなのか
本当にガキらしさの欠片もないガキだな、なんて思ったが…
誕生日がある事の素晴らしさを力説してみれば、そうでもなかった
誕生日は生まれたことを無条件に祝福されるし、プレゼントだって貰えるんだ、好きな物や美味しいものを貰える、一年にたった一日だけの特別な日
その説明を聞けば、食い意地の張った子供は目を輝かせた
花より団子とは何処の区域の言葉だったか、ともかく、乗り気になった子供の誕生日を決めるにしても適当に決めては味気がない
…それならば、この子が俺の家に来た日にしようか
この子がうちに転がり込んできた時のことは今でも忘れない、泥とゴミに塗れて汚らしく、臭くてたまらないのに事務所の前に落ちていた
ボロ雑巾と呼ぶに相応しい格好だった
けどあの日拾ったボロ雑巾は、今や俺の家族になろうとしてくれる
そのことに…どこか、むず痒いような、くすぐったい気持ちになった
ああ、そうだ、嬉しかったんだ
家族がいなくなってからもう長いこと経つが…俺は、家族という存在が、それなりに大切だったんだ
「でも…その、申請手続きが難しくなったりしませんか?」
この子供は歳の割に一端にそんなことを気にしやがる
そんなことは子供は気にしなくていいんだと言い聞かせる
いつもの俺の口癖と共に
「それはそれで、これはこれだ」
目の前にスミレが咲いた
昏い世界は色の識別も出来ず 白と黒しか見えないのに その強い紫色だけは よく見えた
何か 喋っているように見えるが よく聞き取れない
なんだろうか それはとても 悲しそうに訴えている
でもここでそれに気を取られるわけにはいかない
復讐を果たす あの機械が一番報われそうなその瞬間に 希望を奪い 夢を奪い 命を奪ってやる
この世で一番不幸なのは自分だと思わせて 俺が感じた苦痛よりももっと もっと
俺から世界を アンジェリカを奪ったことを 悔やんでも悔やんでも赦さない そう 俺は 決して
赦さな
「ローランのっ…馬鹿野郎ーーーッ!!」
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強い打撲音が響く
明らかに頭蓋骨が破壊されたような衝撃と共に、黒いのっぺらぼうの男はよろけて後退する
穴の空いた掌を握り、吹き出る血と走る痛みに堪えながら、イナは泣きながら黒い沈黙の前に立つ
今の衝撃は、イナが黒い沈黙を拳で殴った音だった
「ひぇ〜…痛そう…」
「ははっ、いいのが入ったな」
それを眺めながら司書達は怯えたり、笑ったり
そんな声を背に、イナは溢れる涙を血だらけの手で拭いながら必死に叫ぶ
「貴方、自分が言ったこと忘れたんですか!?
私が自死しようとしたら貴方、自殺はするなって言いましたよね!
そっくりそのままお返ししますよ!
今の貴方は…復讐に囚われすぎて自分で自分を殺してます!
アンジェラを殺したら、きっとローラン自身も死んでしまいます!」
ヒビの入った黒い仮面の隙間から、黒い瞳が覗く
深淵のような、光さえ飲み込む漆黒の色
それが、イナを睨め付ける
自身すら飲み込みそうな闇を前をしても、イナは退かない
少しだけ怖いと思っている
彼女達は殺し合う程の家族喧嘩なんてしたことが無いのだから
お互いに隠すものを隠して成り立っていた家族だったから
しかし今はもう、隠すものはない
イナの生い立ちも、ローランの気持ちも晒け出して…家族はようやく、互いに真正面から語り合うことが出来る
「ああ…そうだ、俺はとっくに死んでいる
あの時から怒りと憎しみに囚われ続けて…かつての友人達を殺して…心はとっくのとうに死んでいた
だからどうした…死んだものは生き返らない…それならせめて、俺を殺したアンジェラを道連れにしてやる…!」
「ああもう、本当に貴方は頑固ですね!このスカポンタン!おたんこなす!えーっと…あと、ひょうきん者!
