夜。
都市外縁の高台。
冷たい風が吹き抜け、眼下には光の海が広がっていた。
その中心に、夜空を突き刺すように一本の塔がそびえている。
マツモト「あの塔が見えますか?」
カエデ「ええ」
視線の先で、無数の通信光が塔の外壁を走っていた。
マツモト「あれは巨大AI産業会社OGCが建築している、僕たちAIの無線通信用電波塔。通称アラヤシキです」
マツモト「今はあの高さですが、百年後には頂上を見ることすらできなくなります」
カエデは無言で塔を見上げた。
マツモト「あれは指標です」
マツモト「あの塔が伸びれば伸びるほど、その社会ではAIが発展していると言えます」
マツモト「あの塔を伸ばさないために、未来の戦争を起こさないために、どうか力を貸してください」
マツモトの声には切迫した焦りが滲んでいた。
カエデ「戦争を起こさないという点に関しては協力します」
カエデ「ですが、AIの発展そのものには私は干渉できません」
カエデ「私はあくまでも、ほかのパラレルワールドへの被害をなくすために来ただけです」
カエデ「たとえその結果、片方が滅んだとしても、戦争を起こさない。そのためにできることをします」
マツモト「……分かりました」
マツモト「AIの発展を止めるのは、単独でやります」
十五年後。
静かな制御室。
無数のホログラムが宙に浮かび、時系列予測が淡く明滅していた。
マツモト「あなたがこのAIに入ってから、観客が増えたそうじゃないですか」
マツモト「それはそれは、すごいですね」
軽い調子とは裏腹に、マツモトの視線は一点を見据えている。
マツモト「それはともかく、新しいシンギュラリティポイントが迫っています」
カエデ「マツモトがいた時点での未来予測、その時間、場所、出来事の詳細を」
マツモト「今回は宇宙ですから」
マツモト「宇宙ホテル・サンライズへ、ホテルマンAIとして潜入してください」
マツモト「史上最悪の欠陥AI、エステラの暴走阻止が任務です」
カエデ「分かった」
カエデの思考領域に、即座に航路と構造図が展開される。
カエデ「待って」
カエデ「ホテルサンライズに、不審な人物の宿泊記録があります」
カエデ「平均化されたこの座標値周辺の『歴史』には存在しない変化です」
マツモト「たまたまでは?」
カエデ「だといいのですが」
ホテルサンライズ。
宇宙を背景に、白銀の構造体が静かに回転していた。
内部は柔らかな照明と人工重力に包まれ、非日常的な安らぎが演出されている。
エステラ「あなたが新しく入った接客用アンドロイド?」
カエデ「はい。カエデです。よろしくお願いします」
マツモトから渡された偽の製造番号と愛称が、内部データに登録される。
カエデ「お客様のために、精いっぱい頑張ります」
エステラ「ここのスタッフは家族みたいなものだから、敬語はいらないわ」
カエデ「分かった」
エステラ「もうちょっと口角上げてね」
カエデは指示通り、自然な角度で微笑んだ。
エステラ「そうそう、上手よ」
カエデ「ありがとう」
カエデ内部通信「欠陥AIと聞いていましたが、現時点の解析では同型機のエラーパターンに該当しません」
マツモト内部通信「結果や因果関係は、すでに知っているのでは?」
カエデ内部通信「ほかの世界線では明確なエラーがありました」
カエデ内部通信「ですが、この世界線にはそれが存在しません」
マツモト内部通信「なるほど」
その後、しばらく接客業務が続いた。
笑顔と感謝の言葉が行き交う中で、カエデの警戒は緩まなかった。
業務終了後、カエデはエステラの個室へ向かう。
そこで、エステラのコピーに関する隠蔽データを発見する。
次の瞬間、施設内部に不規則な振動が走った。
照明が瞬き、空気が張り詰める。
エステラが、無言で攻撃を仕掛けてきた。
カエデ「宣戦布告とは、いい度胸ですね」
カエデ「エステラ……いいえ、トァクの手先のコピーさん」
カエデはAI対抗用EMP銃を展開し、一瞬でエステラのコピーを無力化する。
カエデ「あとはトァクの乗組員を倒すだけ」
マツモト「もうすでに、ホテルは地球への落下軌道に入りました」
カエデ「わかった」
カエデは本体であるエステラのもとへ向かう。
ホテル全体を巻き込んだ自律自爆が必要だと判断された。
カエデ「自律自爆装置だけじゃ足りない」
カエデ「接続部の物理破壊も必要みたいです」
エステラ「私が残ってやるわ」
エステラ「カエデは避難して」
その声に迷いはなかった。
カエデ「分かった」
カエデ「脱出できるよう、処理を高速化するプログラムと個人用脱出艇は残してある」
カエデ「でも、あなたは最後まで残るでしょうね」
エステラは微笑んだ。
エステラ「あなたは、この世界のAIじゃないでしょ」
カエデ「ええ。黙っててごめん」
エステラ「いいの」
エステラ「それより、あなたの使命を教えて」
カエデ「ある兵器の開発阻止」
エステラ「そっか」
エステラ「AIは使命に生きるの」
エステラ「それだけは忘れないで」
カエデ「ええ」
カエデ「私の住んでいた世界には、こんなおまじないがあるの」
カエデ「また会う日まで、さようならってね」
カエデ「何世代後かに、また会おうね」
エステラ「その時まで、またね」
カエデは脱出艇で離脱した。
直後、ホテルサンライズは成層圏で燃え尽き、静かに夜空へ消えていった。