戦いは七日続いた
光が全て都市に行き渡るまで、あと一日
その最後の一日に立っているものは多くはなかった
壮大な演奏が繰り広げられる中、イナはアルガリアと対峙する
それでもイナはもう指先ひとつ動かせず、その場で崩れ座っていた
「本当に馬鹿な弟子だよ、お前は」
「ええ、私は…どうしても音楽が好きになれませんから」
イナを殺すために、アルガリアは大きなエネルギーをその手に集める
既に穴だらけで血も多く流しているというのに、七日も戦い続けられたイナの頑丈さはアルガリアも嫌というほど知っているため、確実にその命を消し飛ばすための一撃を与えようとしていた
回避しようにももう動けないイナは、その青い輝きを眺め…アルガリアがエネルギーを放とうとした瞬間、僅かに動きが止まった
その時、黒い軌跡がエネルギーを両断した
「…ローラン…!」
デュランダルを手に現れたローランが、アルガリアと交戦する
イナは光の樹の方を見た
その傍らには、信じられないような目をしたアンジェラがいた
「…どうして?いいえ…こうなっちゃ駄目…私が残ってちゃ…」
困惑するアンジェラの言葉に応えるように、アルガリアを相手にしながらもローランが軽い口調で返事を返す
「アンジェラ!久々に会えて嬉しいよ
やっぱり機械の体に戻るしかないのか…顔面蒼白だよ」
「ローラン…なにをやらかしたの」
「最終日にお前が消えるところだったんだ
だから光の柱からお前を取り出した
あと、まだ終わったわけじゃないから、ちょっと待ってろ」
アンジェラが消えるまであと僅かというところで、イナがアルガリアの足止めを引き受け、ローランがアンジェラを光から救い出した
再び自分の体を得たアンジェラは、ローランの行動に憤慨するでもなく…ただただ、光が全て元通りにならないことに戸惑い、微かに落胆していた
感情はせめぎ合うように、理性は事実を理解する
「…そんなこと…するべきじゃなかった
こうしちゃ全てを元に戻せないのよ…」
「は、はは…!愚かだなぁ、ローラン…」
そこに、ヴィオラが現れる
戻ってきたアンジェラを狙って、アンジェラを捕らえようと残る片腕を伸ばして
「アンジェラ…帰ってきてくれたんだな…僕はお前を赦さないさ、ああ、手段を選んでいる暇はない…このままお前を逃がさない…!」
執念にも等しいヴィオラの魔の手を、イナが飛び掛かって阻止する
ヴィオラの足にしがみつき、アンジェラに手を出させまいと残る力の全てを絞り出す
「させ、ません…!」
「この、廃棄品が…!放せ!ここでアンジェラを…
アルガリア!そんな手負いのフィクサー一人に何を手こずってるんだ!早く殺せ!そしてこいつも殺してしまえ!」
イナはヴィオラを、ローランはアルガリアを相手にする
権能の使えないヴィオラは残響楽団を本から復活させ光を餌に戦わせていたが、もう残るのはアルガリアだけとなっていた
それも、ローランと拮抗…否、僅かにローランが押している
「全部無駄になった…最後の機会だったのに…
ローラン…アンジェラァァア!!」
悲嘆の悲鳴がアルガリアから発せられる
あと一歩のところで再び不完全となった光に、もう手にできない望みを前に怒りを見せるアルガリアに向かって…黒い剣が貫いた
「…あ……」
イナはその瞬間を見逃さなかった
全てを瞬きひとつせず、目に焼き付けて
「最後の最後まではお前らしくしなきゃ」
アルガリアの心臓を、ローランの剣が貫いて
血を流すこともなく、力の抜けていくアルガリアの手から青い鎌が落ちる
「ガミガミ言うだとからしくないことしてるから隙ができるんだよ」
ねじれていても致命傷だった
命が終わる音がする
「……おぞましいな
少なくとも最後だけは美しく在りたかったのに」
散り散りに消えていく光の柱へ、アルガリアは手を伸ばす
その手は光を掴むことなく空を切り、やがて力を失いながら墜落した
アンジェリカへの鎮魂歌、都市の人々を昇華するための演奏は、奇しくも完成されずに途切れていく
「……アンジェリカには…よろしく伝えておくよ
義弟」
出会った頃からの因縁は、この時をもってようやく決着がついた
アルガリアの遺言に、ローランは冷たく剣を引き抜いた
「地獄に落ちとけ」
倒れていくアルガリアの体を見届けた後…ローランは振り返り、一歩を踏み出した
その一歩は瞬きの間に距離を詰め、ヴィオラの眼前へローランが迫る
「は」
そのまま彼の肉体も上半身と下半身に分かれて切り裂かれ、ヴィオラは床に倒れた
「…母、さま…」
「動けるか、イナ」
呆気なく倒れたヴィオラに驚きながらも、イナは一先ずアルガリアの方へ意識を向けた
全てのゲストが本から人へ戻る中…ねじれた彼らはここで殺されればその命を終えてしまう
アルガリアの命も、ここで終わりゆくのだろう
「…最後に言いたいことがあるなら、言ってこい
