xxxx年1月12日
周囲の壁一面が黄昏の空に染まったディスプレイの中央で、二人の男女が茶を飲み合う
血のような赤い茶を啜りながら、スミレの魔女は溜息をついた
「それで、575番は見つからなかったわけだ」
その質問に、ティーカップを置いた青い男は答える
「うん、一応いろんなところを捜したんだけどね、聞いている情報と一致する女の子は見つからなかったよ」
青い男…1級フィクサーのアルガリアは表情を崩さないままスミレの魔女を見つめる
数日前に遭遇したレイン575だった少女の事は伏せ、見つけられなかったと嘘の報告をしながら
「…」
スミレの魔女、ヴィオラは微笑んだまま冷たい眼差しをアルガリアに向けている
その眼差しに対し、アルガリアは空虚な視線を向ける
「いやはや、アルガリア…もうじき特色になるであろう君の実力を信用して依頼したんだけどね
君ともあろう人間が、廃棄処分のゴミ一つ見つけられないなんて…」
「ゴミなら外郭なんじゃない?俺は都市の外にまで足を伸ばすつもりはないからね」
「そういや、君達を拾ったのも外郭だったなぁ」
「拾われた後師匠に押し付けられたけどね」
「ふふふ」
「あはは」
顔は笑っているが目は笑っていない二人の会話は空気を凍てつかせ、黄昏の画面を映し出す壁にヒビを入れていく
ティーカップが欠け、紅茶は波紋を絶やさない
「アルガリア、真実を言え
575番はどこだ?」
「だから、言われている初期型レイン575番
俺以外にもいろいろ手を回しているらしいけど、頭に知られないように最小限の手数でやっているんだよね」
「…まぁ、都市と全面戦争するにはまだ早いからね
まさか、裏切ろうと考えてないよね?アルガリア、君は聡明で気狂いで都市で一番正しい在り方をしているんだから
僕と対立することがどれほど馬鹿馬鹿しいのは知っているだろう?」
「そんなのはわかっているさ…黒い森のスミレの魔女、アンタと戦うのは一方的な搾取だ、こっちには不利益しかない」
「よぅく解っているじゃないか」
笑顔を向けながら腹の探り合いを繰り返している時間を破ったのは、一つのインターホンの音だった
黄昏のディスプレイの一面、その奥から静かな声が聞こえてくる
「母様、この後一時間後に会談です
あと二十分までには出発しないとなりません」
その声を聞いたヴィオラは少しだけ息を吐き捨て、椅子から立ち上がった
「わかった、すぐ準備しよう」
黄昏は急激に日の光を沈め、深い夜空が辺りを包んだ
「アルガリア、君とは
次に何か変な真似をしたら…君の妹、どうにかしちゃおうかな」
それだけ言い残し、ヴィオラは電動開閉ドアから外へ出て行く
取り残されたアルガリアは、微笑みを消し去り静かな殺意を滲ませていた
「おはようございます!」
「朝からうるせぇ…」
ローランの元に引き取られてから早五日、イナは日々健気な学習と努力を繰り返していた
あの後ローランの家の風呂で体を清潔にし、アストルフォやオリヴィエが知り合い達にもらった子供服を何着か持ってきてくれた
それから五日間、ローランと家にいる時は彼に家事を教わり、ローランが仕事に行くときは事務所で過ごした
イナは学習が早いため、(調理以外の)家事は全て習得することが出来た
この日も、ローランと共に事務所に出勤した次第だった
「おはようイナ、今日もローランを起こしてやったのか?」
「はい、ローランは寝坊助ですから
昨日遅くまで飲んでたのが原因です」
「またか、子どもがいるんだし自重しないといけないよ」
「そいつを俺の子ども扱いするのはやめろ、あくまで一人で働いて暮らせるようになるまで面倒見るってだけだからな」
「大変感謝しています、いつかたくさん稼げるようになったらワープ列車で旅行に行きましょう」
アストルフォ、オリヴィエのお馴染みの二人と過ごすのもいつもの光景と化していた
しかし、イナには一つだけ解せないことがあった
それは、ローランが四六時中黒いのっぺらぼうの仮面を外さないこと
食事は一緒に食べるのに、ローランは食べ物を口に入れる時のみ仮面をずらし上げて食していた
眠るときも仮面を外さず、洗顔時や入浴時くらいしか仮面を外さないし、その素顔を覗き見ようとしても半径5m以内に近づいただけで気配を察知されてしまう
徹底的に顔を見せようとしないその意地には逆に感嘆してしまうほどだった
「どうしたんだイナ、ローランをそんなに見つめて」
じっとローランの仮面を見ていたのがバレたのか、オリヴィエが覗き込みながら聞いてくる
「ローランが素顔を見せてくれないのです」
