ヴィオラのいる最上階に行くには、螺旋状の外回廊では辿り着くことができない
上層内部から伸びる直通エレベーターでしかヴィオラの執務室には行けない
上層は、格納庫だった
もしくは…納棺所とでも言うべきか
「なん、だこれ…」
「これは…まさか、本当に…」
「…やはり、ですか」
中層のクローン工場と似ているが、いくらか小型の培養槽が陳列されていた
そこには生々しい臓器が…人間サイズの脳が保管されていた
眩い白い空間に、無数の脳の棺
その脳は、都市の人間達のものだった
「…調査では、レインシリーズを購入した者は都市から姿を消していた
だがレインシリーズは購入者の意思を代弁し、購入者の代わりに労働し、戸籍はそのまま…
…まさか、脳だけになって、ここに囚われていたというのか?」
「いいえ…これは囚われているのではなく、
都市にいる限り苦しむのなら、その苦しみを肩代わりする誰かを用意し、本人は安全な場所で安心して生かす…
…スミレの魔女がやろうとしているのは、人間達を標本にして保管すること
単一個体の人間の繁栄ではなく、人類の完全支配…種の永続
ただ、人類という種族を残すことだけ…そこに文明の進化も社会の発展もない」
種の保存法として最適な方法
ヴィオラが言っていたのは、こういう事なのだった
均一に優秀な複製人形が社会を運営し、もともとそこにいた人間達は剥製として保管される
与えられた仕事だけをこなし、娯楽も消費しない肉人形…個体差がないので当然争いは起こらない
「そう、まさに楽園だ
今ここにいる人間達はまだ2億9745万人だが…いずれ都市全域、さらには外郭で健気に生きる者達も楽園へと招くつもりだよ」
中央エレベーターから、一人の女が下りてくる
スミレの魔女が、その姿を現した
その身体は傷一つない五体満足の肉体で、図書館でローランに両断されたとは思えない
「彼らの脳に僕お手製の脳波を流し、彼らは穏やかな夢を見ている
生きにくい都市に縛られない、平和そのものだ」
「魔女が現れたぞ!攻撃開始!」
黒い武装隊が火力の高い弾丸を惜しまず射撃する
しかしその無数の弾丸は、ヴィオラの触手により防がれてしまう
「ディアスんとこの…ウアジェトか
図書館もなくなっていよいよ僕を始末しに来たんだね」
やれやれ、と肩を竦めてヴィオラは降り立った
そしてイナへにべもない視線を向け、あの時の痛覚を懐かしむように艶やかに腹を撫でる
「ああ…初期型575番…お前の父親、だったっけ?
アイツに斬られたときは…痛かったよ…上半身と下半身が離れ離れになるって、あんな感覚なんだって初めて知ったよ
お前も父親と同じように僕を殺しに来たんだ?」
「…私は、オリジナルを…」
「レインだけを奪ってどうするんだい?結局僕を殺さないと僕は止まらないよ
まぁ死なないけどさ」
ウアジェトの隊長が素早くヴィオラの首を刎ねる
落ちていく首を、触手が受け止めた
「我々の速度には反応できないようだな」
「けど殺すこともできないじゃんね」
多くのフィクサーが、数々の武器が、ヴィオラを貫く
それでもヴィオラは息絶えることなく肉体は再生していく
「イナさん、貴方は今のうちにオリジナルの奪取を!」
「死ななくても、足止めくらいなら…」
ヴィオラが権能で生み出した飛び道具を防ぎながら、ジンとカミュはイナをエレベーターまで誘導する
「止まれ」
ヴィオラが一言声を発すると、それは反響して響き、ジンとカミュは動きを止める
指先も、舌先も固まり微動だにしない
「殺せないと気が付いた時、生命は相手に屈服する
口で誤魔化せても、意識は敵わないことを悟っている
僕を上だと認識したときにはもう僕の手中…だというのに
なんだよ、半分も止まってないじゃないか、残った半数は気狂いか?まともな感性じゃないな」
それでもヴィオラは止まった者達を殺そうと槍を飛ばす
ジンとカミュにもその刃は迫っていたが、咄嗟にイナが二人を抱えて伏せたことで間一髪それは回避された
しかしイナが他人を助けることに意識を裂いたせいで、別方向からくるものに反応が遅れた
「うッ…!?」
操られたフィクサーの斧が、イナの脚を斬り落とそうと振り下ろされる
