xxxx年1月13日
「くそ、あの女…ぜってー許さねぇ」
三人の少年が、空き地でボールを蹴りながら文句を言い合う
彼らの顔や手足は、ガーゼや包帯でほとんど肌が見えていなかった
昨日、イナという少女に三人がかりで殴りかかった結果がこの有様だった
「あのゴリラ女…もし次見かけたらこうだ、こう!」
一人がボクシングさながらに拳を突き出してみせては、残る二人は感嘆の声を上げる
しかし、背後に忍び寄る影を見てはその表情を青ざめさせる
「ほう…それは楽しみですね、ぜひその拳の切れを確かめさせてほしいものです」
拳を動かしていた少年は、その声を聞いてはゆっくり振り返る
背後に立っていた少女…眼帯をつけたイナが、仁王立ちで少年らを見つめている
「で、出たな怪獣メスゴリラ!」
「キングコングですか、失敬な
デリカシーの無い男たちですね、まるでロイドみたいです」
溜息を吐きながらイナは少年達を睨みつける
その冷徹な視線に背筋が凍えそうになる少年達をよそに、イナは少年たちの間を縫い進み彼らが蹴り遊んでいたボールに足をかける
そのままイナはボールを足で蹴り起こし膝の上で弄び、一度高くボールを飛ばしてはその場で一回転し、その勢いのまま落下してきたボールを古いフェンスに向かい蹴りつけた
ボールはフェンスにぶつかり、回転しながら跳ね返ってくる
「今度はこちらで勝負しましょう
私が攻、貴方達が守…今から30分、私から10点守りきれば貴方達の勝ち
ゴールはあのフェンスでどうでしょう」
「な…ば、馬鹿にしてんのか!?そんなの誰がするかっての!」
「そ、そうだそうだ!」
強がりのブーイングを浴びながら、イナは鼻を鳴らす
「そうですか、こんなに勝てそうな勝負にも乗らないなんて…随分と小心者のようですね
このまま私の勝ち逃げでもいいんですよ?
…あ、それとも…私が強すぎるせいで恐れているのですか」
意地の悪い笑みを浮かべながら、イナは少年達を挑発する
少年達はあっさりと怒りの沸点を超え、先程とは違う怒声を放つ
「はぁ!?そんなわけねーだろ!」
「お前なんか何にも怖くないし!」
そんな調子で、その日も子供たちの勝負は始まった
「というわけでサッカー勝負をしたんです」
「泥だらけの理由はそういうことか」
ローランと並んで歩く帰り道、イナは階段道を上りながら今日の事をローランに話していた
そんなイナの姿は全身泥で汚れていた
「また明日も勝負する約束を取り付けました」
「そうか…お前にも友達ができてよかったな」
友達、という呼称にイナは首を傾げる
「…友達というには些か険悪なのですが」
「なんだそりゃ」
ははは、とローランは笑う
その空虚な笑いに、イナは微笑みながらも違和感を感じていた
階段を上りきったところで、ビルの隙間から差す夕陽を背にして、イナは数段下にいるローランに話しかける
「なにか、隠しているでしょう」
ローランは片目の紫に見下ろされながら、一瞬の沈黙の後に失笑する
「何言ってんだよ、隠し事はごまんとあるに決まってるだろ」
「ローランは私と違って隠すのは上手いですが…昨日からの様子が少し違うのはわかります
他人の心境を理解するのは苦手ですが、些細な動作の変化や言動の違和感はすぐに気が付けます」
「まじか、高性能の機械みたいだな
そこらへんの賭博でディーラーにでもなったらイカサマなんてすぐ見破られそうだな」
階段を登り切りながら、ローランはイナの横を通り抜ける
そのローランのスーツの裾を掴み引き留める
「話を逸らさないでください
…いえ、なんとなく察せます、チャールズ事務所は1級事務所だと聞きましたから
母様から依頼されているのでしょう、私を捕まえろって」
「…」
ローランは沈黙する
仮面の有無なんて関係なく、その表情は読み取れない
「虫のいい話なんです、こんな子ども一人引き取ってくれるなんて…私が探しものと同一か確認する間、目の届く範囲に置くためだったんでしょう」
「…ひとつ、聞くが
なんであの魔女に追われているんだ?」
魔女、それはヴィオラの事を指している
イナの予想は当たっていたのだろう
「私は母様…人材派遣会社ヴァイオレットカンパニー代表ヴァイオレットが作った商品です
以前とある企業に派遣されていましたが…一度死にかけ、このような姿になって生き延びました
でも母様はそれを良しとしない、不良品は廃棄すべきだと…
