勇者の素質とは血筋血統の如何ではなく、あたかも突然変異のように人の子に宿る。ろくでなしの盗賊が勢いで産んだ子にも――つまりは僕にも――それが宿っていることは、決して異常でない。それを教えてくれたのは、教育係のオカノさん*1だった。
4才の頃、家族全員皆殺しの憂き目に遭うが、アジトの隅っこにすっころがっていた瀕死の僕だけ何故か生かされた。魔王とその従者に拐われ、物心ついた頃には魔界*2が僕の生活基盤となっていた。
いや――。憂き目なんて大仰な言葉を使ったが、そこまで気にしていない。僕には勇者の素質がある。しかし先に述べた通り、由緒正しい家柄ではない。そのまま人界に居たら、野垂れ死んでいたかも知れないし、今となっては良かったのかな。
とはいえ、勇者は勇者だ。運よく人界*3で生き延びて成長したらいずれ頭角を現し、血で血を洗う大戦争の立役者になるはずだったろうとも、オカノさんは言っていた。
魔王は幼いうちに僕を殺し、世界*4をその手中に納めんと画策していたそうなのだが、どんな心変わりが有ったのやら――僕を生かしたまま、何処かへふらりと消え失せた。結局、勇者たる僕は、すくすくと元気に育ってしまい、今は旧魔王の邸宅*5に間借りしてちゃっかり学校なんて通っている。僕を拐った件の魔王は現在消息不明であり、野心溢れる――らしい――人界の王様も病で亡くなったという。それから結局、大戦*6が有耶無耶になり、今は互いに牽制しあって緊張状態を保っている――というのが建前でその実、個人・個魔族間でそこそこ仲良くやっている。両方ともわりあい平和ボケ*7しているのが実際だった。
さて、そんな状況にあって、魔界に生きる僕こと勇者の生活は、苦労が絶えない。勇者の力とは詰まる所、輝かしい肉弾戦闘能力だが、平和な世の中にそんな才能が有ったって、それほど役に立たないし。
いや、それはともかく、僕の生活における困難の本質は、そこじゃないんだ。魔界は、魔力こそが生活の資本だ。魔力の量こそが魔族の地位であり、一般生活の隅々にまで魔法*8が浸透している。さらには娯楽行為*9などにさえ魔法が使われる。一番の問題はそこだった。
――魔法の才が、僕には無い。
全く使えないわけじゃないのだが、精々マッチ*10より弱い火を起こす位のものである。初めて魔法を覚えたのは7歳のとき。喜び勇んで魔王邸宅専属庭師のアマノさん*11のくわえる葉巻に火をつけようとしたら、着火に5分くらいかかって、微妙に気を遣わせた。
そんなことがあったせいで、葉巻よりも苦手意識に火がついた。魔界の市民学校*12における魔法科学*13の授業では、落ちこぼれの名を欲しいままにしている。身体保育*14はかなり、得意なのだけど。
それは兎も角、魔法で何でもかんでも出来るところへ僕みたいのが居ると、やはり奇異の眼で見られるものだ。例えば、ちょっと離れた場所の物品を手に取りたいと思ったら、魔族は念動力*15で浮かせるけれど、僕は歩いて取りに行く。面倒なことするんだね、とからかわれる度ごとに「肉体派だから」と言い訳するのは、そろそろ厳しくなってきた頃合い。
それでなくとも僕は目立つのだ――何と言っても体毛が薄い。魔族の皆さんは大概、頭部以外も、体のどこかしらが毛深いもので、脚とか腕とかに、肌が直接見えない部分が存在する。そこへきて僕は、体毛が薄いうえ、魔族には珍しいベージュがかった肌の色をしているから、体毛をわざわざ剃って、人間の肌色を模倣する変態*16だと思われている。
そもそも僕は魔族じゃないのだが、そういう発想が、田園地帯の、人畜無害の、素朴純朴のんびり魔族たちには無かったようで。都会の学校に通っていたら、間違いなくいじめ*17の対象だったろう。
まあ、苦労が絶えない、なんてカッコをつけたが、僕は相当幸運だと思う。
殺されなかったことがまず第一、捨てられなかったことが第二、環境に恵まれたこと――これがいっとう大事――が第三だ。ふらりと居なくなった魔王の従者たちは、なんでか僕を大切に育ててくれた。田舎町の素朴なのんびり魔族たちは、僕を決して無下にしなかった*18。
しかしそれでも、最近になっていよいよ、無視できぬ障害が僕を苛み始めた。別に人間関係(魔族関係?)がしんどい訳じゃない。もっと卑近な問題が浮上したのである。市民学校を卒業した者は、すべからく就職する。お前もしたら良いじゃん、なんて単純な返しを用意した者には、後で勇者のしっぺ*19を見舞う心積りだ。
