故郷は地球 著/アラン・ビロッツ   作:山田甲八

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三 宇宙へ

 そんな中で世界選手権の日を迎えた。場所はヨーロッパ選手権が行われたのと同じパリの中心地にある多目的室内競技場だった。ヨーロッパでは無敵のジャミラも世界選手権で優勝できるかどうかは分からなかった。ジャミラの階級には宿敵の日本人選手がいたからである。

 その日本人選手とシードされたジャミラは決勝までは危なげなく勝ち上がった。ここでもジャミラは「秒の殺し屋」をいかんなく発揮した。

 一方、ライバルの日本人選手は準々決勝と準決勝を延長で制しており、疲れが見え始めていた。私は心の中で「行ける」と思っていた。

 その日の夜のプライムタイムに決勝戦は行われた。白の柔道着に身を包んだ日本人選手と青の柔道着に身を包んだジャミラが青畳の上に現れ、一礼した。私は一分以内に決着がつくだろうと思っていた。そしてジャミラが勝つと信じていた。

 主審の「始め!」の掛け声とともに、二人が組み合う。日本人選手もそうだったのだろうが、ジャミラもポイントを取って逃げ切るような柔道はしない選手だった。必ず一本を取りに行くタイプの柔道家だった。だから最初から技の応酬になると思った。

 ジャミラは相手の様子を伺うこともせず、ぐいぐいと押す。力が入ったところを日本人選手が巧みにかわし、勢い余ったジャミラは思わず前のめりに倒れ手をついた。しかし、日本人選手が技を掛けたわけではないのでポイントはつかない。

 ジャミラは立ち上がり、再び組み合った。もう一度、ジャミラはぐいぐい押し込み、日本人選手はじりじりと後退するが、再びジャミラの押し込みをかわした。

 ジャミラはもう一度前のめりに倒れそうになったが、今度は日本人選手を巻き込む形になって畳の上に倒れた。そして体制を入れ替えて日本人選手が下になり、マウントポジンションを取る形でジャミラがその上に乗っかった。さすがはジャミラ、寝技になればジャミラに分があると私は思っていた。

 ジャミラはそのまま両手で日本人選手の両襟をつかみ、十字締めの体制になった。ジャミラの怪力が日本人選手を締め上げる。このまま決まれば日本人選手は失神し、ジャミラは一本勝ちを収めるだろう。

「ジャミラ頑張れ!」

 私は思わず大きな声を出した。日本人選手がもがく。

 しかし、日本人選手の身体能力は想像以上だった。ジャミラに締め上げられながらもブリッジでジャミラの巨体を押し上げ、そのまま立ち上がったのだ。主審が「待て!」の声を掛ける。

 試合は中断し、二人は引き離され、もう一度正面で向き合って、主審の「始め!」の合図で試合が再開された。

 再び二人が組み合う。再びジャミラは日本人選手をぐいぐいと押す。すると、ジャミラに一瞬の隙ができたのだろう、日本人選手はそれを見逃さず、ジャミラの体制を崩すと払い腰を掛けてみせた。

 ジャミラの巨体が宙を舞い、背中が青畳にドスンと落ちた。

「一本それまで!」

 右手を挙げた主審の声が虚しく響いた。

 ジャミラが敗れるのを見るのはこれが初めてだった。一瞬のことで何が起きたのかすぐには分からなかった。

 しかし、ジャミラはすぐに起き上がり、対戦相手と向かい合い、一礼し、それから歩み寄って握手した。会場には拍手が鳴り響いた。私は手を叩くことができなかった。

 

 その日の夜、寝る準備をしていると父がやって来て不意に来客を告げた。ジャミラが来ているという。

 私はパジャマのまま玄関に出た。そこにはジャミラが立っていた。手には道着を持っている。

「やあ、アラン」

 ジャミラは先ほどの決勝戦が嘘のように、気さくに声をかけた。

「ジャミラ・・・、残念だったね」

 私は何と言ったら良いか分からず、取り敢えずそう言った。

「何が残念なものか。僕は世界で二番目に強いことが証明されたんだぞ」

 背の高いジャミラは私を見降ろして力強く言い、続けた。

「マスコミにも言われたよ。残念だったと。決勝に負けたからか?でもそれはちょっと違うんじゃないかなあ。僕はいつも思うんだけど、決勝に負けた銀メダリストよりも、三位決定戦に勝った銅メダリストの方が喜んでいるのはおかしいと思う」