貴方がそんなに頑なだから、私もこう育ったんですよ!わかってますか!わかりませんよね!ええ、ですから…
殴ってでも止めます!貴方がそうしたように、私も!」
異形の怪物のように、ねじれのように変質したローランを相手に、イナは容赦なくガトリングを取り出しては集中砲火する
手数の多さはローランだって同じ、複数の武器を手に弾丸を弾き返す
そんなイナの背後に、白い女が迫る
「アンジェリカ…!」
アンジェリカの影法師はイナの首を撥ねようと横一線に刃を振るうも、それを赤い霧が防いだ
「貴方は…ゲブラー…さん!」
「アンタがイナだっけか、ローランから話は聞いてる
ちょうど司書が三人ほど潰されたところだったんだ、助かった」
直接会ったことは無いが、かつて同期された記憶にある懲戒部門のセフィラ…そして今は言語の階の指定司書ゲブラー
彼女は生前赤い霧という、都市の中でも最強の特色だった女
そんなゲブラーに認知されていることに、イナは少し感動する
しかし今はその感嘆に浸っている場合では無い
「背中は任せるぞ、いいな」
「はい!」
ゲブラーは肉で作られた大剣を振るい、イナは魔法の弾丸を放つ
満身創痍だがここで止まれない、イナは絶えず出血する体に鞭を打ちながら黒い沈黙に銃口を向ける
一進一退の戦況だが、黒い沈黙が距離を詰めイナの小銃を破壊し、イナの腹に蹴りを入れる
勢いのまま吹き飛ばされるも、その後を追うように黒い沈黙はイナに畳み掛ける
ガントレットの拳がイナの頭目掛けて直進し、それを紙一重で首を捻り躱す
空中で体を逸らし黒い沈黙に肘打ちを仕掛けるも、ガントレットで防がれ、イナの鳩尾に銃口が突きつけられる
引き金が引かれ、弾丸は放たれる…が、イナは黒い沈黙の銃を握る腕を蹴り、微かに軌道を逸らす
放たれた弾丸は、イナの身体に空いた「穴」を通り抜ける
ねじれたイナが自傷した穴は幸いにも弾丸より僅かに大きく、的確に擦れることもなく弾丸は穴を抜けた
そのまま黒い沈黙を蹴りイナは距離を取り、地上に着地する
(弾丸は通じない、魔弾は消耗が激しくてこれ以上使えない、近距離は向こうが
過剰出血で朦朧とする視界に、黒い大男がゆるりと歩いてくる
その時、黒い沈黙の背後から何かが回転しながら迫ってきた
黒い沈黙は飛び退いてそれを回避し、イナはそれを受け止めた
「使え、お前は銃よりはこっちの方が合うだろうさ」
ゲブラーが投げてきたそれは、イナの等身以上ある青い大鎌…アルガリアが愛用していた武器だった
先程倒したアルガリアの本から抽出したのであろうアルガリアのコアページを使っていた司書が殺されたことで、残されたそれをゲブラーはイナに貸し与えた
大きな機関銃と同等の重さのそれを、今の状態で震えるのか…銃よりも扱えるのか?イナはゲブラーの言葉の意図を理解できなかった
重いし、刃から放たれる振動に手が持っていかれそうになる
しかし、その重みが…とても手に馴染んだ
使い勝手の難しいそれの扱い方は、いつも傍らで見ていた
見て、学んで、身に付けた
「これ、借ります」
それはゲブラーに向かってか、はたまた元来の持ち主に対してか、いずれせよ返事は返ってこない
ゲブラーと残った司書は影法師を相手に戦っている
イナは抉れて痛む手も、貧血により力が入らず震える足も構わず鎌を握りしめた
血が滴り、鎌の刃に伝い赤く濡らす
黒い沈黙も愛用のデュランダルを手にイナへと突撃してくる
黒い闇を纏う斬撃は獣の爪のように猛々しく振るわれ、確実にイナの首を飛ばそうと迫ってくる
それを薄皮一枚で躱し、重みに全体重が持っていかれそうになるのを踏みとどまらせ、アルガリアの鎌で見様見真似に刻む
少し離れたところで影法師と戦うゲブラーが、イナへ目線を配らせる
残っていた司書補も倒されてしまったようだ
それを目視したイナはゲブラーと背を合わせ、翻るように立ち位置を変え、影法師に斬りかかる
黒いローランと相対する、白いアンジェリカ
それはローランの心に棲む、後悔の影
その影法師が、イナの耳に声を届かせる
『私も生きたかった』
「…!」
透き通るような、
戦いながら、イナの耳に癒着する声は絶えずその切望を言葉にする
『お腹の中には私達の子もいたのに』
『どうして貴方なの』
『どうして私達が』
『どうして』
『どうして どうして どうして』
これは、感情が高まったローランが心の奥底で思っていたことなのだろう
恨みたくはない、しかし、どうしてと嘆かないわけにはいかない
そんなローランの本音が、影法師を通してイナに吐き捨てられる
恨み言はイナの心に突き刺さる
そんなもの…ずっと、イナ自身が自分に問いかけてきたものだ
「どうして…なんて
アンジェリカが、そう願ったからですよ」
鎌が大きく音の波紋を響かせる
鎌の扱いをアルガリアから教わったことはない…だからこれは、イナが見て盗んだもの
彼自身が研鑽の末に編み出したオリジナルには及ばないかもしれない
しかしイナは
相手の動きを観察し、分析し、模倣することは何より得意とすることだ
アルガリアの「乱舞」を、イナは図書館のページも使わずに繰り出し、アンジェリカを分断する
「…!」
アンジェリカが霧散していくのを悲痛そうに手を伸ばし、掴めずにローランは項垂れた
そこで、舞台は姿を変える
先程までの言語の階の赤い世界から一変、灰色の世界が広がった
それは総記の階の光の差す空間とは違い、仄暗く煙に空が覆われた虚しさが充満する空間
「どうしてなんだ…」
溢れ、零れる闇は黒い沈黙の涙のようだった
「俺にとってはアンジェリカも、お前も大切なはずなのに…どうして生き残ったのはお前なのかと恨まずにはいれない」
「ローラン、それは…」
「わかってる…このクソッたれた世界では、大切なものほど俺の手から離れていく…人は大切なものほど選別せずにはいられないんだ
俺が復讐のために、ただ生きていた子供や、かつての友人を切り捨てたように…!」
ローランはイナに向かって一直線に斬りかかる
それを鎌の柄で防ぐも、先程よりももっと強い力でイナを圧し潰そうとする
「どうしてここに来たんだ、お前は…!お前はもうアルガリアから解放された!俺のことは構わず都市のどこでなりと生きてりゃよかったのに…!どうして俺の前に立ちはだかるんだ…!
