Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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FakeⅤ

 

「…ぁ………」

 

コギトの風呂の中で、レインは虚ろな目をイナへ向ける

 

言葉は当の昔に忘れ、息を吸うことだけを意識している彼女は、クローンの大量生産に伴い細胞の多くを採取された

 

腹部から下は存在せず、腕には点滴のチューブが十を超える数に繋がれ、生きれるはずもない姿でも生きている

 

イナがいた頃はまだ指先程度だったのが、今やここまで使われてしまっている

 

そこに憐憫をかける資格は、イナにはない

 

彼女はその細胞から生まれたのだから

 

『…め…魔弾の…生きて…か…』

 

インカムからノイズ混じりに届く声は、作戦の指揮を担う何人かのリーダーのうちの一人

 

上層でヴィオラを足止めしている者だ

 

「は、はい、生きています、今最上階にいます」

 

『そう…目標は…発見し…か』

 

「…はい、今、目の前に」

 

『…ならばそれ…殺すよ…に

燃やす…凍らせ…て細胞を…死滅させ…

これ以上クローンを…増やされたら…都市…終わり…』

 

指揮官の指示に、イナはレインを見る

 

魔女に道具として使われる為だけに生まれてしまった命

 

本当の親も知らずに死ぬしかない運命

 

生きているだけなのに悪行の母胎とされた、純然なる必要悪

 

その虚しさに、憐れみを抱いてしまう程…イナは心を得ている

 

「……わた……ころ……す……?」

 

レインが動かない唇と舌を動かした

 

鎮痛剤や全身の麻酔のせいでまともな滑舌を動かせないが、それでもイナには何が言いたいのか聞き取れた

 

「…殺さなきゃ、いけないみたいです」

 

「……」

 

レインはイナから星空へ視線を動かした

 

偽物の星空は、レインが長年見続けてきた世界

 

それを呆然と眺めながら、レインは涙を流す

 

「…死にたくないのは、痛いほどにわかります

貴方はそうやって作られ、生まれた…生存本能はこの都市の誰よりも強いはず

ですが、このまま苦しみ続けて母様に使われるのなら、いっそのこと…」

 

「お……と…さ……」

 

レインが呟いた

 

イナははっと顔を上げ、レインを見た

 

「おと……さ……あい…た…」

 

レインが言った言葉は、恐らく「おとうさんにあいたい」だろう

 

涙を流しながら呟いたその言葉に、イナは気づかされる

 

レインは生まれた時にヴィオラに奪われ、ヴィオラは自分を母親だと嘯くことでレインを洗脳した

 

生きてきた中で、自分の生まれについて考えることもあったのだろうか

 

子どもがどうやって産まれてくるか、それはイナ達クローンですら知る生命の基本的な構造

 

父と母がいなければ自分は生まれない

 

レインはヴィオラを母と呼ぶ、それなら自分の父親はどこにいる?当然の疑問だろう

 

そしてその疑問を誰にも吐き出すことは出来なかったはずだ

 

「……そう、ですか」

 

自分の起源を知りたい

 

誰でもふと浮かぶような疑問であり、当たり前の望み

 

命が終わるのなら、せめて知らない家族を知りたいと思うのは当然だ

 

イナでも知らない、オリジナルの父親

 

「…わかりました」

 

この戦争を終わらせるためにも、レインシリーズの生産は止める必要がある

 

その為にはレインを殺すかヴィオラを殺すしかない

 

現状現実的なのはレインを殺すこと

 

…しかし、死ぬ前にささやかな願いくらい、叶えてやりたい

 

だからイナは頷いた

 

レインに繋がれた点滴を外し、コギトの風呂に腕をつけレインを持ち上げた

 

コギトによる浸食で鼻血が流れるが気にも留めない

 

レインを背負い、イナは来た道を引き返した

 

まずは手掛かりを得ないといけない、レインの父親の手がかりを

 

そのためには蛇に話を聞かねばならない

 

「無二!聞きたいこと、が…」

 

星空の空間を抜けると、黄昏に染まった執務室が黒い影に覆い隠されている

 

影の飛沫が部屋の大部分を占めており、その中央にヴィオラが立っている

 

「…悪い子だ、どこに行くというんだい」

 

蛇の姿は跡形もなく、恐らくはヴィオラが蛇を倒した痕跡が広がっているのだろう

 

優しい微笑みを浮かべたヴィオラが、イナに歩み寄ってくる

 

正しくは、レインに…だろうか

 

「はやく、あそこへお戻り

お前はあの風呂の外では生きられないのに…死にたくないだろう?」

 

「オリジナルは連れていきます…そこを、退いてください」

 

イナは後退りながらも強く訴える

 

ヴィオラの顔から笑みが消えた

 

冷たい視線がイナを貫く

 