 世界で二番目に強いと言われればそのとおりだ。そんなジャミラを見て私は苦笑した。

「そうだね。ジャミラの言うとおりだよ。銀メダルおめでとう」

「ありがとう。最初からそう言ってくれれば良いんだ。ところでアラン」

「うん」

「今、暇かな?」

「まあ、もう寝ようと思ったところだから暇かと聞かれれば暇だよ」

 聞いたジャミラはニヤリと笑った。

「ではアラン、眠いところ申し訳ないのだけれども、ちょっと僕に付き合ってもらえないかな?稽古をつけてやろう」

 そう言ってジャミラは持ってきていた道着を上に挙げてみせた。

「稽古って、今から?」

 私はビックリして聞いた。もう夜の遅い時間だ。

「明日、パリを発つ予定なんで今しかない」

「どこでやるの?」

「どこって、いつもの警察署の道場だよ。警察署は二十四時間営業さ。いつだって開いている。それにアランも僕もあそこの警察署はフリーパスだろ?警備の当番が誰であれ、絶対に顔見知りだし、事情を話せば開けてくれるよ」

 夜の遅い時間だったが、これが最後かもしれないということが私を動かし、私は着替えてジャミラと一緒にパリ第〇〇分署に移動した。

 

 道場でジャミラと私は向かい合い、一礼した。そして組み合った。時間はもうすぐで日付が変わるような時間だった。

「どうした、もっと技を掛けて来い」

 ジャミラが私を叱責する。しかし、ジャミラが相当手加減しているにもかかわらず、私はなかなか技を掛けることができなかった。

 ジャミラが何度かわざと隙を見せてくれ、ようやく私は背負い投げを掛けることができた。ジャミラは自分の脚力でわざと跳んでみせたようだった。

 ジャミラの巨体が私の目の前にドスンと落ちた。

「一本取られたな」

 ジャミラが笑って言った。

「取られたんじゃなくて、取らせてくれたんでしょ?」

 言うとジャミラはさらに笑った。

 ジャミラが仰向けになったままなかなか起き上がらないので、私もジャミラの隣で仰向けになり、二人で天井を見つめた。

「次はオリンピックだね。次こそは金メダル取れるんじゃないかな。今回も接戦だったんだし」

 私は新聞記者のようなことを言った。しかし、私の意に反し、ジャミラは首を横に振った。

「いや、オリンピックには行くつもりはないよ」

 聞いた私はビックリした。世界選手権準優勝のジャミラが近々開催されるオリンピック夏季大会の代表に選ばれるのに疑問の余地はない。そもそもX国の選手層は厚くはないし、出場すれば今度こそ金メダルだろう。

「なんで?」

 私は疑問を呈さずにはいられなかった。

「期待してくれるアランには悪いんだけど、残念ながら次はない」

「次はない?」

「そう。今日の試合は、実は僕の引退試合だったんだ」

「なんでまた?まだまだやれるじゃないか」

 私は驚きを隠せなかった。今さっき、世界選手権で銀メダルを取ったばかりなのだ。

「今まで黙っていたんだけど、実はX国で人間衛星を打ち上げる計画があるんだ」

「人間衛星?」

「まあ、宇宙ステーションを小さくしたようなものだ。それで、色々なことを実験したりするんだけど、その打ち上げロケットに僕の開発した技術が使われている。普通、開発者は裏方で、自らロケットに乗り込むことはあり得ないんだけど、僕は若いし、体力もあるし、宇宙の過酷な環境にも耐えられるだろうということで僕がパイロットに選ばれたのさ」

「宇宙に行くの?」

「そう。僕のもう一つの夢が実現するわけだ」

「確かに、宇宙に行くのはジャミラの大きな夢の一つなんだろうけど、オリンピックでの金メダルも夢じゃなかったのか?」

 私はジャミラに詰問するように聞いた。

「駄目か?」

 私が詰問調だったことを感じ取ったのだろう。私の質問をジャミラは否定と感じ取ったようだった。

「駄目って訳じゃないけど、ジャミラはてっきりオリンピックに行くと思ってたから」

「確かにオリンピックのメダルは夢さ。でも宇宙とは天秤にかけられない。かけるべきでないし、かけたくもない。アラン、よく考えてみろ。オリンピックのメダリストなんて世界中にどれだけいると思う?しかし、宇宙飛行士の数はそれよりはるかに少ない。その中に仲間入りできるんだ。どちらかを選べと言われればそっちを選ぶさ。だからもう次はない。再び柔道着を着ることはあるかもしれないけど、それは楽しい趣味のためであって、本気の勝負はこれで終わりさ」

「これからどうするの」

「詳しいことは秘密事項でもあるのでしゃべれないこともあるんだけど、X国の宇宙局で勤務することになる。そこで宇宙飛行士になるための訓練を受ける」

「訓練って、X国内で?」

「そう。訓練施設は首都から随分と離れたところにあるんだけど、X国自慢のロケットの発射台の近くにある」

「じゃあ、家を離れてそこに泊まり込んで訓練を受けるんだね?」

「そのとおり。発射台はX国の最南端にあるんだけど、まあ、これはX国に限らないんだけど、大抵の国でロケットの発射台はその国の一番南の場所に作られている。なんでだか分かるかな?

