故郷は地球 著/アラン・ビロッツ   作:山田甲八

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二 出逢い

 警察関連施設を狙った無差別テロ事件の後、世間は父と私に同情した。私は小学校一年生にして母を失い、私の家は父子家庭になった。

 父は引き続きパリ勤務で、爆弾攻撃を受けて半壊した官舎は出たものの、転校することもなく、近くの空き家に借家住まいすることができた。借家にしては、そして父子二人の父子家庭にしては大き過ぎる館で、引っ越して来た当初は母にも見せてやりたかったと思ったものだ。随分と年長になってから知ったのだが、その家は悲劇の父子に同情したパリの資産家がその義侠心から貸し与えたものであった。しばらく父子はその借家に住まうことになるのであるが、恐らく家賃はただか申し訳程度のものだったのだろう。

 事件直後こそ私は父の知人の家に身を寄せていたが、それも迷惑ということになり、父子二人の生活となり、私の養育をどうするかということが問題となった。普通のサラリーマンであれば朝、保育園に私を預け、終業後、私を保育園にお迎えに行くということになるだろう。

 しかし、父は警察官であり交代勤務のため勤務時間が安定していない。特に不可解な事件を抱えてしまうと、何日も家に帰って来られないということもある。いっそのこと私に手が掛からなくなるまでは官房系など、勤務時間の安定した仕事に移り、保育園の送迎を担うということも考えられたようである。

 しかし、それは私の父もフランス警察の人事当局も望むところではなかった。当時、働き盛りの父はフランス警察のスーパーエースであり、数々の難事件を解決していた。父もそれを自認しており、勤務体系を変えることを望んではいなかった。

 ただ、ベビーシッターを頼むとなると費用が馬鹿にならず、警察官の安月給では厳しかったことも事実である。頼れる親戚も、少なくともパリ市内にはいなかった。

 父は仕事と育児の両立に悩んでおり、無料のシッターの登場を待ち望んでいた。

 一方、同じ時期に、私のまったく知らないところでX国の官費留学生がパリでの下宿先を探していた。この青年はロケット工学を専攻しており、パリにある研究機関に客員研究員として三年間の期限付きで留学して来るのであるが、家が貧しく、何より官費留学生なのでパリでの生活費をできるだけ切り詰めることを希望していた。

 もう一つ、この官費留学生は柔道家でもあった。X国ではナショナルチームに入るくらいの実力者であり、留学先のパリでも練習を続けることを希望していて、その練習場所に選ばれたのが、私が官舎の頃の仲間と通っているフランス警察パリ第〇〇分署の道場だった。

 道場の師範は当然、私が母を亡くし、父が仕事に出ている間の子守役を探していることを知っている。師範はその官費留学生が私の家に下宿し、私の面倒も見ながら研究し、柔道もやれば良いのではないかと考え、その考えを父に話した。師範は厳しい人ではあったが、世話好きでもあった。父はこの提案を受け入れ、官費留学生を私の家に受け入れることが決まった。

 官費留学生が来日した日、私は父とシャルルドゴール空港に出迎えに行った。

 現れた男はフランス人の平均よりも背が高く、またいかにも柔道家らしいがっしりした体格の持ち主だった。

 男の名前はジャミラといい、私の家の私の部屋の隣の部屋が貸し与えられ、おびただしい数の文献が運び込まれた。何の文献なのかはもちろんまるで分らない。しかし、ジャミラが何かとても難しいことを研究していることは分かった。私とは別世界の堅物だと思ったのだ。

 引っ越し荷物の整理が終わり、私が自分の部屋のテレビで日本の水兵の格好をした女子中学生達が悪と戦うアニメを一人で見ているとふとそれまで感じたことのなかった人の気配を背後に感じた。振り返るとそこにはジャミラが立っていた。

「へ~っ、アラン。君はこういうのが好きなんだ」

 ジャミラは気さくに私に話しかけた。私は特に隠し立てすることもなく「そうだね」とだけ答えた。女の子向けのアニメを見ているという恥ずかしさはなかった。

「実は僕も日本のアニメが大好きなんだ」

 ジャミラがそう言ったので僕は驚いた。ジャミラはロケット工学を勉強する堅物の科学者で唯一の趣味は柔道だと思っていたからだ。

 私が驚いた顔をしているとジャミラは両手を動かし、制服を着た女子中学生戦士のきめのポーズをとって「月の名前においてあなたを処罰します」と言ってみせた。それがジャミラのごつい身体とはあまりにも不釣り合いで私は思わず吹き出してしまった。

