Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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The right mission,The fate of the only mistakeⅩ

 

業務を終えたL社内

 

レイン575は数日ぶりに母への現状報告を終え、安全チームのメインルームの端に蹲っていた

 

「…」

 

レイン575は考えていた

 

今日起こったこと…自身の後輩が、自ら身を挺してアブノーマリティから彼女を庇ったのだ

 

今までの事を振り返れば、レイン575は他者の命を土台にして生き残ることには何の躊躇いも後悔もなかった

 

それはどのレインも同じで、過去574人のレイン達も同様に周期を生き残ってきたし、この先のレイン達もそうだろう

 

しかし、レイン575は今、確実に異例の感情を抱いていた

 

それらの名を知らないレイン575には、その感情がどういうものなのかを理解することが出来ずにいた

 

理解できず、頭の中で延々と繰り返すあの瞬間の記憶

 

風船のように破裂した頭

 

降りかかる血と脳の欠片

 

その感触がまとわりつき、レイン575に更に不快感を与える

 

心臓が痛む

 

呼吸が速く荒くなり、汗が次々と流れる

 

何度も体験したはずなのに、新しい感覚に混乱する

 

ただ小さく震えるしかなかったレイン575の元に、ひとつの影が忍び寄る

 

「よぉ」

 

ショートカットの後ろ髪から露になっているうなじに、何か冷たいものを当てられる

 

レイン575は突然の冷感にびくりと跳ね上がっては、声のした方を見上げた

 

「…ネツァクさん」

 

そこには、深い緑色の箱…もとい、ネツァクが両手に缶を持って立っていた

 

「こんな時間にこんなとこで会うなんて奇遇だな

ほら、一日の終わりに締めとこうぜ」

 

そう言いながら、ネツァクはレイン575に缶ビールを差し出した

 

「…結構です

…気分では…ないので」

 

「…楽になりたいなら、こっちもありだぜ」

 

レイン575が断ると、ネツァクは次に緑の薬品の入ったアンプルを取り出した

 

「…ビールの方を頂きます」

 

「ほいよ」

 

レイン575は薬品ではなく缶ビールを選び、受け取る

 

ネツァクは少し間を空けてはレイン575の隣に座り、缶を開け口のような注ぎ口にビールを流し込む

 

「…っはぁ~、やっぱこれだな」

 

「……何しに来たのですか

ただの晩酌で、こんなところに来るわけないでしょう」

 

ビールを堪能するネツァクに、レイン575は質問する

 

ネツァクは少しの沈黙の後、ゆっくり話し出す

 

「お前、精神汚染度が急激に高くなってたからな」

 

「そんなはず…」

 

「自分のバイタル状況は分かるだろ、お前なら

レイン、お前はオーウェンが自分を庇って目の前で死んだことにショックを受けてんだよ」

 

ゆっくり、淡々と、でもどこか感情の籠った声色で…ネツァクはレインの状況を語った

 

「今まで他の職員を犠牲に生き延びてたお前が、まさかこうなるとは思ってなかったんだが…まぁ、死んだ人間は…普通は生き返らねぇよな」

 

「…」

 

「けどこう考えてもみろ、こんな最悪な職場から解放されたんだ、幸せじゃないか?」

 

「彼は、いつか両親を旅行に連れて行きたいと言っていました」

 

「…そうか、それじゃ未練ありありだな」

 

レイン575は、未開封の缶ビールを眺めたままぽつりと呟く

 

「私は、母様の命令通りに生き延びてきました

誰であろうと盾にして、囮にして、その命を踏み台にして今日まで生きてきた

でも…今日、オーウェンが自ら私を庇ってくれたこと…その事実が私の頭の中で氾濫し酷く突き刺さるのです

…どうして今になって彼の死がこれほどにまで私に影響を及ぼしているのか…いえ、まずまずの問題として、なぜ彼は私なんかを庇ったのでしょう

 

私は、彼が自分の命を差し出すほどの人間ではありません

自分がしてきた行いが返ってくるならまだしも…こんなの…」

 

目の奥が熱くなるのを感じたレイン575は、再び膝に顔をうずくめる

 

ネツァクは一本の缶ビールを飲み切り、若干酩酊した頭を冷やすように話し出した

 

「そりゃあ…アイツはお前が好きだったんだろうさ」

 

「………いま、なんて…?」

 

「それが尊敬か友情かはわからないが…お前はアイツから好かれてた、じゃなきゃあそこまで普通絡んでこないだろ

お前を庇ったのがそれを裏付けている

処世術だけじゃあんなことできやしねぇ

お前は好かれてた、だから守られた」

 

