xxxx年1月6日 午前3時45分
「…大丈夫?」
少女の背後からそんな声が聞こえてくる
少女は反射的に振り返り、後ろにいる誰かを見上げた
雨は止み、厚い雲がその切れ目から月を覗かせる
月光はその人物の姿を照らす
白銀の髪、青い外套、巨大な鎌
サファイアのごとき双眸は冷ややかな視線を向けたまま少女を見つめている
「あ…う…」
「混乱してるのかな、無理もないよね…掃除屋達に襲われたんだし
あの蛇も邪魔者かな」
声や体格から男性とわかるものの、その柔らかい微笑みから発した言葉と共に、瞬く間に倒れる無二の方へ歩み寄り、その鎌の刃を振り下ろす
「や、やめて!」
少女がそう叫んだ途端、無二の姿は消え刃はコンクリートの地面に突き刺さった
「…あれ、消えたね…?」
少女は呆然としていながら理解していた
無二は「実体化」を解除しただけなのだと
無二が少女の前に姿を現す前のように、無の世界蛇である左目の中に戻っただけだった
それだけで少女は安堵し、青い男に目線を向けた
「…あ、あの…助けてくれてありがとうございます…」
「……いいんだよ、ちょっと君に用があったから」
青い男は少しの間の後に少女に向け笑いかけ、少女の元に歩み寄る
「わ、私に…?」
少女は助けてもらったものの、言い表し難い恐怖を感じていた
その恐怖は、先程の掃除屋なんかとは比べ物にならないほど大きい
男が近づいてくるのと同時に、少女は後退る
「そう、少し確かめたいことがあってさ…ここにいたらまた掃除屋に邪魔されちゃうから、俺と一緒に来てほしいんだけど…」
穏やかな声でそう話しかける男の目は笑っていない
その凶器的な視線から逃れようと、少女は思考を巡らせる
そして…
「あっ!」
と大きな声を上げ、何もない空に向かい指さした
「…?」
男はきょとんと間の抜けた表情をし、少女は騙せられると思っていた反動から気まずくなる
そしてそのまま背を向け、逃げるように走り出した
「…鬼ごっこかな?いいね、懐かしいよ…」
少女は月明かりに照らされた裏路地を駆け回った
「無二!無二無事ですか!」
その間、掃除屋の攻撃により負傷した無二に呼びかけながら小さい体を駆使し狭い隙間道を潜り抜ける
「なんとか大丈夫じゃが…少し疲れた」
無二からの返答を聞き少女はそのまま走る
あの青い男が危険なのは直感的に察せられた
その危機回避力に従い、足を動かした
しかし、隙間道を抜け出した瞬間
「脚、速いんだね」
出口の横、建物の壁に凭れ掛かりながら青い男は待っていた
「…!」
「小さな子どもを誘拐する趣味はないんだけど…話を聞いてくれないのなら仕方ないね」
男はその大きな鎌を片手で振りかざす
そしてそれを瞬く間に振り下ろした
その刃は少女の背後に突き立てられ、すぐ後ろにいた掃除屋を切り裂いた
少女がそれに気が付く前に、自身の足が地から離れた
「なっ…」
「少しの間辛抱してね」
男は少女を小脇に抱え、建物の看板を踏み越えながら小さなビルの屋上に降り立つ
「…うん、ここなら大丈夫かな」
男は少女を下ろし、しゃがみこんで目線を合わせる
「さて、俺は君に聞きたいことがある」
少女は秘かに悟る、「この男からは逃げられない」と
半ば諦めながら、抵抗しない方が安全かもしれないと考えながら男の話を聞くことにした
「君はいなくなったスミレの魔女の子ども、初期型レイン575番…で合っているかな?」
少女は五秒前の自分の判断を撤回した
180度方向を変え、そのまま階段のある屋内へ通じる扉に向かい駆け出した
「逃げないでほしいな」
逃亡も虚しく、少女は両脇を抱えられ持ち上げられる
「くっ……そうです、私が識別番号Vol.1.0-575…レイン575番です」
「やっぱりそうだったんだ、聞いてた特徴とは違うけど、君を見つけられて嬉しいよ