俺はお前が大切だ、いや憎い…!生きてほしい…殺したい…!俺は…俺は…ぁぁあ…!!」
「貴方と同じですよ!貴方が私を助けてくれたように私も貴方を助けたいだけなんですから!私を憎んでくれていい、恨んでくれていいから…生きてほしいんです!
このままではいずれ貴方は身を滅ぼしかねない…手遅れになる前に、この悲しみの連鎖を止めたいんです!」
黒い沈黙から滲み出た闇が同じ形を作り出し、黒い沈黙の分身を生み出す
複数の分身もイナへ襲い掛かるも、ゲブラーがそれらを薙ぎ払い叩き斬った
影の分身は霧散するも、すぐに形を取り戻し目の前の敵を排除しようと猛攻を繰り返す
穴だらけの体は影の分身の刃に刻まれ、血の飛沫が飛び散る
腕も、脚も、指も胸も首も…頭だって痛い
熱と痛みが全神経を駆け巡るなか、イナは痛みに顔を歪ませることなく、ただ一心にローランを見ていた
次が最後の一撃になるだろう
それほどにイナは消耗していた
それはゲブラーも察している様子で、影分身とイナの間に割り込んでは分身の攻撃を全て防いだ
「こいつらは私が抑える、お前はローランのところに行け
一発、デカいのをぶつけてやれ」
ゲブラーは烈火の如く肉の大剣を振るい全ての分身を引き受け、切り伏せていく
親子喧嘩を汲んでくれたゲブラーを振り返らず、イナは黒い沈黙へと直進する
黒い沈黙は九つの武具を駆使して目にも留まらぬ速さの連撃を繰り出した
黒い沈黙の必殺の技であるFuriosoが、イナの目の前でその軌道をなぞる
それをイナは全て目で追い、鎌で防ぐ
アルガリアでは防ぎきれなかった猛攻を、イナは防いでみせた
そもそもイナは、アルガリアよりも数段
それは単純な視力の話ではなく、視覚情報の伝達力の速さである
眼で見て、脳で処理し、肉体に伝える…動体視力と瞬発力が高いのがイナであり、レインシリーズだ
そしてアルガリア戦の時に見たFuriosoが事前予習となり、アルガリアが防げなかったそれをどうすれば防げるのか、という改善思考も可能となった
イナの手に握られた鎌の重みが、黒い沈黙の攻撃の重みを受けてくれる
何故、世界蛇の遺した銃がイナに合わないのか
それは単純な話で、イナの筋力と釣り合わないからである
世界蛇の銃はかつての持ち主に合わせて極限まで軽量化された銃であり、改良され一般人よりもはるかに筋力数値の高いクローンであるイナにとっては、あまりにも
それは成長に伴い顕著になり、今のイナには合わない武器になってしまったのだ
…だからこそより重く、そして短くはない時間見てきた武器が、今の彼女には扱いやすいものになった
「はあああああ!!」
九つの武具による連撃を防ぎきったイナは鎌を大きく振るい、黒い沈黙の愛刀すらも弾き飛ばした
振動する刃により黒い沈黙の腕も痺れ、一瞬の隙が生まれる
それを見逃さず、間合いを詰める
至近距離の鎌による斬撃を警戒し、黒い沈黙は手袋から短剣を取り出そうとする
そしてイナは…鎌を手放した
勢いのまま放り出される鎌を、黒い沈黙は目で
その視線は微かにイナから逸れてしまう
一秒にも満たない時間だが、視線が、意識がイナから逸れたことにより勝敗は決した
黒い沈黙が再びイナに視線を戻した時、目前に迫ってきたのは、イナの拳だった
「……!」
「あああああああ!!」
イナの渾身の一撃が、黒い沈黙の顔面に直撃する
軋む音と共に砕ける仮面と、衝撃のまま地面に叩きつけられる頭
強い痛みは、走馬灯のようにかつての記憶を呼び覚ました
「誕生日おめでとう」
あの子が来た日が誕生日になった
真冬の日、雪で真っ白に染まる都市の中、初めての誕生日の日にプレゼントを買ってやった
小さな紙袋から取り出しその様は、それまで見てきた中で一番子供らしかった
取り出したのは、一本のリボン
薄紫の色は、あの子のスミレ色の瞳と真白の髪を合わせた、淡い色がよく似合うと思ったから
それを握りしめて、あの子は花が咲いたように笑った
「ありがとうございます!ローラン!」
純真な笑顔は、俺には眩しすぎたんだ
嗚呼…それでも
お前は俺の、可愛い娘であることに、変わりはないよな