レストランのコースメニューを食し始めたローランとアンジェリカは、遠目で見ても穏やかな雰囲気で笑い合っている
ローランは任務でも相手の懐に潜り込むのが上手い分、緊張を隠して普段通りに接することが出来ているように見える
イナも他の客へ料理を運びながら、その様子を逐一観察していた
食前酒や前菜を終え、スープが運ばれる
店内で生演奏をするクラシックジャズバンドの演奏が一曲終わった頃、眼帯を外し前髪で隠れたイナの左目に焼けるような一瞬の刺激が走る
「小娘、予想通りだ」
「わかりました、では皆さんはプラン通りお願いします!」
イナはトレイをカウンターへ置き、目にも止まらぬ速さで店を出る
目指す先は、ホテルの屋上
幸いレストランは最上階の一つ下の階の為、スタッフ専用階段を上がればすぐに屋上へと辿り着く
「方角は」
「北東より、あと5秒程だな」
「このホテルに攻撃されれば台無しです、距離をとって迎撃します」
月明かりの元、イナの足元の影が揺らぐ
二丁拳銃を取り出し、イナは屋上の柵を足場にして跳躍する
ホテルのビルから隣のビルへと飛び移り、さらに隣へ
僅か三秒程の間に移動を繰り返し、イナは地上に目を向ける
「…いた」
得物である大鎌を手に裏路地を闊歩する青い男
男が鎌を振り上げた瞬間を目視で確認して、イナは弾丸を撃ち出す
数発の弾丸を男は飛び退いて躱す
そのままイナは男の前に立ち塞がり、対峙する
「いきなり撃ってくるなんて、酷いじゃないか
俺はお前をそんなふうに育てた覚えはないよ」
青い男…アルガリアは冷え切った視線をイナへと向ける
数年ぶりの師弟の再会としては殺伐とした空気に、通行人達は悲鳴をあげて逃げ回る
「俺は何もしていないのに、悪い子だね?」
「手遅れになってはいけないので
…どこから嗅ぎつけたかは聞きません、今すぐ引き返すのなら私も身を引きます」
「うん?まさかとは思うんだけど…俺を止めるつもり?
お前一人でかい?」
イナはそれ以上言葉を発することなく身構える
真剣なイナの様子を爪先から頭の上まで睨め回したアルガリアは、途端に吹き出した
片手で顔を覆い、まるで今世紀一の喜劇を鑑賞したかのように大笑いする
「くっ…くくく…はは、あははははは!
はははは、はぁ…ああ、イナ…お前はまた思い違いで愚行を犯そうというのかい」
指の隙間から、煌々と青い瞳が覗く
瞬きの瞬間、イナの目の前からアルガリアは姿を消し…背後に回り込んでは鎌を横に振る
イナはそれを振り向くことなく姿勢を屈ませ回避し、間髪入れずアルガリアの瞳目掛けて発砲する
アルガリアは弾丸を外套で弾き返すもその瞬間にイナは影からダガーを引き抜き切り掛かる
(弾丸はアルガリアには効かない…魔弾は最終手段、多用はできません
ここは、鎌の間合いの内側に入れる短剣で)
右手にダガーを、左手には長槍を持って応戦した
アルガリアの揺れるようなシルエットを捉え、斬り込む
幾度か長物での斬り合いの隙にダガーで接近し攻撃するも、踊るように躱される
槍もダガーも弾かれ、コンクリートの地面に突き刺さる
「お前に戦い方を教えたのは誰だったかな
左側を庇うように右に踏み込む癖も、爪先が外側に微かに向いた時に脚技を出してくるのも…お前の動きひとつひとつ、俺は熟知しているよ」
アルガリアの鎌の切先がイナへ振り下ろされる
「では、この手はどうですか?」
イナの足元の影から剣が飛び出して鎌を跳ね返す
そのまま剣を持ち、イナはアルガリアに斬りかかり、アルガリアはそれを防ぎ拮抗する
「剣を吐き出すなんて、行儀が悪い蛇だね」
「二人の大切な時間を邪魔しようとするような無粋な貴方よりはマシです」
「あの二人だけが大切なんだ、俺のことはどうなってもいいなんて…」
「しおらしく見せても騙されませんよ!思ってもいないようなことをつらつらと!」
弾かれた剣も地面に突き刺さり、イナはアルガリアの猛攻を防ぐばかりであった
至近距離なら小型の、一歩距離が開けば大型の武器で応戦するも押されつつある
「昔よりは場数を踏んだからかやるようにはなったね
でも、この程度なら期待外れだ」
十本目の刃が弾かれる
「がっかりだ」
アルガリアはそう呟き、イナへと鎌を斬り上げた
イナは大きく跳躍してそれを回避する
上空30m以上の高さから、イナは再び銃口をアルガリアへ向ける
「何度やっても、俺に銃は…」
アルガリアの忠告を聞くことなく、イナは弾丸を撃つ
三発の弾丸はアルガリア…の足元へ埋まり、青白く発光する
それは、大きな術式を起動するための弾丸であり、術式とは弾かれた武器の数々
アルガリアを囲むようにコンクリートに突き刺さったそれらは、魔弾と同じように魔術が刻印された代物であり、複数本が並ぶことで術式が組み上がる大掛かりな罠である
