980年6月30日 午後4時12分
海を漂う船の中で、イナは銃を整備していた
都市の海は正しい順序で進まねば途端に迷い、怪物に襲われ海の藻屑となってしまう
その為にも、複雑で長い航海が想定されてる
「イナ、大丈夫なのか?ハナに酷い拷問をされたって聞いたぞ…ハナの奴ら、お高く留まりやがって…!」
イナの隣に座り、一緒に武器の手入れを始めたのは、シ協会南部二課の「懐刀」
気恥ずかしそうに視線を泳がせる、ゲルダだった
彼女もまた図書館から生還し、今もシ協会で活躍している
イナが帰還した時との時差で少しばかり年齢差が開いてしまったゲルダは、成長期が来たのかイナより頭一つ分大きくなっていた
「大丈夫ですよ、K社の薬品で綺麗に回復しましたから
…それよりゲルダ、今の私は都市災害として監視下に置かれているんです
軽々しく関わっては貴方の立場が危うくなるんですよ」
「あたしはそれが気に食わねぇ…!
だってアンタはあの青い残響に利用されてたんだろ!被害者じゃねぇか!
アンタは人のために戦える英雄だ、あたしはそう信じているからな」
尊敬の眼差しに圧倒されつつも、そう信頼してくれる相手が一人でも多くいるのは、イナにとっても感謝の気持ちばかりだった
温情からイナにそれなりに寛大な措置を交渉してくれたオリヴィエもだが、彼らがイナの味方をするのはひとえにイナの人間性の賜物である
「いくら何でも妄信的すぎない?13区の弾丸雨事件のこと、忘れたのかしら」
「じ、ジン~…先輩、しかもシ協会相手になんてこと言うんだよぉ…!」
通路を挟んだ向こう側の席には、これまた背が伸びたジンとカミュがいる
「まぁ、複雑なのはわかるよ
だが今は同じ一大作戦を担う仲間同士…協力関係のためにも、不仲でさえなければいいだろう」
イナの前席からは、そんな擁護の声も上がる
それは髪の伸びたナクワで、憂いた眼差しは水平線を眺めている
「イナ、君に何か不審な動きがあった場合は我々が即処罰させてもらうが…なるべく抵抗しないでほしいし、それ以前に不審な動きをしないでほしい
いいね」
「…善処します」
船の中には他にも、リウ協会やセンク協会など…ツヴァイ、シを含めた戦闘向きな各協会のフィクサーや、その直属事務所の名だたるフィクサーが集められている
中にはフィクサーではない戦闘部隊も同行しており、黒い重装備は物々しい雰囲気を隠さない
そんな先頭集団を乗せた船が、複数隻並んで大海原を進む
目的地はただ一つ…ヴァイオレットカンパニーの本社
イナの要望を受け、オリヴィエは協会上層部に報告と調査依頼を提出した
都市の大湖というだけあり、調査は長期に渡り続けられ難航したが、一週間前にようやく目標を発見した
潮の流れの変化、人魚達の動きから割り当てられたポイントに…姿を隠すためのシールドが何重にも張られた、巨大な建造物
複数の巣が合わさるほどの大きさを誇るそれこそ、今都市を脅かしているヴァイオレットカンパニーの本拠地
頭直々の指令ともあり、各協会合同協力体制をとって本社を叩く作戦だった
シールドを突破するための装置の開発、作戦会議や人員招集を含めて一週間で終わらせ作戦決行に移す迅速さに、イナは目まぐるしさすら感じた
イナもまた、突撃作戦の一員としてハナ協会から仮釈放された
監視付ではあるが
「ナクワっつったか
お前、誰のお陰でフィクサー試験通ったか忘れたわけじゃねぇよな」
「もちろん、だがそれとこれとは話が別だ
特色にもなれると期待されていた彼女は今や都市災害に変わりない」
「ですが…イナさんは青い残響に利用されていた、んですよね…?」
「…それ、は」
イナは沈黙する
あの頃、確かにアルガリアに利用されていたのは事実ではある
だがそれはイナが望んだことであり、全てがアルガリアのせいではないのだ
「…いえ、これは、私が償うべきものです」
「…指だけならともかく、よりにもよって翼に手を出してしまうなんて」
イナの首は今やフィクサー協会だけに留まらず、R社も求めている
今回の作戦に貢献しなければ、恐らくは死ぬよりも苦しく凄惨な目に遭うだろう
戦争を止めるためにも、ヴィオラを止める必要がある
「…了解
目標地点までおよそ500mを切った
