Labyrinth of the Violet   作:白波恵

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A step towards a dreamⅡ

 

××××年8月16日

 

フィクサー認定試験が終わって一週間

 

イナは不安を抱えながらエリックの運転する車に乗って揺られている

 

落ち着きがなく握りしめた両手の拳で指を弄りながら移ろいゆく窓の外の景色を眺めているイナの頭を、隣に座るアルガリアは優しく撫でる

 

「大丈夫、電話でアンジェリカも言ってただろ

犠牲は多かったが…任務は無事達成出来たって」

 

任務、ローランやアンジェリカが所属するチャールズ事務所が総出で遂行していた「血染めの夜」の討伐

 

それが達成されたという連絡があったのが昨夜だった

 

電話をしてきたのはアンジェリカで、話を聞いたのはアルガリア

 

だからイナはアルガリア伝に聞き及んだのみで、詳しい結果は聞けていない

 

だが…アルガリアが言った通り、犠牲は少なくなかったらしい

 

三年も世話になっていた第二の家に等しいチャールズ事務所の面々は皆実力のあるフィクサーなのだが…そんな彼らでも恐らく何人も死んでしまったのだろう

 

それほどに都市の星は強いということなのだ

 

しかし、逆に考えれば全滅する事なく都市の星の討伐に成功したということなのだ

 

そう前向きに切り替えようと頭では考えるものの、心に差し掛かる陰鬱とした影は消え去ってくれない

 

「あと15分ほどで到着します」

 

「そうか、朝からありがとうエリック」

 

「いえ」

 

車を走らせ約五時間

 

比較的近いホテルに移り住んでいたこともあり、早朝から移動を始めたおかげで昼にはチャールズ事務所の近くまで辿り着くことができた

 

具体的な時間を聞いたからか、イナの焦燥感は強くなっていく

 

強く握った両手が震え、下唇を噛む

 

アルガリアはそんなイナの様子を観察しては、震えるイナの拳に自身の手を重ねた

 

生まれた経緯は歪でも、どれほど凄惨な光景を見てきても…否、それを経験してきたからこそ年端もいかない少女の心は不安で押し潰されそうなのだ

 

そんな少女の心象を察してか、またアルガリアはイナに対してやけに甘いからなのか…イナはその優しさを享受した

 

心が不安的な時こそ体感時間というものは遅く感じるが、時は故意的に止めもしない限り進むもの

 

「イナ様、到着致しましたよ」

 

エリックがそう言うのと同時にイナは弾けたように顔を上げ、窓から外を覗き込む

 

見慣れた街並み、離れの空き地、車が停まっている道の端…車の前には、二年前と変わりのないチャールズ事務所

 

イナは車の後部座席から飛び出してチャールズ事務所の玄関扉を開ける

 

「ローラン!皆!イナが帰ってきましたよ!」

 

静まりかえる玄関で震えながら生唾を飲み込み、ゆっくりと歩く

 

暫くして、奥から慌ただしい足音がイナの元へ近づいてくる

 

廊下の角から顔を出したのは頭に包帯を巻いたオリヴィエだった

 

「い…イナ!」

 

「オリヴィエ!!

その、怪我は…」

 

「俺はまだ軽いもんさ…お前、前よりも大きくなったな」

 

オリヴィエは二年ぶりに再会したイナを見てその傷だらけの手でイナの頭を撫でる

 

オリヴィエの力いっぱいの撫で方に懐かしさを感じながらも、イナはオリヴィエを真っ直ぐに見つめて問いかける

 

「ローランや…皆は?」

 

「…アストルフォと所長は軽傷、だが死傷者が多く…

アンジェリカは重傷、ローランも重傷一歩手前だ

奥の医務室で寝てる」

 

「…アンジェリカが?」

 

困惑とした声を出したのはイナではなく、その後ろを着いてきたアルガリアだった

 

「あの、アンジェリカが負傷しているのか?」

 

「アンタは確か…アンジェリカの兄貴だったか」

 

「…アルガリア、行きましょう

教えてくれてありがとうございますオリヴィエ、貴方もしっかり療養してください」

 

「…あぁ」

 

イナは信じられないように呆然とするアルガリアの手を引き奥の医務室へと足を進める

 

「…アンジェリカはとても強い子だ」

 

「アンジェリカが強いのは知っています

でも、過度な期待と信頼は盲信です」

 

医務室の前まで来たイナは一度深呼吸をし、部屋の扉を3回ほどノックする

 

「はい」

 

医務室の中から聞こえてきたのは、アストルフォの声だった

 

「アストルフォ、イナです

ただいま戻りました」

 

イナの名を伝えると少しの物音と二秒もしないうちに医務室の扉が開いた

 