生活にすら魔法が必要なのだから、仕事なんて尚更である。魔力のない者に勤まるものではない。携帯念話機*20や、念動機*21付き車両、念写機*22――とか、とか、とか。農業、林業、水産業、製造業にサービス業。業種を問わず、お茶くみすら出来ない――大概、念気ポット*23で淹れる――のだから、数日のうちにクビだろう。何にしても、魔法の使えない者が生きていける環境は、この魔界に整備されていないのだった。念子レンジ*24とか使えたら便利なんだけどなぁ……。
まぁ、いいさ。駄々をこねたとて、誰かが助けてくれようはずもなく、わめき散らしたとて、僕に魔法の才が降って湧くこともない。
それだから、決心した。家を出ていこうと、決心した。人間界に帰ろうと、決心した。
人は人界、魔は魔界。あるべきところに、あるべき者があるべきだ。
***
市民学校卒業の、半年前。ある休日に、僕は食堂室を訪ねた。出所は定かじゃないが、緩やかなメロディが聞こえてくる。幾つかある丸テーブルの1つに、ウンノさん*25が座っていた。
「ウンノさん」
「おう、ボウズ、どうしたよ。腹でも減ったかい」
僕は相談事がある時には必ず、ウンノさんに話すようにしている。男勝りな彼女は、決して口調が丁寧とは言い難いが、その実、聞き上手だ。
「ちょっと相談があって。今、いいですか」
「まぁ、待ちなって。立ち話もなんだ。時間も良い塩梅だし、茶ぁしばきながら話そうぜ」
そう云って彼女は、食堂室の適当なテーブルに腰かけた。僕もそれに倣う。彼女が指をパチンと鳴らすと、何処からともなくティーセットや、スプーンにフォーク、お茶菓子までもが飛んできた。もう一度指を鳴らすと、湯が沸き、茶菓子の封が開いて、瞬く間に茶しばきの準備が整うのであった。
「この間市場で、良いハーブティーが売っててさ。おあがんな」
「ありがとう」
一口啜ると、甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。ウンノさんは一時、人界で暮らしていたらしい。その時覚えた〝あふたぬーんてぃ〟なる茶しばき文化が、今でも好きで欠かさないそうだ。
話というのは、今後の進路のことだと僕が切り出すと、彼女の顔がほんの少し曇った。邸宅の魔族たちは、僕のことをよく知ってくれている。僕には働き口がなさそうだということも、しっかり理解していた。
「色々考えたけど、僕はどうしても、自分が働いてる姿を想像できなかったんだ。この家は凄く居心地が良い。小さな頃から育てて貰って、学校にまで……感謝もしてる。ずっとこの家に居たいけど…このままじゃ、きっといけないと思うんだ。1人で生きるべきだって、そう思った。それが恩返しだって、思った。だから――」
一度言葉を切った。とても言いづらいが、言わない訳にもいかないことだ。
「僕、出ていくよ。人界で生きる」
1つ1つ、伝えたいことをゆっくり伝えた。ウンノさんも1つ1つ、丁寧に相槌を打ってくれた。僕が話し終わると、一度カップを傾けてから、彼女は話し始めた。
「いつか、この日が来るだろうなと、思ってたさ」
彼女の爪はドス黒くて鋭い。手は青白くて、血色が悪い。指と指の間に水掻きが付いていて、人でないことは一目瞭然だが、彼女の内面は見た目ほど怖くない。それを知ったのは、10歳の時*26だ。
ウンノさんは優しいと同時に、博識だ。特に人間界についての知識は、人間である僕より深い。残念なことに僕は、決意ばかりが先立つ若造*27で、具体的な案など何も持たない。自分がどう生きるべきか、何を生業とするべきか、検討のスタートラインにすら立てていなかった。だから僕は、ウンノさんに教わりに来たんだ。人間界には、どんな仕事があるのだろうか。
「そうだな、ボウズに出来そうなのは……うーん」
そこで彼女は、不自然に黙った。それはまるで、何かを躊躇うような間だった。
「まぁ……力仕事じゃないかね。大工とか、木こりとか、漁師なんてのも。そういう仕事は、やり口こそ変われど、いつの時代にも必要なもんさ」
「なるほど、力仕事……」
確かに、肉体派を自称するくらい、体力には自信ありだ。やはり、持ち味を生かせる仕事が良い。
「よぉし……。その方向で考えてみます。ありがとう、ウンノさん。とても参考になりました」
「あ、あぁ。うん」
最後彼女は、何かを言いたげだったが、遂に聞けずじまいになった。
「傭兵……なんて、言わない方が良いよねぇ」
部屋を出ていく時、彼女は何かを呟いたけれど、それもやっぱり、よく聞こえなかった*28。
この後、彼は人界に渡り、なんやかんやあって、世界が平和になり、魔王様と幸せなキスをして終了。
続きません。