これよりシールド貫通障壁を展開、敵の本拠地に突入する
各員、気を引き締めて本作戦に臨むように」
イナ達を率いる部隊のリーダー格の人物が、無線を通じて情報を受け取る
いよいよ、本社に突入する
イナにとっては敵地でありながら…自分が生まれた故郷でもある
それ故か、かつてないほどの緊張を感じている
「…突入!」
号令と共に、速度を上げた船は外敵を弾くシールドとそれを貫くための障壁の摩擦により発生した雷撃を纏いつつも、無事にシールド層を突破した
船内では、甲板から見える外の光景を映し出すモニターが備えられている
そのモニターには、巨大な白い建造物が映し出される
それはまるで、天にも届く塔のような高さ
螺旋を描きながら聳える柱
あれが、ヴァイオレットカンパニーの本社の姿である
しかし、塔には出入口らしいものは見当たらず、複数の船が到達可能な場所はない
「隊長、如何いたしましょう」
「砲撃装填、本社を破壊できるなら良し…壁に穴が開くほどなら、そこから侵入する」
複数の船が、砲台を塔に向ける
そして砲身に高圧のエネルギーが集中し、一斉射撃が放たれる
衝撃に船は揺れ、爆発と共に塔の壁は打ち砕かれた
「やはりそう簡単には崩せんか」
「第二砲エネルギー装填完了まで、五時間です」
「仕方あるまい、総員、突撃準備!」
その号令と共に、船内の全員が立ち上がる
「作戦目標は人形工場の破壊、そして不純物であるスミレの魔女の抹殺である!
魔女狩り作戦、開始!!」
塔に到達した船から多くのフィクサーが塔内へ侵入する
外観同様、内観も純白に染め上げられており、目に痛いほどに白かった
(ああ…なんて、懐かしい)
その内観に見覚えのあるイナは、同部隊の者達と共に内部を進行する
すると、スピーカーも無いのに廊下一帯に声が反響し始めた
『ようこそ、招かれざる客人の皆々様
こんなに多くのお客様を迎えられて光栄だ
せっかくならば、お茶のひとつでもお出ししたいのだけれど…生憎と、こんなに多くのお客様にご満足いただける数は用意できない
パーティーの用意をするなら最低でも一年前から予約していただかないと』
それは間違いなく、ヴィオラの声だった
『それで___アポ無しで、不躾にも土足で、この
「都市災害・不純物、スミレの魔女!貴様を抹消する」
リーダー格の男が、そう宣言した
その言葉を聞いたヴィオラは、少しの沈黙の後…高らかに笑った
『…ふ…く、はは、あははははは!
ああ、えぇ?あ~…なになに、もしかして魔女狩りってやつ?ふ~ん…ま、出来るならやってみなよ』
そういうや否や、廊下の前方、後方から一糸乱れぬ足音が進軍してくる
それはスミレ色の双眸に、灰色の髪の女達…何十、何百のクローンであるレインシリーズだった
「総員、戦闘かい…」
号令の声が途切れる
ごとり、という音と共に人間の首が落ち、血飛沫が噴き出す
「ああ、ごめんなさい…どうにも、昂ってしまって」
ふたつ、みっつ、首が落ちていく
「魔女様には「脳は残すように」と仰せつかっているので…それ以外は、切開してもよろしいのですね?」
フィクサー達の中で、赤い髪の少年が微笑んだ
「…!敵だ!殺せ!」
事態を理解した一人が声を上げ、そして首を落とされていく
巨大な鋏を、人の波の中で器用にも扱っている
「執行人エデン、独断専行は褒められた行為ではありません」
「そうお固いこと言わず!せっかくの
「…S200番から700番、執行人エデン、ラファエル、ウリエル、侵入者の排除に当たります」
複製人形、執行人、フィクサー
たちまち混戦が繰り広げられる
都市軍と魔女軍の交戦の中、イナは走り出す
それにゲルダ達複数のフィクサーもついていき、クローン達を相手取りながら進軍する
作戦内容としては、塔内を知る唯一の人物であるイナが要となり、クローン工場に潜入
工場を破壊することを第一目標としていた
「こっちです!本社内は水平に見えて螺旋構造となっています、こっち方向に行けば上層に到達できます
ここが下層なら、中層にクローン作製区域があります!」
螺旋の塔、といっても三つの巣ほどの大きさである本社内部は当然広大で、一階層分登るのも人の脚では無謀に等しい
それでも進むしかない
魔女の腹の奥へと