xxxx年xx月xx日
外郭・研究所・地下収容所
薄暗い廊下、両壁には厳重なロックが課されている扉が並んでいる
そんな道を、ヴィオラは歩き進む
右手では小さな子ども…レインの手を引いている
レインは見慣れない空間に怯えながら、引かれるままにヴィオラについていく
そうして辿り着いたのは、とある一室
数十センチの強化アクリルガラス越しから、その中が伺える
照明は破壊され、黒い何かが蠢いている
太く、長い尾…まるで蛇のような躯体が、廊下よりも更に暗い空間に収容されている
ヴィオラはその収容室の扉横のキーボードにパスコードを打ち込んでいき、指紋認証と虹彩認証を済ませる
すると、扉のロックが外れる音がする
「レイン、ここで待ってなさい」
「…大丈夫?」
レインはガラスの向こうに見える存在を危惧して、ヴィオラの心配をする
そんなレインに優しく微笑みかけ、ヴィオラはレインの頭を撫でる
「大丈夫、僕は強いんだよ」
ヴィオラはレインから手を離し、扉奥へ進んでいく
扉の奥、二つ目の扉のロックも解除し、ようやく中へ足を踏み入れた
ヴィオラは収容室の隅に蠢く大きな蛇の躯体と対峙する
部屋の半分以上を占めるその躯体から、白い肌が這いずり出てくる
それは若い女の姿を象っているが、瘦せこけた細い上半身に繋がるように、下半身は蛇の躯体となっていた
「ウ…あア…ぁ…」
か細い声が響く
胸辺りまで垂らされる黒い髪の隙間から、淀んだ深い青の双眸が覗く
「まだ人のままでいようと抗ってるの?
さっすが、その根性化け物級だ
まぁお前は化け物なんだけど…今の自分の姿、見てみなよ
まるでナーガのようだ
…あ、ナーガ知ってる?この世界にそんな情報存在してたっけ…」
ヴィオラは臆しもせず、いつものようにその女に話しかける
「…ヴィオ…ラ……どう…して…」
手の爪は剝がれ、血を流しながらヴィオラの元へ這いずっていく
そんな女を、ヴィオラは冷ややかに見下した
「…どうして?…どうして、かぁ…いや、そっか、そうだよね
いいよ、教えてあげる」
ヴィオラは傍らに置いてある椅子に手をかけ、そこに腰かける
直前まで、そこには何もなかったのに
「ねぇ、僕と君の繋がりって何だと思う?
上司と部下?研究者と被験体?…そんな生易しいものじゃない
君は反吐が出そうなほどの善性者であり、
けど、僕はそんな君が世界に敷いた平和の犠牲者であり、復讐者
僕の君に対する憎悪は、どんなことになっても消え去らない
初期地点の僕が課せたデータ再起システム、七本ある権能のうち一本を使い、どの世界でも僕は君に対する復讐心と世界を変革する目的を同期させられる
何もかも忘れ、無視し、ただそこに在る世界を享受しながら生きることもできる…でも、やっぱり僕は僕なんだ
君への復讐も、完全なる理想郷を構築するという目的も、絶対的に遂行させるという意思が芽生えるんだよ
この世界の僕は、権能一本に残った欠片の状態で生まれた
僕は本能的に、世界に散らばった権能を回収した
三本目の権能を沼地で回収した時に、小さな子どもの姿になった
今の姿は十代後半…最初の僕の全盛期だ、今僕の手元には四本の権能がある
権能は全部で七本、今回は七本全ての現界を確認している、どこに落ちてるかはわからないけどね
それをすべて回収することで、僕はこの世界のシステムや構造も自由にできる
けど、四本集めるのでも500…いや700年かけてるからね、そんな悠長してられないし…
そんな時、ようやくお前を見つけた
僕の運命、憎悪の相手、何度生まれ変わってもどんなことがあっても必ず絶望に突き落としてやる…そう決めた対象
お前を見つけた時、とても高揚したよ…ああ、またお前が泣き喚き悲鳴を上げ狂ったように絶叫する様子を見られるんだ…とね
そこで僕は一つの計画を立てた!お前への復讐と理想郷構築を兼ねたとっておきのプランをね
その為のキーが…お前の子どもだ
二ヶ月前に産んだ、お前とあの泥人形の子ども」
椅子に座りながら、ヴィオラは途切れることなく語り続ける
女はそれを聞きながら、本能で理解していた
ああ、
「泥人形に人間の肉体を与え、お前と結ばせる…お前たちは運命、だからね
そうしてできた子どもを使い、理想郷構築計画の基盤とする
…ねぇ、出産三ヶ月前から僕がお前に運んでた食事…あれ、ただの食事じゃないんだよ