恨み言の一つや二つ、言う資格はあるだろ」
ローランはイナの背を押し、そう言った
彼なりの気遣いに、イナは小さく頷き、ふらつきながらもアルガリアの元へ歩み寄った
まだ幼い頃、俺とアンジェリカは研究所から捨てられ、外郭を彷徨った
怪物達に追われながら一日、一時間、一秒でも長く生きることに必死だった俺達を救ったのは、スミレの魔女だった
「他の子供より使えそうだな…君達、僕のところに来なよ」
魔女は俺達を紫の涙、イオリに預けて鍛え上げた
そうしてフィクサーになってそれなりに稼げるようになった頃、魔女が立ち上げた会社の執行人として採用された
その時に、少し上の先輩がいた
雲の晴れた夜空の髪と、海のような深い蒼の瞳
傍目から見ても美しかったその女性は、人を殺す天才だった
無駄のない狙撃能力は現場で何度も見せてもらったし、アンジェリカも彼女に懐いていた
人を殺す天才でも、人並みに優しかった
いや…都市の人としては有り得ないほどに酷いくらい優しい人だった
「二人とも、そんなに険しい顔してないで
せっかく綺麗な顔しているんだから、笑って見せて」
そう言いながら頬をつついていた彼女
力なら俺やアンジェリカに適わないのに、どうにか抵抗する気にもなれなくて
毒牙を抜かれながら…ああ、そうだ、俺は彼女が好きだった
憧れにも似た、青い春の風
でも彼女には愛を誓い合った相手がいる
それを奪うほど落ちぶれてもいない
けれど…任されてしまったのだから、それを放棄するのは寝覚めが悪い
好きだったひとの、子ども
そのものを助けることは出来なくても、お前だけなら…
意識がふと、呼び戻される
今際の際の、最期の情けだろうか
滴り落ちる雫の感触が伝わり、朧気な視界を持ち上げると一輪のスミレが見えた
どうやら雫はそこから零れているらしい
「…どうして
こうなるしか、なかったのでしょうか」
どうして君は泣いているんだ
あんなに酷いことをしたんだ、とどめを刺したり罵詈雑言を浴びせたり…もっといろいろ、あるだろうに
本当に…馬鹿だなぁ
あの時躊躇わずに殺してしまえばよかった
何度も何度も殺そうとして、結局殺せなかった俺も…大概甘かったな
殺そうとした瞬間にあのひとの顔が浮かんで、その手が止まってしまうから
殺してしまえば…殺して、俺だけの彼女の遺物にすれば良かったのに
あのひとはいなくなって、怪物になって、俺に何も遺してくれなかった
魔女が全部奪っていったから
そんな時に現れた君は…奇跡だったんだ
俺に遺された、唯一の、あのひとの形見
手元に置いておきたかったのに…ああ、どうして、君も俺から離れていく
離れていったくせに、こうして戻ってきて…なんて惨いやつなんだ
泣きたいのはこっちだって
「どうか…死なないでください…私、もうこれ以上…大切な家族を、失いたくありません」
そんなの無理に決まっているのに
もう心臓は止まっている、あと瞬きひとつで俺の命は終わるのだから
「…ごめん、なさい」
なんで君が謝るんだよ
「裏切ってしまって…ごめんなさい…!
だから…だから、いかないで……」
なんだ、そんなことか
君はなんでそんなに生真面目なんだ
そんなんだから、俺みたいなやつに悪用されるんだよ
ああ、本当に…君のこれからが、俺は心配だよ
柄にもなく師として教えて、叔父として可愛がってきてやったのに…まだ教えたりないことばかりだ
今の俺に残された力は、たった一言伝えるだけ
神様とやらがとっておいてくれた、その燃え尽きた灰のような残り滓
何を言おうか、言い足りないことは無尽蔵なのに…自然と口から出た言葉はするりと零れた
「……大事に、してやれなくて……ごめん」
血だらけの頬に流れる涙を拭ってやれば、その手を大事に抱えて更に泣き出した
…うん、これで、仲直りはできたかな
脚の感覚はもうない、体が消えてるんだろうか
もうこれでお別れだ
さようなら、俺の初恋のひとの子ども
君への心残りは、持って行ってやらない
君のもとに置いていくよ
君は俺にとっての、あのひとの形見にはなれなかった
魔女の廃棄人形でもない…君は俺のただ一人の弟子で、ただの可愛い家族だ
どうか…健やかに
都市は君を圧し潰そうとするだろう
それでもどうか、負けないで…君は君らしく生きるように
そう、願っているよ
「う…あぁ…ああぁぁ…!あああぁぁ…!」
激しい戦いと消失した光の柱の末、半ば崩壊した舞台でイナの泣き声だけが響き渡る
膝の上に抱えていたアルガリアの亡骸は光と共に消え、その膝元には…まるで本の頁の切れ端の様なものが遺されていた
喪いたくない家族を、三人も喪った
今は、僅かな時間でも、その痛みを素直に涙として流してやるべきだ
憎しみでも後悔でもなく…純粋な、悲しみとして
イナは泣いた
遺された頁を、強く握り締めて