xxxx年1月6日 午前3時10分
その名を聞いた瞬間、少女の全神経が痺れるような感覚に陥った
ヴァイオレットとは少女の親のような存在であり、L社にいた時少女に廃棄処分と命じた者
黒い森のスミレの魔女
多くのクローンを作り、L社にて周期ごとにテストを行っているその目的は少女も知りはしない
「…無二は、母様を知っているのですか?」
「知ってるも何も、小娘とは因縁の関係よ
あの小僧は何度生まれ変わったとて、小娘に対する憎悪と復讐心を消し去ることはない
しかし…その行動は限度を知らず思想は狂人そのものだ
その憎悪を否定することは無いが…小僧の崇高な目的とやらは小娘の理想に反する故、妾はあやつを止める
小娘にしてくれたことの礼もせんとのう」
少女は呆然とした
自分の母が、無の世界蛇…萌恵という人物に何をしたのか、萌恵という人物は母に何をしたのか
何も知らない彼女は、それを知りたいと思った
全ての真実を
「…全ては萌恵さんに対する復讐…自分の正体を忘れさせ、一時の幸せを与え…それを根こそぎ奪った」
「そう
伴侶も子も奪われた小娘はこの世界に存在する奇妙な物質により蛇の姿に戻され、あぶのーまりてぃとして収容された
一度収容室から出られたが、その時に右目は奪われてしまったのう」
少女は自分の左目に手を翳す
自分のものではない、ターコイズブルーの瞳
それは、無の世界蛇となった萌恵という人物のものであった
「旦那は殺されたが、子供は小僧に利用されている
その子供を使い潰すことで小娘の復讐を継続しつつ、小僧の本当の目的を達成する為の道具としているのだろう」
「えっ…」
その話を聞き、少女は声を上げる
魔女ヴァイオレットが使い潰している子ども
彼女の脳裏に一つのシルエットが浮かぶ
黒い水に溢れた浴槽の中で、骨と皮だけになりながらも歌を歌う自分達の
「…そ、それって…」
「静かに」
少女が続けざまに聞こうとした時、無二が険しい声色で注意する
無二は警戒している様子でコンテナ内で周囲を見渡した
「…視線がない」
「何を…?」
「この都市という場所は、常に視線を感じていた
今はそれがない」
「視線…それって、もしや都市の「目」の事ですか?
確か常に都市を監視しているという頭の一部で…情報は覚えています、午前3時13分から暫くの間その目を閉じる時間があり、今がその時間なのではないでしょうか」
少女から「目」の話を聞き、無二は唸る
「ならば…この無数の気配はなんだ?」
気配という言葉を聞き、少女は訝しんでコンテナの蓋を持ち上げ外の様子を観察する
街灯の光も建物の看板の電光も消えた深夜の裏路地は、一寸先も見えない闇に包まれている
その静けさの中に耳を澄ませる
何かが引き摺られる音がする
「…なにか、いますね」
「童、蓋を閉めろ」
少女が無二に言われたとおりにコンテナの蓋を閉じようとした時、それは視界に映った
暗闇に浮かぶ、二つの仄かな赤い光
それは揺らめきながら、さながら瞳のように少女の方を見つめている
「ッ…!」
少女は慌ててコンテナを閉じる
心臓が酷く脈打っているのがわかる
両手で口を塞ぎ、息を潜める
金属を引き摺る音と重苦しい足音がコンテナの外から聞こえてくる
その足音はコンテナ前まで迫り…やがて、次第に離れていく
「……行った…?」
少女が安堵していると、無二が声を荒げる
「童、避けろ!」
その声により少女は咄嗟に体を横に捻る
すると、コンテナの蓋を貫通して巨大な刃物が突き出てきた
刃ごとコンテナの蓋は引き抜かれ、赤い光がコンテナ内を覗き込む
赤い光は黒いマスクの双眸であり、ガスマスクのようなソレをつけた人型の何かは一人だけではなかった
数人の不気味な人影がコンテナを囲み、血の滴る刃を手に持っている
「…掃除屋」
少女は思い出した
L社内にも現れるという情報があり、彼女は実際に遭遇するのも初めてである
そして、こんなにもすぐに身の危険を感じるのも
「童!じっとしてろ!」
衝撃から動けない少女の体が引き上げられる
小さな黒蛇だった無二は人一人吞み込めそうなほど巨大化し、少女の襟を咥えてコンテナを飛び出した
そのままうねる様に左右に動きながら、何人もの掃除屋を引き潰していった
「む、無二!貴方大きくもなれるんですか!」
「大きさなど些末な事よ!にしてもこやつら、人間ではないだろう!肉も骨もないぞ!殻の中には液体しか入っておらん!」
無二が這い進めど這い進めど掃除屋達は裏路地を埋め尽くすほどに立ち並んでおり、無二を視認してはその刃で切りかかってくる
「ちくちくするのう!鬱陶しい!」
「目が機能しない間のみ裏路地に侵入するのが掃除屋だと聞き及んでいます!およそ80分間もの間、裏路地を前進し掃除していくのだとか」
「半刻以上も逃げ続けられるか!」
階段を降り、坂を上り、建物の隙間を通り、掃除屋達から逃げ続ける
しかし掃除屋達がいなくなることはない
数人の掃除屋が、一際大きな刃で無二の体を切り裂いた
「ぐっ…!?」
無二はバランスを崩し、そこに掃除屋達が畳みかけてくる
「無二!」
掃除屋達の攻撃により、無二はダメージを負っていく
そして、無二は咥えていた少女の襟から口を離してしまい、少女は掃除屋達の隙間に落ちてしまう
「わ、童…!」
「…ッ、私は…大丈夫です…」
掃除屋達に囲まれ、無二は身動きが取れずにいる
少女が体を起き上がらせると、その周囲に掃除屋達が少女を見下ろし立っている
「あ…」
「掃除屋って知ってますか?」
「情報は知っています
彼らが通った後には何も残らないと」
「そーそー!なんか都市の外の外郭にいるって話ですけど、なんか一定時間だけ都市の裏路地にも出没するんだとか
人を燃料にしたり、子供を攫うって噂もあるんですよね、怖いっすよねー」
「そうですか、怖いとは感じませんが…」
「まぁ、レインさんならどんな怖い存在でも吹っ飛ばしてしまいそうですね!」
以前L社にいたころ、明るい後輩がそう聞いてきた
子供を攫う、人間を燃料にする、なんにしてもいいことはない
目の前にいる掃除屋は少女を眺めた後、その黒い手を伸ばしてくる
得物もなければ小さい体では力もあまりない
抵抗できる術もないまま、少女はその手を見つめ続けた
…次の瞬間、その掃除屋は動きを止め、縦に二つに分かれて液体を零しながら倒れていく
「…え」
その他の掃除屋達も、次々と切り裂かれては液体を巻き散らしていく
掃除屋達が切り裂かれていくその光景に、少女は青い軌道を見た
暗い裏路地の夜の中、斬撃の音が残響となって暗闇に響き渡った
「…大丈夫?」
ふと、そんな声が背後から聞こえた