 私は首を捻ったが良く分からない。

「暖かい地域の方がロケットの燃料がよく燃えるとか?」

「違うなあ。全然違う」

「では、大気が薄くて抵抗が少ないとか」

「おお、近付いてきたぞ。物理的な理由があるのはその通りだ」

「物理的な理由?」

 私は再び首を捻った。

「降参かな?」

「うん」

 そんな私を見てジャミラは笑った。

「ロケットを打ち上げるためにはものすごい推進力が必要になる。とにかく地球の重力はすさまじいから、これを振り切るためにはものすごいスピードが必要になるわけだ」

「うん」

「だけどロケットに積める燃料は限られている。だから利用できる力は何でも利用しようということを技術者は考えるわけだ」

「利用できる力?」

「そうだ。地球には確かに重力が働いてはいるけど、一方、地球は自転しているから遠心力も働いている。この遠心力を最大限に利用しようとするわけだ」

 そう言われて僕はもう一度首を捻った。

「遠心力っていっても地球は一日一回転でしょ?大した力にはならないんじゃないのかなあ」

「そう思うだろ?僕も最初はそう思っていた。ところが遠心力は重力の三百六十分の一もあるんだ。三百六十分の一なんて大したことないと思うかもしれないけど、宇宙へ出発するにはこんな力でも有効活用したい。遠心力を最大に利用するためにはなるべく赤道に近いところから地球の自転の方向に向かって飛ばすということになる」

「じゃあ、しばらく会えなくなるね」

「詳細はまだ決まっていないけど、訓練期間も含めると十年は会えないかな。しばらくはフランスにも行かれないけど、帰還したらまた会おう」

 私は複雑な気持ちになっていた。ジャミラの夢が叶うのは無論うれしいはずである。しかし、ジャミラが遠いところに行ってしまうのは寂しいことだった。このままジャミラと一緒に青畳の上で眠ってしまいたかった。

 帰還したら再会する。この約束は数十年後に残酷な形で実現することになる。

 

 ジャミラがX国宇宙局の正式メンバーとなり、宇宙飛行士としての訓練を受けるようになった頃、X国とフランスの関係は友好とは言えないものとなっていた。

 それから随分と時間は流れ、私は中学生になったが、まだ少年の私がX国に旅行することは難しく、ジャミラのフランス訪問も簡単にはできなかった。

 ジャミラ自身も宇宙に行く準備のため忙しいようで、電話や手紙や他の通信手段を使っても、私と連絡を取ることは難しくなっていた。

 それでもX国が人間衛星を打ち上げるニュースはフランス国内でも比較的大きな規模で報じられていた。X国としては国の威信を賭けたプロジェクトだったのであり、積極的に情報を提供していたのだと思う。打ち上げの日や搭乗者がジャミラ一人であることはフランスのメディアでも報道されていた。

 私はもちろんジャミラの宇宙行きについては恐らく最も興味を持っているフランス人だったので、専門の雑誌なども図書館で読み、X国の人間衛星プロジェクトには注意を払っていた。

 そして私が中学校に進学した翌年の✕✕✕✕年✕月✕日にジャミラのロケットは地球を発つこととなった。

 ロケット打ち上げはX国ではビックイベントでその日は国を挙げてのお祭り騒ぎになるのだろうが、フランスにとっては他国の、しかも科学技術の小さなニュースに過ぎない。今さらロケットの打ち上げなど珍しい話でもなかった。

 私はテレビや新聞の報道に注視していたが、打ち上げの瞬間そのものをこの目で確かめることは諦めていた。

 ジャミラのロケットが発射する日の午前六時ちょうど、私の家の電話のベルが鳴った。私はちょうど朝食の支度をしているところだった。父は夜勤のため家にはいなかったので私が受話器を取るしかなかった。

「もしもし」

「アラン、僕だ。ジャミラだ」

 私はビックリした。これから宇宙に飛び立とうとする飛行士から直接、電話がかかってくるなど、ありえない話だ。

「ジャミラ!今日、打ち上げじゃなかったのか?」

私はとっさに、ロケットの打ち上げが延期になったのではないかと思ったが、そうではなかった。

「そうだ。まあ、正確にはこちらの時間で明日、打ち上げということになるけど、これから打ち上げだということは間違っていない。そして、これが僕の最後のプライベートな時間さ。最後に、アランに『行ってきます』を言っておこうと思ってね。この時間なら君は間違いなく家にいると思ったし、もう起きているはずだと思ったから」

