Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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The right mission,The fate of the only mistakeⅡ

 

本社業務棟から社員寮へと続く廊下にて

 

その箱は倒れていた

 

「…」

 

レイン575はただただそれを見下ろし…もとい、見下している

 

レイン575は一瞬箱を足で蹴ろうかと真面目に悩んだのだが、その発想を理性で取り消し、普通に手で触れ揺さぶった

 

「ネツァクさん、こんなところで休まないでください

ちゃんとセフィラ用の休憩室、あるでしょう」

 

廊下で倒れていたのは、レイン575の上司であるAI、ネツァクであった

 

「んぁ…ああ…寝てたのか…?」

 

「寝ていました、廊下では通行の邪魔です」

 

ネツァクは体を起こし、壁に凭れ掛かるように座る

 

「…また一人、使ったんだな」

 

ネツァクの言葉に、レイン575は淡々と答える

 

「はい、何か問題でも?

都市では人間の命など紙きれより軽いものです、私は彼女に紙切れよりも価値のある有効活用をしただけです

カレン、あの職員のお陰で私は生きています」

 

「はは、ここじゃお前みたいな奴が一番強いんだろうな」

 

レイン575はその手に一つの小瓶が握られているのを目にする

 

「…機械が麻薬ですか」

 

「何かおかしいか?

まぁ、アンジェラには止められたがな」

 

「いえ、特に問題はありません

ネツァクさんが使い物にならなくなっても、機械は交換が利きますからね」

 

ネツァクが持っていたのは、緑の液体が入っていた薬品瓶

 

これはアブノーマリティ達から抽出されるエネルギーの一種、エンケファリンであった

 

それは接種者に多幸感を与えると同時に、幻視や幻聴といった幻覚症状を引き起こす麻薬品でもある

 

「ここの仕事はまともじゃやってられないからな

凄惨な現実から逃れたい奴が多いだろ」

 

「貴方もその一人だと?」

 

「そうだ、俺は生きていたくないからな

こんな、人の命を任される仕事になんて就きたくなかったよ」

 

緑の眼のようなレンズが、苦しそうに濁った気がした

 

その言葉は、ネツァクにとっての本心なんだろう

 

わざわざ噓をつく必要などないから

 

しかし、だからこそレイン575は疑問に思う

 

「なぜ…生きたくないのですか

それは、死にたいということですか?」

 

ネツァクの願い

 

それは、レイン575にとって一番理解のできないものだった

 

「ああ、そうだな

もう長いことまともに眠れていないからな…長く、長く…眠り続けたいもんだ」

 

「それが死ぬこと、だと?

今生きていて、どうして生を手放したいと思うんですか…理解できません」

 

レインというクローン体達は、ただコピーされただけではない

 

ある薬品によりその潜在的な生命としての欲求が極限まで引き上げられたもの

 

生存本能が最大にまで解放されているクローン体の一人であるレイン575にとって、「死にたい」という願いは到底理解のできないものだった

 

それを訴えるレイン575に対し、ネツァクは静かに声を発声させる

 

「じゃあ聞くが…

 

アンタは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

疑問を返され、レイン575は硬直する

 

「…生きるのは生物としての基本的な欲求です

そこに、理由などは不必要ではありませんか」

 

「アンタは別に自分がかわいいからとか死ねない理由とかがあるわけじゃないだろうな

俺達と同じで、替えも利く

ただ、生きる事が行動理念なんだろうが…生きる理由も目標もない

それって、死ぬのとどう違うんだ?」

 

生きる理由

 

生きる目標

 

それが、生きることに必要な条件なのか

 

否、そんなことはないはずだ

 

生きることに条件も資格も理由も必要ない

 

しかし…目指すものもなくただ生きる、それは果たして生きるということなのか

 

「もしかしたら、死んだ先もこの都市と変わらない世界なのかもしれないな

もしかしたらここよりずっと悪いかもしれないし、ここよりもずっといいかもしれない

死んだ後の事なんて誰にもわかりやしないさ

けど、少なくとも、今の俺にとってはこんな地獄から解放されてまともにゆっくり眠るほうが幸せなんだ

 

アンタはどうだ?

他人の命を足蹴にしてまで生きることに執着する理由や目標はあるか?

誰かを言い訳にしない、アンタ自身の気持ちだ

アンタも、誰かのコピーなんだろうが…今生きてるアンタは、れっきとした個人だろう」

 

「…私は、私達は、母様の子です

母様により生み出された、その母様の命に準じるのは自明の理です

その母様が「L社で生き延びろ」と命じているのですから、設計された生存本能を頼りに生き続けるのになんの問題があるのですか」

 

予想だにしていなかったネツァクの話

 

その言葉に対し、レイン575は無意識に感情的になっていた

 

「コピー元の性分か?案外気が短いよな、アンタ

…話過ぎたな

ふぁ…んじゃ、また明日な」

 

ネツァクは立ち上がり、社員寮とは別方向へと歩き出す

 

「…そういや」

 

しかし、ふと足を止めては先程までネツァクがいた場所から視線を外さないレイン575の方へ振り返る

 

その横顔はいつもの涼しい顔に見えながら、どこか不穏な様子だった

 

「アンタと俺、どこかで…

…いや、やっぱりなんでもない、忘れてくれ」

 

言おうとしたことを取り消し、ネツァクは立ち去る

 

機械がいなくなってから、レイン575はそちらを見やった

 

「…生きることに、理由も目標も…必要、ないでしょう

生き延びることは、生命の基本的欲求なんですから…」

 

彼女はこの時、この会話を他愛もないただの問答とした

 

そのまま記憶保存をし、後日データを送るために頭の隅に追いやった

 

しかし、この問答こそ、レイン575の「人生」を大きく変える事となるのだ

 

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