 ジャミラも私に合わせて笑い、それで私の心はジャミラに向かって一気に氷解してしまった。

 ジャミラは立ったままで、私もジャミラに席を勧めもしなかったが、私はジャミラと一緒にアニメの続きを見た。アニメの途中途中でジャミラは詳しい解説を入れてくれた。

 この作品は月をモチーフにした少女が主人公になっているが、本当は金星をモチーフにした少女が主人公だったこと、アニメ化する段階で金星をモチーフにした少女のコードネームが日本の万年筆メーカーの登録商標(当時はこの言葉を理解できなかった)だったため、主人公を交代させ、アニメのタイトルも変えてしまったこと等々、私の知らない日本アニメのうんちくを語って聞かせてくれた。その話、一つひとつを私は眼を輝かせながら聞いていた。

「ジャミラさん詳しいんですね」

「ジャミラでいいよ」

 ジャミラは、二回りは年下の私に気さくに言った。

「アラン、君は一人っ子だそうだね?」

「うん」

「実は僕も君と同じで一人っ子なんだ」

「そうなんだ」

「だからこういうのはどうだい。君と僕は兄弟分っていうのは。君も僕と同じ柔道家だし、日本のアニメも好きなようだ。日本文化の良き理解者として仲良くなれると思うけど」

 ジャミラはそう言って笑った。私は正直、うれしかった。母が突然いなくなってから、何かと一人ぼっちが多かったのだ。

 留学生が下宿するという話を聞いた時も、専門がロケット工学ということもあり、自分とは別世界の人だと思っていた。しかし、実際は全然違った。日本のアニメを好む、私と同じ次元の住人だったのだ。

 

 しかし、ジャミラが私の家に下宿するようになってしばらくすると、私は私の周囲が妙によそよそしくなっていることに気が付いた。友達が離れていっているような気がしたのである。学校でも、道場でも一人であることが多くなっている気がしていた。

 最初は気のせいかと思っていたが、ある日のホームルームの席でその理由が明らかになった。

「アラン、お前の家にX国のスパイがいるんだってな」

 クラスメートの悪ガキの一人がそんなことを言ったのだ。他のクラスメートもそれに同調する。

「スパイ?そんなわけないだろう?」

 そう言ってはみたものの、ジャミラがフランスに来て実際、何をしているのかは本人からも聞いていないし、難し過ぎてまだ小学一年生の私には理解できなかった。

 ただ、X国がフランスとあまり仲良くないことは子どもの私にも分かったし、スパイが歓迎されない職業であることも分かっていた。

「ロケットの研究所でフランスの技術を盗んでいるって噂を聞いたぞ」

 悪ガキは悪びれずに続ける。

「そんなことないですよね。先生」

 四面楚歌の私は先生に助けを求めるしかなかった。

「あたり前だ。アランのお父さんは警察官だぞ。そんなところでスパイ行為してみすみす捕まりに行くようなそんな間抜けなスパイはいないよ」

 先生が言うとクラスは大きな笑いに包まれた。しかし、私は笑えなかった。

 

 家に帰るとジャミラはもう帰っていて、晩ご飯を作って私のことを待っていた。ジャミラと私は晩ご飯を挟んで向き合った。父はいつも帰りが遅く、晩ご飯は大抵、ジャミラと二人きりだ。

 今、思うとこの頃のジャミラは研究職という割には規則正しい生活で、私の母親役をキチンと務めていた。きっと最初からそういう約束だったのだろう。

 この二人きりの晩ご飯が私は大好きだった。時には日本のアニメを見ながらアニメ談議に花を咲かせたものだ。もっとも談義といってもジャミラがそのうんちくを一方的に私に話して聞かせることが多かったが。

 しかし、この日の私は明らかに口数が少なく、暗い表情だった。

「アラン、どうした?」

 さすがに私の異変にジャミラは気付いていた。

「いや、別に」

 私は何となくごまかそうとしたがジャミラは許さなかった。

「何でも言ってくれないか。僕達は親友で、兄弟分じゃないか」

 ジャミラはそう言って優しく私を見た。ここに来てからジャミラは母親代わりでもあった。

「・・・実は、今日学校でジャミラがX国のスパイだって言われたんだ」

 私は言いにくかったが言った。しかし、それを聞いたジャミラは笑い出した。

「ハハハ、スパイか。これは傑作だ。いいなあ。僕はスパイ映画の主人公になってみたかったんだ」

 そんなジャミラを見て私は少し安心した。本物のスパイだったらこんな場面で笑えるはずがない。

「ジャミラはフランスの研究所で何を研究しているの?」

 私はかねてからの疑問を聞いてみた。

「その前にスパイという濡れ衣を剝いでおこう。僕はフランスのなんらかの機密を盗み出すつもりなんかさらさらない。むしろ逆だ。僕がフランス人の技術者にロケットの技術を教えているんだ」