 ジャミラは出発前の緊張を微塵も感じさせることなく、いつもと同じように言った。

「ありがとう、ジャミラ」

 私はジャミラの心遣いがうれしかった。

「ただ、こっちはそっちと違って早朝じゃない。これからひと眠りしてから最終的な打ち上げ準備にかかる」

「うん」

「ミッションは三年の予定だ。だから三年は会えないかな」

「随分長いね?」

「そうでもないよ。火星に行くにしても往復で三年くらいはかかるはずだ。月はもっと近いけどね」

「それにしても長過ぎない?三年間、宇宙船の中で一人ぼっちなんでしょ?地球上でだって三年間も一人ぼっちじゃ辛いんじゃないの?」

「まあ、それは宇宙飛行士の宿命だな。でも地球上でだって、大航海時代とかは三年くらい船の中ってのはあったんじゃないのかな。まあ、今は無線もあるし、完全に一人というわけでもないよ。むしろ、始終、宇宙局に監視されているということだ。僕のメディカルデータを含めてね」

「へえ」

「それにこれはあくまでも計画であって、もちろん宇宙に行くのだから想定外のことは必ず起こるはずで、計画通りには行かないとは思う。長くなるかもしれないし、短くなるかもしれない。でも、必ず帰還するからまたパリかどこかで乱取りしよう」

「大丈夫かな。事故とか起きなきゃいいけど」

 私はか弱い声で言った。

「ハハハ。確かに僕も事故は怖いよ。事故も色々なレベルのものがあるけど、例えば宇宙船ごと爆発してしまったら助からないよな。それは宇宙船に限らず、飛行機や自動車だってそうだ。しかし、それは心配していない。僕が設計したんだ。僕が設計したは言い過ぎだけど、僕が設計に参加したんだ。そんなへまはしないよ」

「だと良いんだけど」

「後はコンパスを失って漂流してしまう危険があるかもしれない。動力を失った船が潮に流されるようなものだ。しかし、これも実は大丈夫な仕掛けが作ってあるのさ」

「仕掛け?」

「そう。ロケットの設計は最重要機密なんだけど、ちょっとだけばらすと、遭難しても、それこそ無線や電気系統がすべてダウンしても僕を探し出せる工夫がしてあるんだ」

「へえ~、それもジャミラが作ったの?」

「僕はアイデアを出しただけで実際に作ったのは他の技術者さ。どうすると思う?すべてがダウンしても僕を探し出すって」

「レーダーとかで捕捉するとか?」

「う~ん、惜しいな。レーダーはいくら何でも遠過ぎるし、宇宙の大きさに比べて宇宙船は小さ過ぎるから無理だ。フットボールコートの上に落としたコンタクトレンズを探すよりも難しいだろう。実はね、遭難したら宇宙船からある周波数の電波を出し続けるんだ。どれだけ離れていても確実にキャッチできるような電波をね」

「電波?」

「そう、電波だ。この発信機がなかなかのモノで、鉱石ラジオは知ってるかな?」

 鉱石ラジオと言われて思い当るものはあった。科学雑誌で鉱石ラジオを作る記事を読んだことがあり、それを覚えていたのだ。鉱石ラジオは無電源でも聞くことができるラジオだ。

「雑誌で読んだことがある」

「じゃあ、話が早いな。その鉱石ラジオの原理を応用して、ある特定の周波数の電波を出し続けるんだ。規則正しく、それこそ何万年もね」

「じゃあ、遭難してもジャミラのことは絶対に探し出せるね」

「そうだね。もし地球人に見捨てられても、他の遊星人が見つけてくれるかもしれない。もっとも他の天体の生命体が僕の宇宙船を発見する頃には僕の寿命はとっくに尽きているだろうけどね。とにかく宇宙では何が起こるかは分からない。だからアランと話ができるのもこれが最後かもしれない。でも、小さい事故は起きるかもしれないけど、生存を揺るがすような大きな事故は起こらないと思うよ。なんと言ってもこのロケットは僕が作ったんだからね。作った本人が信頼しないと始まらないよ。じゃあそろそろ時間なんで。帰還したらまた連絡する」

「良い旅行を」

「ありがとう」

 ジャミラがそう言って電話は切れた。思えばこれがジャミラと私の最後の会話だった。

 次の日の朝刊にジャミラの乗ったロケットの打ち上げが成功した記事が載っていて、さらに数日後、予定の軌道に乗ったことも報道された。

 

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