瞬時に回避するも微かに掠めてしまう
「ただ死ぬよりもこっちの方がエンターテイメントが高いかなぁ」
操られた者が残った者達に襲い掛かり、仲間討ちの混戦が始まる
誰もが苦戦し、命を奪うことすら迷う中、ウアジェトは躊躇いなく操られた者達を殺していく
その弾丸はカミュにも向き
「…!」
ジンがカミュを庇い、弾丸がいくつか彼女の肉体を抉った
「ジン!」
イナが駆け付けようとした瞬間空間が変質し、床から柱が伸びる
複雑に組み合わさった柱はイナを閉じ込める檻となる
「お前はそこで大人しくしてな」
自分の意思では動けないはずのジンが、カミュを守るために負傷した
カミュはジンを呼び掛けることもできず、悲壮感を満たす瞳を向けている
戦闘の邪魔になる存在は徹底的に排除しようと再び銃が向く
イナは檻を破壊しようと持ち得る武器で破壊しようとするも、高濃度エネルギーの集中射出でようやく穴が開くほどの硬度を持つ素材に、イナの武器は通用しない
「待って、待ってください!仲間ですよ!?」
「作戦を妨害する者は必要ない」
ウアジェトが引き金を引こうとした瞬間、地響きがした
この地響きは、先程も全員が体感している
その振動と共に床の中央が崩壊する
全員が退避するが、閉じ込められていたイナは共に崩壊する檻の隙間から赤い瞳を見た
「無二…!」
確実に巨大化が進んでいる黒蛇は、工場区の天井を突き破って上層に現れた
「この、バケモンが…」
ヴィオラは嫌悪の表情を見せ、蛇を攻撃しようとする
しかし蛇はイナを見ては、彼女もその口の中に含んだ
「うわ、あ!?」
蛇の口の中は一切の光が届かない暗闇
このままでは腹の中に落ちてしまうと、イナは焦るが…奈落のような腹の中の落ちることはなく、重力に反して体はふわりと浮かんだ
『イナ』
蛇の口の中に反響する声
それは無の世界蛇の声だった
「無二…」
『まだ私をそう呼んでくれて、ありがとう
今私は理性があまり残っていない…視覚情報は役に立たないから、貴方達の目の色でしか判別できないの
クローン達を優先的に攻撃してるだけで、貴方達に配慮して動くこともできない
でもイナ、貴方だけは…十年一緒にいた貴方だけは、わかるから』
「無二、私…あの時、酷いことを」
『謝るのは後、今は早くあの子の元へ向かうべきよ
私が連れていくから、あの子を保護して』
蛇はイナを口に含めたまま、更に天井を突き破って登っていく
さながら、天へと昇る龍のように
「クソ…!レインシリーズで倒せないとか…どんだけ
ヴィオラはすぐに追いかけようとするも、ウアジェトやフィクサー達がその行く手を阻む
白い壁を伝いながら天井を破壊し、黒い蛇は這い上がる
数秒昇ると、開けた空間に出た
イナも蛇の口の中から脱し、周囲を確認する
そこは壁一面が黄昏に映し出されたディスプレイ
作業用デスクに、接待用のテーブルと椅子
ヴィオラの執務室の様相に違いない
そして、エレベーターのゲートと向かい側…作業用デスクの背後に、人一人通れる区切りがある
そこが、オリジナルがいる部屋へ通ずる扉だろう
イナは近付き、扉に触れる
『指紋認証・不一致、網膜認証・一致
クローン識別番号の入力が必要です』
電子的なアナウンスに伴い、パスコードを入力するためのキーボードが現れる
イナは少しだけ悩み…自分の識別番号を入力する
1.0‐575、と入力すれば一秒ほど読み込まれ、軽快なアラートの後に扉が開いた
黄昏のオレンジ色と違い、扉の先は仄暗い道が続いている
床も壁も天井も、一面に星が瞬く、夜空の中に浮かぶような空間をイナは進む
距離感覚も方向感覚も狂いそうになる道を進み、暫く経った頃…進む先に、白い塊が見えた
それは浴槽で、近付けばその周囲には点滴スタンドがいくつも並んでいる
都市でも高級な治療薬品たちが掛けられ、点滴は浴槽の中に繋がっている
「…お久しぶり、ですね
オリジナル」
イナが浴槽の真横まで歩み寄れば、虚ろなターコイズブルーの瞳が微かに彼女に向けられる
浴槽の中には、水ではない緑色の液体…コギトが満たされ、その中には沢山のチューブに繋がれた下半身の無い女性が横たわっていた