古い記憶、落ちこぼれの情報
どれほど世界が重なり、どれほど時間が進もうとも…忘れてはならないものがある
「どうしてこんな理不尽で彼女が不幸にならなきゃいけないんだ
勝手に幸福な世界に書き換えておいて、勝手に世界の外に飛び立って
残された幸福な世界から幸せが消えそうになったら、残された者が勝手に維持させようと生贄を用意して…?
彼女も僕も関係ないのに、どうして彼女だけ…
許さない
絶対に許さない
彼女から幸福を奪った奴らも、彼女を嘲笑って救わなかった奴らも、あの女が作った幸福なこの世界も
僕は全て否定した上で…創ってやる
誰も妬まず、誰も蔑まず、誰も見下さない…
誰もが平等で、幸福な、理想郷を」
xxxx年1月15日
「…ああ、寝てたのか」
ヴィオラは朝日に彩られた空間の中央の席で、座ったまま眠っていた
目の前の契約書や履歴書、スケジュール表やレポートの山に溜息をつきながら椅子のひじ掛けの先端を一度叩く
すると、周囲は黄昏の空の色に染まり、ヴィオラは立ち上がる
「…茜なんて嫌いだ
僕を倒したお前たちがいる、茜の世界なんて」
机の上の冷めたコーヒーを、ディスプレイの壁に放り投げる
ぶつけられたコーヒーカップは砕け、コーヒーは壁に広がり床に零れ滴る
「…でも僕は失敗を活かさない馬鹿じゃない
不穏分子は徹底的に排除するさ…」
ヴィオラは右上腕をさすり、右腕が確かに存在しているのを確認する
「憎たらしい茜のお陰で、僕は忘れずにいられる
夜空はダメだ、あの女の色だから…」
冷汗が背筋を伝う
薄く息を吹き出し、自分を落ち着かせる
「…よし、大丈夫、まだやれる」
不安定に揺らいでいた紫の瞳は落ち着きを取り戻し、冷たい瞳になる
机の上にある大きなディスプレイを眺める
いくつもの画面に映る情報達の中に、蒼白の人形の姿が映る
「…今は、確か1759回目だったかな」
彼が監視しているロボトミー社の中は、未だシナリオを遂行中である
「大丈夫、必ず君を幸せにする
何度挑んでも、何千何万年かかっても…」
復讐者は静かにその願望を胸に抱える
「必ず、君が不幸にならない世界を作るからね
誰もが平等な、理想郷を」
「
「そう、それの実現が小僧の悲願だろう
…というか童、いつまでその眼帯付けてるのじゃ」
「ああ、こうした方が悪ガキたちも大人しいので」
イナが事務所の掃除をしている際にほとんど人が出払っている中、無二から語られたヴィオラの目的
抽象的なその情報に、イナは首を傾げる
「小僧はな、愛する者を喪っている
それが定めと言わんばかり、何度生まれ変わった世界全てでな
初めの世界でそうと決められた運命なのだろうよ」
「母様が、愛した人…」
窓拭き用の雑巾を握り締めながら、イナは衝撃を受けた
あの母にも、誰かを思う気持ちがあった事実に
「その者が早くに死にゆくのは最早決められたこと
そのどれもの人生、不幸な生涯を歩んだようだった
世界に「不幸者」と決められた魂…」
「…まさか、母様はその人を幸せにしようと、理想郷を創ろうと…?」
「そう
どこにおいても、小僧は小娘への復讐と共に理想郷の実現を目標に掲げているだろう
それは恐らく、ここでも同様と見て差し支えないであろうよ
その過程、方法手段はわからぬがな」
無二は拭いたばかりの机に寝そべる
イナは雑巾を絞りながら、考える
(不幸に死にゆく運命を定められた愛する人…初めて聞いた時もそうですが、遠い世界から続く話…スケールが大きすぎて実感がわきませんが…
母様にも、誰かを愛する心があったなんて
確かに、大切な誰かが不幸に死ぬという運命にあるのなら、それを変えたいと思うのは必然なのでしょう
…何故、そう定められたのでしょう
どこでもそうだから、母様はどの世界でも理想郷を創ろうとしている?
母様の中の絶対的な目標…理想郷実現の為に活動しているのならば、もしかして私達クローン体もその計画の一部…?
だとしたら…私達は何のためのパーツ?
母様が私達に下した命令と言えば、L社で生き残れということ…)
雑巾を絞り切った時、イナはふと思いつく
「…生存本能?」
「おーい、イナ」
掃除中の部屋の向こうから、オリヴィエの声が聞こえてくる
無二は慌ててイナの影に沈み、その姿を消す
「はい!なんでしょう!」
返事を返すと、扉が開かれオリヴィエが顔を覗かせる
「外でガキンチョ達が呼んでるぞ」
「はっ、今日はカードゲームで勝負する予定でした!」
「はは、所長には俺から言っといてやる
子どもにも二時間三時間の休憩は必要だって」
「ありがとうございますオリヴィエ!」
イナは手を洗いに行き、身なりを整え、アストルフォにもらった四人分のおやつをポシェットに詰め込んで事務所を出た
日々は続いた
事務所の雑用をしながら、近所の子供と遊び、家に帰って家族と過ごす
そんな普通の、ありふれたような日常
しかしイナは忘れなかった
真実を知りたいということ、強くなるということ
そしてイナは理解していた
無二は全てを語っていないということに
知っていることがまだまだあるはずなのに、話していないということ
一度それを問いかけると、「まだ期ではない」と言うばかり
無二自身、イナの成長に合わせて全てを語るつもりなのだろう
今はまだ、力をつけろと言っている
ので、イナは日々鍛えた
体力、技術、獲得できることは毎日繰り返し練習した
退屈な時間などないまま、月日は流れた