「…」
「…」
「ただいま戻りました」
チャールズ事務所に戻ってきたイナを出迎えたローランとアストルフォはイナの姿を見て絶句する
イナの顔は泥と青痣でボロボロになり、服はボタンが解れ、髪はボサボサ…見事に目も当てらあれないほどの状態だった
「いや、戻ったのはいいけど…どうしたんだ、その恰好」
「え?…あ、これですか
ここに戻る前に近所の悪ガキ共と少しファイトしてきました」
「少しってレベルか?」
イナは二人に医務室へ連れられる
アストルフォの手当てを受けながら、イナはさながら尋問のような質問攻めを受けた
「いったい誰にやられた」
「名前は知りませんが顔は覚えました」
「何人だ」
「三人です」
「女の子なんだから怪我しちゃだめだよ
顔は特にね」
「え?あ、はい」
テキパキと手当てを施されていくイナの左目に、眼帯が当てられる
片目だけの世界が随分久しぶりのように感じられる
「せっかく綺麗な目なのにね
腫れているだけだから、薬を塗っていたら大丈夫だと思うけど、何か異常があればすぐに言うんだよ」
アストルフォの丁寧な処置は終わり、ローランはイナが持っていたビニール袋と財布を回収する
「とりあえずこれは俺から所長に届けておく
お前は暫く大人しくしとけ」
そう言い残し、ローランもアストルフォも医務室を後にする
誰もいなくなったのを見計らい、イナは無二に呼びかける
「無二、大丈夫ですか」
無二はイナの服の袖の影から顔を覗かせる
「まぁ伊達に世界蛇やっとらんからのう…目ぐらいどうってことないわ」
「なら安心です」
「にしても童、貴様案外手が早いんだな」
無二の呆れた様子にイナは若干申し訳なく思う
「…まぁ、図に乗ったお子様を矯正するのは大人の役目なので」
「よく言いおるわ、どこが大人じゃ
貴様嘘つくのへったくそじゃな
正直に言え、どうせ化け物と言われたのが癪に障ったのじゃろ」
無二は床に降りた後近くの机に登り置かれた小包のチョコレートを器用に取り出し口の中の放り込む
一つ、二つと口に入れ呑み込んだところで、イナが口を開く
「気持ち悪いと言われました」
「…む?」
口いっぱいにチョコレートを詰め込んだ無二に目を向けることなく、イナは続ける
「フィクサーの仕事内容はこの数日間で理解しました
以前の私も人を殺していたも同然ですし、人殺しの仲間というのに違いはありません
アブノーマリティを左目に抱えている時点で、一般人からしてみれば化け物であるのは当然です
…しかし、気持ち悪いというのはいただけません
右目は、母様と同じ菫色の美しい瞳です
今の私に残っている、唯一の母様と同じもの…
左目は
この瞳は、普段は深い青色ですが、光を反射させターコイズブルーに輝いているのですよね
どちらも私の自慢であり、誇りであり、宝物です…こんなに美しい瞳を気持ち悪いだなんて、なんて感性が貧相なんでしょう」
「…ヴァイオレットの神経支配からは解放されているはずなのに…貴様、本当にあの小僧を盲信しておるのか?」
「まさか
しかし、どんな人格者であれ私を作ったのは母様です
そして、私は母様の全てを知ったわけではないので…嫌うのには早計です
母様を止めると言ったのは私ですが、決して憎んでいるわけではないのです」
イナは静かに微笑み、複雑な心境を隠すように医務室のベッドに少しだけ横になる
「情はあります
なにせ、あの人はいつも寂しそうですから」
それを聞いていた男が一人
黒い仮面の奥で何を思っているのかは計り知れない
彼は1級フィクサーであり、事務所経由でとある依頼をこなしている最中である
その依頼内容はただの人探し、しかし相手は上玉で莫大な金が舞い込んでくる仕事だった
「チャールズ事務所、そちらにある依頼をお願いしたい
もちろん、全ては守秘義務で
僕が作った人造人間…まぁ僕の子かな
その子どもを探してほしい
容姿は…恐らく変わってるから、この写真を手掛かりにしてほしい
多分、左目はターコイズブルーに変わっていると思うな
指紋データ、血液DNAのサンプルは渡しておくから、必要になったら使ってもらって構わない
運よくデータが確認できたら、それを確保して僕に連絡して
すぐに、迎えに行くよ」
ある女が、その依頼を事務所に要求してきた
持ってきた指紋と血液、更にはその女と少し似ている女の写真…一人の人間の捜索に徹底していることに疑問を抱えながらも、互いに深追いしないことこそが都市を器用に生き抜く術
所長は情報力の長けたフィクサー一人をその仕事に就かせた
黒い仮面の1級フィクサー…ローランこそ、その「人探し」を全うしているフィクサーなのだ
「…」
ローランはわかっていた
五日前、チャールズ事務所の前に倒れていた小さな子ども…その子どもの瞳を見た時確信した
右の菫、左のターコイズブルー
指紋検査もクリア、先程採取した血液も検査中
その子どもこそ、依頼対象の捜索人物であることを
所長も、彼以外のフィクサーも、薄々知っていた
都合よく用意されたような流れに恐れるほどに、全てが都合よすぎている
それでもローランは仕事として、やるべきことをこなすだけ
「ローラン」
書類を持ったアストルフォが、ローランの元へやってくる
「照合結果が出た
…血液情報、完全一致…彼女で間違いない」
アストルフォは視線を伏せるも、ローランは淡々と携帯電話を取り出す
一緒に出した名刺の番号にダイヤルし、発信ボタンを押そうとした時、医務室の扉が開いた
「あれ、ローランとアストルフォ…こんなところで何をやっているのですか」
ガーゼに絆創膏、眼帯などの処置を施され傷だらけのイナが出てくる
その傷は近所の子供達と喧嘩をしたものだと言っていた
ローランは思い出す
初めて会った時、イナは酷く汚れてボロボロで、腹も空かせていた
家は無いと言っていた
ここの事務所で働きたいと言い出し、どこにも行こうとしなかった
働き者で不愛想で素直なただの子ども
写真とは違っても、そんな子どもが狙われている
しかし、情で動いては仕事は成り立たない
一瞬の迷いは、無垢な瞳を向ける少女にはわかりもしなかった
「ローラン」
アストルフォが声を欠けてくる
ローランは一旦携帯を懐に仕舞い、イナの頭をぐしゃぐしゃに撫で回した
「う、わ」
「…今日、何が食いたい?」
ローランは言葉を絞り出した
イナは少し考えた後、こう答える
「ラーメン」
「…子どもらしくねえな」
その時苦笑したローランの顔は誰も見れずにいた
しかし、その場にいたアストルフォだけが、ローランの気持ちを理解していた
イナの出自や生涯をまだ知らない彼らだが、それが普通ではないことは察している
あの依頼主の女の言動から考えても、正しく生まれた人間ではないことは伺える
ちゃんとした両親はいないかもしれないし、何より状況から見て少女は逃げているのだろう
あの底知れない女から
物心ついた時から親の顔すら知らないローランがこの子どもを明け渡していいのか悩んでいるのを、アストルフォは知っていた