運命の神がいるとしたら、それはそれは悪戯好きな悪神なのだろう
その時イナはそう思った
ローランとアンジェリカのめでたい交際発表…そんな時に
彼はイナの横に座り終始頭を撫で続けている
その動作は「いつでもお前の頭を潰せるぞ」という示唆のようにも思え、イナは全身の震えを抑えることができない
「に、兄さん…なんでここに」
「久方ぶりに
仲介人から渡された報酬はなんだと思う?ここの割引券だって、笑っちゃうよね
次からあの友だちの頼みは聞かないようにしようかなって考えていたところ、君達がいたものだからさ…アンジェリカに会えたのは嬉しいけど、なんで隣にその男が座ってるのかな?」
口元は微笑みを携えているものの、その目は一切笑っておらず殺意すら孕んでいる
その視線をローランに向ければ、運ばれてきたお冷のグラスから軋むような甲高い音が微かに聞こえる
「これはこれは…久しぶりだな青い残響
いい加減妹離れしたらどうだ?
イナを預かっていてくれたことは感謝してるが、そろそろその手を離してやってくれないか?」
「師弟として親交を深めているだけだよ、ねぇ?イナ」
「そ、そそ、そうですね…」
「お前三ヶ月前イナを縊り殺そうとしてただろ」
「そうだったっけ?イナ」
「そそそ、そんなこともありました…っけ…?」
目を泳がせながら視線を逸らすイナに、アルガリアは微かに指に力を込める
「あ、あー!ま、まぁまぁここは!暫くお世話になったアルガリアへのお礼も兼ねて楽しく食事にしましょう!ね!
なかなか注文しないから店員さんも困ってることでしょうし!」
「せっかく割引券もあるから、使わないと勿体ないしね」
ようやくイナから手を離したアルガリアに、イナは内心安堵する
イナはアルガリアの元にいた二年、彼を師として鍛えてもらっていた
その間のアルガリアの教育内容は…スパルタもスパルタだった
今でも思い出す、掃除屋の波に放り出された時の恐怖を
今でも震え上がる、無数に迫るアルガリアの鎌の刃を
今でこそ「あーそんなこともあったなー」という思い出にも感じるが、割愛しただけでその過酷さはイナに軽いトラウマを植え付けているのだ
例えば…
「それじゃあ今から寝る時以外片脚爪先立ち、一日毎に左右の脚を交代させてね」
「はい?」
「銃のアドバンテージを持っててもあらゆる武器を使えないと
というわけでここにある武器(100種以上)素振り一万回」
「へ?」
「制限時間以内に俺から一本も取れなかったら三日間ご飯抜きだよ」
「薄 情 な」
そんなことを振り返りながら生気の抜けた薄ら笑いを浮かべていると、注文を済ませたアルガリアが改めて話を切り出した
「それで、君達は何の隠し事をしているのかな」
「…それは」
ローランはちらりとイナを見る
イナはアルガリアが座ったことで壁際に追いやられ逃げ道を塞がれている、つまるところアルガリアはいつでもイナを殺せるのだ
暗に「喋らないとイナを殺す」と脅しているようなものだった
しかしさて、この物騒なシスコン男をどう対処するべきか苦悩していると、アンジェリカがローランの拳に手を重ねてきた
「今ここで秘していてもいずれバレます、だから正直に言いましょう」
アンジェリカの強い眼差しに、ローランは暫し悩んだ後頷く
それを見届けたアンジェリカは、先程ローランがイナへ伝えたように、自らが肉親としてアルガリアへと伝える
「兄さん、落ち着いて聞いてください
…私とローランは、正式に交際することにしました」
パキリ
先程軋みを上げていたグラスにヒビが入る
「ごめんよアンジェリカ、君の言葉とはいえよく聞こえなかったよ
……今、なんて?」
「私とローランは付き合うことになりました」
先程よりもハッキリとそう宣言するアンジェリカの堂々さにイナは思わず固唾を呑んで見守る
「……そう」
対するアルガリアはと言うと、思った以上に冷静に返事を返す
その落ち着き具合が返って末恐ろしく、そしてその恐怖は正しかった
音よりも早くアルガリアの鎌の刃が一直線の軌道を描き、瞬く間にローランの首目掛けて向かってくる
次の一秒で聞こえてくるのは肉を断つ音と血が吹き出る音だろう…この一瞬でそう予測できる者はこの場にはいない
だがしかし、そんな音とは違う金属がぶつかり合う音が店内に響き渡る
ローランの剣がアルガリアの鎌を防いでいた
「…はっ、やっぱりそう来るよな
頭に血が上ってるのか行動が読みやすくて助かる」
「何してるんだ?その剣を退けてくれないとお前の首を撥ねられないじゃないか」
「あ、アルガリア!やめてくださいよ!」
イナが制止しようとアルガリアの外套を掴むも、以前と同じように首に手を掛けられる
「大人しくしていないと、魔女に突き出すよ?」
その脅し文句はイナにはクリティカルヒットし、眼光の威圧感も相まってイナは萎縮してしまう
「ろ、ローラン」
「大丈夫だアンジェリカ、俺はそう易々とやられるタマじゃない」
ローランはアルガリアの鎌を押し返し、その力に押し返されたアルガリアは後方へ跳躍する
広くない店の中故に座布団や棚の骨董品を巻き込み、他の客は悲鳴や困惑の声でその場から逃げていく
「来いよシスコン野郎、一度その胡散臭い顔を崩してやりたかったんだ」
「……」
「あの、ここお店の中…」
イナの仲裁など聞く耳を持たず、アルガリアとローランは戦闘を開始する
飛び交う金属音と店内の備品が破壊される有様に、アンジェリカは深く溜息をついた
「男の子ってこう…どうして野蛮なんでしょう」
「野蛮で済ませられるのもどうかと思いますけど…!?」
上級フィクサー同士の戦闘は瞬く間に苛烈になり、壁は大きな傷痕をつけられ、窓ガラスは破壊される
アルガリアの強い蹴りがローランの鳩尾に入り、ローランはそのまま窓から放り出され、アルガリアはその後を追い窓から飛び降りる
激化する殺し合いに店の外から通行人達の悲鳴が聞こえてくる
これはもう止められないかもしれない
「あれ〜、これはまた…」
そんな矢先、一階から店長らしき初老の男性が注文した餃子やラーメンを運んできた
「ひっでぇ有様ですなぁ」
「すみません、連れの男二人が…ちょっと殴り合いを始めちゃって」
(ちょっと?)
おじさんに説明するアンジェリカの言葉に疑問を抱きながらも、イナは深く突っ込まなかった
「そうですかぁ
あぁ、ご注文のお料理はどうします?」
既に二階席がほぼ壊滅状態になっているにも関わらず、おじさんはのんびりとした口調で料理を食べるかどうか聞いてくる
それどころではなくないか、いやでも料理に罪はない…とイナが悩んでいると、アンジェリカがすかさず「是非いただきます」と料理を受け取った
「あんなバカ二人は放っといて、食べましょうイナ」
「えっ…でもなんか被害がすごいことになりそうですけど…」
「うーん、まぁきっとなんとかなるでしょう
それよりも料理、冷めちゃう方が問題ですから
あの二人の分の餃子も私達で食べちゃいましょ」
そう言うや否や、先程まで座っていた席に座り直しアンジェリカは箸を持って食事を始める
そんな一連の様子を見たイナはもう解決する為の思考を辞め、「どうにかなれ」と心で念じながらアンジェリカと共にラーメンと餃子を頬張った