好いていた

 

オーウェンがレイン575を、だ

 

その事実を今になって知ったレイン575は、驚愕した顔を上げ、視界が滲む感覚を覚えた

 

「…っこれ、は…」

 

「なんだ、涙も知らないのか」

 

「情報は…インプットされていますが…これが…?」

 

「悲しい時、嬉しい時、怒った時…感情が高ぶると人間は涙を流す

人間たる証拠だ」

 

「っ…なんですか…止まりませんっ…」

 

レイン575は溢れる涙を拭うも、涙は止まることを知らず次々と流れていく

 

次第に息もしづらくなり、メインルームに嗚咽が響く

 

「止める必要はない、今は業務時間外だ

泣いた方がスッキリするっていうからな

 

…お前は泣くことも知らない子どもなんだ、今くらい思いっきり泣いとけ」

 

ネツァクの嫌になるほど優しい声に促され、レイン575の瞳からは更に大粒の涙が溢れてくる

 

「う…ひ…うぅ……あぁあっ…」

 

「…」

 

レイン575は泣いた

 

短い人生の中で、初めて涙を流した

 

初めての感情ばかりなのに、それが胸の内で混ざり合いぐちゃぐちゃになる

 

それを流し去るように泣いた

 

自分を慕ってくれた後輩を、失ってしまった

 

自分を庇って死んだ彼の笑顔を思い出す

 

 

 

「レインさんは何が好きなんすか」

 

 

 

初めて会った日に、彼が聞いてきた

 

あの時は何も好きではなかったし、嫌いではなかった

 

でも、今は

 

「っ私も…オーウェンのこと…好きだったんだと思います…」

 

「…そうか」

 

「失って…初めて気づきました…彼がどれほど貴重な存在なのか…

私を慕ってくれて、食事に誘ってくれたり、好きなもの探しに協力してくれたり…」

 

「そうだな」

 

レイン575はゆっくりと自分の中の気持ちを整理するように話す

 

彼女は、好きなものを見つけていたのだ

 

しかしそれに気が付くことができていなかった

 

喪失感を経て、悲しみを抱き、初めて自覚したのだ

 

「…彼、また会いましょうと言ってくださいました」

 

「L社本社はT社の特異点を活用してるからな

職員は入社してから保管庫にデータ移行され、周期ごとに復帰…実質的なコンテニューだな

まぁ職員も、俺を含めたセフィラ全員も…TT2プロトコルで記憶リセットだが…」

 

「私も、周期が変われば次の私にデータが移行します…

記憶、知識、感情までもが…

それは確かに私ですが、同時に私ではないのです

…同じ私と彼は、もう二度と会うことは叶わないでしょう」

 

L社本社では、ひとつのシナリオを完成させるために何度も時を戻し、望む完結へと至れるようにやり直しを行っている

 

それを知っているのはアンジェラ含むセフィラ達と…外部協力者のスミレの魔女、そしてその子供達

 

しかしセフィラ達や職員は反復の度に記憶をリセットしている

 

(全て知っているのは、母様と私達…そしてアンジェラだけ

管理人でさえ、TT2プロトコルで記憶を消しているから…)

 

改めて、過去のレイン達の記憶を想起する

 

多くの別れがあった

 

しかしそのどれもに、レイン達は何の感情も抱かずに生き延びていた

 

誰かの死に何かを感じるのは、レイン575が初めてだったのだ

 

「…こんな苦しい思いをするのが、人間なのですか?」

 

「…そうだな

生まれて生きて、死んでいく

生き物はみんなそうだ、別れの無い人生なんて…あり得ない」

 

そう答えるネツァクの機械の顔は何も変わらない

 

それでも、レイン575から見たネツァクの横顔は、どこか悲しそうな…寂しそうな顔をしていた

 

「どうりで…母様が初期設定しないはずです

こんな無駄な感情を抱いて誤動作を起こしでもすればいけませんから」

 

「確かに無駄かもな

でも、悲しみも喜びも怒りも、感情ってのは生物たりえる要素だ

…俺もこんななりだが、多少は感情を覚えている、基となった人間がいるからな

何も感じないのは、機械だ

…そう考えると、俺もアンタもどっちつかずの外れもので、アブノーマリティ達の方がよっぽど生き物らしいかもな」

 

 

 

「都市の生活って息苦しいけど、嫌なことだけじゃ気が滅入りますから

 