「そりゃそうだろ、いつも祖母の教えとやらで仮面をつけているからな」
「オリヴィエとアストルフォは知っているのですか?」
「まぁ…そこそこの付き合いだからな」
「むー…」
祖母の教え、という情報を入手しただけでいい方だろうか、とイナは一人納得する
「イナ、所長から伝言だよ
お金を渡すからお使いに行ってほしいって」
アストルフォが小さながま口の財布を持ってきてはイナに手渡した
「所長から直々のお使い!行きます!」
「事務所を出てすぐ前の通りを右手に曲がってまっすぐ行き、三番目の角を左に行ったところに雑貨店があるから、そこでガムテープと単三電池を買ってきてくれないかな」
「メモもなく行けるのか?」
「イナは記憶力がいいからね、もし帰りが遅かったら迎えに行こう」
イナは肩に下げたポシェットに財布を入れ、自信満々に胸を張る
「はい、私は物覚えと足の速さと怪力が取り柄なので!」
「取り柄だらけだな」
呆れた様子のオリヴィエに、アストルフォは微笑んでいる
「では行ってきます!」
「おう、気をつけろよ」
ローランは軽く手を振りイナを見送る
意気揚々とイナは事務所を飛び出し、裏路地の道を歩き進む
「童、童」
髪の影から顔を覗き出した無二がイナに耳打ちをする
「なんですか、あまり人が多いところで話したくないんですけど…いくらなんでも喋る蛇と会話する子供は白い目で見られることでしょう」
なるべく通行人と距離を取りながら、小声で無二に返事をするイナ
無二は浮足立った声でイナに相談する
「買い物に行くのだろう…?妾あれがほしい、星屑の砂糖菓子」
「え…なんて?」
「だから星屑の砂糖菓子じゃよ、ほらぁ小さくて色とりどりで甘くて…」
甘えん坊のような猫なで声でお強請りする無二の言うことを理解できないイナは、そのまま聞き流しながら店へと足を進める
「ガムテープよし、単三電池よし、買い物終了です
帰りましょう」
「星屑の砂糖菓子…」
ビニール袋の中と財布内の小銭、レシートを確認しイナは店を後にする
無二の泣き言が終始耳元で聞こえ続けているが、イナは無視し帰路につく
大きな通りで車が通り過ぎた隙に道を横断し、そのまま真っ直ぐ歩いていく
事務所の看板が見えてきたとき、イナの後頭部に衝撃が走る
「ッ」
「わ、童!?」
頭が揺さぶられるような感覚から醒めるために頭を数度振り、背後を振り返る
後ろの足元には、イナの頭ほどの大きさのゴム製のボールが転がっていた
「…知ってますこれ、バスケットボールです」
「いったいなぜ…」
「…ぷっ、ぎゃははははっ!!」
否と無二が呆然としていると、離れたところから下卑た笑い声が聞こえてきた
道端すぐ横の空き地に背丈が近しい少年が三人ほど、イナを見て笑っている
「…これ、貴方たちのですか」
「あはははは!そうだよ!間抜けにぶつけられてやんのー!バーカ!」
笑っている様子や言動から、少年達がわざとボールをぶつけてきたのは明確だった
「なぜこんなことを?」
イナは平然としたまま少年らに問いかける
少年たちは笑ったままイナに言い放った
「決まってんだろ!気持ちわりーんだよお前!
フィクサー事務所に入り浸るとか正気じゃないぞ!」
「あそこは人殺し集団だって父さんたちが言ってたんだ、お前も人殺しの仲間なんだろ!」
「やーい人殺しの仲間!」
その言葉を聞いたイナは、だんだんと胸の内が冷え切っていくような感覚がした
なにも口答えしないイナを見て、少年達の誹謗中傷はヒートアップしていった
「お前の目も気持ち悪いんだよ!なんで左右で色が違うんだ!?」
「人間じゃないんじゃないのか?うわ、バケモンだ!」
「ばーけもの!ばーけもの!」
少年達の化け物コールがイナの耳に纏わりつく
「童、無視しろ
年端もいかぬ悪餓鬼共の戯言じゃ」
無二はそう言うも、イナの堪忍袋の緒は切れていた
足元に転がっているボールを持ち上げては、イナはそれを少年の一人の顔面に向け今出せる全力で投げつけた
硬いボールは回転し威力を増し、高速スピードで少年の顔にぶつかった
「ブッ…!」
「は…え…?」
倒れる友人を見て、二人の少年は呆然とする
ついでに無二も呆然とする
「さっきから黙って聞いてみれば、寄って集って情けない…
しかし気概は買ってあげます、売られた喧嘩は買う主義ですので
三人がかりで来なさい、相手してあげます」
イナはそう挑発し、人差し指を立てくいくいと誘った
ボールをぶつけられた少年は鼻血を流しながら、三人ともその挑発に怒りながら、イナを叩きのめそうと殴りかかった