僕らに理解者はいない
僕らに味方はいない
いつだって世界は敵だ
彼の男が憎んだ世界の秩序というものは、自己の外を消費しないと維持できない
生きる人間達は自我があり、それぞれの違いがあるせいで争う
違いなんてなければいい、苦痛を感じる自我なんて無ければいい
心なんて、ただの枷でしかないのだから
「私は枷じゃなくて、殻だと思うの
発芽するための力が足りなくて、上手く芽吹けない…それがこの都市の人達なの」
ああ、君はそんなことを言っていたな
何を根拠にそこまで人間を信じられるのかがわからなかった
けれど…君だからこそ、信じようと思った
誰もが僕らを恐れ、拒み、信じなかった…でも君は
君だけは僕らを見て、僕らの願いを聞いて、理解を示し、寄り添い、語らい合った
君だけは僕らを信じてくれた
手を差し伸べてくれた
…それなのに、君は一人で死んでいった
あの扉の向こうで、風呂の中で腕から血を流していた
それを最初に見つけた時の僕らの気持ちを、君は知らないだろう
悩んでいたのなら、苦しんでいたのなら僕に言ってくれればよかったのに
どうして何も言ってくれなかったんだ
研究が行き詰まってたから?子供が死んだから?頭への恐怖?
一体何が君を苦しめたんだ
言ってくれなきゃわからないじゃないか
僕らは、人間じゃ、ないんだから…
「…なんで…あと少し、だったのに…な…」
呟く言葉も薄れていき、母様はスミレ色の双眸を私に向け、強く睨んだ
「愛を忘れた僕に、かの願いは叶えられない…か…
わかるわけないだろ…僕らはそんなもの、与えられたこともないんだから…」
「…でも、カルメンのことは好きだったんでしょう?」
母様は私の言葉に何も答えない
沈黙は肯定だと、アルガリアから聞こえた気がした
「私はカルメンを見たことはありませんが…母様が好きになるくらいなんですから、きっと素敵な人だったのでしょうね」
「はぁ…?ねじれておいてお前…
…もういい、疲れた…」
「私は最後に母様と恋バナが出来て、良かったです」
「…本当に…馬鹿だろ、お前…」
「イナです
私の名前は、イナですよ、母様」
左肩に乗るアルガリアを撫でると、柔らかで煙のような不思議な感触がする
あの人に貰った名前を、私はずっと誇る
私という一人の人間の証だから
「…そう、イナ…ふふ
僕の考えは変わらない、心なんてものは邪魔でしかない
肉体の傷は治療すれば治るが、心の傷は適切な治療法が確立していないし永遠に残る
わざわざ不利益なものを得て、これからお前は苦しみながら生きていくんだろうさ」
「はい、生きていきます
この都市で、私は…もっと心を知ろうと思います
まだ知らない感情を、見たことないものを、探します
これは誰に願われたことじゃない…私が見つけた、生きるべき目標です」
感情を得て、喜びも悲しみも怒りも、希望も絶望も理解した
でも、まだこの世界には私の知らないことが多すぎる
それを、見つけに行かないと
「イナ、僕らは…いや、僕は本当は…君に苦しんでほしくなかったから、あそこで終わるべきだと思ったんだ
心は脆い、簡単に崩れてしまうから
カルメンも、そうだった…苦しみの果てに解放されたくて自分の命を絶とうとする
終わりは一瞬だ、けれど生き続ける限り苦しみは伴い続ける
そんな苦しみを味わうくらいなら、終わらせる
だが…僕はひとつじゃない、他の権能はそれぞれの意見を持つ
気を付けるんだよ、
それを様々な世界線に放ったんだ
世界はひとつじゃない…本当にスミレの魔女の願いを止めたいなら、お前の旅は長いものになる
鏡の破片は無数にある…その旅が、お前をより良い人間にするだろうさ
その過程で苦しみ、悲しみ…そして、美しいものにも出会うだろう
僕らがカルメンに出会ったように」
母様の身体が薄れ、解けるように消えていく
私の魂に憑依した権能のお陰か、わかる
母様達権能はこの世界で生まれたものじゃない
人間でもないから、母様の自我はあの世なんてところに行かず、ここで消えて無くなってしまう
「…貴方ともっと話をするべきでした
ただ命令を聞くだけじゃなくて…貴方の孤独に寄り添うべきでした」
「お前達を商品として一線引いていたのは僕らの方だ
しかも心を持たないように作っていたんだからね…仕方のないことさ
ま、今際の際としちゃいい方だろう
自分の子どもに看取られるなんてさ」
残った左腕を持ち上げ、母様は私の頬を撫でる
そして、軽く摘まんだ
「そんな辛気臭い顔をするなよ、これまでもこれからも、沢山の別れが待っているというのに」
子どもっぽく笑って、私の足元に座るアルガリアを見た
