25日目
教育チーム
「ロイドチーフ…ちょっと、相談したいことが」
ロイドが資料ファイル(に隠したエロ本)を読んでいると、部下である職員の一人が困り顔で声をかけてきた
「どうしたんすか」
ロイドは目を向けることなく声だけで返答する
「その…無の世界蛇について、なんですけど」
無の世界蛇、と聞いたロイドはファイルを閉じては部下の話に耳を傾ける
「無の世界蛇がどうかしたんすか」
無の世界蛇は、教育チームに収容されているアブノーマリティであり、ロイドも以前まで頻繁に管理作業を指示されていた
しかし、ここ三日ほどは他職員の教育の為に管理作業を譲り、ロイドは暫く無の世界蛇の様子を見ていなかった
「ええ、その…普段は真っ暗な水槽の中に姿を見せてくれるんですけど、最近はめっきり姿を見せてくれなくて」
「姿を見せない…?声は?呼びかけに応答するんすか?」
「それもないです
エネルギーは生産できてるんで、水槽内にいるにはいるんでしょうけど…条件は揃っているのに、クリフォトカウンターも増えなくて
まずいんです、この三日間で日毎にクリフォトカウンターが減少してるんです」
「今何個っすか」
「あと…二個」
「…もうちっと早く報告、相談するべきっすよ」
「すみません」
部下からの報告にロイドは不安を感じた
(一体何が…様子を見に行きたいけど、勝手に収容室に入ったら怒られるし…)
本当は怒られるどころではなく、管理はあくまで仕事であるため、ロイドに勝手な行動はできない
しかし、チーフなりにできることはあり、セフィラを通して管理人へと報告することはできる
「ホド様、お時間いいっすか」
ロイドは教育チームに備え付けられている通信機器から教育チームのセフィラ、ホドに呼びかける
『はい、どうしましたか?』
ホドはすぐに受け答えてくれた
「今他職員から聞いたんすけど…なんか、無の世界蛇の様子がおかしいらしいっす
一応、管理人に言っといてくれませんか」
『…わかりました、報告ありがとう、伝えておくね』
スムーズに報告が終わるも、ロイドの不安は収まらないまま、次第に大きく膨らんでいく
無の世界蛇はALEPHクラス、何かあれば社内が壊滅する恐れもあるのだ
実際に脱走したことはないが、クリフォトカウンターが0になると脱走してしまい、状況によっては凶悪な怪物としての力を振るう事だろう
(…どうしたんだ、無の世界蛇)
ロイドの不安は、無の世界蛇の問題の他にも感じられていた
それは、自分の身近に危険な毒の塊が忍び寄ってくるような感覚だった
教育チームの収容室のひとつ
窓の外から見る室内は塗り潰したように真っ黒で、普段の室内は通常の収容室のままである
しかし今、収容室内は異様な暗さに包まれていた
照明が消えているというレベルではない
数十センチ先が見えないような暗さ
普通の収容室とは違った雰囲気、職員はいない
それなのに、その空間に足音が響く
コツ、コツと
「あーあー暗い暗い、お前の根暗を表したような暗さだね
陰気でネガティブ、キノコが生えそうな…いや、海の底にキノコは生えないけど
あ、でもウミキノコって知ってる?あれキノコじゃなくてサンゴだけど」
軽快な声が収容室内に響く
ヒールの足音が止み、声の主は立ち止まる
「ねぇ、返事すらできないわけ?
ばーけもーのさん♡」
瞬く間に収容室内が照らされる
光の発生源は、床から突然生えた白い触手
声の主の左右に生えた二本の触手は生きているかのようにうねりながら発光している
光に照らされ見えだしたその姿は、灰色の長い髪をハーフアップに結い上げ、菫色の瞳で目の前のものを見下す女性
都市の星と認定され、恐れられている人物
黒い森のスミレの魔女…ヴァイオレット、通称ヴィオラその人だった
「や、研究所崩壊日ぶり
あの時は僕の右腕を食い千切ってくれてありがとう」
そう言ってヴィオラは本物の右腕をひらりと振る
その視線の先には、この収容室に収容されているアブノーマリティ
檻の中の水槽、その中に沈んでいる目玉
「…何をしに来たの」
数日ぶりに水槽の暗闇から姿を現した眼球は、ターコイズブルーの瞳を赤く染め上げてヴィオラを見上げる
眼球のアブノーマリティ…無の世界蛇は、明確な敵対心を見せながら静かに問うた
「やだなぁ、怖い怖い
その魔眼を向けないでよ、
…ま、今回はそうもできないでしょ
なんせ右目は僕の触手の中…潰したらお前の元に再生するし、ちゃーんと大切に保存させてもらってるよ」
ヴィオラはそう言っては右の触手の先から一つの眼球を取り出す
それは無の世界蛇と同じ、ターコイズブルーの瞳をした眼球だった
「何の用って聞いてるんだけど」
「あはは、まぁ安心しなよ
今回のメインは、お前じゃない」
ヴィオラは眼球を触手内に仕舞うと、柔らかな微笑みを浮かべた
次の瞬間、五本の触手が彼の周囲を囲み、赤い雫を滴らせていた
触手の先端には、丸いボールのようなものが持ち上げられていた
「…え」
その正体は、L社内で働いている社員達の頭部だった
「…あ…え…」
頭部が五つ、無の世界蛇の前に落とされる
血が広がっていく
赤い湖に、ヴィオラは足を踏み入れる
「お前は今回、舞台装置に徹してもらうよ」
社内に放送が響き出す
『非常事態レベルⅡ、非常事態レベルⅡ
職員の皆さんは警戒を』
その放送が流れると同時に、無の世界蛇の水槽にヒビが入り、檻が壊れだす
「あ…ああ…だめ…だめだめだめ…死なせちゃダメ…絶対に…」
水槽が崩壊し、黒い水が溢れかえる
水はヴィオラの足を濡らし、流れる水に流されるように無の世界蛇は収容室から姿を消した
『無の世界蛇が脱走しました!管理人、早く探してください!』
収容違反した無の世界蛇は、最後に作業をした職員の元へ向かい、寄生する
しかし、ヴィオラが権能を用いて殺した者の中にその職員が含まれている
その場合、近くの職員に寄生する
運が悪ければ、精神力が低い職員に寄生する危険性もあるのだ
「さて…あともう一押しかな」
ヴィオラはそう呟き、収容室から立ち去る
静まり返った収容室には、もう誰もいない