故郷は地球 著/アラン・ビロッツ   作:山田甲八

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十 脱出

 私はこの前の章でこの物語を脱稿したつもりでいた。しかし、この物語はそこでは終わらなかった。

 私はこの物語にもう一つの章を作り、A記者にこの原稿を預けた後の出来事を付け加えなければならなくなったことをとても残念に思う。ただ、これがこの物語の最後の章となることは私にとってハッピーなことだ。

 この物語の原稿をA記者に預け、一月くらいがたった頃、A記者から連絡が入り、私はA記者が勤務する新聞社の彼のデスクに呼び出された。呼び出されたその時はゲラが刷り上がったので校正を依頼するのだろうと信じて疑わなかった。実際、そのくらいのタイミングだった。

 私はパリ市の中心部にある新聞社のA記者のオフィスを尋ねた。A記者は狭いながらも個室を持っていて、大きめの机の前には面会者用の椅子が置かれていた。

 A記者は私に椅子を勧めたので私は座った。A記者は明らかに不機嫌だった。

 A記者は私の目の前に原稿を投げ出し、「これは駄目だ」と言った。

「駄目?」

 私は思わず復唱した。A記者の意味するところが分からなかった。

「どういうことです?」

 私はA記者を睨んだ。A記者は困惑した表情を見せた。

「こんな内容では駄目だということだ。ここに書いてあることはでたらめばかりじゃないか」

 私は耳を疑った。A記者の口からそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。

「でたらめですと。でたらめなもんですか。全部真実です。ここに書いてあることは私が実際に経験した本当のことなんです」

「証拠はあるのか?ここに書いてあることの。証拠なんかないだろう?裏付けが一つも取れないじゃないか」

「あたり前です。これは告発本なのです。国際科学警察機構やX国が隠蔽していたことを白日の下にさらそうとするものです。証拠なんて国際科学警察機構やX国が隠滅しているに決まっているじゃないですか」

 私は声を荒げていった。聞いたA記者は深くため息をついた。

「だから駄目なのだ」

 A記者は静かに言った。

「裏付けが取れないと駄目なのだ。もちろん世の中には裏付けも取らず、無責任な報道をするブラックジャーナリズムも存在する。でもそれは噂話のレベルでうちの新聞社のような立派なマスメディアができることじゃない」

 なるほど証拠がなければ大新聞では受け付けられないというのはその通りかもしれない。しかし、私はそんなことでは諦められなかった。

「これは真実です。本当のことです。どうか私を信じてください」

 私は懇願するように言った。

「うちも新聞社だから情報提供があった場合には裏付けを取らなければならない。デマを報道するわけにはいかないからね。僕は国際科学警察機構の幹部に面会を求め、コリンズ次長に会った。科学特捜隊元隊長のミッチェル氏には会えなかったが、監察官室で君と席を並べていたパノフ主任にも会った。取材としてね」

 聞いて私は嫌な予感がした。

「それでなんと?」

「二人とも君が重度の精神病だと言っていた。入院しなければならないほど重度の。だから国際科学警察機構を去ったのだと」

「それは嘘です。私は病気なんかじゃない」

「それだけじゃない。僕は君のお父さんにも会ったんだ」

「えっ、パパに?」

「君のお父さんも同じことを言っていた。君が重度の精神病におかされていて今はリハビリ中だと。今は職務を外れているが、いずれは現場に復帰できるだろうと。そう言っていた」

 なるほど、私は知らされていなかったが、国際科学警察機構は私の父をも懐柔していたのだ。

「Aさん。私を信じてください。この話は本当なんです」

 聞いたA記者は首を振った。

「もちろんアラン、君のことは友達だと思っているし、君のことは信じたい。しかし、君の友達ではない新聞社の幹部を理解させることはできないだろう。もしこの物語が真実であれば、世間に与える影響は計り知れないものがある。しかし、逆にコリンズ次長やパノフ主任、あるいは君のお父さんが言っていることが真実であって、この物語が病魔に侵された君の幻想の産物であるとしたら我が社に計り知れない打撃を与えることになる。もはや新聞社としては存在できないだろう」

「本当なんです。真実なんです。信じてください」

 私はいつの間にか涙を流していた。

「アラン。本当に申し訳ないが、君の力にはなれない。ただ、友達として一つだけ役に立つことはしてやろう。君はこの物語を世に出したいと思っているのだな?」

 A記者が引き続き冷静な表情で言った。

「・・・もちろんです」

 泣いていた私も少し冷静になってA記者を見据えて言った。

「それなら自費出版という方法があるのだがどうだろう?」

「自費出版?」

「大手ではない中小の、中小ではあるが本の販売会社とつながりがあって、本屋に本を卸してもらえる、そんな出版社に出版してもらうんだ。もちろん、この場合、君が出版社に出版をお願いするわけだから、君が出版社にお金を払うことになる。だから自費出版だ。でも、後は契約の内容次第だが、本が売れて増刷されれば君の下にも印税が入るだろう。もっとも君は印税などには興味はないのかもしれないが」