アストルフォは頬にガーゼを貼っており、暫く寝不足だったのか目の下の深いクマが見ていて苦しくなるものだった

 

「イナ…!お、おかえり…」

 

「ただいまですアストルフォ

ローラン達は…」

 

「……イナ?」

 

アストルフォと会話していると、医務室の中から掠れた小さな声が聞こえてきた

 

声のする方を覗くと、白いベッドの上に横たわり包帯を巻かれ点滴に繋がれたローランらしき姿がいた

 

らしき、というのは…その姿には、穴のような漆黒の仮面が付けられていないからだ

 

イナは一度驚き、そしてボロボロの姿でも生きている…仮面を付けていない男でも、声でわかった

 

彼はローランだ

 

そう確信し、不安と焦燥から解放されたイナは熱くなる目頭を堪えベッドの側へ駆け寄る

 

「ろ…ローラン…!?」

 

「あぁ…そうだよ

そういや、お前の前で仮面を外すのも初めてだったか…」

 

「生きて…るんですね」

 

「ったりまえだろ…まぁ、全身痛ぇけど…」

 

聞くと心が落ち着くローランの声に、イナは涙が溢れ出す

 

嗚咽しながらイナは止まらない涙を拭い続ける

 

「よ…かった…よかった

れんっ…連絡が取れなくなってから…ローランも、皆のことも信じてたけど…ずっとずっと不安で…」

 

「…そうか…悪かった

待っててくれてありがとな」

 

ローランは痛むであろう左手を持ち上げ、イナの頭を撫でる

 

その優しい手つきは二年前と何も変わらなかった

 

「う…うぅぅ〜〜〜…!」

 

イナはもう我慢せずに泣きじゃくる

 

「鼻水垂れてんぞ」と笑いながらもローランはイナの頭を撫で続けている

 

そのひとつ隣のベッドで眠る白い女と、傍らに立つ青い男

 

「…アンジェリカ」

 

人工呼吸器を付けられ固く目を閉じているアンジェリカを不安げに見つめるアルガリア

 

そして、アルガリアは強い殺意を放ちながら言葉を吐き出す

 

「アンジェリカがこんな風になるなんてね…一体誰が足を引っ張ったのかな」

 

その殺意は恐らく、アンジェリカとイナ以外のチャールズ事務所のフィクサー全員に向けられていることだろう

 

青い瞳は冷たく、鋭くこの場にいるアストルフォやローランを見つめる

 

「…俺だ」

 

イナを撫でていた手を下ろし、ローランはそう言った

 

「最後に血染めの夜と対峙し、アンジェリカと一緒に戦ったのは俺だ」

 

それを聞いた瞬間アルガリアは瞬く間にローランのベッドへと近寄る

 

恐らく殺す気だ___イナはそう気が付き、アルガリアの前に立ち塞がる

 

「…イナ、退くんだ

その男が殺せない」

 

「アンジェリカは生きてます

だからローランを殺すことは…」

 

「俺は今退けと言ったよね

君も殺されたいのかな」

 

アルガリアは躊躇いもなく片手でイナの首を握る

 

まだそこまで力を込められていないが、恐らく片手でイナの首を締め上げることはアルガリアにとって容易いことなのだろう

 

「イナ!」

 

「お…お前、イナから手を離せ…!」

 

ローランが痛む体を起こし、アストルフォは臨戦態勢に入る

 

アルガリアは凍てつく眼光をイナへと向けたまま少しずつ手に力を込めていく

 

そんなアルガリアをイナは臆することなく見つめる

 

一触即発の雰囲気の中、場の空気を引き裂く声が聞こえた

 

「……うるさい、ですね…怪我人がいるんですから…もう少し静かにしてくださいよ……」

 

アルガリアの手から力が抜ける

 

声の主は目覚めたアンジェリカだった

 

「あ…アンジェリカ!目が覚めたのか」

 

「誰かさんが煩いおかげで…」

 

「あ…アンジェリカ」

 

「あれ…イナじゃないですか

おはようございます」

 

アンジェリカは小刻みに震える手を持ち上げイナの頬を撫でる

 

「どうしました?ローランに泣かされました…?」

 

「……そうなんです

でも、アンジェリカのせいでもあるんですよ」

 

「それは…すみません」

 

「…でも、約束を守ってくれてありがとうございます」

 

血染めの夜との戦闘はどんなものだったのかイナは知り得ない

 

だがアンジェリカの強さを知っているからこそ、きっとアンジェリカはローランを守ってくれた可能性が高い

 

二年前のあの日、二人きりの車の中で交わした約束を、アンジェリカは守ってくれたのだ

 

 

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