好きなもん増やして幸せに浸れるときは多くあった方がいいんです

 

好きも嫌いもない人生なんて、生きてる!って感じしないじゃないですか」

 

 

 

オーウェンの言葉を思い出す

 

無駄こそ人生を彩る必要要素、それを教えたのは他の誰でもない、オーウェンだった

 

「…私のように、ネツァクさんにも基となった人がいるのですね」

 

「まぁな、俺はその人物をモデルにして作られた

実物はこんな箱だが、管理人が通して見てる認知フィルター…あれを使うと、そのモデルになった人間と似た姿に反映されるんだ」

 

「人型のネツァクさん…想像できませんね」

 

「まぁこんな箱だからな」

 

「…見て、みたいです」

 

小さく呟いた言葉に、ネツァクは少しの間沈黙する

 

「…人の体だったら、少しでもマシにアンタを慰められたのかもな」

 

「…いえ、そんなことありません」

 

自嘲気味に呟いたネツァクの言葉を、レイン575は否定する

 

そして、少しぬるくなった缶ビールの蓋を開ける

 

カシュ、という軽快な音が鳴り、レイン575は飲み口に口をつけてはそのまま官を持ち上げビールを一気に飲み干す

 

ネツァクはその光景に驚愕し、呆然と見つめる

 

「…っ…ぅ、ゲホッ!ゲホ…こほっ」

 

「お、おいおい一気に飲んで大丈夫かよ」

 

「っは…だい、じょうぶれす…」

 

呂律の回らない口調で答えては、口の端から垂れる噎せ戻したビールを手の甲で拭う

 

思考がぼんやりとなるような感覚、体が内側から火照るような感覚

 

初めてのアルコールの苦みに顔を歪めつつ、空になった缶をネツァクの目の前に突き出す

 

「もう一杯」

 

「いや、やめといた方が…

 

…いや…わかった、今夜は俺の奢りだ」

 

そう言っては、ネツァクはメインルームに大量の酒を運んでくる

 

二人でそれを飲み、ヤケ酒祭りに浸った

 

 

 

「………」

 

赤い顔で死人のように静かに眠るレイン575に、ネツァクは引っ張ってきたE.G.Oの上着をかぶせる

 

その周囲には、空になった缶や瓶が転がっていた

 

ネツァクはレイン575の寝顔を眺めながら静かに思い出していた

 

昔、彼の基となった人間の頃の記憶

 

幼馴染である女性が死に、その女性を助けられるという希望からとある実験に協力してた

 

その実験中に、一人の小さな女の子が部屋に迷い込んできたことがあった

 

ほんの僅かな時間、たった一時間にも満たないささやかなひととき

 

彼の言う「好き」の部類であろう幼馴染を失った虚無感を僅かに満たしたその時間は、機械の体になった今でもふと思い出すほどにはネツァクの小さな幸福になっている

 

そして、今傍らにはその女の子に似た顔、同じ名前の職員が眠っている

 

「…なぁ、機械になった俺が人間のようで、人間であるはずのお前が機械的になったなんて…とんだ皮肉だよな、レイン」

 

呼びかけに返事はない

 

「お前は俺があの頃会った貧弱な被験体だっただなんて知らないだろうが…俺はお前を少しだけ知ってるんだぜ、驚きだろ」

 

折り紙を折ってやった時、女の子は泣くのを止め目を輝かせてはもっともっとと強請っていた

 

出会った時は、ただの普通の女の子だったのだ

 

それが今や、クローンの複製基として使われている

 

あの時、動かない体を無理に動かしてでも止めるべきだった

 

スミレの魔女、アレは人がいいように振舞っているがその性根はどこまでもどす黒い

 

彼の幼馴染が親しかったから深く追求しなかったが、彼は元からスミレの魔女を嫌っていた

 

そんな魔女が幼い女の子を連れて行くのを…ベッドの上の彼は見送ることしかできなかった

 

「…ごめんな、レイン」

 

ネツァクは眠る彼女に謝る

 

その謝罪は、レイン575に向けてのものなのか、それとも彼女越しに基となった少女に向けたものかはわからない

 

他の誰かが犠牲にならないように、という崇高な目的で実験に名乗り出たわけではない

 

それでも、ただの女の子が凄惨な目に遭ったであろうと思うと、「あの時こうすればよかった」という後悔がとめどなく押し寄せてくる

 

「………ごめんな」

 

ネツァクの謝罪は、虚しくも広い空間に霧散していった

 

 

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