ある日突然、血管が抜けた死体が発見された
その死体は日に日に数を増し、怪事件としてハナ協会から都市怪談として指定された
しかし…この事件の階級は、瞬く間に上がっていった
血の抜けた死体は減ることを知らず増え続け、更にはその死体がひとりでに活動を始めたのだ
その死体は裏路地の住民を次々と襲い、被害数は日を追う毎に増加
今や都市伝説、都市疾病を超え都市悪夢にまでその階級を上げさせた
風の噂では、協会は都市の星に認定中なのだとか
血の抜けた死体の血は一体どこへ行ったのか
古くから法螺話として言い伝えられている血を吸う怪物の仕業なのか…
人々は真相はわからずとも、その事件に名前をつけた
血染めの夜___と
「今や世間は貴方の話題で持ち切りです…血染めの夜」
「それは光栄だ
私はただ、あるがままの自分で生きているだけなんたけれど」
今、イナの目の前に現れたのは間違いなくその血染めの夜の主犯なのだろう
体の多くを影で覆い、そのコートの赤みは返り血なのか元々の生地なのか
血染めの夜は青年の死体を地に捨てては、イナを値踏みするように見つめる
「…若い子どもも、美味しそうじゃないか
嗅いだことの無い匂い…珍味かな?」
「…私を食べても、不味いですよ、きっと」
イナは溢れる冷や汗を堪えながら少しずつ後退る
なんとかこの場から生きて逃げる術を考えるも、頼りになる無二の状態が不安定な為希望は無いに等しい
一番現実的な方法は、来た道を引き返し動く死体の群れを抜けるしかない
幸い、動く死体はかつて遭遇した掃除屋と比べれば大した戦闘力は持っていないのだ
数の多さは同等ではあるが
「逃げようと考えているね?
やめたほうがいい、抵抗すればするほど苦痛は伴うのだから」
血染めの夜が、指を鳴らした
それを合図に、前からも後ろからも青白い死体達が集まり始めた
「…!?」
「大人しくしていれば痛くはしない
ただ…血管を貰うだけだから」
動く死体はどんどんイナの元へ群がり、イナの体を掴んでいく
腕、足、肩に頭…体の至る所を押さえ付けられ、イナは持っていた紙袋を落としてしまう
「あっ……!」
紙袋の中に入ったアップルパイは地に投げ捨てられ、動く死体達に踏まれ蹴られ形を崩していく
ただのゴミと化したアップルパイの残骸から、イナは目を離せずにいた
すぐそこに、血染めの夜が忍び寄っていても気が付かずに
「それでは、いただくとしよう」
イナの右腕を持ち上げ、血染めの夜は噛み付いた
「いッ…!」
牙が食い込む痛みに顔を顰め、白い肌を赤い血が滴っていく
じゅる、じゅると血を吸う音が空間内に反響する
「……なんだこれは
今まで味わったことの無い味………うん、不味い」
イナの血を啜った血染めの夜が、眉を顰めた
「こんなに不味いものは生まれて初めてだ
血そのものの不味さではなく…お前、何か混ざってるな?」
「……」
「…まぁいい、珍味として重宝するのもいいな
私のコレクションルームへと案内しよう」
血染めの夜がそう言い捨てるも、イナの耳には届かない
今イナを蝕んでいるのは痛覚による熱ではなく、神経による奥の熱
形が崩れ砂と埃が混じったアップルパイ…アルガリアへの感謝の品がただの生ゴミへと変貌した悲しみ
悔しさ、憂い、絶望にも似た感情は、涙となってイナの目から零れ落ちる
「……お礼の…」
涙が目の奥から溢れるのと同時に、左目の奥から針で刺すような痛みを感じた
…アブノーマリティである左目が、まるでクリフォトカウンターがゼロになった時のように、イナという収容室から飛び出していく
眼帯の裏、瞼から影が漏れ出て行き、その影はイナの周辺で形を成していく
それに巻き込まれるように動く死体達は呑み込まれていき、イナと血染めの夜だけが影に巻き込まれずにいた
「…む…無二…?」
影はやがて周囲の壁や天井を巻き込み、コンクリートを砕きながらその瓦礫すら取り込んで肥大化していく
穴の開いた天井の上、曇り空から小雨が降り注ぐ
警戒した血染めの夜は後退り、険しい視線を影に突き刺す
「なんだそれは…湖の怪物か?どうしてこんなところに?