「お前には恨み言いっぱいあるけど…まぁおあいこってことで見逃してやる
この子をよろしく頼むよ、せいぜいいっぱい苦しむように長生きさせてやってくれ」
アルガリアは肯定する
きっと私以外に声は聞こえないけれど、それは母様にも伝わったようで安心して目を閉じた
「レインは…どうしてる?」
「…お父さんの土塊を抱きしめて、死んでいます
私に心臓を譲ったから…」
「…そうか
今までたくさん苦労をかけたから…まぁ、それについてはすまなかったと、少しは思っているよ」
「無二の…萌恵さんの子どもなんですよね」
「ああ…あ、言っておくけどあの女には謝らないからな
僕らの宿主が苦しんだ大元の原因はあの女なんだから
今でももっと苦しめてやりたいと思う…けど、返すものは返してやるよ」
切り離された母様の下半身は消え去り、母様ももう首だけが残った
「母様、私は自分だけの家族を得ましたが…私にとっての母は、貴方ですよ」
「…僕も、まぁ、お前たちのことは…僕なりに大切だったよ」
白く解けて、母様は消えていく
「さようなら、イナ
どうか苦しんで生きるように」
その言葉を最後に、母様の姿は跡形も無くなった
その代わりに残ったのは…ターコイズブルーの瞳を持つ、眼球
きっとこれは、片目しかなかった無の世界蛇の右目でしょう
それを拾い、倒れている無二に近づいた
「無二…これ」
ぐったりとして動かない首だけの無二の瞳から赤が抜け、私の持つ右目と同じターコイズブルーに戻る
「…ああ…私の右目…
ありがとう、イナ……魔女、は…」
「消えました、もうどこにもいません」
「そう…けれど、彼が遺したクローン達は未だ都市にいる
魔女が死んだことは伝わっているでしょうけど…彼が標本にした人間も、起きてしまった戦争も戻すことはできない」
無二の言う通り、戦争は都市を混乱に陥れた
母様の残した爪痕はそのままです
一体、どうすれば…
「その右目がなかったら、だけど」
「え?」
「私の目は因果律を変えるの
左目は結果…未来を、右目は原因である過去を
七本目の権能…貴方のE.G.Oの力を、私の右目で過去に飛ばせば…戦争が起きる未来を切り離すことができる」
なんて力でしょう、さすが湖の怪物と言われるだけあります
呆然としてしまいますが、無二は構わず話を続ける
「私の右目をつけてみて、過去が見えるから…レインシリーズが広がる未来を切り離すの
その力ならできる」
言われたとおり、空っぽの左の孔に右目を差し込む
集中すると、過去の光景が見える
どういう仕組みかわからないけれど、母様がいたはずの場所はぽっかりと抜けていて…クローンを量産する本社が見えた
その光景に、謎の線が見える
この過去を切り離せば、私達のいる今はどうなるのでしょう
「大丈夫、死んだ人間は戻らないけれど…魔女は都市の人々を殺したのではなく、保管しているだけだから
その人々が戻り、戦争も起こらなくなる
その力が使えるのは一度きり…集中して、間違えないように」
鎌を握ると、不思議な力の流れを感じる
そして、見たままの過去を斬るように、振るった
映し出された過去の線をなぞるように切り裂き、その景色は崩れていった
それと同時に、無二の右目は溶けて無くなってしまった
「…よくできました
魔女はこうされることを恐れたから、私から右目を奪ったの…これで、都市は元通りになっているわ
記憶はその限りではないけど…魔女の会社はきっと、頭の命令で差し押さえになる、みたいに辻褄が合わせられているはず」
「なら早く都市に戻って確認しましょう」
アルガリアは私の肩に乗り、私は立ち上がった
この家を出て都市に戻らないと…
「無二はどうしますか」
「私は…私は、ちょっと疲れちゃったから…ここで休むわ
ここには私の愛するひとと…本当の子どもがいるから」
それを聞いて、私は無二を抱えてオリジナルの元へと運んだ
胸が空っぽになって眠るオリジナルと、その手に囲われた土塊
「…ああ…ただいま…
雨…やっと……これで一緒に…」
その傍らに寄り添うように、無二を降ろす
無二は一筋涙を流した後に…美しい海の色の瞳は、色を失っていった
…どうか無二が空の向こうで、愛する家族と共にいられますように
手を重ね合わせ、祈るように黙祷する
黙祷を終え、階段で地上に戻る
静かな魔女の家は、このまま残しておきましょう
誰にも教えずに、彼女達の安息の眠りを妨げないように
母様のものを、大切に残しておきたいから
外に出れば、空が明るんでいる
月が傾き、夜明けを告げる
朝露を滴らせながら、スミレは未だに咲き誇っている
…新しい朝が、やってくる
次回、最終回