「ジャミラが先生?」

「そう。僕が先生。僕は自分で言うのもおこがましいけれども、ロケットの分野では小さい頃から天才と言われてきた。僕の家はね、そんなに裕福な家庭ではなかった。今でも裕福ではない。家は廃品回収業をやっている。しかし、今、思うと家が廃品回収業をやっていたお蔭で今の僕があるともいえる」

「どういうこと?」

「廃品回収業者だから僕の家にも、家の周りにもガラクタが沢山あった。僕はガラクタの山の中で生まれ育ったんだ」

「うん」

「僕は小さい頃から宇宙に興味があった。僕の家はX国のものすごい田舎にあってね。パリみたいにゴミゴミした都会じゃない。街にはネオンの光もない。だから星空がとてもきれいなんだ。パリじゃ分からないけど、例えばオリオン座の枠の中にある小さな星まではっきりと見えるんだ」

「オリオン座って?」

「そうか。一年生のアランにはまだ難しいかな。とにかく、夜空が満天の星で輝いてるんだ。そんな星空の下で育ったせいか、僕は将来、星の世界に行きたいと思うようになった。つまり将来は宇宙飛行士になりたいと思ったのさ。思っただけじゃない。実際、自分の力でロケットを飛ばそうと思って、独学で勉強して、高校生の時にガラクタを集めて本物のロケットを作って、飛ばしたんだ。自分の力だけで。誰の力も借りずに」

「本物のって、おもちゃじゃなくて?」

「そう。おもちゃじゃない。本当に地球の重力を振り切った。もちろんそんなに大きな物じゃじゃなかったけど、とにかく人工衛星にしてみせたんだ。ビックリしたのは宇宙局さ。宇宙局がX国の総力を挙げて、それなりの予算もつけて、何年もかかってやってきたことを僕が独力であっという間にやってみせたんだから。それから僕は飛び級に飛び級を重ねてあっという間に博士号を取った。Ⅹ国にとっては、僕は宝物さ。フランスに来たのはフランスにスポンサーになってもらうためで、X国は、技術はあるが金がない。それでなにがしかの技術供与と資金援助をバーターすることにしたのさ。それで僕がフランスに派遣されてきた」

「そうか、それを聞いて安心したよ」

 ハッキリ言ってジャミラの話は小学一年生の私には難しかったが、悪いことをしているわけではないことは分かった。

「でも、フランス政府が僕をスパイ扱いするのは無理もない。X国とフランスは必ずしも友好な関係にはないからね。だから、アランのお父さんが警察官でむしろ助かっているよ」

 ジャミラの説明は私を納得させるものではあったが、幼い心にもう一つの疑問が湧いてきた。なぜ、ジャミラはそんなにも柔道が強いのかということだ。

 私の常識では、天は二物を与えないはずで、もしジャミラが飛び級を重ねるロケット工学の天才ならば、全力疾走も困難な青白きインテリのはずでX国の代表選手になどなれるはずはない。それは幼い心でも分かった。

「柔道も天才と言われていたんじゃないの?」

「残念ながら柔道で天才と言われたことはなかったなあ。スポーツは嫌いじゃなかったけど、ロケットほど好きにもなれなかった。そもそも、僕は陸上競技の選手だった」

「陸上競技の?」

「そう。百メートルと走り幅跳びを高校まではやっていて、それなりの成績を納めてもいた。高校生の頃は陸上部にいたんだ」

「どうして柔道に転向したの?」

「僕の通っていた高校に柔道部はあったんだけど、弱小で、部員すら十分にいなかった。でも、監督が熱い人だったんだな。それで足りない部員を外から、外からというのは柔道部以外からという意味だけど、とにかく試合の時だけ臨時の部員を集めて試合には出ていた。僕は、体格は良かったから駆り出されたのさ。そしたら思いのほか勝ってしまってね」

「既に無敵だったってこと?」

「そうともいえるかな。高校時代に負けたことはなかったからね。Ⅹ国の高校の団体戦は勝ち残り制だ。五対五で戦うんだけど、僕が先鋒に出て、まあ大将でもいいんだけど、五人勝ち抜けばチームとしては勝つ。それで僕の高校は全国優勝してしまうんだ。熱い監督はもちろん柔道への転向を勧めた。陸上では世界レベルには行かれないと言われてね。柔道はそれほど好きではなかったけど、奨学金がもらえるというので続けたよ。それで、なんとなく柔道が本職になって、以来、続けているって訳だ」