「…本当に…馬鹿な子だよ、全く」

 

魔女の魔の手が伸びて、槍が無数に浮かぶ

 

狭い空間で、レインを背負って対抗することもできなければ逃げることもできない

 

どう切り抜けるかイナが一秒にも満たない時間で思考を回すがそれも意味を為さない

 

槍が音より早く放たれる

 

レインを庇うようにイナが身を屈めるが…訪れるべき衝撃は来なかった

 

固く閉じていた目蓋を恐る恐る開くと、白い蒸気で視界に映る全ては覆われ、背の高い男のシルエットが浮かぶ

 

赤く熱を放つ剣を片手に、男は魔女を見据える

 

「……ヴェルギリウス…!?」

 

「赤い視線…!」

 

特色である赤い視線、ヴェルギリウスが、ヴィオラの槍を全て薙ぎ払いイナを助けた

 

「…遅くなったな」

 

「なん、で…」

 

「面目上はハナからの要請だが…お前には子供達が世話になったからな」

 

ヴェルギリウスの剣が高熱を発し、赤い軌道を描いてヴィオラに迫る

 

ヴィオラが部屋の天井を屈折させ壁を作るも、ヴェルギリウスの剣はそれの強度を押し切る

 

横断された天井は崩れ、瞬きの間もなくヴェルギリウスはヴィオラに詰め入る

 

「…!」

 

ウアジェトと相対していた時も同様だが、ヴィオラは反射神経が良くても本人の動きは9級フィクサーにも劣る程に遅い

 

さらには武芸を極めたわけでもなく、直接的な戦闘は得意ではない

 

ヴィオラが飛び道具ばかり作り放つのは、距離を詰められれば対抗する術を持たないから

 

相手の間合いに入ってしまえば、その命を刈り取られる

 

終わらない命を持っているとはいえ、無駄な消耗は避けたいもの

 

ヴィオラは床から刃を突き立てさせ、ヴェルギリウスの動きを制限させようとする

 

しかし、脚や肩を掠めようとも致命傷には程遠い

 

ヴェルギリウスの剣が、ヴィオラの右腕を斬り落とす

 

そのまま脇腹から肩までを斜めに袈裟斬りし、そして頭部を横断した

 

「…厄介だな」

 

「ああクソ!熱いし痛いし血は奪われるし…どこまでも邪魔しやがって!」

 

ヴェルギリウスとヴィオラの戦いが激化する中、空間に広がった影が蠢いた

 

それがイナの傍に近寄って、赤い眼球がぎょろりとイナを見た

 

「イナ」

 

「無二…あの、オリジナルを連れてきまして

貴方はオリジナルの」

 

「今はそんなこと良いから、聞いて

あの魔女を倒す方法はもうひとつしかない

七本目の権能を探すの」

 

蛇の言葉にイナは目を見張る

 

あの不死身の魔女を倒す方法、それが存在していることを蛇は理解していた

 

否、推測という方が正しい

 

「今のあの子には六本の権能が集まってる

魔女のもとに終ぞ現れなかった七本目は、きっと何かの助けになるはず」

 

「…それは、どこに?」

 

「わからない…けど、手掛かりならある

 

黒い森の沼地、そこに魔女の家がある」

 

蛇の示す場所は、都市の外郭に存在する黒い森

 

かつて怪物が存在しては、今はもう何もいない静寂の森

 

「私が道を繋ぐから…そこへ行って、見つけて

魔女を倒す方法を」

 

蛇は影を広げ、イナを包み込んだ

 

見える全てが闇に染め上げられていく中、イナはレインを放さないように抱きしめた

 

 

 

…数秒だったかもしれないし、数日だったかもしれない

 

何も感覚がない状態だったのが、ふと足を擽る感触に変わった

 

イナが再び目を開くと、そこは暗い森の中

 

黒い木々が立ち並ぶ森の中に、イナとレインはいた

 

「…ここが、黒い森?」

 

イナが周囲を警戒するも、敵は愚か生き物の気配は一切感じられなかった

 

そのままレインを背負い、イナは進んでみる

 

風すら吹かないこの森で、イナの足音だけがこだまする

 

時刻は夜だろうか、一切の光のない暗闇を歩くようにイナはこの道でいいのかと迷いながら足を進めた

 

レインの呼吸を背に感じながら、ただ無心に歩き続けて暫くした頃

 

突然、視界が開けた

 

月の灯りが池の水を反射してキラキラと輝いている

 

その池の周りには一面の紫色の花…スミレが咲き誇っており、池を挟んだ対岸には一軒の古い木造の家が建っている

 

蔦の生い茂る家とスミレの園は黒い森に馴染まないようでいて、それが一枚の絵画のような存在感を放つ

 

「…あれが、母様の家」

 

イナは意を決して、その家を目指した

 

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