 聞いて私は少し考えた。A記者の新聞社から出版できればセンセーショナルではあるだろう。だが、センセーショナルだからこそ出版できないという理屈も理解できるような気がした。私がお金を払うということにはもちろん躊躇はない。

「分かりました。あなたのアドバイスに従いましょう。それで、その出版社は紹介してもらえるのですか?」

 私は涙を拭って言った。

「知り合いに出版社を経営しているやつがいるからそいつを紹介する。紹介状はもう書いてある」

 言ってA記者は私に一枚の紙を渡した。紹介状で左上に出版社の住所も書いてある。私の家からそう遠くないところだった。私が紹介状に目を通しているとA記者が続けた。

「すまないな。こんなことしかできなくて。でも、どうかこれを僕の最大の誠意だと思ってほしい」

「ありがとうございます。早速行ってみます。じゃあ私はこれで」

 私はそう言って席を立ち、A記者の部屋を出て行こうとしたところで

「アラン!」

 A記者の声が聞こえ、私は振り返った。

「頑張れよ」

 A記者が言ったその目を見て、私はA記者が本当は私のことを信じていることを感じ取った。真の友情を感じた。

 

 私はその足ですぐに紹介された出版社に行った。

 出版社の看板には有限会社の枕詞が付されていたが、個人経営といっても良いようなこじんまりとしたたたずまいだった。

 呼び鈴を押し、インターホンで来意を告げると私より二回りは上と思われる男が出てきて私を事務所の中に招き入れ、応接の席を勧めた。男はこの出版社の主人だった。

 話は既にA記者から聞いているようで、すぐに契約の話になった。

「で、契約はどうしますか?」

 どうしますか?と聞かれても出版自体が初めてだし、何が標準なのかも私には分からない。

「私は初めてなんだ。何がどうなのかということも分からないのだが。できれば細かいことは勘弁してもらいたい」

 私は素直に言った。正直、金さえ払えば良いのだろうという思いはあった。

「そうですか。まあ、決めなければならないことは、基本的には二つあります。一つは印税をどうするかということ。もう一つは売り方をどうするかということです」

 主人は真面目に商売をしようとしているのだろう。その表情からは誠意が感じられた。

「うん」

「まず印税ですが、初版本は買い取ってもらいます。初版は何部にしますか?」

 何部にしますか?と言われても見当もつかない。

「普通は何部なのだ?」

「通常は千部です。自費出版が千部も売れれば上出来です」

「じゃあ、それで行こう」

「それで増刷した場合には印税十%を支払うというのが基本になります」

「それで良い」

 主人はテキパキとパソコンを打ち込む。

「次に売り方ですが、例えば私どもが本屋さんに売り込みを掛けるとなるとそれだけプロモーション費がかかることになります。新聞広告を打つとかももちろんお金はかかりますが、ご要望があれば引き受けます」

「なるほど」

 新聞広告など考えてもいなかったが、新聞に広告が出れば、内容が内容だけに注目も浴びるだろう。何より私の目的は金儲けではない。一人でも多くの人に真実を知ってもらうことだ。店主の説明するプロモーションには十分な意味があるように思われた。

「本屋さんに売り込みを掛ければ平積みで売ってくれたりします。もちろんただではありませんが、一定の効果はあります。新聞広告は、例えば全国紙の一面に広告を載せると必ず買ってくれる図書館もあるので、これも一定の効果が望めます」

「分かった。プロモーション費用には金を掛けてくれ」

「原稿は既にAさんから受け取っているコピーがありますが、それで良いですか?」

「それで良い」

 もたもたしていると潰されてしまうかもしれない。

「では、契約書にサインをお願いします」

 主人は契約書を二枚印刷し、お互いにサインした。

「では、早速、印刷にかかります。一週間以内にゲラができますので、ゲラができたら連絡しますので、校正をお願いします。連絡先はここでよろしいですね?」

 主人は契約書に記載されている電話番号を指さして言った。私はうなずいた。

 

 その二日後、A記者からメールが来た。「君は最近、世間に疎くなっているようだが、新聞はキチンと読めよ」という内容だった。

 なんだかよく分からず、新聞を開くと家の近くで火事があり、老人が一人死亡したという記事が出ていた。場所は私が二日前に訪れた出版社の近くだった。私は胸騒ぎがして、二日前に訪れた出版社に急いで行ってみた。