けれど私は、生きて母様を止めたいんです
母様は、この都市に何かしようとしていますから」
夕陽は既に沈み、空には暗闇が広がりつつある
紫に染まっていく西の空を眺めながら、イナは左目を撫でた
「今はまだ何もできないから、せめてあと十年ほどは生き延びて強くなりたいですね
しかし、ここも手を回されているのならもういれませんね
短い間でしたが、お世話になりました…事務所の皆さんにも、よろしくお伝えして下されば嬉しいです」
イナはローランに向き直し、深く頭を下げた
ローランはイナの方を向きながらも、ポケットに手を入れたまま微動だにしない
イナは頭を上げては、また居場所がなくなった現実に少し悲しくなった
滲みだす視界を拭いながらイナは方向転換し、ローランとは反対の方に歩いていく
「よかったのか童」
無二がひそりと声をかける
「よくないです、でも仕方ありません…私は今、自分の生存を考えないと…
ローランが迷っている今しか逃げる隙はありません」
「せっかく童が安心して暮らせる寝床が出来たと思うたのになぁ…気を許せる保護者も」
「…」
この六日間、イナにとって危険と隣り合わせでありながらも、誰かと過ごす楽しい日々でもあった
誰かと関わったことがイナが成長したターニングポイントだとすれば、誰かと関わることは大きな喜びでもあったのに
その幸福を、イナは自ら手放した
今はまだ、死ねないから
暗い夜道を一人歩き出す
寂しさが背中に覆い重なる
「…あーあ!せっかく今日のデザートにアップルパイ買ったのになぁ!」
その後ろから、大きな声が聞こえてくる
イナは足を止めた
「…」
「イナが林檎好きそうだったから買ったんだけどなぁ!仕方ないなぁ!一人で食べようかな~!」
ローランが一人、紙袋を持ち上げながら叫び続ける
無二はイナの髪の隙間から後ろを覗きながら呆れて溜息を吐く
「何やっとるんだあやつは…引き留めるならもっとましな方法をせんか
童が食い物ごときで気を引けるわけ…」
無二がイナの顔を覗き込むと、イナは俯きながら目を輝かせ、溢れる涎を飲み込んでいた
「いや滅茶苦茶迷っとるがな!!」
「…ぐっ…アップルパイを人質にとるとは小癪な…!」
イナは気づいていた
ローランほどのフィクサーなら、力ずくでイナを捕獲し魔女へ献上することも可能であることは
しかし、ローランはあえてそうせずにイナを呼び戻そうとしている
その事実に、期待してしまっていた
「お、すっげーうまそうじゃん!こりゃお子様には勿体ないかなぁ!」
「こ…この男…!」
イナが我慢を飲み込み駆け逃げようとした時、目の前に紙袋が降ろされる
「…」
「なんてな、俺一人でホール一個分はちょっとキツい
お前に半分やる」
声は真上から降りかかり、紙袋から手を離される
イナがそれを受け止めると、頭の上に手を載せられる
「早く帰ろう、俺らの
家は無かった
それは以前の話であり、今は違う
彼女の帰る家はあるのだ
「…し、仕方ありませんね…ローランが食べきれないなら食べきってあげましょう」
「いやぁ助かったよ」
イナは振り返り、黒い男を見上げる
相変わらず仮面のままの顔が、綻んでいるように見えた
「いいんですか、これで」
「俺はなーんにも見なかった
大体、あの魔女は胡散臭いからな
もともと正規契約じゃないし」
「大人ってずるいですね」
「そんなもんだ、都市はそうできてる
魔女も俺らの全部を信頼してないだろうし、お互い様だ」
ローランはポケットから片手を抜き出す
その手には、一枚の小さな紙
それを握り潰し、イナに見えないように道端に捨てた
二人で並んで歩く帰り道、街灯に照らされたコンクリートの先を眺めながら家に向かう
「…父親って、こんな感じなんですかね」
ぽつり、と呟いた
自分の父親はいない、けどルーツとしてはオリジナルの父親がそうなのだろうかと考えていた
「さぁな、俺も両親の顔なんて知らないし」
「お父さん」
「やめろ」
軽い拳骨が脳天にぶつけられる
そのまま歩いていると、二人の家に辿り着いた
ローランが家の鍵を開け、扉が開かれる
「どうぞお嬢様」
「苦しゅうない」
「それちょっと違うくないか?」
二人が扉の向こうに足を踏み入れ、扉は閉じる
窓から覗く部屋の中が明るくなる
中から騒がしい声が聞こえてくる
家族と家を得た少女は、些細な幸福を噛みしめた