弾丸に乗せられた魔力は地面を通じて周囲に伝播され、術式は起動された
アルガリアの周辺の空気が下がっていく
大気中の水蒸気は凍っていき、冷ややかな氷がアルガリアの下半身を覆う
「…はは、これは…」
離れた位置に着地したイナはアルガリアを見つめる
「下手に動かないほうがいいですよ
下手をすると凍った細胞が崩れるかもしれないので」
アルガリアの肌に霜が張り付く
小さく漏れる吐息は白く消えゆき、アルガリアは笑った
「俺を殺さないなんて、やっぱりイナは優しい子だね」
「私は命を奪いたくはありません、貴方にもわかって欲しいのです」
「わかる?何を?あの男を?俺からアンジェリカを奪ったあの男を?」
「ローランはいい人です、それに強くて優しくて…アンジェリカは毎日幸せそうです!それなのになぜアンジェリカの幸福を奪うようなことを…」
そうイナが問いかけた瞬間、空気の温度はさらに下がった
イナは何もしていない、しかしその視線の先の男は口元から微笑みを消し、凍てつくような青い眼光を向ける
視線だけで射殺されそうな錯覚に陥り、イナは早くなる心臓を胸の上から押さえ込んだ
「イナ、お前がわかって欲しいって言うんなら…俺のこともわかってくれないか?」
アルガリアが、鎌を振る
大きく振動しながら冷気は払われ、その振動で彼の下半身を固めていた氷は砕け散る
「…!」
氷の方が砕かれると思わなかったイナは一瞬反応が遅れた
鎌を警戒し、その刃は避けられたものの…伸びてきた左手に首を掴まれてしまう
そのままビルの壁まで押し付けられ、背中と後頭部に襲いかかる衝撃にイナは顔を顰める
「頑丈だね、潰す勢いで叩きつけたのに」
冷ややかにそう言いながら首から手を離さないアルガリアは、いつかの頃のようにイナを縊りながら見下ろす
あの時と違うのは、アルガリアは今度こそイナを殺すつもりで首を絞める手に力を込めている
「あ…ぐ…」
呼吸ができず喘ぐイナに力を緩ませることはない
そんなアルガリアを止めようと無二は影から飛び出そうとした
イナの足元の影が揺らいだ瞬間、アルガリアは短剣サイズの槍のようなものを影に突き刺した
すると影は動きを顰めた
「む…に…」
「アルガリアめ…やりおったな…!」
怒りを露わにした無二の声だけが聞こえる
「湖の大蛇、その昔はとある鎖で湖の底に封じられていたんだってね
それはその鎖を加工したものだ
探し出すのに苦労したよ」
イナの影に突き刺さった槍は錆びた黄金色を放っている
それのせいで、無二は動きを縫い止められたのだ
「さて…邪魔者はこれで静かになった」
アルガリアはより一層左手に力を込め、イナの首を折ろうとしている
「ねぇ、イナ
お前にはたった一人の肉親でもいた?
唯一の母と呼ぶ魔女と、多くの分身の中で生まれたお前に、たった一人しかいない大切な妹を奪われる俺の気持ちなんてわかる?
わかるはずないだろう、それなのに一方的にわかってもらおうなんて烏滸がましいと思わない?」
視界が歪む
アルガリアの腕を掴んでいた両手から力が抜ける
イナは、思った
アルガリアやアンジェリカ…ローランだってそう、イナは彼らがどう生きてきたかなんて知り得ない
自分のことを話せないから、聞く資格がない
だからこの都市で、どれほど苦しい思いをして生きてきたのか…何も知らない
きっとそんな苦行を、アルガリアとアンジェリカは二人で生き抜いてきたのだろう
アルガリアが何よりも彼女を大事にしていることはよく知っている、知っているが共感には至れず、自分から離れていく苦しみも理解することはできない
しかし、それでもイナには伝えるべき言葉があった
もう意識も朦朧となりながら、イナは必死にアルガリアへ訴えかける
「…ひとりだけのかぞく、じゃ…なくなりますよ…」
「…?」
髪の隙間からターコイズブルーの瞳がアルガリアを見つめる
「…ふたりがけっこんすれば……わたしはあんじぇりかのこになるし…
…あなたの、めいにもなる…ということです…」
姪、その言葉を聞いてアルガリアは言葉を飲み、左手から力が抜けた
「はぁッ…ゲホッ、ゴホッ」
その隙に酸素を吸い込んだイナは咽せ返りながらも大きく呼吸を繰り返す
アルガリアは、碧い、蒼い瞳の色を思い出す
「せっかく綺麗な顔しているんだから、笑って見せて」
優しい、星の瞬きのような人
同じ瞳だった
「…そうか…そう…
あの人の…が…俺の家族に…」
小さく呟き続けるアルガリアの言葉を聞き取る余裕もなく、イナはぼんやり彼を見つめる
「……うん、それなら…いいかもしれないね」
そして、アルガリアはイナの首から手を放す
その口元には、再び微笑みを携えて