 出版社のはるか手前に非常線が張られ、中に入ろうとすると制服の警官に通せんぼされた。私はその警官に身分証明書を見せた。

「フランス警察本部のビロッツ警視正だ」

 言うと制服の警官は急に慇懃になった。

「失礼しました。お顔を存じなかったので」

「まあ良い。何が起こったのだ?」

「この先の出版社が全焼し、主人が焼死しました」

 言われて奥を見ると、二日前に訪問した事務所はものの無残に焼失していた。

 私はそれ以上、事実確認することを諦め、自宅に引き返した。私が託した原稿も、契約書も灰塵と化してしまったことは明らかだった。

 

 自宅に戻ると珍しく、老いた父が声を掛けてきた。話があるという。二人は自宅の居間の応接椅子に腰かけた。

 私は父と本当に久し振りに向き合った。こんな時間はここ何十年もなかったような気がする。父の老いを素直に感じた。

 父は自ら紅茶を入れ、私と自分の前に置いた。

「アラン。実はな、監察室がお前に興味を示しているという話を聞いたんだ」

「監察室が。なぜ?」

「お前、何か重大な機密を国際科学警察機構から持ってきたりはしていないか?」

 そう言われて思い当ることはある。最後の一年はジャミラ事件の告発の準備をしていたので、持ち出した機密情報もあった。

「私に窃盗の容疑でもかかっているのか?」

「もちろん、私はお前を信じているよ。しかし、お前が重大な機密と思っていなくても、国際科学警察機構がとても重大な機密だと考えている情報もあるかもしれない。見解の相違ってやつだ」

「それはあるかもしれない」

 私はため息をつきながら言った。

「お前は疲れているんだ。だから休んだ方が良い。監察に呼び出されて言いたくないことを言わされるのもつらいだろう?だから考えてみてくれないか。これからのことを」

 父は純粋に私のことを心配しているのだろう。親として。私は父にこれ以上、心配を掛けてはならないと思った。

「どうすれば良い?」

「パパとしては二つのことを考えている。一つは入院。もう一つは留学だ」

「入院?」

「一流の心療内科を紹介する。そこでしばらく静養すると良い」

 国際科学警察機構に吹き込まれ、私のことを病気と信じ込んでいるのだろう。私はもう一度深いため息をついた。

「もう一つの留学は?」

「日本でもう一度、柔道を勉強するのはどうだ」

「柔道を?」

「そしてフランス警察の師範代にでもなれば良い」

 入院か、留学か、どちらかを選べと言われればもちろん留学だ。

 ジャミラ事件はあったが、日本は大好きな国だ。パリにいても周りの人を不幸にするばかりのようだ。出版社の主人は私と出会わなければ早死にすることもなかったのかもしれない。

「分かった。少し考えさせてくれ」

 私は入れてくれた紅茶には手を付けず、外に出た。心配してくれる父の顔を見るのはつらかったし、自分の部屋に引き籠もるのもつらかったからである。

 

 私はセーヌ川の畔をブラブラと歩いた。そしてベンチに腰掛け、これまでのことを回想し、これからのことを考えた。

 やっぱり、日本に行くのが良いのだろうと思った。日本に行けばまたやり直せそうな気がした。告発も、日本ででもできるかもしれない。

「アラン・ビロッツさんですね」

 ベンチに腰掛け、ぼ~っとしていると隣に座り、新聞を読んでいた一人の男が声を掛けてきた。私が男の方を見ようとすると、「こっちを見ないで。正面を向いていてください」とその男が言った。

 私は横目で隣の人物を確認した。痩せて髪は長く、チャラチャラした感じの男だ。ストリートミュージシャンかと思った。

「突然、話しかけてスミマセン。でも妖しい人間じゃありませんよ」

 男は新聞を読むふりをしながら私に話しかける。

「君は誰だ?」

 私は男に言われた通り、正面を見ながら独り言のように言った。

「私は敵じゃありません。今は他人ですが、できればビロッツさんの力になりたいんです」

 そう言って男は読んでいたタブロイド紙を私の方に向けた。そのタブロイド紙は私も知っていた。真贋のはっきりしない噂話を平気で載せる、A記者の言っていたブラックジャーナリズムの見本のようなものだと私は認識していた。