……まぁいいか、今日はもう帰るとしよう」
そのまま血染めの夜は奥の道へと姿を消した
竜巻のように影は暴風を巻き起こし、近辺を破壊しては勢いを増していく
その中央にいるイナを守るかのように、台風の目の中にいるイナは困惑していた
「む、無二…無二どうしたんですか…お、落ち着いてください…!」
突然の状態にイナが狼狽えていると、黒い影の竜巻が青い刃によって切り裂かれる
黒い影はその斬撃により霧散し、やがて小さな黒い蛇の形へとまとまった
「…い、今のは」
イナが理解するよりも早く、イナの背後に誰かが降り立った
「全く、厄介なものばかり引き寄せてしまうのかな」
聞き慣れた声に安堵すると同時に…背中越しでもわかる怒気に背筋が凍った
「………あ…アル…」
「君、今自分がどういう状況なのか理解している?」
冷たい声に、冷や汗が止まらない
イナが震えていると、蛇の形に留まった無二がピクリと動き出した
その瞬間を逃さず、背後にいる青はその刃を無二の胴体に突き立てた
「___!」
「や、やめてください!アルガリア!」
刃の刺さった無二の体からは、血ではなく影のような塵が瘴気のように零れていく
イナの咄嗟の懇願にも、アルガリアは冷たい微笑みを浮かべるだけだった
「ねぇイナ、君…以前はどうだったか知らないけれど、今の君はただの小さな女の子なんだよ」
「ほ、他の子供より数段強い自信はあります
大の大人だって捻り倒せます!」
「相手が人間じゃなかったら?数の暴力で圧倒されたら?狡猾で厭らしく策に貶めてきたら?
小さな君はほんのひと摘みで潰されてしまうね…
例え恐ろしい怪物を手に入れていても、この通り制することも出来ていないだろう」
小刻みに震える無二を尻目に、イナは生唾を飲み込んで視線を下げる
アルガリアは怒っている、その事実に目を向けることが出来なかった
「…」
「…君はね、イナ…今の君は弱者であることを理解していない
弱かった時期が無かったから、いつも強いままでいると錯覚している
君は弱い、だからこそこの都市では淘汰されてしまうんだよ」
アルガリアは鎌を引き抜き、傍らに降ろす
弱りきった無二を抱き抱え、イナは俯いた
「…アブノーマリティ…だったかな
それ、人を殺せば殺すほどエネルギーを生み出すんだよね
そうでなくても、いくつかの作業でエネルギーを生み出しているとか聞いたな…
…三年くらいだっけ?君達が抜け出してきたの
三年間、今までソレはどうしてきたの?」
アルガリアにそう聞かれ、イナは思い出す
今までの三年間、無二はイナに知恵を授けいつもイナに寄り添い、助けてきた
アブノーマリティNo. F-03-05…無の世界蛇は、人の言葉を話す目玉として理性的なアブノーマリティとして認知されていた
その無の世界蛇のクリフォトカウンター減少条件は…総合的に見れば、「他者の死」がきっかけとなっていた
この裏路地での生活は、常に死が転がっている
無二はずっと耐え続けていたのだ
目の前に広がる死を見ていながらも、自身がアブノーマリティとして暴走しないように
「…無二…」
「…それで、どうして外に出たの?
当たり前過ぎて言うのを忘れていたけれど…普通に考えて君は今狙われの身だから、勝手な行動をされたら困るな…」
「…ごめんなさい…」
イナは自分の愚かさに悔いた
いつもいつでも、「自分なら大丈夫」という自信があった
それは強さ故の慢心、確かにイナは強いが、肉体は未だ幼い子ども同然なのだ
下手な強さが、イナの視野を狭めてしまった
自分の足元さえ見えないほどに
悔しさに唇を噛み締めながらも、イナは視線を上げて生ゴミと化したアップルパイを見つめる
死体達に踏み潰され、更には無二の竜巻によりクリームの飛沫が広がっている
「…?あれがどうかしたの?」
「……アルガリアに…差し上げたくて…」
消え入りそうなイナの声にアルガリアは目を見開いた
暫く無惨になったアップルパイを見つめては、イナの肩を手を置いた
「俺なんかの為に、ありがとう
でもね、イナ…君はアンジェリカから頼まれた大事な俺のお客様なんだ
君に何かあれば…アンジェリカが悲しむ」
イナの右腕は血染めの夜に噛み付かれ血が流れている
その怪我を見つめては、アルガリアは目を伏せた
「…帰ろう、イナ」
アルガリアの言葉に、イナはそれ以上何も言わずに静かに頷いた
抱えている無二は呼吸こそしていないものの、アブノーマリティは死なないお陰か形を保ったまま眠り続けている
アルガリアに手を引かれ、イナはホテルへと戻って行った