『まだ処分モードだが、管理人には繋がらないから期待できない
どこにいるかは確認できている、安全チームの上階廊下だ
あそこにはまだ宇宙の欠片、捨てられた殺人者の作業中の職員がいる
タイミング的に鉢合う可能性が高い』
その通信を聞きながら、レイン575は走っていた
中央本部の広いメインルームから、情報チームを抜けた先の安全チーム区域に向かって
『どうこうしろという指示は出せない、俺にそんな責任は負えない
だが、俺は死んでいく職員を見るのはもう散々だ
…こんなことを言うのも、本当は気が引けるんだが…
職員の身柄を確保し、即行離脱しろ
今のお前に頼むのは申し訳ないが、お前の足が頼りなんだ』
もう呼吸の苦しさすら感じなくなっていた
脚の痺れどころか、感覚すらない
一刻でも早く、職員を助けないと
ただそのことしか頭になかった
走り抜けた先に、安全チームのメインルームへ辿り着いた
「っ…っ…」
浅い呼吸を続けながら、レイン575は破損した警棒を投げ捨てた
そのままメインルーム内に設置されているベンチの傍に近づいていく
そして、ベンチの陰に跪く
「…借ります」
首のない死体、二人の同僚のうちの一人
その死体が手にしていた刀のE.G.Oを抜き取り、片手に抱えたまま再び飛び出していく
そのままエレベーターに乗り、メインルームの上階にある廊下へと向かう
「あ、今終わり?」
「そうそう、とにかくエネルギーを生産しろってお達しだからさ」
隣並びの収容室から同じタイミングで出てきた安全チームの職員二人は、軽い調子で話している
「なんか教育チームのほうでアブノーマリティが二体収容違反したんだって」
「レインチーフが駆け出していったんだよね…さっきからまともにアナウンスもないし、大丈夫かな」
「とにかく、エネルギーを生産しまくって今日の業務を終えさせるんだ
さぁ次々やってこ…」
二人が時間を置き、再び収容室に入ろうとした時…廊下の奥に人影が見えた
「あれ、誰だ?」
人影はエージェントのようで、俯いているようで薄暗い廊下の端にいるせいで表情が伺えない
「…あ、確か中央本部の職員さんだったはず」
「中央本部って言うと、今ALEPHクラスのアブノーマリティが暴れている場所じゃないか
なぁアンタ、今中央本部はどうなって…」
一人がその職員に近づいては質問を投げかけた
「 I Love You 」
立ち尽くす職員が、そんな言葉を口にする
違和感に気が付いた安全チームの職員が足を止めた、その時
「危ない!!」
背後から聞こえた危険信号と、後ろに引かれる衝撃
安全チームの一人を後ろに追いやり、前に出たのはレイン575だった
「っ…ってぇ…!」
そのまま後ろに押された職員は尻もちをつき、すぐさま正面に目を向ける
廊下の床に小さな機械が放り出され、一歩遅れるようにポタリと血が滴る音がする
廊下奥に現れた職員の背には鋭い爪の生えた血色の無い腕が現れ、その前に立つレイン575から一滴一滴血が零れ落ちる
「き…きゃああぁぁっ!!」
「れ、レインチーフ…!」
「っ、大丈夫ですか、二人とも」
振り向いたレイン575の耳は引き裂かれ、三つに分かれている
その切り傷は頬にも伸びている
「す、すみません!俺のせいでお怪我を…」
「これくらい問題ありません、通信機を失ったのは痛手ですが…」
そう言った直後に、レイン575は刀を鞘から引き抜いて振りかぶる
凶悪な爪を持つ職員らしき者がレイン575に襲い掛かり、その刀の刃に飛びついた
それと同時に、職員もどきの顔が歪み奇妙な笑みを見せる
「 あ ア、 I lOve 」
「職員の姿を模倣する「何もない」です、覚えておいてください」
レイン575が刀を握り直し押し払いのけると、何もないは後ろに飛び退きその姿を変化していく
まるで皮膚の裏側を纏うように自身の体をくるんでいき、次第に何も内の姿は大きな赤い繭へと変化した
「あ、あれは…」
「何もないは、職員の姿を模倣する他に三つの形態があります