その青緑の目がアブノーマリティっていうやつかな…?」
「私を見つけ出してどうするつもりですか
察するに、母様の手先の方でしょうが…私を母様に差し出すのですか?それとも、殺すおつもりですか?」
少女は振り返り、自嘲気味な笑顔を向ける
男はそれを見て少し困ったように眉を下げた
「そうだね、ヴィオラとは友達なんだ
だから約束は守らないといけない…最悪、抵抗するなら君を殺さないとならない」
少女の心臓は凍り付いた
それと同時に、どこか諦めていた自分もいた
母から逃れられるわけない、母は粘着質で性格が悪いから
「そう…ですか
随分短い延長戦でした」
少女はそう呟き、一息ついて…自分の舌を噛み切ろうとした
「おっと」
少女がしようとしたことにいち早く気が付いた男は少女を片手で抱え、空いた手の指を少女の口に突っ込んだ
「んぐっ」
「残念だけど、舌を噛んだだけじゃ死ねないよ
俺に殺されるのは嫌かい?」
耳のすぐ傍で声が聞こえ、少女は鳥肌を立てる
「
「これは失敬」
けらけらと笑い、男は呆気なく少女を下ろした
「…言っておきますが、母様の元には戻りません
貴方にも殺されません
私は生きるんです、それが不可能なら自分の死は自分で決めます」
少女は屋上の冷たい床に座り込みながら、力強い眼差しで男を睨み上げた
男は冷ややかな微笑みのまま口を開く
「…君は、
そう言った男は再び少女と目線を合わせる為に、座り込んでいる少女の前に膝をついた
「じゃあこうしよう
俺は君を見なかった、君は名を変え素知らぬ顔で都市で生きる」
「…は?」
突然の提案に少女は素っ頓狂な声を出してしまう
「え、いえ、そんなことしていいんですか…?」
「約束は違えていないさ
俺が言われたのは、「初期型レイン575番を見つけ出し連れてくること、抵抗すれば殺害してもいい」というものだ
君がその「初期型レイン575番」じゃなくなれば、俺は見つけ出せないことになる」
「そんな屁理屈…いや、母様も似たようなことするしお互い様…?」
「聞いてた特徴とも違うしね…俺達によく似た綺麗な白銀の髪だし両腕ある、背丈も小さい
蛇は見なかったことにするから…」
「ちょ、ちょっと待ってください、どうしてそこまでしてくれるんですか」
自分に好都合な展開に運ばれる状況に困惑した少女は問いかける
それに対し男は、今までとは少し違った…慈愛に近い微笑みを見せた
「俺と妹もね、元々研究素材の子どもだったんだ」
男は懐かしむように身の上話をした
「結局は外郭に捨てられたけどね
それでも、俺と妹は生きようとした
…君は、そんな俺達と似ている気がするんだ…髪も近いしね」
「多分脱色しただけなんですけど…」
「ともかく、俺の中で優先順位が変わっだけだよ
君は俺の妹にそっくりだし…その敬語とかね」
そんな幸運があっていいのだろうか
似ている、という理由から見逃してもらえる現状をにわかに信じ難いが、好都合に疑心暗鬼になりながらも少女はこの条件を呑むしか生存の道はない
「…私が、レイン575ではなくなる」
「単純に、名前を捨てればいい
新しい名前を名乗るんだ」
名前
無二は言っていた
「貴様に名がないのなら、これから見つけるといい
自分で意味を込めるも良い、誰かに委ねるのも良い
自分だけの名を見つけるのだ、それは貴様だけの人生になる」
自分を象徴し、自分の人生となる自分だけの名
新たな生涯を歩む一歩としての必須条件
しかしそれは、直前まで自由などなかった彼女には些か難しい難題でもあった
「……名前…新しい、名前…」
少女が唸りながら悩んでいる様子を見かねた男は、ある提案を口にする
「何も浮かばないなら、
まるで構図が「その日、少年は運命に出会う」みたいになってしまいました
別に(運命だけど)運命じゃないです