「私はね、この新聞の記者をしているピエールってもんです」

 ピエールは新聞に目を落としたまま続けた。

「ブラックジャーナリズムがなんの用だ」

 私は正面を見たまま不機嫌に言った。

「ブラックジャーナリズムですか?それでも良いですよ。でも、あなたのことはAさんに紹介されたんですよ」

「Aさんに?」

「ええ。あなたが面白い情報を持っていて、それを白日の下にさらしたいのだがなかなかできないと」

 出版社の焼失はA記者も知っているはずだ。それを承知でこの男に話をしたのであればA記者との友情に感謝しなければならないのかもしれない。私は刹那に全てを理解した。

「分かった。それでどうするというのだ?」

 私は引き続き前を向きながら言った。

「原稿を私に任せてくれませんか?」

「原稿は知っているのだな?」

「Aさんにコピーを見せてもらいました。面白い話ですね。あっという間に読破しましたよ」

「出版してくれるのか?」

「うちはAさんのところとは違って真贋はどうでも良いです。あなたさえ承知してくれたなら」

 世に問うことができるのであればその手段はもうどうでも良かった。

「分かった。お任せしよう。だけど、大丈夫なのだな?君の命も狙われるかもしれないんだぞ」

「人の恨みを買うのはしょっちゅうです。大丈夫ですよ。センセーショナルに売り出してみせます」

 ピエールの表情は見えなかったが、不敵に微笑んだようだった。

「ただ、付け加えたいことがある」

「付け加えたいこと?」

「Aさんにボツを言い渡されてからこれまでのことを最終章として付け加えたいんだ」

「分かりました。では、できたらAさんに渡してください。私はAさんから受取りますので」

「分かった」

 二人が顔を合わせないまま、ピエールはその場を去っていった。

 

 セーヌ川の畔での交渉は一分もかからなかった。そして、私は日本に行くことを決めた。面倒な手続きはすべて父がやってくれた。出発は三週間後と決まった。

 私はその三週間の間にこの最後の章を書き上げ、A記者に原稿を渡し、日本へ脱出することになった。生まれてここまで、本当に色々なことがあった。日本への飛行機の中でそのことは噛みしめたい。

 今度こそ、最後までこの物語を読んでくれた読者に感謝したい。

 さようならパリ。

 

(了)

 




 訳者あとがき

 この訳文は完訳ではなく、ビロッツ氏の英語版をもとに日本人向けの物語を紡いだと言った方が正確かもしれない。但し、私が自分の意思で新たに付け加えたものはない。
 この物語に初めて出会ったのがいつかは正確には記憶していない。ただ、出会ったその時には、英訳はもちろん、オリジナルのフランス語版も既に絶版されていて、再販の予定もないと聞いていた。たまにネットの中古市場に出品されるがものすごいプレミアムがつき、それでも一晩で誰かに買い取られるのが常だ。図書館からも既に撤去されていると聞く。予定されていた日本語版も結局、発刊されていない。この物語はいわば幻の作品となってしまっているのだ。
 この事実を私はとても残念に思っていた。ことの真偽はともかくとして、この物語は読む価値のあるヒューマンストーリーだ。
 そこで私は自ら日本語版の作成に踏み切った。あくまでも個人の趣味としてやるのであれば、なんの見返りも求めないのであれば、著作権という問題も生じないだろう。また、今はインターネットの投稿サイトもあるので、それを使えば世間に問うこともできる。
 ビロッツ氏の物語は日本へ出発する直前で終わっているが、この日本語版の読者のために、その後、ビロッツ氏がどのような時間を過ごしたのか、私が知っている若干を記述しておく。
 この物語のフランス語オリジナル版は発売前から世間の注目を集めていた。物語の中にも出てくるタブロイド紙が大きなキャンペーンを展開し、実際に発売直後、わずか四時間で初版本は売り切れてしまったと聞く。
 しかし、その後、ビロッツ氏にとっては不遇の時間が流れる。X国はビロッツ氏を訴え、国際科学警察機構もこの物語がでたらめであるとの声明を発表した。事実、ビロッツ氏の提示した事実を証明する証拠は何も見つからなかった。その上、国際科学警察機構はビロッツ氏を在職中の微罪で告訴したのだ。ビロッツ氏は民事と刑事、二つの裁判で被告となり、いずれも敗北した。このためビロッツ氏とこの物語の信用は失墜し、この物語は絶版に追い込まれた。
 ビロッツ氏は現在どこで、どのような生活をしているのか、その消息は不明である。ただ、もしご健在であるならばかなりの高齢となっているはずである。
 最後にこの翻訳文を作成中の八月二十一日、この物語にも登場する伊手光弘博士が誤嚥性肺炎のため帰天され、その八十年の生涯を閉じられた。博士の長年に渡るこの星への比類なき貢献に感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りする。

山 田 甲 八

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