備えている異常も衝撃も襲ってこないことに対し不思議に感じたレイン575はゆっくり目を開ける
薄暗い照明に照らされた廊下、せせら笑うアブノーマリティ
ポーキュバスと自身の間に立つ、男の姿
「あー…へへ、鼻から血ぃ出てきましたね…頭あっちぃ…
あ、レインさん大丈夫ですか?」
鼻から血を垂らす、オーウェンだった
「…貴方、なにを」
「え?強い上司を死なせるわけにはいかないでしょ
…というか単純に、体が勝手に動いただけです
よかった、前助けてもらった恩返しができて」
オーウェンの顔は血が上り少しづつ赤く染まり、頭の血管も浮き出てきている
やがてところどころ血管が破裂し顔のいたるところから血が流れ出す
「へへっ…これがハイってヤツですかねぇ…
あ、レインさん、最期に謝礼させてください」
「ま、待ちなさい…今すぐ治療を」
「俺、レインさんに会えてほんとよかったです!あん時助けていただいたこともそうですけど、それ以外でもほんとお世話になりました
今まで、ありがとうございました!」
オーウェンの目の角膜が充血し、血が溢れてくる
レイン575は言い表せない焦燥感に襲われながら目の前で絶えず変化していく後輩を眺めることしかできない
「いってぇ…頭がすっげぇ痛ぇ…けどそれが気分良く感じてくるのがこのアブノーマリティの力なんですかね」
オーウェンの頭の毛細血管までもが膨張している
彼の手足は震え、息は激しくなってきている
「は…ははははは…!なんですかこれ、すっげぇ気持ちいい…!これがポーキュバスの棘…?俺もう死んじゃうのにこんなに気持ちよくなっちゃっていいんですかね…!
マジやっべぇ…俺、
また、どっかで会えるといいですね」
その言葉を皮切りに、オーウェンの頭は爆発した
爆風でオーウェンの脳の欠片と血飛沫が飛び散り、目玉が床に転がり落ちる
その血と脳はレイン575にも降りかかる
レイン575は目の前で破裂したオーウェンの返り血を頭から浴び、垂れ流れるその血を指で掬い上げる
頬にくっついた脳の欠片はじんわりと生温かかった
「…オーウェン…?」
目の前で立っていた男の頭部の上半分は無く、口の端が不気味に吊り上がっている
そのままオーウェンだった男の肉体は床に倒れ伏し、無くなった頭の断面から血が噴き出し流れる
この男が身を挺しレイン575を庇ったことにより、レイン575は死ぬことはなく今現に生きている
「…」
先程まで親しげに話しかけてきていた男が、今やただの物体でしかない
「……………」
その時レイン575の中には虚無しかなかった
過去、他の職員を盾にし生き延びていた時と同じようで違う虚無
それを感じた時、彼女の目の前は真っ黒に染まった
「生まれてきておめでとう
君たちは僕の子供達だ、歓迎するよ
君達に課すのは二つ
まずは僕の命令には従順でいること
どんな命もYESで答え従うこと
僕は君達の母…だからね
君達がしっかり言いつけを守っていれば君達を生かすし、面倒も見るし、褒めてもあげよう
そしてもう一つは…君達の本能に付き従うこと
都市の人間を救うために活用するはずの薬…その力はすごいね
都市という巨大な世界に従おうと自我を殺す人間達、それらの自我を目覚めさせる光の種…より人間らしい人間として希望を持って明日をゆく
原料は劇薬だからこその薬
でも、使いようによっては毒にもなる
君達のオリジナルについては記憶同期済みだよね?
彼女には毒を食ってもらってる
母親の胎内にいる頃からその毒を体の中に入れてるんだ
それは産まれてからも同様、今も毒の風呂の中で寝ているよ
その「毒」により、人間の自我よりももっと先…生物としての原始的な欲求を目覚めさせる
それが君達にも引き継がれている、「生存本能」…それに従い、生き続けるんだ
君達が行くロボトミー社、あそこは都市よりはマシだけど君達と似た存在…兄弟みたいな怪物たちがウヨウヨいるからね、君達の身体能力でもどうしようもないことだって起きるだろう
そんな時はね、身代わりを使えばいい
他の職員を使って生き延びればいいんだよ
僕は君達がどんなことがあっても生き続けることを求めてる
生き続ければ生き続けるほどいい
他の何を犠牲にしてでも生き続けるという欲求…僕の命令信号の次に、その生存本能を大事にするんだよ」
「……フ……チー………イン…
…レイン!いい加減にしろ!」
彼女の意識が浮上する
生まれたばかりの頃、母から告げられたことを思い出していた
母の命令に従うこと
生存本能に従うこと
今なぜそれを思い出したのかはわからなかった
ただ、手首を強く掴まれているのは理解できた
振り返ると、レイン575の手首を掴んでいたのはカウレスだった
「…カウレス…?どうし…」
「お前…やりすぎだ」
そう言われ、レイン575は正面に向き直す
足元には、無残に細切れにされた何かがいた
それは未だ動き続け、震えていた
それ以外にも、自身がいた廊下の壁や床はところどころ切り刻まれ崩れている
「…これは」
「ポーキュバス…ではあるが、ここまでする必要はない
鎮圧はとっくにできてるだろ」
「…わたしが、これを?」
「お前…何も覚えてないのか?」
ポーキュバスだった欠片たちは消え去っていき、鎮圧されたことにより核だけが取り残される
やがてはオフィサーかエージェント達によって収容室へと運び戻されることだろう
レイン575は手から力が抜け、持っていた槍を落とす
それをきっかけに、レイン575の体全体から力が抜け、彼女はへたり込んでしまう
『本日の業務を終了します
皆さん、お疲れさまでした』
就業のアナウンスが無機質に響く
仕事が終わったのだ
「一応聞いておくが、お前がオーウェンを盾にしたのか?」
カウレスはレイン575を見下ろしながら聞いてくる
レイン575は辺りを見渡す
数メートル先に、死体があるのを見た
それは、ついさっきまで一緒に仕事をしていた後輩のものだった
「…オーウェンが…私の前に立ち…ポーキュバスの棘を受け…」
「…もう、いい
報告書は…ネツァクにでも任せておけ
上がるぞ」
カウレスはレイン575の腕を抱え、彼女を立ち上がらせる
やがて、数名の職員が清掃に取り掛かる
「あ…」
清掃職員が大きな袋の中に、頭の無い男の死体を詰め込む
カウレスは無理矢理レイン575の腕を引いて、メインルームへと連れて行った