第一形態は収容室内にいる時のあの姿、第二形態はこのように繭状になります
問題は第三形態ですが…動きも早く攻撃も強力だと聞き及んでいます
ですので、第三形態になる前に仕留められれば理想なのですが…それは不可能です、第三形態の何もないから逃げ切るのも」
繭を見据えながらそう解説するレイン575は、後ろにいる二人の職員に目を配る
二人とも怯えているが外傷はなく無事そのものであった
ひとまず安堵したレイン575はゆっくり息を吐き、背後の二人に声をかける
「お二人とも、ここは逃げて下さい
情報チームのサブルームを迂回し、コントロールチームに収容されているアブノーマリティに管理作業を
エネルギー生産を続けて下さい」
「えっ…れ、レインチーフは…?」
「ここで何もないの足止めをします、一緒には行けません
私は頑丈なのですぐにやられたりなどもしません」
「そ、そんな…い、嫌です!レインチーフも一緒に…」
「甘えないでください
いいですか、私は無駄なことはしません
自分の命も、他人の命も、全てにおいて有効活用するのみです
そうそう死ぬつもりはありませんが…今この場で一番重症なのは私、一番足手まといになるのです
貴方たちが五体満足で生き残る方がこの会社のプラスになる、そう判断したまでです」
悲痛な訴えをする職員に、レイン575は冷たく言い放つ
以前のような冷淡な視線を向け、何もないの繭に向き直す
「…早く行ってください」
静かな懇願に、二人の職員は涙を堪えながら何もないと逆方向に駆け出す
二人がエレベーターに乗り込んだのを確認したレイン575は、扉横に備え付けられている非常ボタンをカバーガラスごと殴りつける
緊急ブザーと共に、廊下の両端のエレベーターに通ずる扉が強固な防壁により完全に封鎖される
「おい…おい、レイン!何やってるんだ!」
レイン575が廊下を緊急封鎖する様子を、ネツァクはサブモニタールームから画面越しに見ていた
ネツァクは「逃げろ」と言っていたが、レイン575はそれをあえて無視し、一人何もないと同じ空間に居残ったのである
「クソッ…聞こえないのか…おい、おい…!」
それがどれほど危険な状況なのか、誰もが理解していた
だが
「どうしてそんなに感情的になっているの?ネツァク
めずらしいね、貴方がそんなに声を荒げるの」
「職員の死に悲観的な貴方なのは知っていますが、そこまで激情することですか?
あの職員の判断は正しい、ただ逃げては必ず追ってきて職員達が皆殺しになってしまう
誰か一人でも囮にならないと、施設全体が機能崩壊してしまう可能性が高いでしょうし」
コントロールチームのセフィラ、マルクトも、情報チームのセフィラ、イェソドもそれが最善であると判断している
ただでさえ何かの介入によりALEPHクラスのアブノーマリティが二体収容違反を起こし、既にエージェント、オフィサーまとめて20人以上死亡しているこの状況において、事態収束の為の犠牲は必須となっている
それはネツァク自身も理解している
しかし、納得できなかった
ネツァクは、人の死が日常であるこの会社での仕事に嫌気がさしていた
機械であるはずなのに、感情も自我もある自分を消したくて、もう何も見ないように、聞かないようにゆっくり眠りたくて
非常な現実から目を背けるように酒と薬をそっていた日々の中に、問いを投げてきた者がいた
「なぜ…生きたくないのですか」
人間であるはずなのに、機械であるはずの自分よりも機械らしい一人の少女
生存願望と自殺願望、反する願いを持っていた自分達
いつからか、彼女は変わっていった
その変化は大きかった
今、彼女の変化に中てられた他の職員達が諦めずに戦っている
こんな荒んだ場所が、希望を抱えて回り出しているのだ
彼女はこの会社に必要な人材である…そんな理屈的な事ではない
昔の記憶が蘇る
魔女に連れられた、一人の子どもの姿
『…あぁ…そういや、通信機壊れてしまいました
これじゃ内線も使えませんね…』
画面の向こうのレイン575が呟いた
ネツァクは、そんな一画面を眺め続けている