 淡々と語るジャミラを見て、私は、超人(訳注:英語原文には「ウルトラマン」と表記されている)という存在がもし実在するならば、それはジャミラにほかならず、ジャミラと時間と場所を共有できたことは私にとってとても幸運なことで、神に感謝したい気持ちで一杯になった。

 ジャミラは第〇〇分署の道場でも無敵の強さを誇り、それでいて威張ったり、人の悪口を言ったりすることは一切なかった。人間的にも申し分なかった。だからジャミラの評判は自然と上がっていった。

 そのうちジャミラがX国人であることの偏見も薄れ、誰もジャミラのことを変な目で見ることはなくなった。

 

 やがて約束の三年が過ぎ、ジャミラはX国に帰ることになった。

 私は小学四年生になっていて、身の回りのことは自分でできるようになっていたし、自分のことだけではなく、父の食事の準備とかもできるようになっていた。生活の様々なことはジャミラが教えてくれていた。

 帰国の直前、ジャミラは最後に稽古をつけたいと私に言ってきた。もちろん私はこれを受け入れた。

 それはまさにジャミラが帰国する日だった。たまたま学校は休みの日だったが、父は勤務の日で空港への見送りは私一人だった。

 シャルルドゴール空港へ向かう途中、ジャミラと私は通いなれたパリ第〇〇分署に立ち寄り、道場で向かい合った。ジャミラは青い、私は白い柔道着を着ている。時間は午前九時頃であり、道場には二人しかいない。

「た~っ」

 そんな声を掛けながら、二人は組み合った。

 私は三年前に比べれば大きくなったもののまだ小学四年生だ。一方のジャミラはX国のチャンピオン、大人と子どもの戦いだった。

「どうした。もっと積極的に技を掛けろ」

 ジャミラが言った。私もなんとか技を掛けようとするのだがうまくいかない。そのうち、大外刈りの真似をすると、ジャミラはわざと倒れてくれ、二人で青畳に横になった。

「強くなったな」

 青畳に寝そべったままジャミラが言った。

 それから二人は立ち上がり、少し距離を置いて向かい合い、お互いに礼をした。

 道場を後にしたジャミラと私は地下鉄でシャルルドゴール空港に向かい、国際線の出発ロビーで私はジャミラに別れを告げた。

「寂しくなるね」

 私はしんみりと言った。それはそうだ。母親役がいなくなってしまうのだ。しかしジャミラは笑顔だった。

「そんなにしょんぼりした顔するな。どうせまたすぐに会えるよ」

 ジャミラはそう言うと右手を軽く上げてから出発ゲートへと向かい、しばらく進んでから私を振り返って大きく手を振るとゲートの向こうへ消えていった。

 

 ジャミラは有言実行の人だった。

「どうせまたすぐに会えるよ」

 シャルルドゴール空港での別れ際の一言を私は真に受けていなかった。ただのリップサービスだと思っていた。

 しかし、その約束はそのとおり実行されたのである。

 その年、パリで開催された柔道ヨーロッパ選手権のX国代表としてジャミラはそう間を開けずに来仏したのである。

 ヨーロッパ選手権については特に書くべきことはない。それ程までにジャミラの強さは圧倒的だった。ほとんどの試合で一分とかからなかった。

 かつて見たことがある日本のスポーツ精神論と呼ばれるジャンルの柔道もののアニメで「秒の殺し屋」というキャラクターが出てきたのを見たことがあるが、その「秒の殺し屋」を彷彿させるようであった。

 試合が始まる。両者が組み付く。ジャミラが投げ飛ばす。一本それまで。

 かろうじて一本を逃れても今度は寝技に持ち込む。高校時代までは陸上の百メートルと走り幅跳びの選手でもあったジャミラの敏捷性はその巨体からは想像できないものであり、あっという間に抑え込まれた相手は身動きできるはずもなく、一本それまで。

 ジャミラはまったく危なげなく、あっという間にヨーロッパチャンピオンの表彰台に昇った。

 ヨーロッパチャンピオンとなったジャミラは凱旋帰国の後、しばらくしてまたパリに戻って来た。三か月後に同じパリで開催される柔道世界選手権の強化合宿に参加するためである。

 強化合宿はパリの郊外で行われていた。X国に限らず、何ヶ国かの代表が集まってきていて、出稽古なども行われていた。

 私は自分の休みの時はジャミラのもとを訪れ、ジャミラが休日の時はジャミラが私のもとを訪れ、あるいはパリ第〇〇分署の稽古に参加し、二人の交流は続いていた。私がジャミラの滞在している宿泊施設に泊まったこともあった。

 

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