ここで研究してる
毎日少しずつ量を増やしながらね
最初の方は特に問題なかっただろ?けど三週間ほど前から体調に変化が起き始めた
鎮痛剤や麻酔も、半分はコギトを混ぜてある
産褥期の時点で、お前はコギトまみれ
コギトには多くの可能性があるが…副作用も強い
人体に害を成し、最終的には死に至らしめるほどのね
僕がたてた仮説はこうだ
「妊婦にコギトを投与して産まれた新生児には、コギトの副作用に耐性が付くんじゃないか」ってこと
コギトの主作用が必要だけど、副作用が問題だったからね
そうしてお前にコギトを投与し続け、産まれた子どもはビンゴだった
仮説検証は成功、あの子はコギトによる副作用を大幅に軽減させ、僕の望み通りの性質を持って産まれた」
部屋を覆う蛇の尾が活発に動き出す
女の顔は絶望に歪み、その瞳は赤く染まっていく
白い肌は黒に侵食され、蛇の躯体へと変化していく
その様子を、ヴィオラは恍惚とした表情で眺めている
「お前が産んだ子、大事な「道具」として使わせてもらうよ
父親がそうだったようにね」
蛇の尾の先端がヴィオラの脳天から落ちてくる
直撃すれば人間の体では卵のように潰されてしまうだろう
しかし、その尾がヴィオラに届くことはなかった
影が燻る黒い尾とは対照的な、白く輝く白い
「ぅぅう…あぁぁああ…あああぁぁぁああ…!!」
「ふ…ふふふ…あはっ、ははは!
あっははははははははは!!!はははは!はぁ、はははははっ…ふふふあははははははははは!!!
はぁ…ああ、そう…そう!その顔!僕はずぅーっとその顔が見たかったんだ!」
興奮気味に喜んだ後、ヴィオラは椅子から立ち上がり扉へと足を進める
上機嫌な笑顔を浮かべながら収容室を出ようとしたところで、何かを思い出したように足を止めた
「あーそうそう、お前、旦那に会いたがってたよね
いいよ、会わせてあげる」
ヴィオラは女の方に向き直し、そういうや否や白い白衣のポケットから何かを取り出した
そして、それを女の方へ投げ捨てる
女の前に投げ捨てられたそれは、床に落ちた衝撃で少し形が崩れてしまった
土塊のようなそれは、小さな細長い棒のようで、人の指の形でもあった
「………ぁ……あ…」
その土塊には、土で汚れていながらも銀色に輝く指輪が嵌められていた
その指輪は、女が左手の薬指につけているものと同じ
星の降るあの夜、愛するヒトから愛の告白と同時に贈られた指輪であった
「…あ…ああああ……
____________________ッッッッ!!!!!!」
蛇の女は劈くような悲鳴を上げ、涙を流した
その声を心地良さげに聞き、ヴィオラは扉を開く
収容室の外へ出ると、小さな衝撃が体にぶつかってきた
「ああ…レイン、ダメじゃないか、ちゃんと待っていないと」
衝撃の正体は収容室の外にいたレインがヴィオラに抱き着いてきたものだった
絶叫を繰り返していた女の叫び声が停止する
強化ガラスの向こうに見える小さな女の子を眺めている
青緑の髪と、端整な顔立ち
その顔は、記憶の中の愛するヒトとよく似ていた
なにより、ヴィオラが呼んだ「レイン」という名前
その意味が、彼女の中でその女の子の正体を決定づける
「あ……あああぁぁ…あ、め…あめ……」
女はレインの方へと手を伸ばす
二ヶ月前に産まれたばかりの、齢6歳の女の子へ
レインは怯えた様子でヴィオラの後ろに隠れる
人間離れした聴力が分厚い壁の向こうの会話を聞き取る
「
レインはヴィオラの事を母と呼んでいる
それを聞いた女の思考が止まる
終末を眺めるかのように、その赤い瞳には何も映らない
ヴィオラは一瞬、この世のものとは思えない悪魔のような笑みを女の方へと向け…何事もなくレインに向き合う
「アレはね、怖い怖い化け物だよ
あんなのでもちゃんと管理しないといけないからね、これも仕事だから」
「おかあさま、すごいねぇ…でもね、無理しちゃダメなんだよ」
「わかってるよ」
親し気な様子を見せながら、二人は収容室の前から離れていく
それを追うように女が動き出す
追い縋るようにガラスに這いつくばり、静止の利かない涙を流し続けた
「…い…いや…いかない、で…かえして…かえして…!
かえして、かえしてぇ…!
それから女は、人間の形を失うその時まで、止むことなく絶望し叫び続けた